行き詰った時にボクがやる効果的な方法がある。
人生何事もうまくいかないときの方が多い。
むしろ、うまくいっていると思う時、
その反動が必ず押し寄せてくる。
それは、一種の副作用であると考える。
あるいは、好転反応であると解釈する。
好転反応とは、
もともとは東洋医学(按摩や鍼)で使われる用語で、
治療の過程で一時的に起こる激しい身体反応のこと。
つまり、あん摩で揉み返しが来るようなものである。
鍼灸では瞑眩(めんけん、もしくは、めんげん)と呼ばれる。
漢方の常識では、「瞑眩なくして効果なし」とも言われるほどだ。
読んで字のごとし「好ましい方へ転ずる」身体の反応という意味であり、
自然療法には必ず現れる反応といってよい。
特に慢性疾患を持っている場合に起こりやすい反応でもある。
症状が良い方へ転ずる時、一時的に悪化または不定愁訴が出ることを言う。
これを人生に当てはめるのだ。
つまり、好転反応の症状が出るのを境に、体質は急速に好転(改善)していくことになるのだが
人生でもいいことが起きると、必ずと言っていいほど反作用で悪いこと、問題が生じる。
何事も、全く問題が無くてスムーズにいくほうが怖い。
だが、現実は、何事もなく無事航海を終えることを願うものであり、
恙無(つつがな)いことを望むものである。
それだけに、トラブルを想定しないと、そこで挫折してしまうのが常となりやすい。
だが、いくら想定していても、
好転反応だと分かっていても、トラブルは嫌なものである。
ついジタバタしてしまう。
ヒステリックになり、投げ出してしまう危険性がある。
ここは冷静に対処する必要がある。
実は、その冷静さをどう保つかが問題だ。
そのために、ボクは瞑想に入る。
頭と、心と、体をいったん落ち着かせるのだ。
問題解決は、冷静に対処しなければできない。
テンパっていては、ますますこじらせてしまう。
瞑想は、座禅という型を取り、
調身、調息、調心と言われるボディワークを行うのである。
調身とは身を調える(ととのえる)こと、
調息とは呼吸を調えること、
調心とは心(精神)を調えることを意味する。
実は、浄土真宗には『断食・断眠・断水』をして身体的な極限状況の中で、
自分の人生と言動、人間関係を反省して、良い部分と悪い部分を認識していく
『身調べ(みしらべ)』という修行法があるのだが、
ボクはこの形はとらない。
飲まず、喰わず、眠らずなどとは意志の弱いボクには到底できないだろうし、
かえってストレスを増し、健康を損なうのではないかと考えるからだ。
さらに、この『身調べ』を精神医学的な心理療法に応用したものに、
内観法(内観療法)というものがある。
『してもらったこと・して返したこと・迷惑を掛けたこと』の三点を重点的に内省して、
『感謝・報恩の気持ち』を養うことで
生きる意欲を取り戻していく方法である。
これは効く。
徹底的に行うと、泣かずにはいられない。
号泣するほどだ。
これをやるには、
かなりの時間と空間、環境を必要とする。
だから、日常うろたえる(up-set, mad)状態になりそうなとき、
パニックに陥らないように手っ取り早く瞑想をするのだ。
長ければ長いほど良いが、
このせわしない時代、数分でも効果覿面(てきめん)である。
瞑想は決して難しいことではない。
誰にでもできる。
瞑想を癖にすれば怖いもの知らずになれる。
一旦落ち込んでも回復力が早くなる。
勇気と自信を取り戻せる。
順風満帆な人生なんてつまらない。
むしろ、逆風満帆が面白い。
それには強靭な精神力と体力を要する。
それを鍛えるために、瞑想は欠かせない。
【おさらい】
調身……静謐な時間と心境における座禅によって、身体感覚を調える修行。
調息……ヨーガなどに由来する独特のリラックスした呼吸法によって、呼吸を調える修行。
初めは自分の呼吸をゆっくりと行ってその回数を数える『数息(すうそく)』を行い、
段階的に『出息長・入息短(吐く息を長くして、吸い込む息を短くする)』の呼吸リズムに近づけていく。
調心……身体や呼吸に注意力(集中力)を一点集中させることによって、
精神(心理状態)を調える修行法。
リラックスして心身を安らげる精神統一の方法であり、
催眠療法や自律訓練法などでも調心の原理が用いられている。
