学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

『貨幣の複雑性:生成と崩壊の理論』

2008-10-26 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月26日(日)20時33分52秒

貨幣について俄か勉強をしているのですが、どうも歴史学者の言われることがピンとこないですね。
例えば中島圭一氏は「室町時代の経済」(『日本の時代史11 一揆の時代』、2003)で、次のように書かれています。(p164以下)

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 割符の信用を失わせる原因は、何よりもまず違割符(ちがいさいふ)の多発にあると思われるが、十四世紀前半から見られる違割符が、なぜ十五世紀後半になって初めて深甚な影響を引き起こしたのかが問題であろう。そこで十五世紀後半という時期に着目するなら、割符が運ぶ価値の実体となる銭貨のシステムも、本節ですでに見た通り、ほぼ同じ時期に変動の兆しが現れており、単なる偶然ではないのではあるまいか。銭貨の場合は、すべて一枚一文という通用原則の粗雑さに人々が気付き、銭種の違いを通用価値の差に結び付けようとする考え方が発生したことから、システムの変動が始まった。このような新たな思考が銭貨以外にも向けられたとすれば、割符という文書を十分に吟味することもなく信用してしまう流通システムの粗雑さに人々が気付き、換金性を厳しくチェックしようとする行動に出ても不思議はない。当時の人々なりの合理性をもって、経済システムの信頼性を再検証しようとする動きが、銭貨とともに、割符の信用システム全体を解体に導いたのだと考える。
-----------

銭貨の場合、ある時点で、「すべて一枚一文という通用原則の粗雑さに人々が気付き」、割符についても、ある時点で「割符という文書を十分に吟味することもなく信用してしまう流通システムの粗雑さに人々が気付」いたと言われると、室町時代の人たちはずいぶん頭が悪かったようにも思えますが、どうなんですかね。
金融に関わる人々が、そんなに「粗雑」な頭の持ち主だったのか。

少し検索してみたら、黒田明伸氏『貨幣システムの世界史<非対称性>を読む』の書評で、梶谷懐氏という方が安冨歩氏の以下のような見解を紹介されていました。
http://www.eb.kobegakuin.ac.jp/~kajitani/kuroda.pdf

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 具体的な現代中国経済の検証に入る前に注目しておきたいのが,市場経済における「貨幣(取引)」と「信用(取引)」との違いという視点である。現代中国経済においてはこういった「貨幣取引」と「信用取引」の違いが,明確な形で現われていると考えられるからである。
 これら二つの取引の違いについて理論的に明確な形で示したものとしては安冨(2000)がある。以下,彼の議論を参照しながら上記の問題について考えていこう。
 安冨によれば,「貨幣取引」と「信用取引」は,一般には漠然と混同される傾向があるが,本来それらは全く異なった起源と機能を持ったものである。すなわち,「貨幣取引」が「他人が受け取るものを受け取る」という匿名の多数者の行為を模倣する戦略によって「欲望の二重の一致」の問題を回避しようとするのに対し,「信用取引」は,「しっぺ返し(相手を信頼して取引を行なうが,相手が裏切った場合はこちらも同じ戦略をとる)」戦略という,あくまでも固有名を持った個々の他者を「信頼」し,その行為を模倣する戦略によって同じ目的を達成しようとするものである。
 また安冨は,コンピューターシミュレーションの結果などを用いて,「貨幣取引」が市場への参加者数(=N)が増加しても取引の安定性が左右されないという性質を持つのに対して,「信用取引」の場合,Nが増加することによって信頼することのできる相手と出会う確率が低くなるため,取引はより不安定になることを示している。
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「貨幣取引」と「信用取引」の違いという視点は新鮮ですので、安冨歩氏の『貨幣の複雑性:生成と崩壊の理論』(創文社、2000)という本を読んでみるつもりです。
それにしても、勝軍地蔵の追っかけをやっていたときに「安富道行」って何者だろうと思っていたので、「安冨歩」というお名前に何か古い知り合いに会ったような親近感を勝手に覚えてしまいます。
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/04e149d1b50c666301065c3ef87d4c67
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ズンドウ理論

