投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 1月16日(木)22時16分38秒
>筆綾丸さん
>水林彪氏の『天皇制史論』
実は私も『天皇制史論─本質・起源・展開』p35の次の指摘に気づいて、昨日・今日とこの本を読んでいました。
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第1章 基本的諸概念
第四節 国家
1 多義的概念
わが国の歴史学にきわめて大きな影響を与えてきた石母田正は、「律令制国家」─飛鳥浄御原令(六八九年施行)や大宝律令(七〇一年成立)を根本法典とする国家─の成立をもって、我が国における「国家」なるものの成立であると考えた。マルクスやエンゲルスの学説、とりわけ「国家」概念については、エンゲルスの『家族・私的所有・国家の起源』を重要な理論的基礎とする所論である(石母田71.とくに第二章におけるエンゲルス理論への言及)。しかし、石母田によるエンゲルス理論の援用の仕方には、根本的な問題があったように思われる。
視野を歴史学全体に拡大すると、「国家」についての厳密な定義を欠いたままに、「国家」について論ずるものが少なくないという問題が存在する。一般に、重要な概念ほど、定義なしに、あるいは、意味がきわめて曖昧なままに使用される傾向があり、このことは不可避的に議論に混乱をもたらすことになるが─というよりも、定義が曖昧であるから厳密な意味での学問的論議・論争が成立しえない─、その典型の一つが「国家」概念ではなかろうか。最近では「初期国家」なる概念も提起され、ますます議論が錯綜してきているように見受けられる。議論の整理が必要である。
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細かい注を残して一応読み終えたのですが、いくつか疑問も生じたので、水林氏の他の論文を読んでから感想を書きたいと思います。
水林氏は東京都立大学廃校に反対、首都大学東京への着任を拒否して一橋大学に転じ、同大学を定年退職して今は早稲田大学特任教授だそうですね。
昨日書いた東京帝大国史学科の「副手」の件、どうも 水戸史学会の名越時正氏(1915~2005)のようですね。
阿部猛氏の「平泉澄とその門下」に次の記述があります。
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また昭和十八年、学生の研究発表の場で、「豊臣秀吉の税制」を発表した斎藤正一は、「君の考え方は対立的で、国民が一億一心となって大東亜戦争を戦っている時、国策に対する反逆である」と決めつけられ、大目玉をくった。そのうえ、参考文献について尋ねられ、研究室に備えられている社会経済史関係の雑誌を挙げたところ、そのようなものを読んでは駄目だと断言され、副手の名越時正を呼びつけ、これら雑誌は有害であるから撤去せよと命じられたという(『庄内藩』吉川弘文館)。
名越時正(ウィキペディア)
阿部猛氏自身は1927年山形県生まれ、1951年に東京文理科大学史学科を卒業した方で、「平泉澄とその門下」はあくまで伝聞を集めただけですから、若干物足りないですね。
特に家永三郎氏に関する部分は、同氏が終戦後かなり経ってから反体制派に転じた人なので、戦前・戦中の記憶については、意図的かどうかはともかく、事後的に若干修正を加えている感じがしないでもありません。
※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。
空想的耽美的浪漫主義的歴史観 2014/01/15(水) 21:18:23
小太郎さん
http://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b34543.html永原慶二氏『20世紀 日本の歴史学』末尾の人名索引は大半の歴史学者を網羅しているようですが、平泉澄氏の次は平田篤胤で、残念ながら、平田俊春氏の名はありませんでした。同書「おわりに」の以下の文は、死の二年前に、ご自身の研究を回顧されたものですね。
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私はそうした空気のなかで、「封建制」「地主制」などへの学問的関心から出発し、さかのぼって荘園を研究するようになった。領主ー農民関係から始めたが、そのなかで荘園の領有というものが地域的な封建領主の領有形態とは性質が異なって、支配階級層(公家・幕府・地方武家・大寺社など)の重層的・集団的な領有体制(家産官僚制国家)であることに気づき、そこに日本国家の史的特徴の重要な側面が見いだされると考え「中世国家」研究に進んだ。そのなかで、荘園制に規定された中世前期の国家は、十五世紀以降小農経営と地域的領有体制が進展し、中世後期は封建的領域支配(地域国家)が進むなかで大きく変化するが、国制としては依然として天皇を頂点とする「日本国」の複合的国家構造をとりつづけることに注目した。これらの問題が、今日どのような意味をもつかは議論があろうが、私は中世のこの二段階を通じても、根深く生きつづける「日本国」の構造と体質(「公」と「私」の癒着的権力構造の持続)の意味を重視するとともに、その内実の歴史的変動を明らかにしようと考えた。