人生何事もうまくいかないときの方が多い。
むしろ、うまくいっていると思う時、
その反動が必ず押し寄せてくる。
それは、一種の副作用であると考える。
あるいは、好転反応であると解釈する。
好転反応とは、
もともとは東洋医学(按摩や鍼)で使われる用語で、
治療の過程で一時的に起こる激しい身体反応のこと。
つまり、あん摩で揉み返しが来るようなものである。
鍼灸では瞑眩(めんけん、もしくは、めんげん)と呼ばれる。
漢方の常識では、「瞑眩なくして効果なし」とも言われるほどだ。
読んで字のごとし「好ましい方へ転ずる」身体の反応という意味であり、
自然療法には必ず現れる反応といってよい。
特に慢性疾患を持っている場合に起こりやすい反応でもある。
症状が良い方へ転ずる時、一時的に悪化または不定愁訴が出ることを言う。
これを人生に当てはめるのだ。
つまり、好転反応の症状が出るのを境に、体質は急速に好転(改善)していくことになるのだが
人生でもいいことが起きると、必ずと言っていいほど反作用で悪いこと、問題が生じる。
何事も、全く問題が無くてスムーズにいくほうが怖い。
だが、現実は、何事もなく無事航海を終えることを願うものであり、
恙無(つつがな)いことを望むものである。
それだけに、トラブルを想定しないと、そこで挫折してしまうのが常となりやすい。
だが、いくら想定していても、
好転反応だと分かっていても、トラブルは嫌なものである。
ついジタバタしてしまう。
ヒステリックになり、投げ出してしまう危険性がある。
ここは冷静に対処する必要がある。
実は、その冷静さをどう保つかが問題だ。
そのために、ボクは瞑想に入る。
頭と、心と、体をいったん落ち着かせるのだ。
問題解決は、冷静に対処しなければできない。
テンパっていては、ますますこじらせてしまう。
瞑想は、座禅という型を取り、
調身、調息、調心と言われるボディワークを行うのである。
調身とは身を調える(ととのえる)こと、
調息とは呼吸を調えること、
調心とは心(精神)を調えることを意味する。
実は、浄土真宗には『断食・断眠・断水』をして身体的な極限状況の中で、
自分の人生と言動、人間関係を反省して、良い部分と悪い部分を認識していく
『身調べ(みしらべ)』という修行法があるのだが、
ボクはこの形はとらない。
飲まず、喰わず、眠らずなどとは意志の弱いボクには到底できないだろうし、
かえってストレスを増し、健康を損なうのではないかと考えるからだ。
さらに、この『身調べ』を精神医学的な心理療法に応用したものに、
内観法(内観療法)というものがある。
『してもらったこと・して返したこと・迷惑を掛けたこと』の三点を重点的に内省して、
『感謝・報恩の気持ち』を養うことで
生きる意欲を取り戻していく方法である。
これは効く。
徹底的に行うと、泣かずにはいられない。
号泣するほどだ。
これをやるには、
かなりの時間と空間、環境を必要とする。
だから、日常うろたえる(up-set, mad)状態になりそうなとき、
パニックに陥らないように手っ取り早く瞑想をするのだ。
長ければ長いほど良いが、
このせわしない時代、数分でも効果覿面(てきめん)である。
瞑想は決して難しいことではない。
誰にでもできる。
瞑想を癖にすれば怖いもの知らずになれる。
一旦落ち込んでも回復力が早くなる。
勇気と自信を取り戻せる。
順風満帆な人生なんてつまらない。
むしろ、逆風満帆が面白い。
それには強靭な精神力と体力を要する。
それを鍛えるために、瞑想は欠かせない。
【おさらい】
調身……静謐な時間と心境における座禅によって、身体感覚を調える修行。
調息……ヨーガなどに由来する独特のリラックスした呼吸法によって、呼吸を調える修行。
初めは自分の呼吸をゆっくりと行ってその回数を数える『数息(すうそく)』を行い、
段階的に『出息長・入息短(吐く息を長くして、吸い込む息を短くする)』の呼吸リズムに近づけていく。
調心……身体や呼吸に注意力(集中力)を一点集中させることによって、
精神(心理状態)を調える修行法。
リラックスして心身を安らげる精神統一の方法であり、
催眠療法や自律訓練法などでも調心の原理が用いられている。