小太郎さん
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480063137
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E5%9B%B3
黒田基樹氏『百姓から見た戦国大名』の「第三章 地域国家の展開」には、次のような記述があり、戦国期の研究者の間では、戦国大名の領国を「国家」とする考えは広く受容されているようですね。
日本国なる国家と戦国大名の国家という異質の国家が同時的に存在したこと、あるいは、日本国の国王と領国の最高権力者である戦国大名の関係など、どのように考えればいいのか・・・ヴェン図のようなものを描いて、いろいろ考えてみましたが、よけいわからなくなりました。
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戦国大名の領国は、「国家」と称された。領国とそれを主導する大名家が一体のものであり、それによって生じた用語である。国家という用語は、それまでもあったが、そこでは日本国を指して用いられてきた。しかし戦国大名の国家は、日本国という国家と同時的に用いられていた。そのことはすなわち、日本国という国家と、戦国大名の国家とは、異なる性格の国家であった、ということであった。戦国大名の国家の性格については、第六章で述べることにしたいが、あらかじめ結論的なことを述べておけば、現代の国民国家が持つ、人々が帰属する政治共同体であるという性質の系譜を考えた場合、その前身にあたるのは、日本国という国家ではなく、戦国大名の国家であった。
戦国大名の領国は、実質的にも、さらに名目的にも、一個の自立した国家として存在していた。これを日本国の国家と対比し、区別するため、地域国家と位置付けられている。戦国大名の領国に限らず、国衆の領国も、本質的にはそれと同様とみていいから、そうすると戦国時代というのは、列島各地にそうした地域国家が乱立して存在していた時代、ということになる。(101頁)
・・・戦国大名・国衆という地域権力は、一定の領域を支配する権力として存在していた。そのためこのような地域権力を、領域権力と呼んでいる。支配がおよぶ地域が面的に展開していた。それは当時、「国」と称されていた。そのため戦国大名・国衆の支配領域を、領国と呼んでいる。領国は、線引きできるような、いわゆる国境で囲われた面として存在していた。
その領国においては、戦国大名・国衆が最高権力者であり、他者の支配権は及ばない、排他的・一円的なものであった。それまで日本国の国王として存在していた、天皇や室町幕府将軍などの支配も、領国には及ばなかった。そこに戦国時代が、室町幕府が存在していたとしても、室町時代とは本質的に異なる、時代の特徴をみることができる。さらに政治権力が領域的に存在する、ということも、それまでの列島社会の歴史にはなかった。排他的・一円的な支配と、領域性は一体のものであった。(99頁)
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