投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月31日(土)11時17分5秒
前回投稿で引用した部分に「甲〇号証」という表現が出てきますが、裁判に馴染みのない方のために説明すると、原告側の証拠が「甲号証」、被告側の証拠が「乙号証」ですね。
裁判所に証拠として認めてもらうためには、そもそも何を立証するために当該証拠を提出するのかを説明する必要がありますが、その点は「証拠説明書」という書面に書きます。
そして、「証拠説明書」において、ある資料を「甲〇号証」と特定したら、当該資料の原本、または資料の性質に応じて、そのコピーに「甲 号証」というハンコを押して、空白部分に数字(連番)を書いて裁判所に提出する訳ですね。
『津地鎮祭違憲訴訟─精神的自由を守る市民運動の記録』には「Ⅰ 名古屋高等裁判所判決」の最後に、昭和46年2月17日付の「証拠説明書(控訴人側)」が掲載されていますが(p113以下)、それを見ると、例えば「甲五四号証」は(一)(二)に分れていて、
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54 (一) 甲第五四号証の一「国家神道」
(作成)村上重良著、岩波書店昭和四五年発行、著者は龍谷大学講師、宗教学者でありかつ、神道人以外の神道学者としては第一人者である。
(立証事実) 国家神道のなりたち、思想、構造、政教分離をめぐるその危険性
(二) 甲第五四号証の二「『国家神道』の書評(昭和四五・一二・二八付朝日新聞朝刊)」
右著書の書評である。本件地鎮祭に関し、「とりたてて大騒ぎするほどのことではないと考えられがちであるが、国家や公共団体が神社と公に関係を持つということがどのように重大な結果をもたらすか反省してみる必要がある」との指摘は正鵠を得ている。
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と書かれています。
村上重良が「神道人以外の神道学者としては第一人者」云々はあくまで弁護団の主観的評価ですが、当時の研究水準に照らせば、決して的外れな評価ではないでしょうね。
さて、この証拠説明書の中で「甲第八号証」の加藤玄智著『神道精義』に関する記述はけっこう重要なので、詳しい説明は後で行ないますが、とりあえず引用だけしておきます。(p117以下)
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8 甲第八号証「神道精義」(表紙、二三二~二三三頁、二七〇~二七一頁、三〇八~三〇九頁、三四八~三四九頁、三五六~三五七頁)
(作成)大日本図書株式会社発行(発行年は不詳、昭和一〇年代前半ごろか)著者加藤玄智は文学博士、国学院大学、東京帝国大学等の宗教学神道学教授を歴任した戦前宗教学の権威とされた者である。本書は同人の主要著書の一つである。
(立証事実)
① 明治憲法下では前述のとおり"神社は神道に非ず"として宗教政策上、国法上神社神道(国家神道)は宗教として取扱われなかったのであるが、当時宗教学の第一人者であった著者は神道の本質は宗教である旨を明らかにしていた(二七〇頁)。
② 右に関し、著者の「宗教」の定義は注目に値する(二七一頁)。即ち、著者は宗教とは「最も広汎なる意味にて、神と称せられる所のものと、人間との特殊の関係である」と定義し、ここでいう神とは、キリスト教のゴッドのようないわゆる神人懸隔教系の造物主たる神を意味するばかりでなく人神即一教の仏教、如来のようなもの神道の神も、劣等自然教の精霊のようなものを含み、そういう神の救済や助けを信じ、求めることが宗教であると述べているのである。前記のような経歴を有する著者の見解からしても神道が宗教であることは明らかであり、本証は控訴人の神社神道は宗教であるとの主張(準書三四~三五頁)を正に裏付けるものである。