2008-10-23 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月23日(木)23時22分59秒

中島圭一氏の「日本の中世貨幣と国家」には、次のような記述があります。(『越境する貨幣』p117)

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 ここまではっきりと国家が禁止しているにもかかわらず、渡来銭の使用が着実に広がっていく以上、商人その他、一般の人々はこれらの銭によほど強い信任を与えていたと考えるしかあるまい。そうした信用の背景にあったのは、何なのだろうか。
 あたかも貨幣法定説を否定するために作ったかのようなこの状況の中で、まず浮かぶのは、銭の持つ素材価値という貨幣商品説的発想だが、残念ながら銅地金としての価値は貨幣としての通用価値の三分の一~四分の一程度に止まり(27)、それのみで十分な裏付けとはなり得ない。
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そして(注27)を見ると、

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 当時の銅価を直接示す史料はないが、遡って寛和二年(九八七)の沽価法では一斤(=四八〇文目)につき一五〇文ないし一六〇文で、同重量の銭の通用価値の三分の一程度とされている(『政事要略』八十二 糾弾雑事)。また、下って文明一二年(一四八〇)、貿易商人として著名な楠葉西忍が輸出入する商品について語った際、備前・備中の銅の一般的価格を一駄十貫文と述べており、仮に一駄=三六貫目とすれば、同重量の銭の三分の一と四分の一のあいだということになる(『大乗院寺社雑事記』同年一二月二一日条。なお延喜式では銅一駄=一〇〇斤=四八貫目で、これを採ればさらに価格は下がる)。平安中期から鎌倉・室町を通じて、銅の価格はおおむねこの程度と通念されていたとみてよかろう。
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と書かれています。
素人目からすると、987年と1480年の間、約500年にわたって直接の史料が存在していないにも拘らず、「平安中期から鎌倉・室町を通じて、銅の価格はおおむねこの程度と通念されていたとみてよかろう」と言うのは、ずいぶん勇気のある発言のように思えますね。
その推論は、日本史を人体に例えると、バストが95センチでヒップが95センチの人はウェストも95センチとみてよかろう、という推論と同じくらい信頼できそうです。
寸胴理論ですね。
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渡来銭流通価値に関する通説

2008-10-22 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月22日(水)23時31分41秒

出発点は東洋一氏の「渡来銭と真土-鋳造環境からみた七条町・八条院町の立地条件」の下記部分ですね。(76p以下)

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2.渡来銭流通価値に関する通説
 しかしながら「原料に当時流通していた銭貨を用いた可能性」を探るためには次に挙げる難問をクリアしなければならない。つまり、鎌倉時代の大仏や梵鐘・鏡等の銅製品が銅貨を鋳潰して製作したと言い切るためには、通説を再検討しなければならない。例えば東野治之氏の『貨幣の日本史』にある「中国の銅銭などは一見金属貨幣のようにみえても、その根底には名目貨幣的性格がある。」(朝日新聞社、1997年)という理解や、歴史学研究会編『シリーズ・歴史学の現在1・越境する貨幣』青木書店、1999年に収められた中島圭一氏の「日本の中世貨幣と国家」で「平安中期から鎌倉・室町を通じて」「銅地金としての価値は貨幣としての通用価値の三分の一∼四分の一程度止まり」とする理解。また、池亨氏が「前近代東アジアの貨幣史における最大の特徴は、銅などの卑金属を素材とし一枚=一文の単位で数えられる鋳貨、すなわち銭が広範に使用されたことである。その価値は、貴金属貨幣のように素材価値にもとづくものでなく、発行主体である国家(王朝)によって決定され通用していた。」(『銭貨・前近代日本の貨幣と国家』青木書店、2001年)等々と述べられている通説がそれである(註8)。

