学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

中部大学教授・武田邦彦氏のブログ

2011-04-29 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月29日(金)08時40分21秒

野口実氏はご自身の掲示板の4月18日の投稿で、

----------------
何とも気がかりなのは、放射能汚染の問題です。
ノルウェー気象研究所による今後の放射性物質の流れのシミュレーションがアニメーションで見られます。
 ⇒http://transport.nilu.no/products/browser/fpv_fuku?fpp=conc_I-131_0_;region=Japan
 これを見ると、首都圏はもとより関西圏も安心できません。
 ネットから得られる原発問題の事実関係に関する情報の中で、私が信頼し、対応の参考にさせて頂いているのは、中部大学の武田邦彦氏、写真家の藤原新也氏、同業の文教大学教授中村修也氏のブログです。

http://donkun.ath.cx/bbs/

と言われ、また「文教日本史」氏は、

---------------
武田邦彦氏の意見に納得

すでに多くの方がアクセスされているので、ご存知の方も多いと思いますが、中部大学の武田邦彦氏の意見は、今回の福島原発問題に関して、もっとも明確で信頼のもてる意見と感じました。
かんたんに武田氏の話を聞くには、Youtubeの「増刊!たかじんのそこなで言って委員会」の動画をご覧になられるのがいいと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=jyou9oG1qBg&feature=related

ほんとうにお勧めです。

http://blog.goo.ne.jp/shuya1128/e/cac7513c3798c15f89f3f8cf96971b9a

と言われていますが、どうなんですかね。

野口実氏の掲示板に参加されている、または閲覧されている歴史研究者の方々の多くは武田邦彦氏のブログも参照されたでしょうが、これを見て「信頼し、対応の参考にさせて頂」こうと思った方はどのくらいいるのでしょうか。

http://takedanet.com/

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E9%82%A6%E5%BD%A6


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文教日本史様

2011-04-28 | 東日本大震災と研究者
以下、「原爆が投下されました!」 へのコメントに対する回答ですが、長くなるのでこちらに書きます。

-----------

あなたのブログで「今最大の障害は石井社長をはじめとする天下り管理職でしょう」との記述があったので、「石井社長」とは誰なのかを質問し、あなたが東京電力の「清水社長」の誤りであることを認めた後、清水社長は慶応大学を卒業してすぐに東京電力に入社した人なので「天下り」ではないこと、また東京電力の副社長6人のうちの1人は監督官庁である経済産業省の高官を経験した人が就任するという慣例を指摘した上で、最近辞任した「石田」顧問(元資源エネルギー庁長官)なら「天下り」と言ってよいでしょう、と指摘した私のコメントを、あなたが削除しておられたので、私と意見交換する意思はないものと思っていました。
こちらのブログは、一番上にも書いているように、私の「Japanese Medieval History and Literature」という掲示板への投稿の保管庫なので、いつもチェックしている訳ではなく、回答が遅れました。
さて、「勝手な憶測」とありますが、私は野口実氏の掲示板で、野口氏が4月18日に「ネットから得られる原発問題の事実関係に関する情報の中で、私が信頼し、対応の参考にさせて頂いているのは、中部大学の武田邦彦氏、写真家の藤原新也氏、同業の文教大学教授中村修也氏のブログです」と書かれていたので、他のブログとともに文教大学教授中村修也氏のブログを探したところ、文教大学で日本史を教えている方のブログを見つけました。
確かに中村修也氏の名前は書かれていませんでしたが、複数の公開されている情報源で、文教大学教育学部教授の中村修也氏が茶道史を研究されていること、吉川弘文館から本を出されていること等を知り、あなたのブログの内容に照らしてこれは中村修也氏のブログなのだろうなと判断しました。
以上の推測が間違いであれば修正しますので、ご連絡ください。
なお、私は15年以上、「鈴木小太郎」の名前でネットでの活動を行っており、別に「ペンネームで隠れてい」る訳ではありません。
また、あなたにとってはチェルノブイリや福島第一原発を「核融合炉」と考えることは「ブログの本質とは違うところ」なのかもしれませんが、一般的にはそうではないと思います。
更に、私が考えるあなたのブログの本質は「危機においてパニックに陥り、恐怖を煽り立て、風評被害を拡大させる」ブログであることです。
従って、私の当面の目的のひとつは、こうしたブログを批判することにより、多くの人に、特に文教大学の学生さんを含む若い人々に、原発問題を落ち着いて判断するための材料を提供することにあります。

