▲カノッサの屈辱
ハインリヒ4世(中央)、トスカーナ女伯マティルデ(右)、クリュニー修道院長(左)
●教会(中世カトリック教会)
Humiliation of Canossa; The Emperor Henry Ⅳ, excommunicated by Gregory Ⅶ, submits to the pope at Canossa.
ベック式!ゴロ合わせ
異例(いれい)な難儀 かの話(はなし)。
1077年 グレゴリウス7世 カノッサの屈辱 ハインリヒ4世
1077年、聖職叙任権の保有を主張した神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世に対して教皇クリュニー修道院出身の教皇グレゴリウス7世は破門をもって応じ、皇帝は北イタリアのカノッサ城で雪の中、三日間立ち尽くして教皇に謝罪した。
皇帝は許されたが、教皇の権力強まった。
この事件をカノッサの屈辱という。
《聖職叙任権闘争》
その後1122年のヴォルムス協約で皇帝は聖職叙任権を失い、教皇権は13世紀のインノケンティウス3世のとき絶頂に達した。
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