3.問題の所在
 ところが、もし通説どおり銅の原価以上に高く評価された銅貨を鋳潰して大仏・梵鐘・鏡等を鋳造したとすれば、逆になぜ高く評価された銅銭でより安い銅をより多く買って鋳造しなかったのかという素朴で重要な疑問が浮上してくる。上記の通説等に対しては、既に「中国の銅銭は素材の市場価格がその額面をしばしば上回るものだった」とする黒田明伸氏の批判がある(註9)。この批判はおそらく正しいように思われる。なぜならば以下述べるように、銭の鋳造技術は日本に存在したにもかかわらず、なぜ安く評価されたとする銅で銭を鋳造せず、銅に対して高く評価されたとする莫大な量の渡来銭をわざわざ中国から輸入したのか。なぜ中国側がその高く評価された銭で安い日本の物資を買いまくらず、逆に銭の輸出禁止令を度々発したのか。なぜ日本は銅貨一文銭だけを多量に輸入し、一貫して折二銭・大銭等の高額大型中国銅銭(これらは一文銭に対して重量は比例して重くない)を頑なに拒んで輸入してこなかったのか。なぜ渡来銭を鏡や大仏等に鋳治したのか等の様々な疑問に通説では一言たりとも答えられないからである。
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通説というからには、それなりにしっかりした根拠に基づく見解かと思ったら、どうもそうでもないみたいなんですね。
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銭と大仏

2008-10-22 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月22日(水)23時19分0秒    

6月26日の投稿で筆綾丸さんが朝日新聞の<鎌倉の大仏様「素材は中国銭」 別府大グループが解明>という記事を紹介されました。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200806210064.html

私は、

---------
>『経筒が語る中世の世界』(思文閣出版)としてまとめられたこの研究に、黒田明伸東京大教授(中国経済史)は
>「日本で銭の流通が突然始まる理由が分からなかったが、疑問が解けた」と納得する。

『貨幣システムの世界史<非対称性>をよむ』(岩波書店,2003)の黒田明伸氏が太鼓判を押しているのであれば、
相当信頼できると判断してよいのでしょうね。
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という東大教授の権威に寄りかかった駄目レスを返したのですが、昨日、何だかとても気になって『経筒が語る中世の世界』(思文閣出版)所収の飯沼賢司氏の論文、「銭は銅材料になるのか─古代~中世の銅生産・流通・信仰─」を読んでみました。
非常に説得的な内容でしたね。
また、ネットで少し検索してみたら、京都市埋蔵文化財研究所のウェブサイトで、東洋一氏の「渡来銭と真土-鋳造環境からみた七条町・八条院町の立地条件」(『研究紀要』第10号―30周年記念号― 2007.3.31)という極めて興味深い論文を見つけました。

http://www.kyoto-arc.or.jp/
http://www.kyoto-arc.or.jp/10azuma.pdf

ここで言及されていた論文を少し集めたら、いくつか気になる記述がありましたので、少しずつ紹介してみます。
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貨幣史

2008-10-20 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月20日(月)22時39分40秒    

桜井氏の「非農業民と中世経済の理解」は非常に興味深いので、下に載せた部分の続きも引用してみます。

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 また、それと関連する問題だが、網野氏は南北朝時代の画期性をいうとき、私の信用経済に関する研究をじつによく引用してくれた。おそらく網野氏ほど私の研究を引用してくれた研究者はいないだろう。ところが、それだけ引用してくれながらも、中世の信用経済は十五世紀末をもっていったん沈静化し、近世にはつながらないという主張だけは、一度も引用してくれたことがなかった。そのとき、網野氏はひじょうにセレクティブな引用の仕方をする方だという印象をもったのだが、これは網野氏のいう「文明史的転換」の根幹にかかわる問題だけに、ぜひとも引用し、論評を加えてほしかったと思っている。
 同じような問題でいうと、網野氏は日ごろから学術雑誌にもよく目を通していて、若い研究者の論文もよく引用していた。大先生のなかには最新の研究をほとんどフォローしなくなってしまう方も多いが、その点、網野氏は文字どおり生涯現役で、亡くなる直前まで質の高い研究を世に送りつづけた稀有の歴史家であった。
 ところが、一九九〇年代以降もっとも著しい進展をみせた分野のひとつである貨幣史の成果だけは、ほとんど引用しようとしなかった。網野氏の引用は、固有名詞を出して申し訳ないが、一九八九年九月に発表された松延康隆氏の論文「銭と貨幣の観念─鎌倉期における貨幣機能の変化について」(『列島の文化史』六号)でほぼとまっている。
 十三世紀後半における年貢の代銭納制の普及が宋・元交代という中国国内情勢に端を発しているとする大田由紀夫氏の説はもはや通説といってよいと思うが、これは鎌倉末~南北朝の社会変動と直接かかわってくる問題だけに、本来なら言及せずに済ますというわけにはいかなかったのではないか。
 また十六世紀~十七世紀初頭の貨幣動向に関しては、当時すでに裏長瀬隆氏や黒田明伸氏らの研究があり、網野氏も明らかにその存在を知っていたはずだが、ここでも網野氏はその成果を正面からうけとめることをしなかった。もしその成果をふまえていたなら、江戸幕府が石高制を採用した理由も、「農本主義」云々の問題とはまた違ったかたちで説明できたはずである。(後略)
-------