野口実氏の掲示板
http://donkun.ath.cx/bbs/


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生きている不思議 死んでゆく不思議

2011-04-27 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月27日(水)20時23分42秒

朝日新聞に塚本和人という記者による署名記事が出ていました。

-----------
放射能汚染のがれき手運び チェルノブイリの元作業員

 「私たちはチェルノブイリで、地獄の門へと駆け上がった。誰もが恐怖で体が震えていた」。旧ソ連・ウクライナのチェルノブイリ原発事故が発生してから、26日で満25年を迎えた。事故後の原発施設内で、事態収拾のため、がれき除去などに携わった元作業員の科学者が当時を振り返った。
 事故後のチェルノブイリでは、原子炉建屋の屋根部分が最も放射線量が高いとされた。セルゲイ・ベリヤコフさん(55)はその屋上に、計6回のぼった。
 ウクライナで有機化学を専門とする大学の助教授だった。軍の予備役でもあり、核防護についても研究していたため、1986年7月31日から40日間、当時のソ連軍化学防護旅団に、志願して加わった。
 原発から30キロ圏内に滞在し、爆発した4号炉などの原発施設内に、計23回入った。階段を上下し、放射能で汚染された金属やアスファルトを手で持って運び出した。リーダー格だった。
 その間、ずっと身につけていた原発30キロ圏内への入境許可証を、ベリヤコフさんは今も持っている。放射線の影響で顔写真が白く退色している。だが、恐怖の記憶は色あせていない。(塚本和人)

http://www.asahi.com/international/update/0426/TKY201104260553.html

私はどうも疑問の持ち方が塚本記者とは違うようです。
「最も放射線量が高い」「原子炉建屋の屋根部分」に「計6回のぼ」り、「原発から30キロ圏内に滞在し、爆発した4号炉などの原発施設内に、計23回入った。階段を上下し、放射能で汚染された金属やアスファルトを手で持って運び出した。リーダー格だった」という人が、事故後25年たって、まだ生きていることが私にとっては不思議です。
写真で現在の容貌を見る限り、今後もかなり長く生きていけそうな感じですね。
この人物の経験を福島第1原発で活かすためには、この人物が40日間に何シーベルト被曝したかを、推定値でいいから示すことが必要だと私は考えます。
数値がなかったら、単にチェルノブイリで頑張りましたという思い出話であって、現に危険な状態が続いている状況においては、情報として何の価値もないですね。
塚本記者には、そういうセンスが全く伺えません。
「退色」しているのは顔写真ではなく、塚本記者の頭の中身だろうと思います。

「いつも何度でも」
http://homepage3.nifty.com/RuiRuka/Prv/Midi/Itumo/ItumoText.htm
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10ミリシーベルトの不思議

2011-04-27 | 東日本大震災と研究者
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月27日(水)06時49分44秒

放射線量の比較の目安として、ブラジルのガラパリでは自然放射線の量が年間10ミリシーベルトと言われていますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88

私はガラパリという地名を知らなかったのですが、ウィキペディアによると、

---------
Guarapari

Guarapari is a coastal town on the coast of Espírito Santo, Brazil. It is a part of Greater Vitoria. A municipal capital , it is located 47 km south of Vitória, of the state capital. Its population is 105,116 (2005) and its area is 592 km?.

It is a well-known tourist destination, known for its curving white sand beaches backed by commercial development. With its heavily built-up coastline like Vila Velha and Vitória, it caters heavily to seasonal tourists, and consequently has quite a dramatic seasonal population fluctuation.

Within the municipality there is the Setiba nature reserve, a pristine example of a coastal ecosystem and important for local turtle and bird populations.

