学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「古代ローマだけではなく、競馬や石原裕次郎への熱い想いも変わりません」(by 本村凌二氏)

2019-01-11 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 1月11日(金)13時50分13秒

>筆綾丸さん
>本村凌二氏
競馬以外にも関心の幅が広く、特に石原裕次郎には詳しいそうですね。

84歳の裕次郎「粋な別れ」(日本経済新聞 2018/12/28)

私も本村氏の専門的な論文には縁がないのですが、文庫・新書になっている一般向けの歴史書はけっこう読んでいます。
『ポンペイ・グラフィティ』(中公新書、1996)や『ローマ人の愛と性』(講談社現代新書、1999)はなかなか衝撃的でした。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

貪欲的プロテスタンティズム? 2019/01/10(木) 12:25:00
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E9%87%8D%E5%9B%BD%E7%B1%8D
多重国籍の認否に関する世界の分布図は面白いですね。
ゴーンは、レバノン・フランス・ブラジルの三重国籍を有するので、金銭欲には及ばないけれど、国籍に関しても貪欲ですね。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%BA%E3%83%A0%E3%81%AE%E5%80%AB%E7%90%86%E3%81%A8%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E7%B2%BE%E7%A5%9E
ゴーンがクリスチャンかどうか、知りませんが、貪欲的プロテスタンティズム(?)の体現者、と云ったところでしょうか。

本村凌二氏の専門書は未読ですが、『競馬の世界史』(中公新書)を読んで、そうか、ヒトに飽きてウマに走ったんだな、と思ったものです。 
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トランプは「なんちゃってクリスチャン」

2017-01-24 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月24日(火)20時52分53秒

>筆綾丸さん
>こんな奴でも一応はクリスチャンのようですね。

私もちょっと気になっていたのですが、クリスチャンポスト紙の去年2月27日付記事によれば、

------
トランプ氏は今年、リバティ大学で、家族研究協議会(FRC)のトニー・パーキンス氏が聖書個所を提示した際、「コリントの信徒への手紙二(Second Epistle to the Corinthians)」を「Two Corinthians」と読んだ。パーキンス氏は、その失言の原因が「2 Corinthians 3:17(コリントの信徒への手紙二3章17節)」というメモを渡したことにあるとしてトランプ氏が自分を責めたことを受け入れたが、トランプ氏の過ちによって「彼があまり聖書に親しんでいないことが明らかになった」と語った。
【中略】
のちにトランプ氏は、好きな聖書個所は「ねたみに屈してはならない」だと答えたが、聖書にはこういった箇所はない。
トランプ氏は、自身は長老派の信者でマーブル協同教会の会員だと称しているが、マーブル協同教会は長老派の教会ではなく、トランプ氏が会員である記録もない。
【中略】
アイオワ州の党員集会の前、トランプ氏は福音派へのアプローチの一環として、アイオワ州の教会の礼拝に出席した。しかしその教会は、同性婚を支持する主流派のプロテスタント教会だった。アイオワ州のほかの教会の礼拝では、トランプ氏は献金皿と間違えて聖餐皿に金銭を置いた。


ということなので、トランプは純度100%の「なんちゃってクリスチャン」ですね。
ただ、私はこの記事を読んで非常に安心しました。
少なくともトランプは宗教的信念に基づく戦争は起こさない訳ですからね。

前にも少し書きましたが、ジョージ・W・ブッシュの自伝『決断のとき』はけっこう面白い本でした。
宗教的回心の場面も、なるほどなと思わせる叙述になっていて、たぶんブッシュは私人としては非常に良い人なんでしょうね。
ただ、ブッシュのような強い信念を持った真実のクリスチャンたる大統領が9・11に遭遇したというのも、今から振り返ってみれば歴史の皮肉の最たるもので、宗教的信念の正面衝突が戦争の無限の拡大を招いたように思います。
検索してみたら、池内恵氏もブッシュ自伝の書評で、

------
 宗教的な信念から、「誘惑」に打ち勝ち、「利己心」を退けることに自らの人生の(そしておそらくは政体としてのアメリカの)課題を見出すブッシュは、9・11事件という、まさに宗教的な信念によってアメリカに挑んでくる事象に直面した時の大統領として、ふさわしかったのだろうか。確かに、前例のない極限の状態で、さかしらな理屈は通用しなかったに違いない。頑固に単純な信念をもった大統領の下でこそ、アメリカは団結して立ち上がることができた、と言えよう。
 しかしやはり、「ふさわしすぎた」という疑念が拭えない。信仰に信仰で真っ向から対峙してしまったところに、「対テロ戦争」を収集困難に拡大させた一つの原因が見出せるのではないだろうか。


と書かれていて、私も基本的に同感です。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

We are protected by God 2017/01/23(月) 20:18:34
小太郎さん
昔、映画の『レベッカ』は観たことがありますが、ほとんど覚えていません。

http://eyesky.jp/
TOHOシネマズシャンテで観た『アイ・イン・ザ・スカイ』は優れた映画でした。来週の『スノーデン』も観ようかと思います。
私の好きな『HOMELAND』のシーズン6が始まりましたが、残念ながら、日本ではまだ見られません。アメリカに知人でもいれば録画を送ってほしいものですが、このドラマのテーマは Allāh と God の対決で、シーズン5までは、血みどろの互角の戦いになっています。

http://diamond.jp/articles/-/115155
トランプの就任演説にも、数回、神が出てきますが、こんな奴でも一応はクリスチャンのようですね。これからさき、こいつのツラを見続けなければならぬのかと思うと、ウンザリします。
----------------
There should be no fear - we are protected, and we will always be protected.
We will be protected by the great men and women of our military and law enforcement and, most importantly, we are protected by God.
----------------

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784040821207
橋本崇載氏の『棋士の一分』を立ち読みしましたが、米長邦雄をかなり批判していて面白いですね。
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マイク・ペンス副大統領とレーガンの聖書

2017-01-21 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月21日(土)11時10分55秒

アメリカ大統領就任式では新大統領が聖書に手を置いて宣誓しますが、トランプはオバマを真似てリンカーンの聖書を用いたそうですね。
クリスチャントゥデイ紙によると、

-------
ドナルド・トランプ氏は、20日に行われる米大統領就任式で、第16代大統領のアブラハム・リンカーンが就任時に使った聖書と自身が家庭で使っている聖書を用いて宣誓を行う。
リンカーンの聖書は、バラク・オバマ現大統領が2009年と13年の就任式で、リンカーン本人が1861年に使って以来、初めて使用した。副大統領となるマイク・ペンス氏は、第40代大統領のロナルド・レーガンの聖書を使って宣誓する。レーガンの聖書が使われるのは、本人が使用して以来、今回が初めて。

http://www.christiantoday.co.jp/articles/23053/20170119/turmp-lincoln-bible-inauguration.htm

