世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

縁の意味するところ

2013年10月17日 | 人生
知り合った人、

つながった人とは必ず意味がある。


その意味とは、

その人が自分の役に立つか、害になるかということではなく、

あるいは、どんな利益を持たすか、不利益をもたらすかではなく、


自分がその人にしてあげる何かがあることに気づくことなのだ。



人と出会った時、まず思うこと。


「この人の良いところはどこだろう」

「この人のために自分は何ができるだろう」


この二つだ。


つまり、

相手の「良いとこ探し」、

自分の「出来ること探し」
 だ。


大事なことは、

見返りを求めないこと。


純粋に、その人のことを想うこと。



全ての人の役に立つことはできないかもしれない。


でも、目の前の人のためになることは何かしらできるはずだ。


それがどんなに些細なことでも、

その人にとっては最高の贈り物になるかもしれないのだ。




よく、物をあげる人がいる。

プレゼントだ。


それはそれでいいことなのだが、

本当は物ではなく心が欲しいのだ。


優しい心。

温かい心。

思いやり、

おもてなし、


それが想い出となって残るから。




心から心配してくれた人。

話を一生懸命聞いてくれた人。

ただそばに寄り添っていてくれた人。



そんな人が相手にとっては一番嬉しいのだ。



最近、再認識したことが二つある。


一つは、上記に述べたように、

縁あって知り合った相手の利益になること、有利になることを考え与えようとすれば


人間関係はよりよく形成される、ということ。




もう一つは、

何かをやろうと思ったとき、

思い切って宣言することで思いもよらなかった人々がそこに集まり出す、ということだ。


これは、「看板効果」といわれる。



そして、集まってきた人達のことを、また考えてあげる。

来てくれた人たちのことを、自分より最優先して考えること。




実例を出そう。


Sくんが新たな事業を始めた。

すると彼のもとに、その事業に詳しい方たちが来てくれるようになったのだ。


そして、助言をし、手助けをしてくれる。


昨夜、彼は初めてのセミナーを行った。



彼にとっては何もかにもが初めての経験だ。



もちろん、全てがうまくいくわけではない。


人間関係にしても、良かれと思ってやったことで、

逆恨みを買うものもあれば、妬みや誤解を生むこともある。


だからといって、その圧力やストレスに押しつぶされていては

自分がやろうとしていることを見失ってしまう。




大事なことは、

やろうと思ったことを始めること、

始めたら途中で辞めない、諦めないことだ。



そのためには、自分で決めたことをとことん貫くという強い覚悟が必要だ。


自分に自信を持つこと、

つまり自分を信じること、


周りが何を言おうとも、揺るがないこと。

そのため、不断で普段の努力が欠かせない。


そして、謙虚になること。


謙虚とは、人の意見や助言を聞く耳を持つ、いいことは取り入れる。


これは、周りに振り回されるのとは意味が違う。

軸足をぶらさず、頭は柔らかく保つことを意味する。


頑固で柔軟。

一見矛盾することが生きる上では必要となる。

要はバランスの問題だ。



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バランスといえば、

自分のことと相手のことをどういう比率で考えるかということも同様だ。


自分が可愛いことは誰しも共通する。

だが、愛する人には自分を投げ打ってでも守ろうとすることも本能。



そうでない相手、つまり、誰にでも自分を投げうつことができるか。

特に困っている人に対して。


貧困はその最たるものだろう。

そうでなくても、相手の利益を最優先に考えることは難しい。



ボクは、

独り身になった今、

そして、物質欲がほとんどなくなった今、


人の利益を最優先に考えることができるようになった。


ボクは、最小限のおこぼれでいい。


みんなと楽しく、少しだけ食べて、飲んで

雨露をしのげる寝床があって、

旅して暮らせればそれだけで本望である。



人のために、ボクの体験で培った知恵や知識が役立って、

相手が幸せになってくれればそれでいいのだ。


報酬をいただけるなら、ほんのちょっとでいい。

殆どは、相手の人が手にすればいい。



そう思って縁あって係わる全ての人に接することができるようになった。

そうすることで、自ずとボクは幸せになった。




手に入れようとするな。

与えることに一生懸命になるだけでいい。


そうすれば自ずと必要なものは手に入ってしまう。


そうして、それをまた人に与えればいい。

空いた手には、また何かがギフトとして与えられる。



最高の人生とはこの繰り返しである。



「奪うことなかれ、与えよ。

さらば救われん。」