宗教と政治の話はタブー視される。
それは何故か。
すぐ喧嘩になるからだ。
つまり必ず反対論者がいて、何が正義(正解)かがわからなくなる。
世界を旅していれば、好むと好まざるにかかわらず宗教を意識せざるを得ない。
世界の三大仏教は、言わずと知れたキリスト教、イスラム教そして仏教だ。
キリスト教も大きく分けて、カトリックとプロテスタント、
イスラム教は、シーア派とスンニ派、
仏教も、大乗仏教、小乗仏教と二分される。
ざっくり言えば、ユダヤ教はキリスト教とイスラム教の源教であり、
ヒンズー教も仏教の源といえるだろう。
いま世界で起きている紛争(戦争)の大半は、
宗教間戦争と民族紛争である。
宗教間でも、キリスト教徒イスラム教間の諍いが主流だ。
イスラム教の中でもイラクのようにシーア派とスンニ派の対立が続く。
すべての宗教に共通なことは、平和のはずだ。
平和のための戦い、正義のための戦争などと都合のいい御託を並べ立てられても、
殺人に違いはない。
仏教国間の争いは表面上皆無に等しい。
強いて言えば、中国国内のチベット仏教との対立くらいだろうか。
さらに中国では仏教とイスラム教(新疆ウイグル)の対立が激化している。
内モンゴルも含め、遅かれ早かれ中国は分裂するだろう。
東南アジアに目を移そう。
ASEAN10か国の中にも大きく分けて3つの宗教が存在する。
仏教とイスラム教そしてキリスト教だ。
つまり世界の三大宗教を内包している。
イスラム教の国はインドネシアとマレーシア、
フィリピンはキリスト教、
残りは仏教国である。
シンガポールは、ヒンズー教を含め混在している。
今のところASEANの中では国家間の大きな紛争は起きていない。
タイなどの政党間の政治紛争はあるものの。
政治的経済的な面でみれば、
ベトナム、ラオスのような社会主義国、
カンボジアなどの王国、
資本主義国と別れるが、
おおむね民主主義と自由経済主義を取り入れている。
ミャンマーも軍事独裁から表面的とはいえ孤立を恐れ遅ればせながら民主主義に踏み切った。
それが東南アジアの爆発的発展を招いていることは言うまでもない。
ただ不幸にもベトナムにはまだ選挙というシステムは導入されていない。
それぞれの国にそれぞれの独特の文化があることは異論をはさむ余地はないが、
ベトナムに関しては少し異質なところがある。
それは、中国と同じく共産党一党独裁の社会主義国であるということと、
同じ仏教国でも、ベトナムだけが大乗仏教なのである。
ほかの仏教国、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーは小乗仏教に位置する。
その違いは、寺院やお坊さんの姿など街の雰囲気を見れば一目瞭然だ。
ベトナムかんしては、同じ大乗仏教国日本とさほど違和感はない。
ただし、生活に根付いた宗教観は雲泥の差がある。
それは日本がそもそも神教というものを併せ持っていることにも起因していると思われる。
日本は仏神教という独特の宗教観を持っている。
八百万の神といわれるゆえんかもしれない。
世界を旅して困るのは、食べ物と飲み物、特にアルコールに関して制限がある国だ。
やれ、豚肉がダメだ、牛肉がダメだといわれるとハタと困ってしまう。
カンボジアで見たハラール料理の店
これがメニュー
これは好き嫌いを超えた義務であり法律とさえいえる強制力を持つ。
さらに、ボクにとって飲み食いが許されない期間があるのはもっての他だ。
それは、一か月間その環境(ラマダーン)の中で暮らしてみた経験上からいえることなのだ。
ホーチミンに現れたハラールコーヒー
とうとうここまで来たか、という思い
関係ないとはいえ、冷ややかな周囲の目を気にしてビールを飲むには少なからず勇気がいる。
決して宗教を冒涜する気はまったくないが、
個人的にははご免こうむりたい。
ボクは極めて世俗的な人間であり、聖職に就こうなどという高貴(?)な気はさらさらない。
その点、仏教の国に行くとホッとする。
何でもあり的感が好きだ。
犬も猫もには閉口するが、馬を食する身からすれば文句は言えまい。
芋虫やアリの類は口にしたが、ゴキブリ、ネズミ、コウモリは今のところ避けている。
まあ、そのうち食べることになることは覚悟しているが。
先日ベトナムで食べたアリの卵。美味だ。
さてここ数日、ベトナムとカンボジアについて書いてきたが、
今日は紙面がなくなった。
続きはまた明日、かな?