だそうです。
同記事に、

-----
大統領や副大統領が宣誓する際、聖書に手を置いて誓うことは義務ではないが、初代大統領ジョージ・ワシントンの1789年の就任式以来の伝統となっている。米国の憲法は、大統領が職務を忠実に遂行し、憲法を堅持することを宣誓するよう義務付けているものの、聖書などの宗教的文書を用いることについては言及していない。
-----

とあるように、聖書に手を置いての宣誓は明文の憲法上の根拠に基づくものではありませんが、しかし、これが法律的には全く無意味な慣例・儀礼であって無視しても大統領就任の有効性について全然問題が生じないかというと、そこは若干面倒な議論が出てきそうですね。
ま、現時点では大統領選に勝利するには少なくとも「なんちゃってクリスチャン」であることが必要でしょうから、当面はその種の問題は顕在化しないでしょうが。
ところで、この記事の最後の方で、

-----
副大統領となるペンス氏は、レーガンが共和党に転向したことを評価しており、レーガンが用いたのと同じ歴代誌二7章14節を開いて宣誓する。
-----

とありますが、「レーガンが共和党に転向」云々は意味が分からないので、英語記事を確認してみたら、

-----
Mike Pence credits Ronald Reagan, the 40th US President, with his conversion to the Republican party. He will open the Bible to 2 Chronicles 7:14, the same verse Reagan used.

http://www.christiantoday.com/article/trump.to.swear.in.on.lincolns.bible.and.his.own.family.bible/103969.htm

となっています。
翻訳者は conversion の主体をレーガンとしていますが、ペンス氏じゃないかなと思ってウィキペディアでペンス氏の経歴を見ると、

------
In his childhood and early adulthood, Pence was a Roman Catholic and a Democrat. He volunteered for the Bartholomew County Democratic Party in 1976 and voted for Jimmy Carter in the 1980 presidential election,[16] and has stated that he was originally inspired to get involved in politics by people such as John F. Kennedy and Martin Luther King Jr..[16] While in college, Pence became an evangelical, born-again Christan.[16] His political views also starting shifting to the right during this time in his life, something which Pence attributes to the "common-sense conservatism of Ronald Reagan" that he began to identify with.[16][17]

https://en.wikipedia.org/wiki/Mike_Pence

ということで、もともとカトリックで民主党支持者の家庭に生れたペンス氏は、自身もケネディやキング牧師に心酔してカーター大統領に投票するような民主党支持者だったにもかかわらず、レーガン大統領の影響を受けて共和党支持者に変わった訳ですね。
とすると、やはり「副大統領となるペンス氏は、レーガンが共和党に転向したことを評価しており」は誤訳で、正しくは「副大統領となるペンス氏は自身が共和党に転向したことをレーガン大統領に帰しており」ですね。
もう少し分かりやすく訳せば、「自分が共和党員になったのはレーガン大統領のおかげ」くらいでしょうか。
レーガンがペンス氏にとってそういう重要な人物であったからこそ、ペンス氏は自身の宣誓にレーガンの聖書を用いた訳ですね。
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クマモン体型の本郷和人氏

2017-01-19 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月19日(木)12時36分1秒

先日、テレビで本郷和人氏が女優の伊藤かずえさんと話しているのをチラ見したのですが、検索してみたらEテレの「趣味どきっ! 姫旅 華麗なる戦国ヒロイン紀行」というシリーズの「第6回 トップレディーへの転身~北政所」だったみたいですね。

「伊藤かずえオフィシャルブログ」

たまたま私が見た場面では、本郷氏は伊藤かずえさんの少し軽目の発言を直ちに否定することなく、それをより洗練された表現に言い換えた上で丁寧な解説につなげていて、そのあたりの呼吸は実に上手だなと思いました。
もちろん台本に基づいたやりとりなのでしょうが、真面目一点張りの普通の学者ではどうしても流れが不自然になりますから、本郷氏の才能はたいしたものですね。
本郷氏のクマモンに似た体型は視聴者に安心感を与えますし、腹部での反響が良いのか、声も適度に深みがあって聞きやすく、本当にテレビというメディアに向いている感じがします。
一般論として、現代の歴史研究者は若い頃から非常に細かい実証的な研究を強いられますから、概ね三十代後半から四十歳前後で研究上の一つのピークを迎えて、その後の研究者としての人生が結構難しいのではないかと思います。
いつまでも狭い専門分野で反復横跳びをしていて前に進まない人も多いなか、本郷氏はテレビを利用した生涯教育方面に活路を見出しておられるようで、それはそれで個性を生かした良い選択なのでしょうね。

>筆綾丸さん
ご紹介のNHK記事に、宮内庁の西村泰彦次長の発言の引用として「早朝から祭しがありますし、国事行為として位置づけられている儀式である新年祝賀の儀が行われます」云々とあって、「祭し」の読み方に少し悩みましたが、これは「祭祀」なんですね。
NHKにも細かい表記のルールがあるのでしょうが、「祭し」はいくら何でも読みづらく、こういうのは漢字にしてほしいですね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

Independence Day 2017/01/18(水) 14:00:30
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170117/k10010842741000.html
こんな記事を読むと、宮内庁は内閣府に属する一行政機関にすぎないくせに、一体、どこの国の組織なんだ、と不愉快になりますね。官邸との意思疎通はないのだろうか。

https://www.shogi.or.jp/match/nhk/
1月15日放映の将棋は、名人と竜王の対戦でしたが、内容的には唾棄すべき駄棋(?)とでも云うべきもので、こんな将棋のどこがトッププロのものなんだ、と不愉快になりました。

http://www.asahi.com/articles/ASK1L32MKK1LUCVL001.html
これで一件落着となるのかどうか。

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3917/1.html
これは伝説作りの番組でしたね。プロたちは8五歩(50手目)に驚いていましたが、そんなものですかね。
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オリンピア遺跡

2017-01-18 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月18日(水)10時56分40秒

ちょっと間が空いてしまいましたが、古代オリンピックについての予備的な投稿を少し追加しておきます。
本村凌二編著『ローマ帝国と地中海文明を歩く』(講談社、2013)は本村氏の東京大学定年退職を記念して企画された、本村氏の大学院セミナー(ラテン碑文演習)に集まっていた旧院生・現院生による「学術的観光案内書」だそうですが、洒脱な遊び人風の一面がある本村氏の門下生諸氏が書いただけあって、歴史の薀蓄を鏤めた洒落たエッセイが多いですね。

『ローマ帝国と地中海文明を歩く』
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062176958

宮崎亮氏(法政大学兼任講師)の「第一三章 オリンピア─「オリンピック発祥の地」を超えて」から、少し引用してみます。(p242)