そうしたものは、詮じつめるとすべて社会構成体論および国家論的発想であり、個別事実の追及はそれとして不可欠であるが、歴史認識としては可能な限り日本歴史の特殊性とそこに貫通する普遍性・法則性との両面を追求することを目指しつづけた。歴史研究はつねに個別事実の実証的研究から始まる。しかしその事実、あるいは集積された多くの事実の連関的全体に含意されている普遍と特殊、断絶と連続としての歴史の意味を問い明らかにすることこそ歴史学の課題であると考えたのである。あえていえば、私の考え方は、明治の文明史・戦前戦後のマルクス歴史学・近代主義歴史学の系列のなかにあるが、それは実証主義歴史学の追及した研究手法を基礎としていることも当然である。(307頁~)
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同書における、次のような網野氏への言及には、思わずニヤニヤしてしまいました。
永原氏が『問はず語り』の性悪女によろめくのは、もしかすると、青春時代における日本浪漫派への麻酔的陶酔ーひめやかな悪習ーの消しがたいトラウマなのかもしれないですね。
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この点は網野の現代感・歴史感と不可分である。網野は高度経済成長の強行による社会的諸矛盾に直面し、物質的生産力の発達がそのまま歴史の進歩と見なしえないと考えるようになるとともに、歴史を「進歩」を尺度として見ることにも懐疑的となり、高度経済成長以降ばかりでなく、明治維新以来の日本近代史そのものを「進歩」の視覚から見ることにも否定的となったようである。中世前期から中世後期、近代から現代へ、網野の歴史認識はその点ではペシミスティックで、”世の中が悪くなる”という見方である。
資本主義の発展と民主主義の発展とが一体的なものといえないのは事実だが、こにような論法をとれば、近代の「自由」よりも、「本源的原始の自由」が賛美されることにならざるをえない。その意味では、網野の歴史観は一種の空想的浪漫主義的歴史観の傾向をもっている。そこがあえていえば、「近代の超克」が唱えられた社会状況のもとで登場した日本浪漫派の歴史観に通ずるように思われるのである。亀井勝一郎が欧米的近代をも拒否するとき、そこに見いだした活路は日本の古代や中世に見いだした耽美的世界であった。亀井は豊かな感性の持ち主であるだけに、戦中期に学生で亀井の読者でもあった私のような世代には、その耽美的浪漫主義は麻酔的陶酔をもたらしてくれた。網野の社会史を日本浪漫派と同類視することは、本人をはじめ多くの歴史研究者からも抗議されるかもしれないが、近現代を否定的にとらえ、「本源的自由」という幻影や「無縁」的自由を礼讃的に描き出す手法から、そうした不安を感ずるのは、私のような世代だけであろうか。(227頁~)
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小田原藩の人 2014/01/16(木) 21:02:41
http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0126-d/『富士山宝永大爆発』の「あとがき」には、近世史の書を著わした理由が以下のように書かれています。
永原氏が『折りたく柴の記』を鵜呑みにして荻原重秀を描いているような印象を受けましたが、新井白石は嫉妬深く喰えない曲者だと疑われたほうがよかったのではないか、と思われました。
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もう十数年以前になるが、この本の二つの主舞台であり、ともに小田原藩領であった静岡県小山町と神奈川県小田原市の自治体史編纂を、それぞれの役所から偶然にもほとんで同時に依頼された。二つとも最近ようやく完成したが、その間、両地域のナマの史料に直接とりくむ機会にめぐまれ、事実を知るにつれて私の心の中に富士山宝永大噴火史をめぐる課題意識が高まっていった。
しかも私事にわたるが、小山町にはいま私が書庫や仕事場に利用している家があり、そこは元禄以来、先祖が住みつづけてきた土地でもある。初代の人は小田原藩の侍の次男坊で、侍の養子口がなかったためか、元禄の頃この地に住みつき、すぐ大爆発に遭遇した。惣領筋の永原(当時の一時期、坂部氏を名乗る)は藩役人でその当時地方支配の仕事にかかわっていたことも、小田原市史編纂のおかげではっきりした。小山町は私自身の生れ故郷ではないが、とくに縁が深く、子供のときから、あのズルズルと足が埋もれてゆくような噴火砂の大地の不思議を、あざやかに覚えている。(263頁~)
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http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/6/0240220.html今日は、水林彪氏の『天皇制史論』を、批林批孔の林彪によく似た名だなあ、などと思いながら少し読んでみたのですが、あんまり面白くないのでやめました。独語や仏語が鏤められていて、賑やかなんですが。