貨幣史は面白そうですね。
ここに出てくる方の中では大田由紀夫氏と黒田明伸氏の論文をちょこっと読んだだけの全く不勉強な私ですが、少しずつ関係論文を読んで理解を深めたいと思っています。
ところで、桜井氏は十三世紀後半以降の貨幣の急速な普及・拡大が直ちに「呪術性からの解放」にはつながらず、「一世紀ないし一世紀半というけっして無視できない時間的ズレ」を経て、応仁・文明の乱を契機に精神史の変動が起こると考えておられるのだと思いますが、その場合、時間的ズレの原因をどのように説明されるのかが少し気になります。
私としては、日本列島の居住者たちがそれまで経験したことのなかった貨幣のスピード感が社会を根底から揺さぶって、精神史の変動に直接結びついて行ったのではないかという見通しを持っているのですが。
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「呪術性からの解放のエポック」

2008-10-20 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月20日(月)00時08分47秒

ついつい脱線してしまいましたが、桜井英治氏の『室町人の精神』に話を戻しますと、桜井氏の

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 けれども、応仁・文明の乱がはじまるころにはもののけもほとんど目撃されることがなくなった。もののけたちにとっても住みにくい時代がやってきたのである。応仁・文明の乱とは、日本人の精神史にとってそのような呪術性からの解放のエポックでもあったことを、まずここで銘記しておきたい。この転換期を経て、日本の歴史ははじめて近代化への道をしずかに歩みはじめるのである。
---------

という見解は、もちろん「もののけ」の記録をいくつか見かけたことから導いた結論ではなくて、時期区分論の反映ですね。
桜井氏は「非農業民と中世経済の理解」(『年報中世史研究』32号)において、網野善彦氏が鎌倉末~南北朝時代の画期性を強調し、「民族史的転換」「文明史的転換」「人類史的転換」があったと言われたことについて、次のように書かれています。(p45)

---------
 網野氏の時期区分論の最終的な有効性については今後の研究のなかでじっくり検証していけばよいと思うが、ただ網野氏の論証プロセスにはいくつか手続き上の不備・不満があって、そのことについては、結論の有効性をただちに損なうものではないにしても、一応認識しておく必要があろう。
 私が研究している流通経済史に即して、そうした疑問を二、三紹介しておくと、これは疑問というよりも、むしろ謎といってほうがぴったりくるのだが、なぜ網野氏がそのときそういう態度をとったのか、いまだに理解できないことがいくつかある。
 たとえば、網野氏のいう「文明史的転換」が、応仁・文明の乱に歴史の大きな分水嶺を認めた内藤湖南の二分論とひじょうに近いことは周知の事実だが、ただ、双方のあいだには一世紀ないし一世紀半というけっして無視できない時間的ズレがある。けれども網野氏はこの時間差についてはほとんど頓着しておらず、もうちょっと画期を引き上げてもよいのではないかという一言で、内藤説を自説のなかに呑み込んでしまう。別ないい方をすれば、十五世紀の扱いがひじょうにぞんざいなのである。私のようにどちらかといえば応仁・文明の乱のほうに画期性を感じている者、あるいは十五世紀をある種突出した時代と考えている者には、それが何とも物足りない。網野氏には、十五世紀をもっと丁寧に扱ってほしかったというのが正直な気持ちである。
----------