------
【前略】
 今日オリンピアは「オリンピック発祥の地」ということになっている。確かに、現在行われている近代オリンピック大会は、古代オリンピック、すなわち前八世紀から後四世紀まで、一〇〇〇年以上にもわたってここオリンピアで行われた運動競技会の復活再生をうたい、一九世紀末に発足したものだ。古代とのつながりは今やお馴染みの式典演出で毎回示され、大会中燃え続ける聖火はオリンピアで採火されるし、開会式で各国選手団の先頭を切るのはギリシア選手団である。そもそも「オリンピック」という名称自体、オリンピアに由来する。
 しかし、古代オリンピックを近代オリンピックのようなスポーツ競技会だと思ってオリンピアの遺跡に足を運ぶと、いささか勝手が違うのに戸惑うことになるだろう。
------

ということで、宮崎氏は遺跡内の中心部にヘラ神殿、ゼウス神殿などの宗教施設が置かれていることを紹介した後、

------
 古代の競技会と現代のそれとのあいだにはいくつか超え難い溝が存在するが、さしあたって古代ギリシアでは競技会が宗教と一体となっていた事実を指摘しておこう。ギリシア人が体育や馬術あるいは音楽などのコンテストを行なう場合、必ず神々への動物供犠を伴い、供犠なしにコンテストを行なうことはなかった。またコンテストを周期的に(隔年・四年に一度など)行なう場合には神域で開催される宗教祭典に組み込む形を取った(これを競技祭と呼ぶ)。つまり、コンテストの周期性は宗教行事の周期性によって保証されていた。実のところ、オリンピアはゼウス神を祭神とする神域であり、古代オリンピックとは体育と馬術のコンテストを組み込んで行なわれたゼウスのための競技会(オリンピア祭)に他ならない。ギリシア世界ではこうした競技会付き宗教祭典が多数開催されており、オリンピア祭はその中でも最古のものとされる。
-------

と述べます。
ただ、宮崎氏は「オリンピアはオリンピア祭のためだけに存在していたわけではない。祭典はあくまで神域の行事の一つにすぎない」ことを強調され、「前五世紀くらいまでと帝政期のオリンピアに光を当てて、この古代ギリシアきっての大神域の特徴と歴史を少しばかり考えてみることにしたい」と続け、以下、「国際神域の誕生」「エリスとオリンピア」「帝政期の神域と祭典」の三節に分けて論じられます。
個人的に一番興味深かったのは最後の「帝政期の神域と祭典」で、ローマ帝国の支配下に入ってしまった後も何故にオリンピックが続いたのかについて簡潔な説明がなされていますが、その点は後ほど。

検索すると日本語でもオリンピア遺跡の旅行案内サイトは沢山ありますが、正確で分かりやすい地図が伴っていないので、とりあえずウィキペディアの英語版にリンクを張っておきます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Olympia,_Greece

ついでに観光案内として綺麗な写真が多いサイトもひとつだけ。

「旅遊人」サイト内「古代オリンピックが初めて開催された地、オリンピアに行ってみたら」
http://yuuma7.com/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%8C%E5%88%9D%E3%82%81%E3%81%A6%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%9C%B0%E3%80%81%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3/
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「空想の建築―ピラネージから野又穫へ―」

2017-01-16 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月16日(月)22時10分54秒

ピラネージに関する邦文の書籍のうち、画集では『空想の建築-ピラネージから野又穫へ-展』(町田市立国際版画美術館編、エクスナレッジ、2013)が非常に良かったですね。
判型が大きいので細部まで確認できます。
時々訪問している群馬県立近代美術館の常設展示室に野又穫の作品があり、以前からちょっと気になっていたのですが、確かにピラネージに通じるものがありますね。

町田市立国際版画美術館サイト
http://hanga-museum.jp/exhibition/schedule/2013-181

それにしてもピラネージの『幻想の牢獄』は若干22歳の時の作品だそうで、かなりびっくりしました。
『ピラネージの黒い髄脳』では、p32に、

-----
 版画集≪牢獄≫、もっと正確に題を訳せば≪幻想の牢獄≫(Invenzioni Capric di Carceri 牢獄の気まぐれな考案)の初版には製作の日付が記されていないが、一七四五年の上梓と推定されている。ピラネージは、自分の作品目録のなかでこれにもっと古い日付を与えている、「一七四二年に作られた彫版」と。するとそのとき作者は二十二歳であった。
-----

とあり、またp34には、

------
 この前代未聞の一四枚の版画シリーズと、一七四四年のもっと軽い、装飾的な≪グロテスク≫の四つの画と、この二つの版画集だけがピラネージが自分で「気まぐれ」と呼んだもの、もっとよい言い方をすれば強迫観念や幻覚に身を任せた作品なのである。大きな差異はあるものの、≪牢獄≫と≪グロテスク≫とは、いずれも、ヴェネツィア人ピラネージにおよぼした古代的ローマ的なものの最初の衝撃を記録している。≪グロテスク≫は石柱の断片、壊れた薄肉彫の石板、それに十七世紀のある種の墓石の優雅にも不吉な装飾を少しとアレクサンドリアの細密彫りの軽やかな骸骨を少し想い出させる死者の頭部などを、魅力的なロココ風ごった煮のうちにまぜあわせている。高邁な≪牢獄≫は、幻視者の頭脳の黒い暗室〔カメラ〕に写しとられたローマ的バロック的壮大の、一種の倒立した影像を提供している。後には現実と具象のうちに吸収されてしまう暗い幻想─≪ローマ古代遺跡≫はそれにまたどっぷりと浸されることになるのだが─青春期のこの二つの作品には、何ものにも拘束されぬ、いわば化学的に純粋な状態で、その暗い幻想を生きている。とりわけ≪牢獄≫については、この尋常ならざる連作の作者が若干二十二歳であったことをぜひとも想い起こしておくべきである。もしもバロック時代の画家を後期ロマン派の詩人になぞらえることができるものなら、若きピラネージの連作牢獄〔カルチェリ〕を、ランボーの─ただしその後筆を折ることをしなかったもう一人のランボーの、『イリュミナシオン』に相当するもの、とあえていってもよいであろう。おそらくこれはピラネージにとっての「地獄の季節」であったのだ。
-------

とあります。
ユルスナールの名文を読むとピラネージに深入りしたい誘惑に駆られますが、諸々の都合があるので、今は止めておきます。
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F.ポランツァーニが描いた「ピラネージの肖像」

