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神道史

2016-10-07 | 『新世界史頻出年代暗記』



伊勢は家雪 唯一よかね スイカ山朝 復古拾った


伊勢神道会家行(わたらいいえゆき)、
唯一神道・倶(よしだかねとも))(崎闇斎(やまざきあんさい)・垂加神道)(復古神道・平田篤(ひらたあつたね))


1.神道は、度会家行伊勢神道吉田兼倶唯一神道山崎闇斎垂加神道平田篤胤復古神道と変遷。

[解説]

1.神仏習合の考えが広がるとともに、鎌倉時代末期になると、鎌倉仏教の影響を受けた独自の神道理論(伊勢外宮(げくう)重視が特徴)が、伊勢外宮の度会家行(生没年不詳)によって形成され、伊勢神道(度会神道)と呼ばれた。度会家行は『類聚神祇本源(るいじゅうじんぎほんげん)』を著し、従来の本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)(大日如来(だいにちにょらい)の化身を日本の天照大神(あまてらすおおみかみ)とする)と反対の立場に立ち、神を主として仏を従とする神本仏迹説(反本地垂迹説(はんほんじすいじゃくせつ))をとなえた。

2.室町時代になると、政治・経済面で力を失った公家のあいだで古典の研究がさかんになった。このため神道思想による『日本書紀』などの研究も進み、吉田兼倶(1435~1511)は反本地垂迹説にもとづき、神道を中心に儒学・仏教を統合しようとする唯一神道を完成した。


3.戦国時代に土佐にはじまった朱子学の一派、南学(海南学派)から出た山崎闇斎(1619~82)は、神道を儒教流に解釈して垂加神道(垂加は闇斎の別号)を説いた。垂加神道は、これまでの伊勢神道・唯一神道や吉川惟足にはじまる吉川神道などを土台にして、神道と朱子学とを融合させたもので、道徳性がきわめて強い。神の道と天皇の徳が一体であることを説くことから、闇斎一門の崎門学(きもんがく)は、尊王論の根拠ともなり、水戸学に影響を与えた。尊王運動の先駆者竹内式部(たけのうちしきぶ)もこの出身。


4.江戸時代中期以降の国学は、古代の民俗信仰の復古を唱え、賀茂真淵本居宣長が体系づけた。宣長の影響を受けた平田篤胤(1776~1843)は、日本古来の純粋な信仰を尊ぶ復古神道をひらき、儒教や仏教を強く排斥した。復古神道は尊王運動に大きな影響を与えた。

〈2016同志社大・全学部

【設間1】下線部1神仏習合に関連した次の各文のうち、誤っているものはどれか。

 1.神社に神宮寺が建てられ、神前で読経が行なわれた。

 2.10世紀には本地垂迹説が展開され、仏は日本の神々が、かりに形を変えて現れたものであると説かれた。
 3.鎌倉時代、伊勢外宮の度会家行は、天照大神を中心に仏教を統合した独自の神道理論を創唱した。」

(答:2 ※神と仏の主従関係が逆である)〉

 〈2016関西学院大学・全学部2月2日〉
6.下線部g伊勢神道に関連して、その大成者とされる度会家行の著作を下記より選びなさい。

 ア『禁秘抄』 イ.『釈日本紀』

 ウ.『元亨釈書』 エ.『類聚神祗本源』」

(答:エ)〉

 〈2016上智大・神外(英)総人(教・心):「
G 南学派の儒学者で神道家。a京都の鍼医の息子。土佐の人で南学の実質上の祖といわれるb谷時中に学び。江戸で保科正之に献策する。神道と儒教を融合したc垂加神道を創始した。d『群書類従』と題された読書記録が残る。

〔語群〕

 1大阪 2江戸  3本居宣長
 4新井白石 5吉川 6度会
 7『文会筆録』 8『集義和書』


問1 A~Lの各文章の下線部a~dのなかには、その人物の説明文に用いる語句としては不適切なものがある。A~Lそれぞれについて。誤っている語句をa~dの中から1つずつ選びなさい。また、それにかわる正しい語句を、それぞれの語群から1つずつ選びなさい。」


(答:Gd7 ※Gは山崎闇斎に関する文章)〉 

 〈2015関西大・済文社会など2月3日実施:「
(B)こうした仏教界の動きに刺激されて、鎌倉時代末期には、度会家行が反本地垂迹説に基づく( 6 )神道を唱えた。さらに、室町時代には( 7 )が神祗信仰と儒教・仏教を統合した神道を創唱して、全国の神職を組織化していった。

 江戸幕府は封建的支配のー環として仏教を利用したため、神道の保護には消極的であった。 17世紀後半、谷時中門下の儒者であった山崎闇斎は伊勢神宮への参拝を契機に神道に傾倒し、朱子学と神道の合一を求めて( 8 )神道を起こした。これに対して、国学者の平田篤胤は、賀茂真淵や本居宣長らによって唱えられた思想を、( 9 )神道として大成させた。


〔語群〕

 ア栄西   イ伊勢   ウ開目抄 エ教行信証 オ東常縁  カ吉川 キ垂加   ク国家   ケ.一条兼良
 コ極楽寺  サ尊王   シ立正安国論
 ス井上正鉄 セ正法眼蔵 ソ円覚寺
 タ摧邪輪  チ中山みき ツ川手文治郎
 テ復古   ト顕如   ナ日親
 ニ両部   ヌ吉田兼倶 ネ山王
 ノ一遍   ハ称名寺  ヒ選択本願念仏集
 フ唯一   ヘ明恵   ホ蓮如」

(答:6イ、7ヌ、8キ)〉

 〈2014明大・全学部前期(2/5):「
 東アジアの17世紀から19世紀において、武家政権をトップにもち、世襲の身分制度に依拠した江戸時代の日本社会では、儒教はその本質から離れ幕藩体制の都合にあわせ、ゆがんだ形で解釈された。たとえば、歴史書『本朝通鑑』を編纂した[ 1 ]は、幕府内では僧侶として位置づけられていたし、会津藩主保科正之の信任を得た[ 2 ]は、吉川惟足から神道を学び、朱子学と融合させた垂加神道を説き、江戸時代を通じて影響力をもった。しかし、中国や朝鮮ではこのようなことはおよそ考えられないのである。(中略)

 19世紀に入ると、不安定になる社会への危機意識から、日本の神代の時代を理想とする復古的な国学が登場し、[ 5 ]が復古神道を盛んにし、水戸藩では国学を政治論までたかめ、国体論を形成し、尊王懐夷運動に影響を与えていったのである。


問1 空欄1に入る人名として正しいものを、次のA~Dのうちから1つ選べ。


 A藤原惺窩 B木下順庵

 C林羅山 D中江藤樹

問2 空欄2に入る人名として正しいものを、次のA~Dのうちから1つ選べ。


 A貝原益軒 B山崎闇斎

 C山鹿素行 D室鳩巣

問8 空欄5に入る人名として正しいものを、次のA~Dのうちから1つ選べ。


 A 大塩平八郎 B平田篤胤

 C 本多利明 D 賀茂真淵」

(答:問1C林羅山、問2B山崎闇斎、問8B平田篤胤)〉

 

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