【問】フランスについて述べた以下の文章を読んで問に答えなさい。
(A)フランスは古代にはガリアと呼ばれ、ローマの将軍( ア )の遠征がきっかけで地中海文明圏に組み入れられることになった。この将軍の残した遠征記は当時のこの地域の社会を知るための貰重な史料となっている。
(B)カール大帝の死後、その大帝国は(1).何度かの条約を経て分割された。そのうちの( イ )王国の領域がほぼ現在のフランスに相当する。987年には侵入した( ウ )人を撃退したパリ伯ユーグ=カペーが国王の位につき、カぺ一朝を開いた。国王の権力は、当初著しく弱体であったが、13世紀はじめにイギリス王ジョンと戦って当時イギリス領になっていたフランス西部を奪回した( エ )はさらに、(2).異端のカタリ派に対するアルビジョワ十字軍を派遣し、国王権力の強化に努力した王の一人である。カペー朝の断絶からヴァロワ朝に代わった際にイギリスとの(3).百年戦争が起こったが、それを乗り越えた後には王権の強化が進み、国王( オ )は神聖ローマ帝国のカール5世と対抗した。
(C)ブルボン家は、16世紀から17世紀にかけてあいついで発生した、貴族を中心とする内乱を克服することによって絶対王政を確立していった。同家最初の王( カ )は、(4).ナント勅令の発布によりユグノー戦争を終結させた。また太陽王と称されたルイ14世にしてもその幼時には、高等法院の周辺に結集した貴族たちによる( キ )に直面したのである。そのブルボン家を打倒することになるフランス革命が、貴族たちによる(5).三部会召集の要求から口火を切られたことは興味深い。
(D)ストラスブール(シュトラスブルク)を中心都市にもち、中世には神聖ローマ帝国に属していた( ク )地方は、近代に入るとフランスの侵入を受けその領有に帰した。さらに19世紀後半から20世紀にかけて(6).いくどか生じた独仏間の戦争における領土争奪の犠牲となった。現在このストラスブールには1993年に成立したEUの欧州議会が設けられている。
(E)世界最初の労働者政権であった( ケ )を弾圧したブルジョワ政権である(7).第3共和政は、不安定ながらフランス革命後の最長の政体となった。1935年にモスクワで開かれたコミンテルン大会は、ドイツ.イタリアなどのファシズム政権に対抗するため、各国に人民戦線の結成をよびかけた。フランスでは( コ )を首班とする(8).人民戦線内閣が誕生したが、1年余りで倒れた。
- 問1
- (ア)~(コ)に適当な語句を入れなさい。
- 問2
- 下線部(1)~(8)について答えなさい。
- (1)条約名のひとつを答えなさい。
- (2)(a)アルビジョワ十字軍をきっかけにフランス王権はどの地域に勢力を拡げたか答えなさい。
- (b)宗教における「異端」とは何か、説明しなさい。
- (3)
- この時、フランスの危機を救ったとされる女性の名を答えなさい。
- (4)
- 内容を簡単に述べなさい。
- (5)
- (a)三部会を初めて召集した中世の国王はだれか。
- (b)その召集のさいの目的は何か答えなさい。
- (6)1870年から71年にかけて戦われた戦争によって、この地域はどの国に帰属したか答えなさい。
- (7)
- この政体を揺るがした事件で、エミール=ゾラの『余は弾劾す』で有名な事件は何か。
- (8)
- この内閣の与党となった政党のうちひとつをあげなさい。
解 答
問1
ア | イ | ウ | エ | オ |
カエサル | 西フランク | ノルマン | フィリップ2世 | フランソワ1世 |
カ | キ | ク | ケ | コ |
アンリ4世 | フロンドの乱 | アルザス | パリ=コミューン | ブルム |
問2
(1) | ヴェルダン条約 | ||||
(2) | (a) | 南フランス | (b) | 宗教教団の中で、正統とされる教義に対し異論を唱えること。 | |
(3) | ジャンヌ=ダルク | (4) | カルヴァン派の新教徒であるユグノーの信仰の自由を認めた。 | ||
(5) | (a) | フィリップ4世 | (b) | 聖職者に対する課税を各身分代表に承認させるため。 | |
(6) | ドイツ | (7) | ドレフュス事件 | ||
(8) | フランス社会党 |
※別解: (1):メルセン条約 (8):共産党または急進社会党
解 説:
設問1
(ウ)
987年 〈カペー朝の成立〉★★
Hugh Capet is crowned king of France, bringing a new dynasty to power.