2017-01-13 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月13日(金)20時08分18秒

前回投稿で書いたプチ疑問ですが、これは「訳者あとがき」を読んであっさり解決しました。
もともと『ピラネージの黒い髄脳』は単著ではなく、『幻想の牢獄』の復刻版を出版しようとした編集者の依頼に応じて、その復刻版の解説として書かれたものだそうです。
その復刻版には、おそらく邦訳書p9に掲載され、ウィキペディアのフランス語版にも登場する F.ポランツァーニが描いた「ピラネージの肖像」が載っていて、邦訳書p14の「≪幻想の牢獄≫の口絵の肖像」とは復刻版の口絵の肖像のことのようですね。

Felice Polanzani(1700-83)
https://it.wikipedia.org/wiki/Felice_Polanzani

この「訳者あとがき」もなかなかの名文ですので、参考までに紹介しておきます。

------
 マルグリット・ユルスナールは、近年日本でも次々と作品が翻訳・紹介され、とみに名声のあがった作家であるが、評論にもすぐれ、今までに二冊、美しい評論集を出している。
 『ピラネージの黒い髄脳』は一九六一年、≪幻想の牢獄≫の復刻版のために書かれたもので、後に評論集『条件付きで』(一九六二年)に収録されている。もうひとつの評論集『時、この偉大な彫刻家』は一九八三年に出版されたが、この題を見るだけでも、古代の遺跡、廃墟、古文書、いや、「時」によって変容をこうむったあらゆるものへの、彼女の深い関心がうかがえると思う。
 ピラネージが古代遺跡の、写実的でしかも幻想的な版画を遺してくれたのと同じように、ユルスナールは、ピラネージも銅板に刻んだ聖天使城〔サン・タンジェロ〕とよばれる中世の獄屋、いな、古代の大霊廟の正統の主である皇帝ハドリアヌスを主人公として、史実に忠実でしかも芸術的に完璧な歴史小説を書いた。考えようによっては、みずから「古代の復元」に成功した作家ユルスナールは、どんな美術評論家よりも、遺跡の版画家を論ずるにふさわしい人物といえよう。ピラネージの復刻版のために、彼女に一文を草することを慫慂した編集者も、きっとそのようなことを考えていたにちがいないのである。

一九八五年 夏
------

1985年夏というと日本航空123便墜落事故が起きた頃で、ずいぶん昔のことになりました。
ウィキペディアの多田智満子氏の項を見ると『ハドリアヌス帝の回想』の翻訳が絶賛されていますが、さほど大部の本でもなさそうですから、ついでにこれも読んでおこうかなと思います。

Marguerite Yourcenar(1903-87)
https://en.wikipedia.org/wiki/Marguerite_Yourcenar
多田智満子(1930-2003)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9A%E7%94%B0%E6%99%BA%E6%BA%80%E5%AD%90
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『ピラネージの黒い髄脳』へのプチ疑問

2017-01-13 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月13日(金)14時01分18秒

ユルスナールの『ピラネージの黒い髄脳』、読み始めたばかりですが、ピラネージも意外に苦労人ですね。
少し引用してみます。(p11以下)

------
 ピラネージの生活、意図、性格についてわれわれの知っている詳細の大部分は、フランチェスコ・ピラネージの口から、ジャック=ギョーム・ルグランというフランス人が聞き出したもので、今日残っている画家自身の書きものはこの伝聞を裏づけている。製作に陶酔する情熱家、自分の健康や安楽を心にかけず、ローマ平原のマラリアをものともせず、ハドリアヌス離宮や、アルバーノやコーラの古代遺跡のような、そのころは訪れる人もない不健康な地に長期滞在し、その間ずっと冷えた米の飯だけで身を養い、探索と製作のための時間を少しでも割くのを惜しんで、週に一度だけ、粗末な食事のためにキャンプの火をおこした男の姿がそこにある。「彼の画の印象の真実さと厳密さ」と、十八世紀の良き精神のしるしであるあのきまじめな適確さでジャック=ギョーム・ルグランは記している、「彼の描く影の正確な投影と透明感、あるいはその描き方の幸福な奔放さ、色調の表示そのもの、それらは、灼熱の陽光のもとであれ、月光のもとであれ、実物に即した彼の厳密な観察に負うものである」。正午のめくるめく光のなか、あるいは月明の夜、他の者ならば財宝の在処をさぐったり、亡霊の姿を浮かび上がらせたりするところを、一見不動のもののなかに動き変化するものを探し、効果的な加筆の秘訣や、複線影をそえる位置を発見するために廃墟を目でさぐりながら、捉えがたいものを捉えようと待ち伏せているこの観察者を、われわれはたやすく思い描くことができる。
------

「ローマ平原のマラリアをものともせず」、「訪れる人もない不健康な地に長期滞在し、その間ずっと冷えた米の飯だけで身を養い」、「週に一度だけ、粗末な食事のためにキャンプの火をおこした」云々は、現代のイタリア観光客にはなかなか想像し難い状況ですね。
さて、翻訳者が多田智満子氏だけあって、複雑な内容でもすらすら読めますが、この後、ちょっと気になる記述があります。

------
過労でへとへとになったこの偉大な職人は、ろくに手当もしなかった腎臓病のために一七七六年ローマで死んだ。レッツォニコ枢機卿が費用を負担して、聖マリア待降教会に埋葬され、今日もそこに彼の墓を訪れることができる。≪幻想の牢獄≫の口絵の肖像は彼の三十歳頃の姿を示している。短く刈った髪、いきいきした眼、ローマ人の胸像に似たがっしりした肩や胸郭とは不似合いに、すこぶるイタリア風ですこぶる十八世紀風の、かなり柔弱な顔立ち。単に年代記的な観点から記しておくのだが、彼はルソーやディドロやカザノーヴァとわずか二、三歳違いで、まさしく彼らの同時代人であったし、≪奇想集≫の不安なゴヤや、『ローマ哀歌』のゲーテや、妄想に憑かれたサドや、牢獄の大改革者ベッカリーアよりも、一世代だけ年長であった。十八世紀の事象のあらゆる角度の反響と反映とが、ピラネージの奇妙な線書きの宇宙のなかで交錯し合っているのだ。
------

「三十歳頃の姿」で、「短く刈った髪、いきいきした眼、ローマ人の胸像に似たがっしりした肩や胸郭とは不似合いに、すこぶるイタリア風ですこぶる十八世紀風の、かなり柔弱な顔立ち」となると、ウィキペディアのフランス語版の左側・一番上に出てくる肖像ではないかと思われますが、これは『幻想の牢獄』ではなく、『古代ローマ』の口絵のようですね。


ネットで少し検索しただけですが、『幻想の牢獄』(Le Carceri d'Invenzione)には、そもそもピラネージの肖像がないんじゃなかろか、という感じがします。


>筆綾丸さん
>谷川渥氏も『廃墟の美学』で触れていたような

早速読んでみます。
高山宏氏も『カステロフィリア―記憶・建築・ピラネージ』(作品社、1996)等の多くの著書でピラネージに触れているのですが、今は基礎知識を与えてくれる地味な本が読みたい気分なので、高田氏の軽業師的な文体が少々疎ましく、先送りしています。