The municipality has had European presence since 1585 when Jesuit missionaries built a small chapel and dug a well. Guarapari has an extremely high level of background radiation, some 175 mSv per year.

http://en.wikipedia.org/wiki/Guarapari

とのことで、ヴィトリアの47㎞南ですから、地図を見るとリオデジャネイロの少し北あたりですね。
人口10万、白砂の海岸に恵まれた観光地だそうで、画像検索すると海辺の呑気な写真がいっぱい出てきます。

http://www.google.co.jp/search?q=guarapari&hl=ja&sa=N&prmd=ivnsm&tbm=isch&tbo=u&source=univ&ei=6Di3TbPXBoW6ugPi9-GiAw&ved=0CC8QsAQ&biw=1519&bih=687

ウィキの記事の最後に「ガラパリの自然放射線のレベルは極めて高く、年約175ミリシーベルト」とありますが、これはにわかに信じがたく、?マークもついていますね。

日本語のページでは、公益財団法人体質研究会という団体のサイトに「高自然放射線地域住民の健康調査」の一環として、ガラパリでの調査内容が掲載されていますが、それによると、

----------
この地帯は長く伸びたブラジル大西洋岸に平行に走る山脈中の古期片麻岩(グネス岩)の長年の風化と分解によって、チタン鉄鋼ジルコナイト・モナザイトという溶けにくく硬い鉱物が自然に分離しました。そして細かい粒子にされた後、海に注ぐ多くの川によって下流に運ばれ、そこに成層して川や海に沈積し海から波とともに小さな砂石として浜に戻って来たといわれています。
(中略)
黒い砂(これが放射能が高い)のビーチとして、リュウマチに効くということで沢山の人達が海水浴と治療にここを訪ね、ブラジルでも唯一の観光地(リゾートタウン)として人口7万人の街に発展しています。

この写真の御夫妻に尋ねてみました。 「入ってどんな感じですか?」 「すごく温かい感じ。どういう効果があるか分 からないけれど、 砂に入っていると、温かくなって、他のビーチとは一寸違うみたい」 と。 ちなみにこの時に置いてある線量計は5μSv/hをさしていました。

黒い砂の ところはもっと高く15μSv/h (131mSv/y ) を示しました。 (通常のところは0.1μSv/h 以 下です。)

http://www.taishitsu.or.jp/radiation/guarapari-a.html

とのことで、リュウマチ治療を兼ねる海辺の観光地というと、砂風呂で有名な鹿児島の指宿みたいな感じでしょうか。
黒い砂のところは1時間あたり15マイクロシーベルト(年間131ミリシーベルト)、「他のビーチとは一寸違うみたい」というところは1時間あたり5マイクロシーベルトで、割算をすると年間43.7ミリシーベルトですか。
日本の場合、年間10ミリシーベルトで一般人の屋内退避が必要とされ、年間20ミリシーベルトで避難命令が出されるのに、ブラジルではその数値を遥かに超える場所で観光客がのんびり砂浴びをしているんですね。
日本政府は愚かなブラジル政府に避難勧告を行うよう推奨すべきなんでしょうか。
それが内政干渉で許されないなら、せめてブラジルに渡航する日本人に対し、ガラパリの周囲80キロメートル以内には近づくな、といった勧告をすべきでしょうか。

ちなみに「公益財団法人体質研究会」というのは名前がちょっと怪しいような感じもしますが、役員に京都大学その他の有名大学の教授が並んでいるので、しっかりした団体のようですね。

http://www.taishitsu.or.jp/hrf/member.html



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多聞山・毘沙門堂

2011-04-26 | 東日本大震災と研究者
多聞山・毘沙門堂 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月26日(火)20時44分0秒

七ヶ浜町のホームページには、多聞山と毘沙門堂は、

-------
多聞山は、日本三景松島が眼下に広がり、東松島市の大高森や松島町の富山・扇谷と並んで、松島四大観のひとつに数えられる景勝地です。馬放島や地蔵島、松島湾内の島々が広がるその雄大な眺めはまさに「美観」という言葉にふさわしいものです。

http://www.shichigahama.com/relax2/spot02.html

と紹介されています。
毘沙門堂前の石灯籠は全部倒壊していましたが、まあ、こんなものは立て直せばよいだけですね。
眼下に見えるのは仙台火力発電所です。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5825