急場(きゅうば)なら行く 壁に乗る。
987年 パリ ユーグ=カペー カペー朝 ノルマン人撃退
- (オ)フランソワ1世はヴァロワ朝最盛期の王。神聖ローマ皇帝のカール5世とはイタリア戦争を戦った。また神聖ローマ帝国の背後にあるオスマン帝国からはカピチュレーションを認められた。宗教改革とルネサンスと同時代(フランソワ1世はダ=ヴィンチをフランスに招いたことも有名)の国王であった。
- (キ)フロンドの乱はルイ14世がまだ幼く、宰相マザランが実権を握っていたときに起こった、貴族の反乱。それを抑えたブルボン王朝の権力が強まり、絶対王政の全盛期となる。
1648年 〈フロンドの乱(~53年)〉★
- (ク).アルザスとロレーヌの帰属問題もどの時期にフランスとドイツのどちらに属することになるか、整理しておこう。「アルザス」「ストラスブール」を尻取りにしてダメ押し!
- (2)(a)南フランスの異端派カタリ派を制圧したアルビジョワ十字軍を派遣したのはフィリップ2世。次のルイ9世(聖王)がそれを完了させた。
- アルビジョワ十字軍
- 13世紀、フランスのフィリップ2世、ルイ9世が南仏の異端派を鎮圧するために派遣した。
- 1209年、フランス王国のフィリップ2世の時に始まった、南フランスのキリスト教異端派のひとつアルビジョワ派(カタリ派ともいう)を殲滅するための十字軍。ローマ教皇インノケンティウス3世の要請で始まり、北フランスの諸侯の多くが参加し、指揮官がシモン=ド=モンフォール(イギリスで国王に反旗を翻し議会の開設に貢献した同名の人物の父親)のもとで激しい攻撃が行われた。
- アルビジョワ派は20年にわたって抵抗を続けたが、ルイ9世の時の1229年にアルビジョワ十字軍の勝利に終わった。これによってフランス国内の異端は殲滅され、南フランスまでフランス王権が拡大され、フランスの統一が進んだ。その反面、トゥルバドゥール(吟遊詩人)などの南フランスの独自の文化も失われた。
- (b)「異端」の説明では、その反対の「正統」を必ず入れること。正統と異端の関係はキリスト教で典型的に見られるが、仏教やイスラーム教にも同じような対立が見られる。
- (4)
- 1598年の「ナントの勅令(王令)」はどうしてもはずせない事項。アンリ4世の事績として、フランスの宗教戦争であるユグノー戦争の経緯のなかで、シッカリと理解しておこう。また、ルイ14世の1685年に廃止されたことも必須事項。
- (5)
- (a)フィリップ4世で、アナニ事件や教皇のバビロン捕囚など、ローマ教皇ボニファティウス8世と争った国王。ローマ教皇との争いの原因が聖職者への課税策であった。
- (6)
- 1870~71年の戦争とは普仏戦争のこと。この結果、アルザス・ロレーヌはドイツ領となった(1871年にプロイセンを中心としてドイツ帝国が成立)。尚この時、世界史上最初の労働者政権(ケ)パリ=コミューンが成立した。わずか数週間で鎮圧されたが重要事項である。
- (7)
- フランス革命以後のフランス史は政体の変化でまとめる。第三共和政は1870~1940年。ドレフュス事件は94年~99年。
- (8)
- フランスの人民戦線内閣は、1935年に社会党と共産党で成立。次いで急進社会党が参加した。首相となったレオン=ブルムは社会党の党首であった。
-
一組みゴーじゃ ブルム今日。
1935年人民戦線内閣社会党ブルム 共産党
解 説: ウ.987年 〈カペー朝の成立〉