『太平記』や狂言、物語草紙の滑稽話などから考えると、私としては「呪術性からの解放のエポック」は南北朝期ではないかと思うのですが、性急に結論を出さず、じっくり考えて行きたいと思います。
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大避神社連歌

2008-10-18 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月18日(土)12時35分4秒

句碑になったという梅原猛氏の作品、「ひょんの実に 似たるうつぼで 流れ着き」は、背景を知らないと意味が分からないし、「流れ着き」で終わっているので、何となく落ち着かないですね。

--------
ひょんの実に 似たるうつぼで 流れ着き
  ハタ迷惑な 怨霊の人
--------

なんて付けるのはどうですかね。
更に続けて、

--------
縄の目に 搦めとられて ぬらりひょん
--------

とか。


「坂越船祭り」
http://kobe-mari.maxs.jp/ako/osakejinja_matsuri.htm

「聖徳太子のブレーンを祀る・大避神社」
http://golog.nifty.com/cs/catalog/golog_article/catalog_004008_1.htm

↓のサイトには「生島の右側に浮かぶ島」の写真があり、その姿がなかなか美しいのですが、地図を見ても生島近くには特に島がないようなので、ちょっと謎です。
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/sakura-komichi/kodaishi/ryokoukioosakejin.shtml
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困った人

2008-10-18 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月18日(土)11時49分4秒

梅原猛氏は『神仏のしづめ』の下に紹介した松岡氏の発言に続けて、「去年(二〇〇五)の五月に赤穂の大避神社に秦河勝の事跡を訪ねてフィールドワークしたのが能に深入りした契機ですが、能というものは本当に素晴らしい。日本文化の精髄じゃないかと思うようになりました」と言われていますが、翌2006年の10月には、大避神社に梅原氏の句碑が建ち、更に今年8月には、「聖徳太子の重臣、秦河勝(はたのかわかつ)を主人公にして、哲学者の梅原猛氏が書き下ろした新作能「河勝」が27日、大阪城西の丸庭園(大阪市)での「大阪城薪能」で初演」されたそうで、相変わらずギルガメッシュ、じゃなくてエネルギッシュな方ですね。

大避神社
http://blog.goo.ne.jp/kue-biko/e/6e631477e8f258e593004aca885a21cb

「梅原猛の原作、和の精神説く」(日経新聞)
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news001540.html

梅原氏が立命館大学で行った講義によると、

--------
室町時代に観阿弥、世阿弥という親子が足利義満に寵愛され、能は盛んになったのですが、観阿弥は川の民。じっと縄文文化を保持していた一族の出身者でした。
http://osaka.yomiuri.co.jp/university/ritsumei/ro70622a.htm

のだそうですが、なぜ「じっと縄文文化を保持していた」と言えるのか、訳わからんですね。
梅原猛氏の縄文文化論、変なおじさんのタワゴトだった頃は私も面白く読んでいたのですが、地球環境問題が深刻化する時流に乗って、マスメディアの世界でもそれなりの影響力を持つようになってきたようなので、何か妙な感じです。
私としては、いくら頑張っても縄文人の精神文化を復元するのは実際上無理だし、復元したところで特に高度な思想が構築されているわけではないから、地球環境問題の解決等にも役立たないだろうなと思っているのですが、少なくとも表面的には梅原氏への批判は意外と少ないみたいですね。
リンク先は東京大学東洋文化研究所教授・菅豊氏のブログで見つけた梅原氏批判ですが、当然の理性的判断であり、学者はこうであってほしいなと思いますね。

http://suga.asablo.jp/blog/2005/10/25/119632
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~suga/
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変なおじさん

