【問】次の文(1)・(2)を読み、下の問い(問1~問15)に答えなさい。
(1)インドシナ半島では. 1世紀項に、東南アジア最古とされる統一国家、扶南が①.メコン川下流域に建国された。その民族については、( 2 )ともマレー人とも言われている。扶南から真臘へ、そして9世紀に成立したアンコール朝へと③.カンボジアの歴史は続く。
カンボジアは、豊かな水資源を利用して農業開拓をすすめ、河川の水運を活用した交易によって発展した。しかし④13世紀頃より台頭してきたタイ人諸勢力により、アンコール朝は次第に圧迫され、1431年にアンコールの都を放棄してプノンペンに移すことになる。
一方、インドシナ半島東部の⑤.ヴェトナムは、北に中国と隣接する位置関係から、中国の文化的な影響を大きく受けるとともに、⑥.中国に成立した各王朝からの支配をも受けた。しかし唐の衰亡とともに独立を果たし11世紀にはヴェトナム北部に李氏が⑦.大越国を建国した。その後、いくつかの王朝の興亡を経て、19世紀には( 8 )の保護国となり( 8 )領インドシナ連邦に組み込まれた。
- 問1.①について。メコン川の位置として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
- ① A ② B ③ C ④ D ⑤ E
- 問2 空欄( 2 )に入れるのに適当なものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①チャム人 ②シャン人 ③モン人 ④シンハラ人 ⑤クメール人
- 問3 ③について。カンボジアの歴史に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①
- 扶南の貿易港からローマ貨幣が出土した。
- ②
- フエ(ユエ)は真臘の貿易港である。
- ③
- 真臘は唐に朝貢した。
- ④
- アンコール朝は分裂した陸真臘と水真臘を統一した。
- 問4 ④について。以下の王朝の中でタイ人王朝として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①チョーラ朝 ②コンバウン朝 ③クディリ朝 ④アユタヤ朝 ⑤トゥング一朝
- 問5 ⑤について。ヴェトナムにおける中国文化の影響に関する記述として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
- ① 両班という特権階級が形成された。
- ②.交鈔という紙幣が発行された。
- ③.字喃という文字が作られた。
- ④.ワヤンと呼ばれる影絵芝居が行なわれた。
- 問6 ⑥について。ヴェトナムと中国各王朝との関係に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①.漢は南海郡を設置してヴェトナム全域を支配した。
- ②.唐はヴェトナムに安南都護府を設置した。
- ③.明の永楽帝はヴェトナム北部を併合した。
- ④.ヴェトナム最後の王朝である阮朝は清を宗主国とした。
- 問7 ⑦について。大越国の王朝に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①.李朝(大越国)はサイゴンに都を置いた。
- ②.陳朝はモンゴル軍の侵略を退けた。
- ③.西山(タイソン)党の反乱によって黎朝がほろんだ。
- ④.玩朝は国号を越南とした。
- 問8 空欄( 8 )に入れるのに適当なものを、次ぎの中から一つ選びなさい。
- ①イギリス ②オランダ ③アメリカ ④フランス ⑤スペイン
(2)アンコール朝の歴代の王たちは、アンコール=トムや⑨.アンコール=ワットなどの壮大な石造りの建築物を次々と造営した。アンコール=ワットは、12世紀前半に( 10 )が造営したヒンドゥー教寺院であった。回廊の壁面はインド文学に題材をとった浮き彫りで飾られ、あるいは神と王を合体させた特別な神像も作られた。このように⑪.インド文化の影響を強く受けつつカンボジアの民族文化を開花させていった。
しかし後にアンコール=ワットは⑫.仏教寺院へと改修された。16世紀末から17世紀前半にかけて、日本の貿易船が東南アジア各地に航行し、アンコール=ワットを訪れる日本人のいたことが記録に残されている。
ところで、 8世紀にはイスラーム世界の成立にともなって、⑬.ムスリム商人がインド洋をわたり、マラツカ海峡をこえ、交易路を拡大して東南アジアや中国に進出してきた。また10世紀には宋の経済発展にともない海の道の交易が飛躍的に発展した。⑭マラッカ海峡は、このようにインド洋と南シナ海をむすぶ海上交易の要衝となり、⑮.マラッカなどその海域周辺の諸国が交易の主導権をめぐり勢力を競った。