大妻大学比較文化学部・高山宏(教授)
「いろいろあって悪魔と呼ばれているが、本当は親切な小市民。」

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

廃墟の美学 2017/01/12(木) 12:49:54
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E6%B8%A5
ピラネージについては、たしか、マニアックな谷川渥氏も『廃墟の美学』で触れていたような記憶があります。
博識の如月さん、今頃、どうされているのでしょうね。

遠江国の浜松市は駿河国の静岡市への対抗意識が強いらしく、周囲の町村を吸収合併して政令指定都市になりましたが、天竜区だの北区だの、山中に区とは噴飯物だろう、と思います。静岡県と一口に言っても、遠江と駿河と伊豆では県民気質がまるで違んだ、みたいなどうでもいいことをいまだに言ってる気がしますね。
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岡田温司著『グランドツアー 18世紀イタリアへの旅』

2017-01-12 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月12日(木)11時04分26秒

古代オリンピックが「発見」される過程の参考にと思って岡田温司氏の『グランドツアー』(岩波新書、2010)を読んでみたところ、岡田氏らしく軽妙に書かれていながら内容はけっこう濃くて、多方面に好奇心を掻き立てられる本でした。

-------
『グランドツアー 18世紀イタリアへの旅』

折しもポンペイ遺跡発見の頃,ヨーロッパ中の知識人や芸術家が馬車にゆられてアルプスを越え,ローマを,ナポリを,ヴェネツィアを目指した.〈観光旅行〉のはじまりともいうべき旅のなかで,彼らを魅了した人,自然,遺跡,そして芸術とは? ゲーテの『イタリア紀行』で知られる当時のイタリアを,疾走感とともに描く.

中でもピラネージは特に興味深い人物に思われました。(p135以下)

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ギリシアVS.ローマ ピラネージの論争

 このように、パエストゥムのドーリス式神殿の「発見」は、単純にして力強い古代ギリシアというイメージを広めるのに大きく貢献したが、これにたいして古代ローマのほうはというと、逆に退廃と逸脱に侵された世界であったという見方が、一部で根強く浸透していた。第Ⅰ章でも述べたように、とりわけモンテスキューやヴォルテールといったフランスの啓蒙主義者たちにそれは顕著で、たとえば共和制のローマを栄光に満ちあふれた時代ととらえるのは「子供じみた誇張」にすぎないというのが、彼らの大方の見解であった。
 こうしたローマ観にたいして果敢に論争を仕掛けていったイタリアの建築家がいた。古代をモチーフにした数多くの版画やデッサン類を残したことでも知られるピラネージである。一七四三年、生まれ故郷のヴェネツィアからローマに居を移したピラネージは、単純明快さや規則性という理想的な古代イメージにたいして、あえて多様性や異種混淆性に富み、奇想(カプリッチョ)や想像力にあふれる古代のイメージを提示してみせようとしたのである。飽くなき論争家、それが彼の天命である。
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Giovanni Battista Piranesi(1720-78)

ピラネージについては結構な数の画集や研究書があって、深入りしたら暫く帰って来れなくなりそうですが、とりあえずはマルグリット・ユルスナール著・多田智満子訳の『ピラネージの黒い髄脳』(白水社、1985)くらいにとどめておこうと思います。
昔、「世善知特網旧殿」の如月さんからユルスナールや多田智満子についてのお話を聞いたことがあったのですが、当時の私はフランス文学や思想に興味がなくて、馬の耳に念仏、猫に小判状態でした。
最近は如月さんの世界にも少し近づいたような感じがします。

「世善知特網旧殿」

>筆綾丸さん
>浜松いなさICから国道257を少し南下すれば龍潭寺があって

『青柳瑞穂の生涯─真贋のあわいに』を確認してみたところ、青柳瑞穂の最初の妻の実家が旧・伊平村(現・浜松市北区引佐町伊平)にあったそうで、地図をみたらまさに「浜松いなさICから国道257を少し南下」して龍潭寺に行く途中ですね。
ただ、私が龍潭寺関係の話と記憶していた骨董にまつわるエピソードは、実際には摩訶耶寺というお寺に関するもので、いい加減な記憶に基づいて適当な話をしてしまいました。

「おんな城主 直虎」推進協議会サイト内 「ゆかりの地」

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

新東名はすべて山の中である 2017/01/11(水) 16:33:45
小太郎さん
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%95%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B8
昨年、新東名で二度ほど京都を往復しましたが、浜松いなさICから国道257を少し南下すれば龍潭寺があって、今年の観光名所になりそうですね。往昔、もののけ姫が跋扈していたのか、と考えると、素通りして申訳なかったような由緒正しいインターチェンジです。

http://www.ghibli-museum.jp/
中央線三鷹駅以西は不案内ですが、国立駅から都心に少し戻ると多摩墓園を挟んでジブリ美術館があるので、一橋大学「社会学部」の中でも霊感の強い研究者は宮崎監督の磁場にシンクロするのかもしれないですね。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170107/k10010831921000.html
京都妙傳寺の半跏思惟像は、曜変天目茶碗くらいの骨董的価値があるようですね。
今日の日経一面に、中国の国有企業「珠海格力」の董事長である董明珠(女性)が共産党に睨まれて解任された、という記事がありますが、骨董と董事では意味がまるで違いますね。董という姓の董事長といいい、名の一字(珠)が企業名にあることといい、冗談のような感じすらします。
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パンヘレニックの祭り

2017-01-08 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月 8日(日)20時51分3秒

井原ワールドから暫し離れて、古代オリンピックについての予備的な投稿を少ししておきます。
古代オリンピック関係の入門書としては村川堅太郎(1907-91)に『オリンピア─遺跡・祭典・競技』(中公新書、1963)という碩学の悠然たる風格を感じさせる好著がありますが、さすがに情報が若干古くなってしまっていますね。
そこで、代わりにと言っては恐縮ですが、桜井万里子・橋場弦編『古代オリンピック』(岩波新書、2004)から少し引用させてもらいます。

--------
『古代オリンピック』

裸の走者が駆け,戦車が競技場を揺るがす.熱狂する観客,勝利者の頭上の聖なるオリーヴの冠―紀元前8世紀のギリシアからローマ時代に至るまで,実に千二百年近くの命脈を保った古代オリンピック競技会を,最新の考古学・歴史学の成果を踏まえて語る.競技の詳細,会期中の休戦,優勝者の得る利益についてなど,興味深い話題は尽きない.