2008-10-17 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月17日(金)00時39分22秒

中沢新一氏に『僕の叔父さん 網野善彦』(集英社新書)という、古いフランス映画をもじった洒落たタイトルの本があります。
中沢のような胡散臭い人間はだいっきらいだ、という人にとっても、奇矯なレトリックはなく、淡々と網野氏との交流を描いている本なので読みやすいですし、何より網野善彦氏の思想形成過程の一端が窺われて面白いので、けっこうオススメですね。
ところで、私は梅原猛氏の本はかなり読んでいるのですが、中沢氏の著書のタイトルを又借りして私にとっての梅原氏を一言で表現すると、「変なおじさん 梅原猛」となりますね。
頭はものすごく良いのだろうけど、いつも訳のわかんないことを言っている愛すべき奇人、てな感じです。
「九条の会」の発起人になるなど、今ではすっかり朝日文化人と化した梅原氏にも、危険な国粋主義者ではないかと疑いの目で見られていた時代があり、例えば『日本史研究』のバックナンバーを見ると、梅原氏が主導して設立された国際日本文化研究センターへの猛烈な批判や、同センター設立記念講演会に、危険思想が吹聴されているのではないかと偵察に行ったスパイもどきの方の報告が載っていたりして、時の流れを感じさせますね。
『梅原猛「神と仏」対論集第四巻 神仏のしづめ』で久しぶりに梅原猛氏の語り口に接してみたら、朝日文化人となった今でも梅原氏自身は単なる「変なおじさん」だった頃から殆ど変化していなくて、面白く読めました。

『梅原猛「神と仏」対論集第四巻 神仏のしづめ』
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200604000161

映画「ぼくの伯父さん」
http://homepage2.nifty.com/e-tedukuri/ojisan.htm
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もののけ学者

2008-10-16 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月16日(木)00時34分23秒

『ZEAMI―中世の芸術と文化〈04〉 特集 足利義満の時代』(松岡心平・小川剛生編、森話社)は、巻頭に梅原猛氏のエッセイがどーんと横たわっているので、梅原氏の文章に慣れていない人はきっとびっくりするでしょうね。

------------
 私は今年八十二歳になったが、最近日本の中世が私に乗り移って困っているのである。かつて四十代の末に、日本古代が私に乗り移って、立て続けに大部の極めて問題的な著書を書かしめた。それが『神々の流竄』『隠された十字架─法隆寺論』『水底の歌─『柿本人麻呂論』である。
 私の学問は「梅原日本学」と言われているが、この日本学は主として古代学であった。ところが最近かつてのように中世が、特に能が、観阿弥や世阿弥や禅竹が、私に乗り移ってしきりにものを書かせるのである。(後略)
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何の予備知識もない人がこの文章を読んだら、「ちょっと危ない人かな?」「ボケ老人?」といった反応になるのではないかと思いますが、梅原氏は四十年前からこんなことばかり言っている一種の名物男ですから、ま、変てこな言動があっても許されるんでしょうね。
さて、『梅原猛「神と仏」対論集第四巻 神仏のしづめ』(角川学芸出版、2008)によれば、松岡心平氏と梅原猛氏の出会いは、「先生と怨霊鎮魂についてお話をしたかったのです。私は能を鎮魂劇と考えています」という松岡氏が梅原氏に手紙を送ったのがきっかけだそうです。
同書には、

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梅原 あなたのような学者がこれまでにいたことはいましたけど、意外に少ないと思います。
松岡 そうかもしれません。そういう意味では、歴史的な実証主義を中心とする能の世界では、私も異端でしょう。私は能の本質や、世阿弥の魂、禅竹の魂に、歴史的なテキストなども使いながら迫りたいと思っています。それには実証主義の限界を破らないと迫れないと思うのです。それをやるとかなり反発がくるという面もあります。でも、そこを考えないことには、何も始まらない。
----------

といったやり取りがあり、松岡氏には「実証主義の限界」を超えたいという松岡氏なりの切実な事情があるんでしょうね。
ただ、そういう方向に進むと、足もとをすくわれる危険も大きくなりますね。
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grass pillow

2008-10-15 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月15日(水)00時31分51秒

>筆綾丸さん
いってらっしゃい。
私もこれから室町に重点を移すにあたり、足利尊氏に敬意を表して、九州・瀬戸内の尊氏戦跡めぐりでもしようかなと思っています。
鹿児島も行ってみたいですね。

ところで、『容疑者χの献身』を私も観ました。
邦画にあまり興味を持てない私にとって、筆綾丸さんの高い評価がなければ見向きもしないはずの映画でしたが、確かによく出来た作品ですね。
ネタバレになるので書けない部分に後味の悪さは残りますが。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「旅」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4792
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『室町人の精神』への違和感

