1824~69
幕末・維新時の兵学者。近代軍制の創始者。長州藩出身。
大坂の適塾で緒方洪庵に蘭学を学び、医学・兵学を修めた。
長州藩の軍制改革を指導。第2次長州征伐の際、石見(いわみ)口で幕府軍を敗走させ、戊辰戦争においてはその作戦指導にあたり、彰義隊を討伐するなど大きな功績をあげた。
1869(明治2)年、兵部省設置により新政府の兵部大輔(ひょうぶたゆう)に任じられ、武士団の解体と徴兵制の実施を説き、徴兵制の基礎造りに取り掛かった。
欧化政策に反対する攘夷派士族に襲われて重傷を負い、死亡した。
※徴兵令に見られる国民皆兵の方針は大村益次郎によって発案され、山県有朋によって実施された。
オウムの山が 開閉し。
大村益次郎 山県有朋 国民皆兵