それは何故か。
すぐ喧嘩になるからだ。
つまり必ず反対論者がいて、何が正義(正解)かがわからなくなる。
世界を旅していれば、好むと好まざるにかかわらず宗教を意識せざるを得ない。
世界の三大仏教は、言わずと知れたキリスト教、イスラム教そして仏教だ。
キリスト教も大きく分けて、カトリックとプロテスタント、
イスラム教は、シーア派とスンニ派、
仏教も、大乗仏教、小乗仏教と二分される。
ざっくり言えば、ユダヤ教はキリスト教とイスラム教の源教であり、
ヒンズー教も仏教の源といえるだろう。
いま世界で起きている紛争(戦争)の大半は、
宗教間戦争と民族紛争である。
宗教間でも、キリスト教徒イスラム教間の諍いが主流だ。
イスラム教の中でもイラクのようにシーア派とスンニ派の対立が続く。
すべての宗教に共通なことは、平和のはずだ。
平和のための戦い、正義のための戦争などと都合のいい御託を並べ立てられても、
殺人に違いはない。
仏教国間の争いは表面上皆無に等しい。
強いて言えば、中国国内のチベット仏教との対立くらいだろうか。
さらに中国では仏教とイスラム教(新疆ウイグル)の対立が激化している。
内モンゴルも含め、遅かれ早かれ中国は分裂するだろう。
東南アジアに目を移そう。
ASEAN10か国の中にも大きく分けて3つの宗教が存在する。
仏教とイスラム教そしてキリスト教だ。
つまり世界の三大宗教を内包している。
イスラム教の国はインドネシアとマレーシア、
フィリピンはキリスト教、
残りは仏教国である。
シンガポールは、ヒンズー教を含め混在している。
今のところASEANの中では国家間の大きな紛争は起きていない。
タイなどの政党間の政治紛争はあるものの。
政治的経済的な面でみれば、
ベトナム、ラオスのような社会主義国、
カンボジアなどの王国、
資本主義国と別れるが、
おおむね民主主義と自由経済主義を取り入れている。
ミャンマーも軍事独裁から表面的とはいえ孤立を恐れ遅ればせながら民主主義に踏み切った。
それが東南アジアの爆発的発展を招いていることは言うまでもない。
ただ不幸にもベトナムにはまだ選挙というシステムは導入されていない。
それぞれの国にそれぞれの独特の文化があることは異論をはさむ余地はないが、
ベトナムに関しては少し異質なところがある。
それは、中国と同じく共産党一党独裁の社会主義国であるということと、
同じ仏教国でも、ベトナムだけが大乗仏教なのである。
ほかの仏教国、タイ、カンボジア、ラオス、ミャンマーは小乗仏教に位置する。
その違いは、寺院やお坊さんの姿など街の雰囲気を見れば一目瞭然だ。
ベトナムかんしては、同じ大乗仏教国日本とさほど違和感はない。
ただし、生活に根付いた宗教観は雲泥の差がある。
それは日本がそもそも神教というものを併せ持っていることにも起因していると思われる。
日本は仏神教という独特の宗教観を持っている。
八百万の神といわれるゆえんかもしれない。
世界を旅して困るのは、食べ物と飲み物、特にアルコールに関して制限がある国だ。
やれ、豚肉がダメだ、牛肉がダメだといわれるとハタと困ってしまう。
カンボジアで見たハラール料理の店
これがメニュー
これは好き嫌いを超えた義務であり法律とさえいえる強制力を持つ。
さらに、ボクにとって飲み食いが許されない期間があるのはもっての他だ。
それは、一か月間その環境(ラマダーン)の中で暮らしてみた経験上からいえることなのだ。
ホーチミンに現れたハラールコーヒー
とうとうここまで来たか、という思い
関係ないとはいえ、冷ややかな周囲の目を気にしてビールを飲むには少なからず勇気がいる。
決して宗教を冒涜する気はまったくないが、
個人的にははご免こうむりたい。
ボクは極めて世俗的な人間であり、聖職に就こうなどという高貴(?)な気はさらさらない。
その点、仏教の国に行くとホッとする。
何でもあり的感が好きだ。
犬も猫もには閉口するが、馬を食する身からすれば文句は言えまい。
芋虫やアリの類は口にしたが、ゴキブリ、ネズミ、コウモリは今のところ避けている。
まあ、そのうち食べることになることは覚悟しているが。
先日ベトナムで食べたアリの卵。美味だ。
さてここ数日、ベトナムとカンボジアについて書いてきたが、
今日は紙面がなくなった。
続きはまた明日、かな?