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東北歴史博物館・グリーンゲイブル

2011-04-26 | 東日本大震災と研究者
東北歴史博物館・グリーンゲイブル 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月26日(火)20時21分36秒

私も一応、「グリーンゲイブル」と聞いて、ああ、赤毛のアンだなと気づく程度の知識は持っていまして、というか、英語の発音練習用にAnne of Green Gablesの録音テープを聞いていた時期があります。
「多賀城ロール」は多賀城址から出土した瓦をイメージしたものだそうですね。
東北歴史博物館は今日から再開とのことで、グリーンゲイブルにもお客さんがいっぱい入ればいいなと思います。

東北歴史博物館
http://www.thm.pref.miyagi.jp/

グリーンゲイブル
http://www.k5.dion.ne.jp/~g-gable/index.html?1

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5824
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

多賀城址

2011-04-26 | 東日本大震災と研究者
多賀城址 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月26日(火)01時32分52秒

石巻市は死者2860人、行方不明者2770人(4月24日現在)と、東日本大震災全体の死者・行方不明者の約5分の1を出している自治体で、被災地域が広すぎるために瓦礫の撤去はまだまだ、という状況でした。
私が見た光景の中にも、瓦礫に埋まったままの人が大勢いたのだろうなと思うと、いささか気弱になり、翌17日(日)は直ぐには被災地に行く気になれず、東北自動車道を泉PAスマートICで降りて、多賀城址に行ってみました。
桜が満開でした。
多賀城碑のある丘のすぐ下の公園は多賀城市内から回収した瓦礫置き場になっていましたが、復興のために暫くはやむをえないですね。

ついで東北歴史博物館に行ってみました。
開館していないのは知っていたのですが、建物だけでも見ておこうと思って近づくと、シンと静まり返っているにもかかわらず、隣接のレストラン「グリーンゲイブル」に営業中との表示があったので、そちらに入ってみました。
入口で暫く待っているとアルバイトの若い女性が出てきたので、コーヒーと「多賀城ロール」を注文し、窓の外に広がるのどかな雑木林と人工の池を眺めていました。
客はもちろん私一人で、ボーっとコーヒーを飲んでいると、女性の店主が来られて、暫く話をしました。
客が入らないのは承知の上で、意地で開店している様子でしたが、頑張って再出発しようと思っていたところに4月7日の大きな余震があったのはショックだった、と言われていました。
多くの人がもう一度大きな地震があるのではないかと思っているそうで、余震に怯えつつ事業を再開するのは、なかなかしんどいことですね。

女性店主から多賀城市や隣接する七ヶ浜町の被災の様子を聞いたので、名前も知らなかった七ヶ浜町に行くことにし、まず多聞山に向かってみました。
多聞山から見る松島湾は絶景として有名だそうですが、春の日を浴びた湾内は微妙に濁っていて、どこか不吉で寂しい感じがしました。
多聞山から松島火力発電所に降りてみましたが、頑丈な建物群ではあっても、津波の直撃を受けてかなり破壊されていました。
その後、七ヶ浜町を一周してみましたが、湘南の逗子や葉山のような明るい雰囲気であったであろう街は、大半が崩壊していました。

七ヶ浜町からは仙台東部道路で仙台空港周辺に行き、ついで常磐自動車道を通って相馬市の松川浦の様子を見てから国道115号線(中村街道)経由で帰途に就きました。
写真は多賀城址です。
一番下の写真、白い花が咲いている訳ではありません。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5823

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

石巻市・女川町

2011-04-25 | 東日本大震災と研究者
石巻市・女川町 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月25日(月)23時25分36秒

