丹後の旅から戻ってきた次の日 遅い朝ご飯を食べていたら 滅多にならない電話がなる。
亭主がでて 何だか要領の得ない話しをしている。最近 怪しげな電話が多いので 奴は相手も確かめないで けんもほろろに電話を切る事が多い。 私もそうなんだけれど・・・
と 「野麦峠が・・・」と言う言葉が聞こえてくる。 おっと こりゃいけない。
「代わって 代わって」
それは野麦峠の館の館長さんからだった。 前に野麦峠行ったとき 私たちは野麦の村に車を置いて峠までの野麦街道をあるいた。 4時頃 ソロソロ戻らないと・・・と思ってあるいていたときに「資料館見て行って。」と呼び込まれたのが館長さん。
時間がない私たちを 5時まで待ってくれたら野麦まで送るから・・・と言われ館長さんの車をタクシー代わりに甘えてしまった私たち。
後に お礼の文面をしたためて 父との思いでと野麦峠との関わりを書いて 送った。 ジオラマ風に作っていた床飾りの写真を添えて。。。。
え~~っ そんなひどい写真では恥ずかしいからと 調子に乗って 両親が作った人形一式と 父が書きためた原稿を送った。 誤解が無いようにとの思いだったのだけれど 結果として押しつけになってしまったね
「コーナーを設けて飾ります。」との 電話だった。
山奥の小さな資料館。それでも飛騨が好きで好きで 父の言ってみれば魂をはぐくんだ飛騨 そこに父の分身が眠る事になった。
早速母に電話。 少し涙声で「お父さん 喜ぶねぇ」
館長さんの優しさに感謝してベランダに出たら 留守の間にふくらんだ野牡丹が青い花を付けていた。 これも 父との思い出の花。
野麦峠には、いずれ行くつもりです。
見て来ますね。楽しみです。
のぼたんが、もう、咲きましたか。
綺麗な色です。
父は本当にふるさとを大事に思っていて話す事はいつも飛騨の事 仕事柄退職しても帰る事が出来なくなってしまっていましたが まだ土地はいくらか残してあります。「何時か帰る。」って 本気では無くても 売ってしまうと縁が切れるような気がしたんでしょうね?
優しい館長さんのおかげで 納骨を済ましたかのような気分になっています。
どらさんコーナー見てみたいです。
田んぼですがどらさんならきっと楽しんで
出来ると思いますよ。
私は知識も技術もないのでワラ寄したり
30キロの米袋軽トラに積んだり・・
でも休憩の時 田んぼの淵で食べる
おにぎりとお茶はおいしいですよ。
そんな大げさなものでは無くても 植物を育てることが どんなに素敵なことか今頃気付いて どこかに土地は借りられないか?と思ったりしています。 実家には遊んでいる土地があるのですが 車で3時間ではちょっと・・・棚田のオーナーは多分お金を出して普段の面倒を見てもらって 時々作業に参加すると言うものだと思うので 興味湧いたのですが
でも 遠い。 仕事している間は難しいのかなぁ
田んぼで食べる おにぎりの味 分る気がします。
山では コンビニ弁当さえ 極上のお弁当に変身しますもの。