子供の頃の夢を覚えていますか?
それを実現しましたか?
あるいは、その夢に向かって進んでますか?
忘れちゃった。
諦めてしまった。
夢なんかなかった。
大人になるということは、
夢を一枚一枚脱ぎ捨てていくことだ、と言われる。
現実はそうかもしれない。
大人になって
夢がない、希望もない、
自分が何をやりたいのかさえ分からない。
そういう人が増えている。
夢はないよりあったほうがいいと思う。
何も大きな夢でなくてもいい、
ごく小さな夢でもいい。
ただし、楽して稼ぎたいとか、
大金持ちになりたいとか
一生遊んで暮らしたいだとかは、夢ではなく欲望だ。
もちろん、どんな夢にも欲望は存在する。
自分かってで、我侭さは否めないところがある。
そういえば、ボクだって
「自由に生きたい」という夢がある。
これも欲望にほかならない。
家族を放り出し、家で同然の暮らし。
スーパーノマドを目指すなんて言っても、
結局は自分勝手にフラフラしていたいだけなのかもしれない。
旅の空の下にいるとボクはとても幸せを感じる。
柵(しがらみ)がない。
ある意味無責任でいられる。
ベトナム料理を堪能する筆者
贅沢をしなければ、わずかなお金で暮らしていける気がする。
だけどそれは幻想に過ぎない。
いっときの旅ならまだ許されるかもしれない。
これが、未来永劫、死ぬまで続くとなると、
どこかで仕事をして収入を得なければならなくなる。
ボクは今それを模索している。
旅しながら暮らせる方法を。
それがボクの究極の夢だから。
僕の店でくつろぐMr.B
店のマネージャーと打ち合わせをするMr.B
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子供のころ抱いた夢をほとんど実現してきた。
すべてを意識していたかというとそうではない。
実現してみて初めて気づくことがある。
あー、そういえばこれはボクが子供の頃やりたいと思っていたことだ、と。
たとえば、馬で大草原をかける生活。
建築家になる夢。
商社マン。
世界一周。
スイッチライフ。
ノマドライフ。
すべてを実現し、
今、スーパーノマドへの道の途上にある。
ここまで来るには、逆にまた多くのものを犠牲にしてきた。
家族に迷惑もかけている。
散財もしてきた。
もっと上手な生き方があったのかもしれない。
だけど、自分の生き方に全く後悔はしていない。
なるべくしてなった。
歩むべくして歩んできた。
残り少ない人生だが、
これからも自分のやりたいことをやり続けるだろう。
経済的破綻や身体の限界がくるまで、
トコトン自分の限界に挑戦する。
あわよくば、病に倒れることなく死ぬことが望ましい。
つまり、即死だ。
これこそがボクの最後の夢となるだろう。
我侭な男の、我侭な人生はどこまでもワガママで終わりたい。
そう、夢を実現するということは
どこまで我が儘でいられるかにかかっていると言えるだろう。
だから、「夢追い人(dream chaser)」には世間の冷たい視線が注がれるのだ。
問題は、それに耐えうる我慢ができるか。
我が儘(selfish)と我慢(patience)、どちらも「我」がつく。
我が儘とは我慢できない人のことではなく、
我慢こそ我が儘の源なのだ。
唇を噛み締めながら涙をこらえ、
蒼穹の昴を目指して、我はゆく、どこまでも。
それを実現しましたか?
あるいは、その夢に向かって進んでますか?
忘れちゃった。
諦めてしまった。
夢なんかなかった。
大人になるということは、
夢を一枚一枚脱ぎ捨てていくことだ、と言われる。
現実はそうかもしれない。
大人になって
夢がない、希望もない、
自分が何をやりたいのかさえ分からない。
そういう人が増えている。
夢はないよりあったほうがいいと思う。
何も大きな夢でなくてもいい、
ごく小さな夢でもいい。
ただし、楽して稼ぎたいとか、
大金持ちになりたいとか
一生遊んで暮らしたいだとかは、夢ではなく欲望だ。
もちろん、どんな夢にも欲望は存在する。
自分かってで、我侭さは否めないところがある。
そういえば、ボクだって
「自由に生きたい」という夢がある。
これも欲望にほかならない。
家族を放り出し、家で同然の暮らし。
スーパーノマドを目指すなんて言っても、
結局は自分勝手にフラフラしていたいだけなのかもしれない。
旅の空の下にいるとボクはとても幸せを感じる。
柵(しがらみ)がない。
ある意味無責任でいられる。
ベトナム料理を堪能する筆者
贅沢をしなければ、わずかなお金で暮らしていける気がする。
だけどそれは幻想に過ぎない。
いっときの旅ならまだ許されるかもしれない。
これが、未来永劫、死ぬまで続くとなると、
どこかで仕事をして収入を得なければならなくなる。
ボクは今それを模索している。
旅しながら暮らせる方法を。
それがボクの究極の夢だから。
僕の店でくつろぐMr.B
店のマネージャーと打ち合わせをするMr.B
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子供のころ抱いた夢をほとんど実現してきた。
すべてを意識していたかというとそうではない。
実現してみて初めて気づくことがある。
あー、そういえばこれはボクが子供の頃やりたいと思っていたことだ、と。
たとえば、馬で大草原をかける生活。
建築家になる夢。
商社マン。
世界一周。
スイッチライフ。
ノマドライフ。
すべてを実現し、
今、スーパーノマドへの道の途上にある。
ここまで来るには、逆にまた多くのものを犠牲にしてきた。
家族に迷惑もかけている。
散財もしてきた。
もっと上手な生き方があったのかもしれない。
だけど、自分の生き方に全く後悔はしていない。
なるべくしてなった。
歩むべくして歩んできた。
残り少ない人生だが、
これからも自分のやりたいことをやり続けるだろう。
経済的破綻や身体の限界がくるまで、
トコトン自分の限界に挑戦する。
あわよくば、病に倒れることなく死ぬことが望ましい。
つまり、即死だ。
これこそがボクの最後の夢となるだろう。
我侭な男の、我侭な人生はどこまでもワガママで終わりたい。
そう、夢を実現するということは
どこまで我が儘でいられるかにかかっていると言えるだろう。
だから、「夢追い人(dream chaser)」には世間の冷たい視線が注がれるのだ。
問題は、それに耐えうる我慢ができるか。
我が儘(selfish)と我慢(patience)、どちらも「我」がつく。
我が儘とは我慢できない人のことではなく、
我慢こそ我が儘の源なのだ。
唇を噛み締めながら涙をこらえ、
蒼穹の昴を目指して、我はゆく、どこまでも。