16・17日に宮城県南部と福島県北部を廻ったことは書きそびれてしまったので、だいぶ日はたってしまいましたが、備忘録として少し書いておきます。
16日(土)は大川小学校まで行くつもりで三陸自動車道の河北ICで降り、北上川南岸の県道30号線(河北桃生線)を新北上大橋まで進みました。
道路は津波のためにいたるところで崩壊しており、自衛隊が敷設した鉄板の上を通る箇所も相当ありました。
大川小学校のある釜谷は立入禁止になっていたので、国道398号線を南下し雄勝(石巻市)を経て女川町に行きましたが、両方とも悲惨としか言いようのない状況でした。
女川町から石巻に向かう途中、海に沿った低地なのに被害が極めて軽微な地域が続き、不思議に思ったのですが、地図を見ると万石浦という内海でした。
石巻市渡波地区に入ると再び惨状が続きましたが、街全体の様子が分からないので、高台が良いだろうと思い、「日和山公園」に行ってみました。
ここから見た光景が4月18日の投稿の写真です。
ついで鹿島御児神社の石段を下って門脇町に行ってみました。
西光寺というお寺から見た門脇町の様子が下の写真です。
粉塵がすごかったですね。
この後、海沿いの工業地帯に行き、海水と得体の知れない廃液の混ざった水たまりの続く道路を延々と走ったために車が気の毒になり、ガソリンスタンドで洗車してから東北新幹線古川駅近くのビジネスホテルに泊まりました。

粉塵についてはあまり報道されませんが、大変深刻な問題になっていますね。


「河北新報」
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110417t13021.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5822



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Jヴィレッジ(その2)

2011-04-23 | 東日本大震災と研究者
Jヴィレッジ(その2) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月23日(土)22時39分53秒

Jヴィレッジはもともと東京電力が130億円かけて建設し、福島県に寄贈した施設だそうですね。

「Jヴィレッジの天然芝フィールド、除染施設やヘリ発着場に変貌」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/dst11042208100013-n1.htm

「廊下で仮眠、食事…これが原発作業の最前線「Jヴィレッジ」だ」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110422/crm11042221320012-n1.htm

「自衛隊の活動拠点となっている「Jヴィレッジ」の内部映像」
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00198009.html

周辺の駐車場と道路には陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊の特殊車両がずらりと並んでおり、さすがに壮観でした。
一番下の写真は警察の検問所と暇そうな警察官です。
桜はかなり散ってしまっていましたね。

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5821

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Jヴィレッジ(その1)

2011-04-23 | 東日本大震災と研究者
Jヴィレッジ(その1) 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月23日(土)22時30分51秒

今日は磐越自動車道からいわきJCT経由で常磐自動車道に入り、いわき四倉ICを降りて国道6号線を北上し、福島県双葉郡楢葉町のJヴィレッジに行ってみました。
私はサッカーに全然興味がないのでJヴィレッジの名前すら知らなかったのですが、サッカーの一大トレーニングセンターだそうですね。
もちろん今は原発事故対処のための東京電力と自衛隊の前進基地です。
白い人がいっぱいいましたね。
途中で警察に止められるのかなと思ったのですが、Jヴィレッジまでは別に何の規制もなく、簡単に近づくことができました。
ただ、このすぐ先に検問所が置かれていました。
ここも「なんで通らせないんだ」てなことを叫ぶ人々とそれを取り巻く新聞記者・テレビクルーの一団といった光景を想像してしたのですが、そもそも誰一人おらず、警察官もヒマそうでした。

J-VILLAGE
http://j-village.jp/

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5820



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝桜

2011-04-23 | 東日本大震災と研究者
滝桜 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月23日(土)07時29分3秒

>筆綾丸さん
ご紹介の日弁連のページ、ざっと見ましたが、トラブル処理の手引きみたいな感じですね。

これから、ちょっと福島県に行ってきます。
あまり腹を立てて気持ちに余裕がなくなってもまずいので、三春町あたりで花見もしてくるつもりです。
福島県の場合、桜は先週末の時点で既に満開のところもありましたが、まだ大丈夫そうですね。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地方公共団体の役割

2011-04-22 | 東日本大震災と研究者
地方公共団体の役割 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月22日(金)07時49分52秒