2008-10-14 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月14日(火)00時01分17秒

このところ桜井英治氏の論文をいくつか集めて読んでいるのですが、さすがに東京大学准教授だけあって優秀な方ですね。
『年報中世史研究』32号(2007)に掲載されているシンポジウム「中世史家・網野善彦-原点の検証-」の桜井氏報告部分、「非農業民と中世経済の理解」など、網野氏が本当に言いたかったであろうことを明確に整理した上で、なお網野氏を厳しく批判されており、網野善彦氏の見解は矛盾だらけで訳が分からないと放り投げていた私のような素人にとっては大変参考になりました。
ただ、御専門の流通経済史に関する論文については、門外漢の私のような者でもフムフムと素直に読み進めて行けるのに、一般読者向けに書かれたはずの『室町人の精神』(講談社「日本の歴史」第12巻、2001年)に限っては、桜井氏がこれこそ室町人の精神だと言われる部分に、何故か私はザラザラとした違和感を感じてしまいます。
例えば、「はじめに-室町亭のもののけ」には、以下の記述があります。

----------
(前略)
 ところでこれはあまり知られていない事実だが、この室町亭は当時有名な心霊スポットであった。室町亭にもののけが出没するようになったのは、義教が室町亭に移ってまもない一四三二年(永享四)ごろからであり、以後、一四五九年(長禄三)ごろまで四半世紀にわたってもののけは出没しつづけた。襲われるのは大概女房たちであり、髪や衣服を切られることが圧倒的に多かった。それはときには野狐のしわざとされ、ときには将軍に捨てられた女房たちの生霊のしわざと考えられた。義政の時代には、義政の母日野重子をはじめ、女房たちがもののけを恐れて室町亭に近づきたがらなかったために、一時室町亭が廃棄されていた時期もある。彼らにとってもののけはそれほど身近で現実性を帯びた存在だったということである。
 けれども、応仁・文明の乱がはじまるころにはもののけもほとんど目撃されることがなくなった。もののけたちにとっても住みにくい時代がやってきたのである。応仁・文明の乱とは、日本人の精神史にとってそのような呪術性からの解放のエポックでもあったことを、まずここで銘記しておきたい。この転換期を経て、日本の歴史ははじめて近代化への道をしずかに歩みはじめるのである。
 室町亭のもののけといえば、義教の嫡男で義政の兄にあたる七代将軍義勝の死がやはり彼らのしわざと信じられていたことにも触れておく必要があろう。義勝はわずか十歳で世を去ったために、十九歳で父義持に先だった五代将軍義量とともに歴史的には影の薄い存在となっているが、当時の人びとは、義勝の死を幕府によって抹殺された足利持氏・一色義貫・赤松満祐らの祟りと解釈したのである。義勝の死の直前、幕府が室町亭に霊媒師を招いて口寄せをおこなったところ、一色義貫の霊は「のびのびになっている一色家の相続を早く実現せよ」と語ったという。
 けれども彼らが発したこれらの言葉は、現代を生きる私たちにとっては少々意外なものであろう。怨霊たちにとっては殺された恨みよりも、家が存続するか否かのほうがはるかに大きな関心事だったのである。このような彼らの価値観をふまえておかないと、彼らの痛みも本当に理解できたことにはならない。彼らが死んでまでこだわりつづけた家とは何か、そのことも念頭においたうえで、さっそく室町時代の歴史をひもといてゆくことにしよう。(後略)
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概説書の執筆にあたって、歴史学者の多くは、概説書は論文とは違う特別の緊張感がある、と言われるようですが、桜井氏の初めての概説書である本書の巻頭言はその3分の2が「もののけ」で占められていて、まあ、ここまで緊張感の乏しい巻頭言も珍しい感じがします。
そして、この程度のことが「室町人の精神」を語る上で本当に必要なことなのか、適切なのかについて、私にはかなり疑問があるのですが、自分自身が勉強不足の段階であれこれ言っても仕方ないので、いつかきちんとした批判ができるように、少しずつ勉強を進めたいと思っています。

桜井英治氏
http://www.c.u-tokyo.ac.jp/jpn/kyokan/new_06_04_sakurai.html
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定家と公経