「プロローグ」で、桜井万里子氏はアテネのパルテノン神殿に言及された後、次のように述べます。(p3以下)

------
 ところで、現在のオリンピック大会の起源である古代オリンピックは、そのアテネで開催されたわけではないのである。
 古代オリンピックは、アテネから遠く離れた、ペロポネソス半島北西部エリス地方の山間の地オリンピアで開催された。オリンピアはゼウス神の神域である。前一〇世紀のテラコッタの神像が出土していることから、すでに前一〇世紀初めからゼウスがこの地で祀られていたと考えられている。ゼウスは山々や天候の神であったからか、一般的にその神域は、人里はなれたところにあることが多い。たとえば、クレタ島のゼウス神域は、イダ山山頂の洞窟であり、ゼウスの神託で名高いドドナの神域は、ギリシア本土西の内陸部、今でも訪れるのに苦労する地点に成立した。オリンピアも山間の谷間に位置したが、主要な交通路の近傍にあったためアクセスが容易で、後にギリシア各地から人々が訪れる聖地となる条件を備えていた。
 そのオリンピアの祭典としての古代オリンピックは、国という枠を超えて全ギリシア世界から選手が参加する、全ギリシアを挙げての祭りという意義を持っていた。祭典は、紀元前八世紀から紀元後四世紀に至るまで、途絶えることなく営々と四年に一度開催され続けた。その長い歴史のなかに古代ギリシア人の、そしてローマ人の心意気を窺うことによって、今に生きる私たちは古代地中海世界とのあいだを結ぶ橋を渡ることができるであろう。
------

「全ギリシアを挙げての」には「パンヘレニック」とのルビが振られています。
古代オリンピックと近代オリンピックの最大の違いは、言うまでもなく前者がゼウス神に捧げられた宗教的な祭典であるのに対し、後者には宗教的要素が存在しない点ですね。
クーベルタン男爵の宗教的背景は追々検討するつもりですが、まあ、個人としての信仰はどうであれ、オリンピックを世界的な行事とするためには特定宗教色の排除は必然です。
また、古代オリンピックは「国という枠を超えて全ギリシア世界から選手が参加する、全ギリシアを挙げての祭り」ですからナショナリズムとは無縁ですが、近代オリンピックは1896年の第一回アテネ大会からナショナリズムとは切っても切れない関係にあり、これも古代オリンピックと近代オリンピックの重要な違いのひとつですね。
ま、そのあたりも追々検討します。

>筆綾丸さん
>夏目琢史氏
「researchmap」を見ると夏目氏の研究分野は日本近世史となっていますが、学部は「東京学芸大学教育学部国際理解教育課程日本研究専攻」で、最終学歴が「一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程」ですから、歴史学に関しては研究者というより歴史愛好家みたいな感じがしないでもないですね。
一橋の社会学って、変な若手評論家を次から次へと送り出している迷惑施設みたいな感じがして、あまり良いイメージがありません。


夏目氏の主著らしい『アジールの日本史』については松岡正剛氏が縷々、というかダラダラ書かれていますが、個人的には些か食傷気味のテーマです。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

網野ワールド 2017/01/08(日) 17:25:42
書店の一角では真田丸が女城主に乗っ取られたので、一冊くらいは、と夏目琢史氏の本を読んでみました。

https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-4062883945
『井伊直虎―女領主・山の民・悪党』は、副題から予想されるように、第一章はともかくとして、第二章は網野ワールド全開でした。
----------------
 先に述べたように、直虎の周囲には「ヤマイヌ」がごく当たり前のようにうろついていた。遠州地方の江戸時代の古文書のなかには、夜道、「ヤマイヌ」に襲われたという記録もたまに見かけるが、直虎の時期の引佐地方には、確実に「ヤマイヌ」がいた。彼女もおそらく「ヤマイヌ」のことを聞いていただろうし、もしくは目撃していたかもしれない。幼少期の彼女は、そうした過酷な自然のなかで暮らしてきたと考えられる。
 この話を拡張していくと、直虎の暮らした世界は、まるで、映画『もののけ姫』の世界そのものであったことがわかってくる。『もののけ姫』とは、宮崎駿監督の代表作の一つであり、自然と人間の調和と戦いを描いた国民的映画である。
(中略)
 さて、映画『もののけ姫』のなかで、ひときわ目をひくのは、「タタラ場」が女性中心の社会であったこと。そして、そのリーダーが、「エボシ御前」といわれる女性であったことである。
 「エボシ御前」には、井伊直虎と共通するところがいくつもある。彼女は、非農業民を率いて、自然と隣接する場所に拠点をおきながら、自然の克服を目論む。
(中略)
 今日を生きる私たちは、自然なるものが、やがて、文明なるものに制服されていく歴史を知っている。自然なるものの代表格であった「もののけ姫」や、自然を克服しようと試みる「タタラ場」の生活も、やがて滅ぼされてういく運命にある。網野善彦氏の言葉を借りるならば、遍歴型の社会(未開)から定住型社会(文明)への転換ということになるだろう。中世の社会をある意味で象徴する。自然に寄り添いながら成長してきた一族である井伊氏もまた、滅亡する運命にあった。(143頁~)
----------------
引用するのも恥ずかしくなるような網野ワールドですが、夏目少年はアニメ『もののけ姫』の大ファンのようで、なんともいじらしい。この本と大河ドラマは無関係のはずですが、たぶん見ないと思います。
三方ケ原で戦死した武将に夏目吉信という人が出てきますが(114頁)、少年の先祖でしょうか。
「地元出身の有名な歴史家・作家である白柳秀湖」(109頁)と「引佐町出身の著名なジャーナリスト松尾邦之助」(138頁)は、恥ずかしながら、知りませんでした。

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kumokiri3/
もののけ姫直虎とは何の関係もありませんが、私は雲霧仁左衛門のファンです。
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オバマの信仰

2017-01-05 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月 5日(木)09時59分36秒

>筆綾丸さん
「オバマ&宗教」で検索してみたら「YS Journal アメリカからの雑感」というブログが出てきました。
このブログの筆者によれば、オバマは「リベラル」の大半を占める「なんちゃってクリスチャン」ではなく、ミシェルとともにシカゴの教会にそれなりに熱心に通っていたようですが、この教会は米宗教界の中でも独特の存在だったようですね。


宗教への態度のような人格の基本部分はやはり幼年期に家族の影響で形成されることが多いと思いますが、オバマの場合は出生後間もなく父母が離婚して母親に育てられたので、宗教についても人類学者だった母親の影響が強そうです。
そこで母親、アン・ダナム(1942-95)の宗教に対する態度を探ってみると、ウィキペディア情報ですが、