高齢者の多い地域で避難を実行すると、体調を崩して死亡する人が続出しますね。
地方公共団体の長は内閣総理大臣の部下じゃないんだから、政府の指示に唯々諾々と従うのではなく、当該地域において本当にその指示が正しいのか、住民の居住・移転の自由を侵害する、あるいは住民に奴隷的拘束を強いる(憲法第18条)憲法違反の行為ではないかを、優秀な弁護士を公費で雇って検討させ、必要があれば憲法訴訟を起こすべきだと私は考えます。
双葉町ではやむをえない規制であっても、南相馬市で、あるいはその一部ではおかしい、ということだってあると思います。
住民のために原子力災害対策本部長・内閣総理大臣菅直人と戦えるのは、実際上、地方公共団体の長だけですね。

------------
指 示

平成23年4月21日11時00分

福島県知事 殿
富岡町長 殿
双葉町長 殿
大熊町長 殿
浪江町長 殿
川内村長 殿
楢葉町長 殿
南相馬市長 殿
田村市長 殿
葛尾村長 殿

平成23年(2011年)福島第一及び第二
原子力発電所に係る原子力災害対策本部長
内閣総理大臣

東京電力株式会社福島第一原子力発電所で発生した事故に関し、原子力災害対策特
別措置法(平成11年法律第156号)第20条第3項の規定に基づき下記のとおり
指示する。



別添「警戒区域の設定について」(平成23年4月21日原子力災害対策本部)に
基づき、東京電力株式会社福島第一原子力発電所から半径20キロメートル圏内を原
子力災害対策特別措置法第28条第2項において読み替えて適用される災害対策基
本法(昭和36年法律第223号)第63条第1項の規定に基づく警戒区域に設定し、
緊急事態応急対策に従事する者以外の者に対して、市町村長が一時的な立入りを認め
る場合を除き、当該区域への立入りを禁止し、又は当該区域からの退去を命ずること。
各々の市町村域のうち、対象区域内の居住者等に対して、その旨周知されたい。

<参考>

○災害対策基本法(昭和36年法律第223号)
※原子力災害対策特別措置法(平成11年法律第156号)第28条第2項による
読替後
(市町村長の警戒区域設定権等)
第六十三条 原子力緊急事態宣言があった時から原子力緊急事態解除宣言があるま
での間において、人の生命又は身体に対する危険を防止するため特に必要があると
認めるときは、市町村長は、警戒区域を設定し、緊急事態応急対策に従事する者以
外の者に対して当該区域への立入りを制限し、若しくは禁止し、又は当該区域から
の退去を命ずることができる。
2 前項の場合において、市町村長若しくはその委任を受けて同項に規定する市町村
長の職権を行なう市町村の職員が現場にいないとき、又はこれらの者から要求があ
つたときは、警察官又は海上保安官は、同項に規定する市町村長の職権を行なうこ
とができる。この場合において、同項に規定する市町村長の職権を行なつたときは、
警察官又は海上保安官は、直ちに、その旨を市町村長に通知しなければならない。
3 (略)
第百十六条 次の各号のいずれかに該当する者は、十万円以下の罰金又は拘留に処す
る。
一 (略)
二 第六十三号第一項(原子力災害対策特別措置法第二十八条第二項の規定により
読み替えて適用される場合を含む。以下この号において同じ。)の規定による市町
村長(第七十三条第一項の規定による市町村長の事務を代行する都道府県知事を含
む。)の、第六十三条第二項の規定による警察官若しくは海上保安官の又は同条第
三項(原子力災害対策特別措置法第二十八条第二項の規定により読み替えて適用さ
れる場合を含む。)において準用する第六十三条第一項の規定による原子力災害派
遣等を命ぜられた部隊等の自衛官の禁止若しくは制限又は退去命令に従わなかっ
た者__

http://www.kantei.go.jp/saigai/pdf/20110421110001shiji.pdf

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「母を畳の上で死なせたい」

2011-04-22 | 東日本大震災と研究者
「母を畳の上で死なせたい」 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月22日(金)07時30分55秒