③ 右のような神社神道の宗教性について正直に見解を述べた著者は、反面、神社神道の国教化における危険な一面をこれ又文字通り率直に述べる。即ち同人の見解によれば、神道は国民的宗教であるから、個人個人の信教の自由は入りこむ余地がないとする。「神様の国に生まれて神様の道がいやなら外国へ行け」とまで極言する。そして右神道信仰─天皇信仰に背反しない限りにおいてのみ憲法(明治憲法)は信教の自由を与えたのだと言う(三四八頁)。これは戦前戦中の国家神道による信教の自由、思想、良心の自由迫害の生(なま)の理論であり、生の事実である。まことに怖ろしいといわざるを得ない。しかしながら、このことは戦前のことだから今とは関係がないと楽観することはできない。新憲法下の現在でもその思想は依然として残っており又戦前へ戻ろうとする動きがあるからである。右は神社神道を国民道徳として天皇崇拝、神社参拝などを国民全体の守るべき道徳とした大石鑑定や靖国神社国営化の動きなどに端的に表れている。
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加藤玄智『神道精義』の「発行年は不詳、昭和一〇年代前半ごろか」とありますが、これは1938年(昭和13)ですね。
『神道精義』のような古色蒼然とした大部の書物を、「全部読め」と言わんばかりに丸々提出するのは殆ど嫌がらせに近い行為なので、弁護団側で重要と思われる個所を抜粋し、そのコピーを裁判所に提出した訳ですね。
ちょっと気になったのは加藤玄智が「戦前宗教学の権威とされた者」「宗教学の第一人者であった」云々という部分で、もちろんこれは弁護団の主観的評価ではありますが、相当問題があります。
というのは、加藤玄智と同年(1873年)の生まれで、学歴も似ていながら、加藤玄智よりずっと早く東京帝国大学の教授となって多くの門下を育てた姉崎正治という宗教学者がいて、姉崎こそが当時の「宗教学の第一人者であった」ことは衆目の一致するところだからです。
加藤玄智が「神道学の第一人者」ということであれば、まあ、それなりに妥当かもしれません。
そのあたりの事情も詳しくは後で論じます。
加藤玄智(1873-1965)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%8E%84%E6%99%BA
姉崎正治(1873-1949)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E6%B2%BB
前回投稿で引用した部分に「甲〇号証」という表現が出てきますが、裁判に馴染みのない方のために説明すると、原告側の証拠が「甲号証」、被告側の証拠が「乙号証」ですね。
裁判所に証拠として認めてもらうためには、そもそも何を立証するために当該証拠を提出するのかを説明する必要がありますが、その点は「証拠説明書」という書面に書きます。
そして、「証拠説明書」において、ある資料を「甲〇号証」と特定したら、当該資料の原本、または資料の性質に応じて、そのコピーに「甲 号証」というハンコを押して、空白部分に数字(連番)を書いて裁判所に提出する訳ですね。
『津地鎮祭違憲訴訟─精神的自由を守る市民運動の記録』には「Ⅰ 名古屋高等裁判所判決」の最後に、昭和46年2月17日付の「証拠説明書(控訴人側)」が掲載されていますが(p113以下)、それを見ると、例えば「甲五四号証」は(一)(二)に分れていて、
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54 (一) 甲第五四号証の一「国家神道」
(作成)村上重良著、岩波書店昭和四五年発行、著者は龍谷大学講師、宗教学者でありかつ、神道人以外の神道学者としては第一人者である。
(立証事実) 国家神道のなりたち、思想、構造、政教分離をめぐるその危険性
(二) 甲第五四号証の二「『国家神道』の書評(昭和四五・一二・二八付朝日新聞朝刊)」
右著書の書評である。本件地鎮祭に関し、「とりたてて大騒ぎするほどのことではないと考えられがちであるが、国家や公共団体が神社と公に関係を持つということがどのように重大な結果をもたらすか反省してみる必要がある」との指摘は正鵠を得ている。
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と書かれています。
村上重良が「神道人以外の神道学者としては第一人者」云々はあくまで弁護団の主観的評価ですが、当時の研究水準に照らせば、決して的外れな評価ではないでしょうね。