-------
In his 1995 memoir Dreams from My Father, Barack Obama wrote, "My mother's confidence in needlepoint virtues depended on a faith I didn't possess... In a land [Indonesia] where fatalism remained a necessary tool for enduring hardship ... she was a lonely witness for secular humanism, a soldier for New Deal, Peace Corps, position-paper liberalism."[68] In his 2006 book The Audacity of Hope Obama wrote, "I was not raised in a religious household ... My mother's own experiences ... only reinforced this inherited skepticism. Her memories of the Christians who populated her youth were not fond ones ... And yet for all her professed secularism, my mother was in many ways the most spiritually awakened person that I've ever known."[69] "Religion for her was "just one of the many ways?and not necessarily the best way?that man attempted to control the unknowable and understand the deeper truths about our lives," Obama wrote.[70]


ということで、オバマがキリスト教の影響の強い家庭環境で育ったのではないことは明らかですが、かといってアン・ダナムは単純な無神論者という訳でもなく、

------
Dunham's daughter, Maya Soetoro-Ng, when asked later if her mother was an atheist, said, "I wouldn't have called her an atheist. She was an agnostic. She basically gave us all the good books?the Bible, the Hindu Upanishads and the Buddhist scripture, the Tao Te Ching?and wanted us to recognize that everyone has something beautiful to contribute."[35] "Jesus, she felt, was a wonderful example.But she felt that a lot of Christians behaved in un-Christian ways."[70]
------

だそうで、このあたりはいかにも人類学者っぽい感じがします。
他方、少なくとも学生時代については、

------
On the other hand, Maxine Box, Dunham's best friend in high school, said that Dunham "touted herself [then] as an atheist, and it was something she'd read about and could argue. She was always challenging and arguing and comparing. She was already thinking about things that the rest of us hadn't."[7]
------

という証言もあるんですね。
オバマ自身は、

------
In a 2007 speech, Obama contrasted the beliefs of his mother to those of her parents, and commented on her spirituality and skepticism: "My mother, whose parents were nonpracticing Baptists and Methodists, was one of the most spiritual souls I ever knew. But she had a healthy skepticism of religion as an institution."[17]
------

とまとめていますが、これは必ずしも選挙民を意識した政治家の発言という訳でもなさそうです。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

試験に出ない藪睨み英文読解 2017/01/04(水) 13:43:30
小太郎さん
オバマというインテリ男の本音はよくわからないですね。

http://www.nikkei.com/article/DGXMZO02903620X20C16A5FF1000/
オバマの広島演説にも宗教への言及がありますが、読みようによっては、かなり嫌味な文です。
------------------
On every continent the history of civilization is filled with war, whether driven by scarcity of grain or hunger for gold, compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires have risen and fallen, peoples have been subjugated and liberated, and at each juncture innocents have suffered -- a countless toll, their names forgotten by time.
------------------
における「…compelled by nationalist fervor or religious zeal. Empires…」は意味深長で、広島という場所柄を考えれば、 Empires のひとつは大日本帝国であり、nationalist fervor と religious zeal は戦前の日本の国粋主義と国家神道を含意している、と読めなくもありません。
----------------
Every great religion promises a pathway to love and peace and righteousness. And yet no religion has been spared from believers who have claimed their faith has a license to kill.
----------------
における「…claimed their faith has a license to kill.」は、戦前の日本の神風などを暗示しているようにも読めなくもありません。

それに反して、我国の創造主(our Creator)はこんなにも有り難いのだ、という文が来ます。
-----------------
My own nation's story began with simple words: "All men are created equal, and endowed by our Creator with certain unalienable rights, including life, liberty and the pursuit of happiness."
-----------------
キリスト教としては傍流のくせに、と茶々を入れたくなりますね。
追記
https://www.youtube.com/watch?v=ifDNtpqJQZc
就任宣誓式で「So help me god」とお願いした以上、神を引用せざるを得ない立場にいるのですね。

キラーカーンさん
戦前の日本の自由と民主は国際標準のものではなく、極東アジアのローカルで偏頗なもので、似而非なるものというより、ほとんど別物だった、というところがミソかもしれないですね。
付記
私は防衛大臣のあの鬱陶しい長い髪が大嫌いで、もういい年なんだから相応の髪形にしてほしいと思っています。

安倍の演説(英文)中、
---------------
We, the people of Japan, will continue to uphold this unwavering principle, while harboring quiet pride in the path we have walked as a peace-loving nation over these 70 years since the war ended.
---------------
は現行憲法の前文を踏まえたものですが、パール・ハーバーにおける harboring というエレガントな詩的表現に、日本の官僚はほんとに優秀だな、と思いました。

http://mainichi.jp/articles/20170103/k00/00e/040/160000c
これが公的な復帰になるのでしょうね。有難き哉、ヤマダ電機。
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古代オリンピックの復活

