詩情ゴーシュが射精する。
(四条派・呉春(ごしゅん)
[ポイント]
1.写生画では、円山応挙(円山派)・呉春(四条派)が知られる。
[解説]
1.18世紀半ば以降、従来からの日本の画壇に西洋画の影響を受けた動きが見られるようになった。
2.円山応挙(1733~1795)は、丹波国(京都府中部)に農家の次男として生まれる。10代で京都に出て画業に入る。はじめ眼鏡絵(めがねえ)の制作を通じて修行。眼鏡絵とは、風景などを凸レンズをはめた穴を通して立体的に見るという趣向の描法で、西洋画の遠近法の応用だった。やがて写生を重んじ、遠近法や陰影法をとり入れた立体感のある写生画を確立させた。応挙に始まり、写生を重んじる画風の系列を円山派という。代表作に『雪松図屛風(せっしょうずびょうぶ)』。
3.呉春(松村月溪(まつむらげっけい))(1752~1811)は、京都出身。20代で与謝蕪村に入門し、俳諧や南画(文人画)を学ぶ。画号が呉春、俳号は月渓。円山応挙の影響を受けて、独自の画風を確立。呉春の写生画は、温雅な筆致(ひっち)で風景を軽やかに描くことを特徴とする。円山派から分かれた彼に始まる流れを四条派(自宅が京都四条通にあった)と呼び、上方の豪商らに歓迎された。代表作に『群山露頂図』など。
〈2015早大・社会科学:「
問3 下線部3美術の発達に関連して、文化・文政時代前後の美術に関する記述として、不適切なものはどれか。1つ選べ。
イ 明・清の南画の影響を受けた文人画は大きな発展を遂げた。
ロ 円山派は写生を重んじ、立体感のある作品を描いた。
ハ 四条派の風景画は上方の豪商に歓迎された。
ニ 鈴木春信は浮世絵版画を創始した。
ホ 錦絵の風景版画が人気を博した背景には、庶民の旅への関心があった。」
(答:ニ×※創始者は菱川師宣(モロ春の歌……)〉
〈2014立大・文
問3.これ町人文化に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.伊藤若沖は、尾形光琳の装飾性に写実性をくわえた画風をうみだした
b.小田野直武は、日本初の腐食銅版画を創製した
c.平賀源内は、文人画と呼ばれる画風を大成した
d.松村月渓は、錦絵と呼ばれる多色刷の画法を完成させた
(答:a ※b×小田野直武→司馬江漢、c×文人画→西洋画、d×松村月溪→鈴木春信)
〈2013法大・法国際文化キャリアデザイン:「
問6 下線部a~cのなかから正しくないものをそれぞれ一つ選び、その記号を解答欄にマークせよ。なお、下線部a~cがすべて正しい場合には、dを選べ。
近世においては、異国の知識や文化の流入経路が限られるなか、かえって人々の間では異国的なものへの関心が高まった。絵画の分野では、a呉春が西洋画や中国画に触発されて独自に写生の技法を確立し、その後の絵画史に多くの影響を与えた。また、b司馬江漢や亜欧堂田善による、風景を写実的に捉えた西洋風銅版画が人気を博し、c池大雅や谷文晁らの文人画は中国的な風景や人物を描いて知識人たちに好まれた。」
(答:c×※池大雅らは日本各地を旅行し中国とは違う日本の風景を描く)
〈2013同志社大学・文経済:「
芭蕉の没後、俳諧は徐々に卑俗化していくが、18世紀半ばには、蕉風への復古を目指した与謝蕪村らの活躍がみられた。蕪村は自然描写に長けた叙情的・絵画的な句をよみ。俳諧に新風を吹き込んでいる。彼は俳画に加えて高雅な文人画でも知られ、( i )との合作になる『十便十宜図』は著名である。
【設問i】空欄( i )に入る人物名を次のうちから1つ選べ。
1.田能村竹田 2.谷文晃
3.呉春 4.池大雅」
(答:4)〉
〈2012京大・前期:「
問5 18世紀半ば以降、日本の画壇に西洋画の影響を受けた動きが見られるようになった。円山応挙は遠近法や陰影法を取り入れ[ ケ ]を確立させ、[ コ ]は日本で初めて腐食液を用いた銅版画の作品を発表した。」
(答:ケ写生画、コ司馬江漢)〉
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