2008-10-11 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月11日(土)22時42分50秒

三田村氏が「北山の山荘を源氏物語の滝をイメージしながら造園したらしい西園寺公経は、藤原定家の舅であり」と書かれているのを見て、一瞬、何か変だなと思ったのですが、滝の音に紛れて、そのままにしていました。
正確には公経は定家の妻の弟であって、舅ではないですね。
年齢も定家は応保2年(1162)、公経は承安元年(1171)生まれで、定家が9歳上です。
村山修一氏『藤原定家』には、
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政治的・社会的背景が悪化したのと併行して、定家自身の家庭事情にも種々の重要な変化が起った。これよりさき、定家は建久五年のころ、先妻である藤原季能の女を離別し、新たに内大臣西園寺実宗の女を娶ったが、当時西園寺家に対し、遥かに下風に立つ御子左家が縁組したことは、御子左家にとって非常なプラスであった。こうした不釣合な婚姻がどうして成立したか、恋愛によるものか、九条家あたりの仲介によるものか明らかでない。とにかくプラスにはなったものの当面の政局は九条家のみならず、西園寺家にも不利であったから、この縁組も最初はその実効を発揮するに至らず、むしろ民部卿典侍・香(かおる)・為家などの子供が相ついで生れることによって、家計は膨脹せざるをえなかった。
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とあります。
実宗が公経の父ですね。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/murayama-shuichi-teika-kantoheno-shuchaku.htm

>筆綾丸さん
イタリア語は全然駄目な私ですが、記事をじっと見ていると、Green Fluorescent Protein の発光程度には意味が感じられます。

http://www.corriere.it/scienze_e_tecnologie/08_ottobre_07/nobel_fisica_italiani_traditi_d9993120-946d-11dd-a0d8-00144f02aabc.shtml
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081010-00000078-sph-soci

実は私、イタリア語訳『とはずがたり』を持っていまして、こちらも書かれているであろう内容は熟知しているのでクラゲ並みに理解はできるのですが、いつかきちんと読めるようになりたいと思っています。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「Nicola Cabibbo さん」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4789
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ポールソン 仲代達矢 平相国

2008-10-09 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月 9日(木)16時28分8秒

>筆綾丸さん
南部氏も下村氏も、国籍など意味を持たない世界で生きている人たちですね。
http://www.asahi.com/special/08015/TKY200810080230.html

アマゾンで中村直勝『日本古文書学』(上)を購入しました。
ずっしり重くて、存在感がありますね。
また、松岡心平氏が中沢新一氏の『精霊の王』を激賞していたので購入してみたのですが、昔は面白いと思った中沢氏のレトリックがやたら鼻について、なかなか読み進められません。
中沢氏は昔のままで、自分が変わっただけなんでしょうが。
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_437/yurin4.html

株価暴落の未曾有の経済危機の中、ポールソン財務長官は仲代達矢に似ているなあ、などと思っている私は、ビジネスマンとしてどうなのか。
http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20081009AT3K0900309102008.html

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「アメリカ人」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4787
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ミナカタ神社の仁王像

2008-10-08 | 高岸輝『室町絵巻の魔力』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年10月 8日(水)07時26分47秒

>筆綾丸さん
>本年度のノーベル物理学賞
「賞金は1000万スウェーデン・クローナ(約1億4000万円)で、南部氏がその半分を、小林、益川氏が4分の1ずつを分ける」そうですが、微妙なバランスが面白いですね。
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20081007-OYT1T00543.htm?from=main1

仁王といえば、先に紹介した伊作太鼓踊りのビデオの冒頭場面、鳥居の前に変なものが映っていますが、これは石造の仁王像ですね。
リンク先は「南方神社」で検索して見つけたサイトですが、大変な充実ぶりです。

http://homepage2.nifty.com/edononagori/fumoto%20izaku.html
http://homepage2.nifty.com/edononagori/fumoto.html

南方神社は諏訪大社の系列で、祭神がタケミナカタだからミナカタ神社なんですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%96%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%B8%82)
http://www.synapse.ne.jp/t-fuku/kamisama.htm

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「クォーク
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4785
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