2017-01-03 | 古代オリンピックと近代オリンピック

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月 3日(火)17時53分36秒

昨日、今年は基本的に日本史よりもヨーロッパ古代・中世史に重点を置く予定と書きましたが、あまりに広大な茫漠たる領域に迷い込んでもまずいので、最初にひとつのテーマを設定しておこうと思います。
それは、日本は古代オリンピックを復活させることができるんじゃないかな、という可能性の検討と、日本は古代オリンピックを復活させるべし、という提案です。
思い返せば去年の「新年のご挨拶」で、「グローバル神道の夢物語」という妙なシリーズを始めるぞと宣言し、森鴎外の「かのやうに」を出発点に日本人の宗教観を検討しました。
神仏分離・廃仏毀釈に悲憤慷慨する松岡正剛氏に対しては、そんなに興奮することもないのになあと同情しつつ、実際に廃仏毀釈に多数の「殉教者」が出たのかを検討してみたところ、「大浜騒動」など浄土真宗関係の「護法一揆」で多少の死者は出ているものの、まあ、実態は酔っ払いの暴動みたいなものが多く、純度100%の「殉教者」は皆無、という暫定的結論を得ました。
また、「真宗王国」の富山藩における廃仏毀釈の経緯が結構面白いことに気づき、これを主導した林太仲と、その養子でパリを拠点に美術商として活躍した林忠正、また富山出身の近代民衆宗教の研究者で、現在でも極めて世評の高い『神々の明治維新』の著者でもある安丸良夫氏等について検討するうちに、安丸氏の「国家神道」論は「ゾンビ浄土真宗」とマルクス主義の「習合」ではなかろうか、などと思うようになりました。
そして、神仏分離・廃仏毀釈の検討と並行して、筆綾丸さんのご教示を得てフランスの歴史人口学者、エマニュエル・トッドの著作を読み始め、最初はフランス近現代史に関する知識不足から『シャルリとは誰か?』『不均衡という病』に少し手こずるも、次第に深みに嵌り、『世界の多様性』『新ヨーロッパ大全』『移民の運命』『帝国以後』『文明の接近』等、邦訳されているトッドの著作の大半を読み、また、速水融氏を中心とする日本の歴史人口学の世界にも踏み込んで、近代化の推進力としてのリテラシーの問題を考えるようになりました。
掲示板投稿保管用のブログ「学問空間」のカテゴリー「グローバル神道の夢物語」にまとめた投稿は最終的に126にもなりましたが、最後の方は殆どトッドの著作の検討だけで、とうとうひとつも「夢物語」と呼べる投稿はありませんでした。
一時、トッドの影響を強く受けすぎたかもしれないなと反省し、バランスを取るためにトッド自身の著作を読むのは暫く休んだのですが、トッドへの関心はフランスの政教分離「ライシテ」への興味に移り、58投稿をカテゴリー「ライシテと『国家神道』」にまとめました。
その後、若干の寄り道の後に、11月後半になって『シャルリとは誰か?』を再読し、また最新刊の『家族システムの起源Ⅰ ユーラシア』も読み始めたところ、「第四章 日本」で、岐阜県「中切」に残された大家族制の問題について訳者の注釈に疑問を抱き、若干の検討を加えてみました。
さて、去年の年初に「グローバル神道の夢物語」を始めたときは、素晴らしい日本の神道を世界に「輸出」せよ、などという話では全くなくてその真逆、世界から多神教の神々を「輸入」すべし、という話に持って行くつもりでした。
実際に神仏分離・廃仏毀釈の検討を進める中で、日本の長期にわたる「宗教的空白」が積極的意義を持つことについて確信を抱き、また、「輸入」が可能であることの見通しはついたのですが、では何のために「輸入」するのか、具体的に何を「輸入」するのかについてはなかなか明確になりませんでした。
しかし、ほぼ一年間、書物を通してエマニュエル・トッドとの対話を重ねた結果、私の現在の結論は古代オリンピアの神々を「輸入」して古代オリンピックを復活させよ、というものです。
これだったらその変てこさで充分に「夢物語」に値すると思います。
そこで、何でこんな結論に至ったのかを暫く論じたいと思います。

新年のご挨拶(2016年)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bd7ebd22440a7d381781be52797bfd0a
日本の宗教的空白(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9c685d9ef8a0773b9b1d90c3465625d5
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5a7c61ab0ad3b0b3e3be33d6adec2dfa

「学問空間」カテゴリー:グローバル神道の夢物語
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/c/8289629ba9e8078a5bc2a95e2694852a

>筆綾丸さん
>オバマの演説
オバマはあれほど頭が良いのだから、別に本気で神を信じている訳ではなく、選挙で勝つには信心深い印象を与える必要があると計算してやっているだけのように感じるのですが、そのあたりはどうなのですかね。
ブッシュ・ジュニアは人生のある時点で宗教的回心を経験したそうで、まあ、本気だったのでしょうが。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神とGodの相違 2017/01/02(月) 12:32:21
謹賀新年。
本年も宜しくお願いします。
新年にふさわしく、題名は格調高く(?)しました。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM28H37_Y6A221C1000001/
http://japan.kantei.go.jp/97_abe/statement/201612/1220678_11021.html
大晦日は、録画しておいた「半能 絵馬」(於国立劇場、NHK放送)を見ながら、日米首脳の真珠湾演説(英文)などを読んでいました。ちなみに、この能には天照大神が登場します。
両国担当者が原案を持ち寄って推敲を重ねたらしく随所に意図的な照応があるのですが、興味深かったのは、日本のものには宗教用語が念入りに排除さてれいるのに対して、アメリカのものにはキリスト教の用語がふんだんに鏤められている、ということでした。
オバマの演説の末尾にある、May God hold the fallen in His everlasting arms.(戦没者が神の腕の中で永遠に抱かれますように)の the fallen には、真珠湾攻撃における日本人戦死者は含まれないはずですが、 両演説のコレスポンドを考えると、安倍の演説(の英文)にあってオアフ島に眠る「日本帝国海軍士官飯田房太中佐(an Imperial Japanese Navy officer,Commander Fusata Iida)」も含まれるように読めなくもありません。
列席した日本の防衛大臣が、帰国直後、靖国神社に参拝したのは、アメリカの God と日本の神は違うのよ、という毅然たる意思を国内外に示したのかもしれず、狂言というか、寸劇のようでした。
付記
ハワイの式典前に堂々とすればよいものを、帰国直後、寝首を掻くように参拝するという浅ましい行為に、現在の日米の力関係がよく表れています。

なお、日本のもの(英文)の中程に、
And since the war, we have created a free and democratic country that values the rule of law …
という文があり、日本は戦時下においても自由で民主的な国だったのだ、と読めてしまうように思われました。since ではなく after だろう、と。
直後に、
…we have walked as a peace-loving nation over these 70 years since the war ended.
と続くので、誤解はされないはずですが。
英語に堪能な官僚が作成したものであって、たんに私が間違えているだけなのかもしれません。

小太郎さん
「小物界の大物」とは卓抜な表現で、pochette の中に poche が隠れているような可笑しさがありますね。

キラーカーンさん
谷川氏の実家は浄土真宗のお寺ですが、真宗らしく戦闘的な兄ではありますね。
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新年のご挨拶

2017-01-02 | 古代オリンピックと近代オリンピック
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 1月 2日(月)10時00分24秒

明けましておめでとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。


今年の抱負と予定みたいなものを書こうと思っていたらなかなかまとまらず、一日出遅れてしまいました。
ま、別にそれほど大それたことを考えている訳でもありませんが、基本的に日本史よりもヨーロッパ古代・中世史に重点を置く予定で、暫くは入門的・基礎的な本を読もうと思っています。
また、昨年末に再読した井原今朝男氏の論文で久しぶりに日本中世史に触れ、若干の興味を感じたので、最近の研究状況を少しフォローしてみるつもりです。
それと「後深草院二条」サイトが閉鎖されてしまってから丸一年経って、若干寂しい感じもしますので、せめて『増鏡』の作者論については少しまとめておこうかなと思っています。
小川剛生氏が『二条良基研究』(笠間書院、2005)で書いた、コラージュというか寄せ集めというか、まるで「ごった煮」のような『増鏡』作者論が『増鏡』研究の到達点では情けないですからね。

>キラーカーンさん
将棋は全然分かりませんが、一連の騒動はなかなかドラマチックな展開でしたね。

>ザゲィムプレィアさん
>東大法学部出身者同士(四方は派遣学生)
主観的には岸にはこのような意識は全くなかったのでしょうね。
林健太郎のエッセイだったか、旧制高校出身者は軍人を「ゾル」と軽蔑的に呼んでいたという話を聞いたことがありますが、これは林の世代の左翼的学生だけでなく、旧制高校出身者の一般的傾向だったようです。
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