▲ノルマンディー公ウィリアム
●イギリス(ノルマンディー公国)
Norman Conquest; William of Normandy invades England and defeats the English forces of King Harold at the Battle of Hastings.
ベック式!ゴロ合わせ
入(い)れろ無理やり 塀に乗る。
1066年 イングランド
ウィリアム
へースティングスの戦い ノルマン朝
イングランドではカヌート王のあと、アングロ=サクソン人の王が復位したが、1066年、ノルマンディー公ウィリアムが王位継承を主張してブリテン島に侵入、へースティングスの戦いでイングランド軍を破り、ウィリアム1世として即位、ノルマン朝を創始した。
大陸の封建制を移入し、独特の中央集権的封建制が確立した。
《イギリスの歴代王朝》
ノルマン朝に始まるイギリスの歴代王朝はこの後、プランタジネット朝、ランカスター朝、ヨーク朝、テューダー朝、ステュアート朝、ハノーヴァー朝と続く。
「ノーブラよくて 捨てちゃうハー。」と一挙に覚えよう!
ノルマン朝
プランタジネット朝
ヨーク朝
テューダー朝
ステュアート朝
ハノーヴァー朝
■ポイント ノルマン人の民族移動にともなう、イギリスとロシアの国家形成を理解する。
1.ノルマン人の移動 8~12世紀 第2次民族移動ともいわれる。
Text p.128
Aノルマン人 の移動 インド=ヨーロッパ語系ゲルマン人の一派。
- 原住地はa スカンディナヴィア 半島、b ユトランド 半島の周辺。
8世紀後半からヨーロッパ各地に海上遠征し、交易や海賊行為を行う。c ヴァイキング と言われる。
→ 細長く底の浅い船で川をさかのぼり内陸部にも侵入するようになる。
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Bノルマンディー公国 の成立。
- 10世紀始め、a ロロ に率いられ、北フランスに進出。
911年 フランス王よりノルマンディー公に封じられB ノルマンディー公国 となる。
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C両シチリア王国 の成立。
- 1130年 ノルマンディー公国のノルマン人、a ルッジェーロ に率いられ地中海に進出。
→ イスラーム教徒を破り、南イタリアとシチリア島を支配し、C 両シチリア王国 を建国。
→ 南イタリアには、b ビザンツ文化、イスラーム文化、ノルマン人の文化が共存する こととなる。
解説
1130年にノルマン人のルッジェーロがイスラーム勢力を排除してシチリア島と南イタリア(ナポリ地方)の両地域にまたがる国を建設した。この国を「両シチリア王国」といっているが、当初は単に「シチリア王国」と称していた。1320年にはナポリ王国とシチリア王国と分離し、1442年に再統合された際に正式に「両シチリア王国」と称した。しかし煩雑なので、一般には最初から「両シチリア王国」して説明されることが多い。1860年にイタリア王国に併合されて消滅するが、この地方は古代のローマ文化とその後のイスラーム文化、ノルマン人の文化、神聖ローマ帝国の支配を受けていた時代のドイツ文化などが重層的に混在しており、世界史的に興味深い地域である。
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2.イギリスの国家形成
Aイングランド王国 の成立。a 大ブリテン島 の中・南部を占める地域。
- 829年 ウェセックス王のb エグバート が、c アングロ=サクソン七王国 を統一。
→ d ノルマン人 の一派、e デーン人 の侵入に悩まされる。(ヴァイキング) - 9世紀末 f アルフレッド大王 、ヴァイキングの侵入を撃退。
解説
イギリスという名称には注意を要する。現在の日本でイギリスと言っているのは、「大ブリテンおよび北アイルランド連合王国」のことであるが、ブリテン島は、南東部のイングランドと北部のスコットランド、西部のウェールズに大別される。イングランドはアングロ=サクソン七王国以来、ゲルマン系の国家が形成され、ノルマン朝以降に有力となって、スコットランド、ウェールズを統合していくが、本来はスコットランド・ウェールズはケルト系の別の国家だった。1707年にイングランドを中心に「大ブリテン国」が成立してからが厳密にはイギリス(イングリッシュが転訛した日本語)と言うべきであるが、便宜上、それ以前のイングランドの歴史を述べる際もイギリスが使われている。
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Bデーン朝 の支配。
- 1016年 デーン人のa クヌート王 、イングランドを征服。
→ デンマーク、ノルウェーも支配。北海周辺の海上帝国として繁栄。 - 1042年 イングランドでアングロ=サクソン王朝が復活。
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Cノルマン=コンクェスト 。
- 1066年 a ノルマンディー公ウィリアム が王位継承を主張してイングランドを征服。
=b ヘースティングズの戦い イングランドのハロルド王の軍を破る。
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- c ウィリアム1世 として即位、d ノルマン朝 が成立。
b ヘースティングズの戦い 。左側の騎馬軍がノルマン軍、右側の徒歩部隊がイングランド軍。
3.ロシアの国家形成
Aノヴゴロド国 の建国。
- 9世紀 ノルマン人の一派がa スラブ人 の居住地域への進出が始まる。
- 862年 b リューリク の率いるノルマン人がドニェプル川流域に進出。彼らはc ルーシ と言われる。
→ d ノヴゴロド国 を建国。 = d ロシア国家の起源 とされる。
→ バルト海方面とドニェプル川を通じるルートで、 毛皮 ・蜜蝋・琥珀などの交易に従事。
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Bキエフ公国 への発展。
- 9世紀 リューリクの一族のオレーグがドニェプル川中流のa キエフ を都として建国する。
現在のウクライナ一帯を支配。9世紀末にはノヴゴロド国も併合。 - 10世紀 ノルマン人とスラブ人の同化が進み、封建社会を形成させる。
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- ビザンツ帝国からb ギリシア正教 が伝わり、次第にビザンツ文化の影響が強まる。(後出)
4.その他のノルマン人の活動
A北アメリカ大陸への到達 。
- ノルマン人の一部、a 大西洋 を横断、アイスランドからグリーンランドと北アメリカ大陸に到達した。
=b 最初のヨーロッパ人の北アメリカへの上陸 。→ 定着することなく絶滅したと考えられている。
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B北欧諸国 9~10世紀。
- ノルマン人、原住地に三国を建国。
- a デンマーク : デーン人がユトランド半島に建国。北海沿岸でヴァイキング活動。
11世紀 b クヌート王 がイングランド、スウェーデンなども支配。 - c スウェーデン : スカンディナヴィア半島東部に建国。
- d ノルウェー : スカンディナヴィア半島西部に建国。
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- 北欧諸国がe キリスト教化 すると共に、ノルマン人の移動も終わる。
地図 ノルマン人の移動と建国
A ノルマンディー公国 B 両シチリア王国 C イングランド王国(ノルマン朝)
D ノヴゴロド国 E キエフ公国 F クヌート
A ノルマンディー公国 B 両シチリア王国 C イングランド王国(ノルマン朝)
D ノヴゴロド国 E キエフ公国 F クヌート
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