- 問9
- ⑨について。アンコール=ワットはどれですか。正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
① A ② B ③ C ④ D ⑤ E - 問10
- 空欄( 10 )に入れるのに適当なものを、次の中から一つ選びなさい。
①ラーマ4世 ②スールヤヴァルマン2世 ③ハルシャ=ヴァルダナ ④パーブル ⑤ティムール - 問11 ⑪について。インド文化に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①.ヒンドゥー教の神に破壊神としてのシヴァがいる。
- ②
- クシャトリヤはバラモンより下位の階級である。
- ③
- 『マハーバーラタ』はサンスクリット語で書かれた叙事詩である。
- ④
- 『アヴェスター』はヒンドゥー教の聖典である。
- 問12 ⑫について。東南アジアの仏教に関する記述として正しいものを、次の中から一つ選ぴなさい。
- ①.ヴェトナムでは仏国寺が建てられた。
- ②
- チャンパーではポタラ宮殿が建てられた。
- ③
- パガンでは上座部の仏教寺院が建てられた。
- ④
- ジャワ島ではプランバナン寺院群が建てられた。
- 問13 ⑬について。ムスリム商人に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①.ジヤンク船という三角帆の帆船による交易を行なった。
- ②
- 奴隷をも交易品として扱った。
- ③
- 東南アジアのイスラーム化に貢献した。
- ④カーリミー商人と呼ばれたムスリム商人の拠点はカイロにあった。
- 問14 ⑭について。以下の人物の中でマラッカ海峡を通らなかった人物として正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①.義浄 ②イブン=バットゥータ ③マルコ=ポーロ ④鄭和 ⑤マゼラン(マガリャンイス)
- 問15
- ⑮について。
- (a)
- マラッカと周辺諸国に関する記述として誤っているものを、次の中から一つ選びなさい。
- ①
- シュリーヴイジャヤはスマトラ島のパレンパンを交易の拠点とした。
- ②
- マラッカは明の支援をうけて国際貿易港として急成長した。
- ③
- ヒンドゥー教国家のマタラムはマラッカと主導権を競った。
- ④
- 16世紀初めマラッカを占領したのはポルトガルである。
- (b).ヨーロッパ勢力のマラッカ占領後、ムスリム商人を受け入れたスマトラ島北端のイスラーム教国を何といいますか。正しいものを、次の中から一つ選びなさい。
①アチェ ②ジョホール ③バンテン ④マラーター ⑤ヴィジャヤナガル
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
② | ⑤ | ② | ④ | ③ | ① | ① | ④ | ④ | ② |
11 | 12 | 13 | 14 | 15(a) | 15(b) | ||||
④ | ③ | ① | 解答不能 | ③ | ① |
解 説
問1 C.チャオプラヤ川 E.イラワディ川
問2.①チャム族(Chàm)は、主にカンボジア及びベトナム中南部に居住する民族。チャンパ族とも呼ばれる。
②シャン族(シャンぞく、大タイ族)は、インドシナ半島に広がっているタイ系諸族の1つで、タイ国のタイ人を構成する小タイ族(シャム人)などと同系の民族である。シャン 、タイ・ヤイ 、パイ・イ ともいわれ、中国人はこれを擺夷・白夷とも呼んでいる。一般にはミャンマーのシャン州の平地に住んでいるシャン人をさしている。
なおシャンとはタイ族を呼ぶために外国が用いていたシャムの語がビルマ語風に訛ったものである。
③モン族( - ぞく、Mon)は、東南アジアに住む民族の一つ。古くから東南アジアに居住しており、ハリプンチャイ王国を建てたことで有名で、後にミャンマーのペグーに移り住んだのでペグー人とも言う。ラーマンあるいはタラインと呼ばれることもある。その後一部が中国の雲南から南下してきたタイ族やビルマ族などと混血した。
④シンハラ人(Sinhalese)は、スリランカの民族。シンハリ人とも呼ばれる。先住民のドラヴィダ人とインド・アーリア人が混合した民族である。
- 問3 フエは中部ベトナムのチャンパ国に含まれている。
- 問4.①チョーラ朝(Chola dynasty)は、9世紀から13世紀にかけて、南インドを支配したタミル系のヒンドゥー王朝(846年頃〜1279年)。首都はタンジャーヴール、ガンガイコンダチョーラプラム。
- ④タイ
ドヴァスコアユタ トンチャクリ。
タイ人の王朝は3つともタイのタがあることも意識!