>筆綾丸さん
愚民にも愚見を述べる言論の自由(憲法第21条)はありますからね。
それにしても、こんなブログを「ネットから得られる原発問題の事実関係に関する情報の中で、私が信頼し、対応の参考にさせて頂いている」と書く野口実氏はいったいどんなレベルの科学知識を持っているのか。
私は歴史学者としては野口実氏に敬意を抱いていますが、歴史学の大学教授などといっても専門馬鹿だらけで、しょうがねーなと思います。


---------
「母を畳の上で死なせたい」警戒区域に残る住民

 警戒区域に含まれる福島県楢葉町では21日夕、東日本大震災の発生以来、避難指示に従わず町に残っている元会社員夫婦が産経新聞の電話取材に答え、「たとえ自分たちは被曝(ひばく)しても、寝たきりの母を畳の上で死なせてあげたい」と理由を話した。
 福島第2原発が立地する町は、約7800人のほぼ全員が県内外へ避難した一方、今月上旬の時点で13世帯17人が町に残っていた。地元町議らによると、これら13世帯も大半は21日までに避難指示に従ったが、この夫婦ら数世帯が残っているとみられるという。
 夫婦によると、実母(91)が10年近く寝たきりのため、在宅介護を続けてきた。妻は「こういう年寄りを移動させたら必ず体調を崩す。体育館の避難所は寒いというし、実際に避難中に亡くなったお年寄りもいる。母も恐らく死ぬしかないだろうと思った」。
 震災以降、県警が2回、自衛隊が1回、「ヘリコプターで搬送する」などと説得に来た。町がゴーストタウンと化し上下水道など生活インフラがすべてストップする中、20キロ余り離れたいわき市まで出かけて食料品や新聞を買い、洗濯をしているという。
 警戒区域の指定はラジオと新聞で知るだけで行政側からの説明はないという。妻は「個々の状況を見て特例的なものを検討していただきたい。とにかく母を看取りたいだけ。もし万が一、第1原発が爆発して被曝しても、それは自分たちの選んだ道だから覚悟している」と話した。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110421/dst11042121100040-n1.htm

こういう方がやっぱりいるのですね。
人間として正しいことをしているのに、自分たちは本当は政府の指示に従わなければならない立場だけれど、特別な事情があるので許してほしい、と思われているところも気の毒です。
政府の方が住民の憲法上の権利を侵害している、という発想から政府と戦うのは個人では無理で、それができるのは実際上地方公共団体だけですね。



--------------------------------------------------------------------------------
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憲法論の不在

2011-04-21 | 東日本大震災と研究者
憲法論の不在 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月21日(木)07時24分54秒


--------
原発20キロ以内を「警戒区域」へ 法的に立ち入り制限

 福島第一原発から半径20キロの避難指示圏について、菅政権が、関係する福島県内の自治体に対し、法的に立ち入りを制限できる「警戒区域」に近く切り替えるとの連絡を始めた。避難している住民から防犯上の不安が多く寄せられていることを踏まえ、出入りできなくしたうえで、政府の管理下で「一時帰宅」も認める方向だ。
 政府は原発事故の直後から第一原発の半径20キロ圏内と第二原発の半径10キロ圏内を避難指示圏に設定。これを受け、圏内にかかる10市町村の住民7万~8万人は、ほとんどが福島県内外に避難した。
 しかし、避難指示に拘束力はなく、津波で行方不明になった家族を捜す人や家畜の世話をする農家の人たちがたびたび帰宅。無人になった民家が空き巣などの被害に遭うケースも続いたため、福島県は先月末、強制力がある警戒区域にするよう政府に求めていた。警戒区域になれば、20キロ圏内につながる道路を封鎖するなどして住民の立ち入りを制限し、立ち退きに応じない住民を強制的に退去させられるようになる。

http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104190620.html

「立ち退きに応じない住民を強制的に退去」させることが本当に許されるんですかね。
憲法22条第1項は「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。」と定めています。
憲法の解説書には、歴史的経緯として、