さて、この証拠説明書の中で「甲第八号証」の加藤玄智著『神道精義』に関する記述はけっこう重要なので、詳しい説明は後で行ないますが、とりあえず引用だけしておきます。(p117以下)
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8 甲第八号証「神道精義」(表紙、二三二~二三三頁、二七〇~二七一頁、三〇八~三〇九頁、三四八~三四九頁、三五六~三五七頁)
(作成)大日本図書株式会社発行(発行年は不詳、昭和一〇年代前半ごろか)著者加藤玄智は文学博士、国学院大学、東京帝国大学等の宗教学神道学教授を歴任した戦前宗教学の権威とされた者である。本書は同人の主要著書の一つである。
(立証事実)
① 明治憲法下では前述のとおり"神社は神道に非ず"として宗教政策上、国法上神社神道(国家神道)は宗教として取扱われなかったのであるが、当時宗教学の第一人者であった著者は神道の本質は宗教である旨を明らかにしていた(二七〇頁)。
② 右に関し、著者の「宗教」の定義は注目に値する(二七一頁)。即ち、著者は宗教とは「最も広汎なる意味にて、神と称せられる所のものと、人間との特殊の関係である」と定義し、ここでいう神とは、キリスト教のゴッドのようないわゆる神人懸隔教系の造物主たる神を意味するばかりでなく人神即一教の仏教、如来のようなもの神道の神も、劣等自然教の精霊のようなものを含み、そういう神の救済や助けを信じ、求めることが宗教であると述べているのである。前記のような経歴を有する著者の見解からしても神道が宗教であることは明らかであり、本証は控訴人の神社神道は宗教であるとの主張(準書三四~三五頁)を正に裏付けるものである。
③ 右のような神社神道の宗教性について正直に見解を述べた著者は、反面、神社神道の国教化における危険な一面をこれ又文字通り率直に述べる。即ち同人の見解によれば、神道は国民的宗教であるから、個人個人の信教の自由は入りこむ余地がないとする。「神様の国に生まれて神様の道がいやなら外国へ行け」とまで極言する。そして右神道信仰─天皇信仰に背反しない限りにおいてのみ憲法(明治憲法)は信教の自由を与えたのだと言う(三四八頁)。これは戦前戦中の国家神道による信教の自由、思想、良心の自由迫害の生(なま)の理論であり、生の事実である。まことに怖ろしいといわざるを得ない。しかしながら、このことは戦前のことだから今とは関係がないと楽観することはできない。新憲法下の現在でもその思想は依然として残っており又戦前へ戻ろうとする動きがあるからである。右は神社神道を国民道徳として天皇崇拝、神社参拝などを国民全体の守るべき道徳とした大石鑑定や靖国神社国営化の動きなどに端的に表れている。
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加藤玄智『神道精義』の「発行年は不詳、昭和一〇年代前半ごろか」とありますが、これは1938年(昭和13)ですね。
『神道精義』のような古色蒼然とした大部の書物を、「全部読め」と言わんばかりに丸々提出するのは殆ど嫌がらせに近い行為なので、弁護団側で重要と思われる個所を抜粋し、そのコピーを裁判所に提出した訳ですね。
ちょっと気になったのは加藤玄智が「戦前宗教学の権威とされた者」「宗教学の第一人者であった」云々という部分で、もちろんこれは弁護団の主観的評価ではありますが、相当問題があります。
というのは、加藤玄智と同年(1873年)の生まれで、学歴も似ていながら、加藤玄智よりずっと早く東京帝国大学の教授となって多くの門下を育てた姉崎正治という宗教学者がいて、姉崎こそが当時の「宗教学の第一人者であった」ことは衆目の一致するところだからです。
加藤玄智が「神道学の第一人者」ということであれば、まあ、それなりに妥当かもしれません。
そのあたりの事情も詳しくは後で論じます。
加藤玄智(1873-1965)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E7%8E%84%E6%99%BA
姉崎正治(1873-1949)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E6%B2%BB