- ②と⑤はミャンマー。
ピューパガペグー トゥンコンバ。
ピュー パガン朝 ペグー朝 トゥングー朝 コンバウン朝(アラウンパヤー朝)
- ③クディリ朝(クディリちょう)は、10世紀初頭まで続いた古マタラム王国以後、13世紀のシンガサリ朝以前にインドネシアのジャワ島東部に繁栄していたヒンドゥー教を奉ずる古代王朝で、広義には、古マタラム王国のダクサ王の子孫とされるイサナ家のムプ=シンドク王がジャワ東部のスメル山とウィリス山の間のワトゥガル地方に本拠地を移してから、1222年にシンガサリ朝を建てたケン=アンロクによって滅ぼされるまでの時期区分をさし、狭義には、アイルランガ(エルランガ)王が自らの王国をジャンガラ王国とパンジャル王国に分割したうち、クディリに都したパンジャル王国をクディリ王国、クディリ朝と呼ぶ。
- 問5.10世紀初頭にジャワ島東部に成立したクディリ朝(928~1222年)の頃になると、インドの叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』などを題材にした影絵芝居・ワヤン(ワヤン=クリット)《「ジャワ」の〈ワ〉と尻取りにして、「ジャワ島」とつなげよう!》が行われるなど、島嶼部のヒンドゥー化が始まった。
928年、ジャワにクディリ朝おこる(~1222):影絵芝居(ワヤン)流行
国はジャワ島 クディリ朝。
928年 ジャワ ワヤン クディリ朝
- 問6 ①漢の南海郡は中国の南部。
- ③.建文2年(1400年)、安南を支配していた陳氏(陳朝)が胡季犛に簒奪され(胡朝)、胡氏がさらに南方の占城(チャンパ王国)を攻撃した。占城の巴的吏が明に援軍を求めてきたため、ベトナム地方の安南に永楽4年(1406年)に遠征し、直轄領とした(1407年 - 1427年)。
- 問7 ①.大越国の都はハノイ。
- 1009年、李朝大越国の建国。
- 先駆李朝だ 幸運は。
- 1009年 李朝 大越 李公蘊 ハノイ
- 問9.Aはボロブドゥール遺跡。
- 問10 ①ラーマ4世、チャクリー王朝の第4代のシャム国王。②するやる2回アンコール。
- 問11 アヴェスターはゾロアスター教の経典。
- 問12 ①は新羅、②はチベット、④のプランバナンは古マタラム国がジャワ島中部に建設したヒンドゥー教の寺院群。
- 問13 ジャンクは中国船。
- ムスリムダウン 中毒じゃ。
- ムスリム商人=ダウ船 中国船=ジャンク船
-
- ④カーリミー商人は、東方の物資をインド洋・紅海方面からエジプトにもたらしアレクサンドリアやカイロを拠点にイタリア商人と交易活動を行った。
カーリミー商人の「カ」でカイロ、「リ」。
●カーリミー商人
愛守るかい?香(かおり)見ぃ。
アイユーブ朝
アレクサンドリア
マムルーク朝
カイロ インド洋
カーリミー商人
香辛料貿易
- 問14
- マゼラン船団はマラッカ海峡を通過しているが、マゼラン自身はフィリピンで死んでいるので、これを正解としたかったのであろうが、彼は世界周航の前に、ポルトガルのアルブケルケの部下として東南アジアで活動しており、そのときマラッカ海峡を通過しているので、該当しない。他のすべてもこの海峡を通っているので、正解なしとなる。出題ミス。