●平安時代(後冷泉天皇)
1053(天喜元)年 〈藤原頼通、平等院鳳凰堂を建立〉★
Construction of the Phoenix Hall is completed at the temple Byodoin.
入(い)れ込み寄り道 鳳凰堂。
1053年 藤原頼通 平等院鳳凰堂
末法の時代に入るとされた1052年から、貴族層の建立する寺院でも阿弥陀仏を安置する阿弥陀堂を中心とした大伽藍が営まれるようになった。1053年、藤原頼通は宇治に平等院鳳凰堂を建立。仏師定朝作の本尊阿弥陀如来像は、新しい技法である寄木造による作品として知られている。
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
東大寺の大仏は銅像の表面に鍍金を施した金銅像であるが、天平文化の時代には、( へ )や乾漆像の制作技法も発達した。( へ )は木を芯として粘土を塗り固めて造る像で、乾漆像は粘土などの原型の上に麻布を漆で幾重にも覆い固め、中の原型を抜き取って造る像である。
(答:ヘ塑像)
〈2011文教大・全学部
問7 下の史料は下線部(e)の唐僧に関する伝記であるが、この史料に描かれている「大和上」について述べた文として正しいものはどれか。次の中から一つ選べ。なお、史料は一部書き改めたところと省略したところがある。
時に大和上揚州大明寺にあり、衆僧のために律を講ず。栄叡・普照師大明寺に至り、大和上の足下に頂礼し、具に本意を述べて日く、「(中略)願はくは和上東遊して化を興せ」と。大和上答へて日く、「(中略)誰かこの遠請に応へ、日本国に向ひて法を伝ふる者あるや」と。(中略)和上日く、「(中略)諸人去かざれば、我すなわち去くのみ」と
1.彼が来日した時の天皇は聖武天皇であった。
2.大仏開眼会では開眼導師を務めた。
3.唐招提寺には、塑像の技法で製作された「和上像」が現存する。
4.東大寺に戒壇院を設立し、最初の本格的な授戒を行った。
(答:4 ※1孝謙天皇の代、2開眼導師はインド出身の僧・菩提僊那が担当、3塑像のように見えるが乾漆像である)
〈2012明治大・政経:「
奈良時代には平城京を中心に貴族文化が栄え、遺唐使によって唐の文化の影響を強く受け、国際交流のなかで国際色豊かな文化として花開いた。この時代の彫刻には、それまでの金銅製や木製の仏像のほかに、(ウ)粘土で塗り固めた塑像や漆で塗り固めた乾漆像がつくられた。戒律を伝えるため、苦難を乗り越えて渡日した唐の高僧の[ 1 ]は、日本の仏教の発展に寄与した。
問5 下線部(ウ)について、塑像作品はどれか。A~Eからーつ選べ。
A興福寺八部衆像 B新薬師寺十二神将像
C聖林寺十―面観音像 D唐招提寺鑑真和上像
E東大寺法華堂不空羂索観音像
(答:1鑑真、ウB※ACDEが著名な乾漆像なので無名のBが答としてのこる)〉