-------
 「封建体制下では、多くの人々が居住地を選ぶ自由や自国内を移動する自由を許されていなかった。そして近代社会の形成と発展は、人々がこれらの自由を得ることによって成されたのである。
 資本主義経済の発展のためには、人的資源が自由に市場を流通し、それを必要とする企業に集まることが出来なければならない。したがって、居住移転の自由は、資本主義を成り立たせる不可欠の要素といえる。事実、資本主義は、人々の自由な移動が保障され、労働力の均衡・調節可能な営業活動が為されることにより、急速な発展を遂げてきた。そして現在においても、居住移転の自由は職業選択の自由と結びつく経済活動の自由の性格を持っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E4%BD%8F%E7%A7%BB%E8%BB%A2%E3%81%AE%E8%87%AA%E7%94%B1

てなことが書かれています。
引用は便宜上ウィキペディアにしましたが、どの基本書を見ても大体こんなことが書かれていて、でも現在は経済的自由だけでなく、精神的自由の側面もあるよね、といった議論がされています。
歴史的経緯から「人が自分の好むところに移動する」ことを主とした議論がなされているのですが、自分が生まれ、ずっと暮らしてきた場所を「移動しない自由」は、資本主義がどうしたこうした、という歴史的経緯などより遥かに深く、遥かに根源的な、人間にとっての基本的自由と把握すべきじゃないですかね。
国家がその自由を侵害しようとする場合、それが憲法違反とならないためには、相当厳格な審査基準をクリアーする必要があると考えるべきではないか、と思います。
少なくとも「明白かつ現在の危険」があるから、程度の理由は必要だと思います。
では、年間20ミリシーベルト云々が「明白かつ現在の危険」と言えるのか。
数十年後にガンで死ぬ可能性が数パーセント高まります、などという事情が、高齢者の生活環境を破壊してよい理由になるのか。
国家がすべきことは、この場所にとどまったら、これこれのリスクがあります、という正確な情報の提供と、避難を選択する人への助力だけじゃないですかね。
一人一人の事情があるのだから、国家からリスクに関する正確な情報の提供を受けた後で、避難した場合のリスク、避難しない場合のリスクを個人個人が判断して、避難すべきかどうかを選択できるようにする。
相当多くの人にとって、避難しない方が、よりリスクの少ない合理的な選択なんですね。
特に高齢者にとって、数十年後にガンで死亡する可能性の増大なんて、どうでもいいことなんだから。
そして、一般人にとって合理的ではないと思われる選択をする人がいたとしても、それはその人の生き方なんだから、尊重しなければならないと思います。
「立ち退きに応じない住民を強制的に退去」など、とんでもないことですね。
例外は十分な判断能力がない人、主として子供で、この場合は国家のパターナリズムも許容されると思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

霊山町

2011-04-20 | 東日本大震災と研究者
霊山町 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 4月20日(水)23時07分34秒

>筆綾丸さん
まあ、人間的には善意に満ちた良い人なのでしょうが、情報の津波に巻き込まれて、何も見えなくなってしまっていますね。
中村氏ほど極端でないとしても、経験・職業・学歴に関係なく、混乱状態にある人は本当に多いですね。
若い人には、ちゃんと勉強しろ、と言えますけど、気の毒なのは高齢者で、今さら原発の難しい話を理解するのは無理ですからね。

先日、相馬市の松川浦に寄った後、国道115号線(中村街道)経由で福島市に向かったのですが、この道路は「計画的避難区域」候補の筆頭として全国的に有名になってしまった飯舘村のすぐ北を通っています。
北畠親房・顕家父子らを祀る霊山神社(伊達市霊山町)も近くだったので、久しぶりに参拝してみたところ、建物は地震でかなり傷んでしまったようでした。
霊山町は落ち着いた良い雰囲気の町ですが、飯舘村の北西ですので、もしかすると、ここも「計画的避難区域」に入れられてしまうのかなあ、と心配になりました。
高齢者に避難を強要するのは本当にやめてほしいですね。

写真はたまたま通りかかった道にあった猫(?)の像ですが、どんな信仰なのかはわかりませんでした。
飯舘村も多分こんな雰囲気の、のんびりした山村なんでしょうね。

霊山神社
http://www.genbu.net/data/mutu/ryouzen_title.htm

※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/5813


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする