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江戸時代の幕府直轄代表的鉱山

2017-04-25 | 『新世界史頻出年代暗記』

伊豆佐渡金岩大急ぎ。

    伊豆佐渡     金山    石見    大森  生野  銀山


1.幕府直営の代表的鉱山は伊豆金山佐渡金山生野銀山石見銀山足尾銅山の5か所。

[解説]

1.幕府の財政収入は、400万石(17世紀末)にもおよぶ直轄領(幕領)からあがる年貢のほか、佐渡・伊豆・但馬生野・石見大森など主要鉱山からの収入であった。

2.佐渡金山(新潟県)は、17C初に有望な金脈が発見されて以来、江戸幕府の重要な財源となった。当時としては世界最大級の金山であり、銀山としても日本有数のものだったが、17C末には産出額が減り衰える。島内数カ所ある鉱山のうち相川鉱山が、佐渡鉱山の中心だった。


3.伊豆金山(静岡県)は、伊豆市土肥(とい)にある金山で、国内第二の産出量だった。


4.石見銀山(島根)は、16世紀初頭の発見。生野と並ぶ大銀山で幕府直轄。銀山地区の中心町の名から大森銀山ともよばれる。


5.生野銀山(兵庫県)は、平安時代の発見。信長・秀吉・家康のいずれも直轄支配を行ったわが国有数の銀山。


6.足尾銅山(栃木県)は、17C初に発見された。寛永通宝鋳造の中心的大銅山として栄えるが、17C末に急速に衰える。明治になり払い下げを受けた古河市兵衛が機械化し再興、再び全国産銅の3分の1を占める大銅山に成長した。いっぽう深刻な鉱害をもたらしたことでも知られる。

〈2016関西大学・全学部2/7

E 江戸幕府は、16世紀以来、採掘が進んでいた鉱山を引き続き開発して増産をはかり、( 9 )金山や佐渡金山を直轄領とした。但馬生野銀山や石見大森銀山、秋田藩の( 10 )銀山も有名である。しかし、17世紀中ごろには産出量が減少するところも出てきた。

(答:9伊豆、10院内 ※原問題には選択肢が30語あり)


〈2012学習院大学・経済学部


 16世紀末から17世紀にかけて、日本列島は世界有数の金・銀・銅産出地域となる。この時代を開くきっかけは、新しい精錬法と、坑道掘削技術にあった。

 博多の商人(9)〔イ島井宗室 ロ今井宗久 ハ小西隆佐 ニ神谷寿禎 ホ津田宗及〕は1526年に石見大森銀山を開き、朝鮮半島から移入された精錬技術によって、大量の銀を得ることに成功した。1530年代に日本から朝鮮に大量の銀が持ち込まれる状況があらわれ、つづいて中国大陸への銀輸出も活発化していった。16世紀、「間歩」などと呼ばれゐ坑道の開削が広まり、金・銀・銅の採掘は地下深くに及ぶようになった。坑道は人力によって掘削されたから、使用される鉄製の「鐙」や「鎚」の供給が不可欠の前提であった。室町時代には日本刀が大量に輸出されており、鉄砲の伝来後には急速にその国産化が進んだ。こうしたことの背景として(10)〔イかたあらし ロわっぱ ハゆい ニいざり ホたたら〕製鉄の技術が進歩し、良質の鉄や鋼が潤沢に供給されるようになっていたということが想定されている。


 坑内では照明のために火をともすから、空気抜きの補助坑が設けられた。地下水を排出して坑道の水没を防ぐために、水抜きの坑道を掘ることも始められた。このような水抜き坑道は佐渡の(11)〔イ土肥 ロ相川 ハ黒川 ニ尾去沢 ホ院内〕金山では1630年代頃から作られるようになった。1690年に佐渡奉行に着任した(12)〔イ新井白石 ロ伊奈忠次 ハ荻原重秀 ニ大岡忠相 ホ長谷川正安〕は、約5年をかけて全長約920mの南沢疎水坑道を開削させた。固い岩盤を3つの工区に分けて同時に掘進し、極めて小さい誤差で連結した。高度の掘削技術を示す史跡である。」


(答:9ニ、10ホ、11ロ、12ハ)


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2019-06-27 10:45:45
y
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Unknown (Unknown)
2021-11-13 18:26:18
生野銀山は兵庫県です
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Unknown (別宮孝司)
2021-11-14 10:10:06
ご指摘ありがとうございます。ミスでした、訂正させていただきます。
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