梅雨が明けたの?
「瞑想の森」の爽やかな晴天の朝。
熊本の大地震に限らず、
被災した人々の我慢強さと協調性が、往々にして日本人の美質として賞賛される。
その半面で生活の不自由からくるストレスが、
心身症状をもたらし、時には命に関わる事態となっている。
一見、街中の人込みの中にいると、
復興したのではないかとまで見間違うような活況を感じる。
表面上だけを見ると、震災前の日常が帰ってきたような錯覚にさえ陥る。
一方、ここ西原村、益城町、南阿蘇村のように瓦礫のまま取り残され
震災直後のままの姿を保っているところもまだまだ多い。
一時4000人ほどいたボランティアの数も、
今や1000人を切る。
こうしたところでも復興のギャップが起きている。
建設、建築業界を始め人手不足が続き、
一部復興景気に湧く。
いまだ避難所生活を余儀なくされている人がいることすら忘れ去らているようだ。
あの忌まわしい大地震から3か月が過ぎた。
たしかに、いつまでも嘆いていても仕方がない。
力を合わせてなんとか頑張ってる人も多い。
復興助成金を当てにするのもいいだろう。
とにかく、生き残った人は何としてでも生き続けなければならないのだから。
しかし、
どんなに頑張っている人も、多かれ少なかれ心の痛手は負っている。
強い人はその痛手を自分で解消できるだろう。
問題は、ウツやPTSDを患う人々だ。
夜眠れなかったり、突然不安に襲われる。
調子の良い時と、急激の落ち込んで寝込むことがある。
そうした人々の心のケアが注目され始めている。
そして、いくつかそうしたセミナーが開かれている。
ボクも微力ながらそうした方々の力になればと
ここ阿蘇・西原村で「瞑想カフェ&ゲストハウス」を開く準備をしている。
瞑想の森
パワースポットである森の中で自然のエネルギーを感じ、
湧水で入れたコーヒーやお茶を飲みながら思いを洗いざらいぶちまけてほしい。
そうして心の澱(おり)を少しでも取り除くことができればと願っている。
宿泊や、長期滞在もできる。
ここは恵まれし地、守られし地。
そして誰でもが集える地である。
「瞑想の森」の爽やかな晴天の朝。
熊本の大地震に限らず、
被災した人々の我慢強さと協調性が、往々にして日本人の美質として賞賛される。
その半面で生活の不自由からくるストレスが、
心身症状をもたらし、時には命に関わる事態となっている。
一見、街中の人込みの中にいると、
復興したのではないかとまで見間違うような活況を感じる。
表面上だけを見ると、震災前の日常が帰ってきたような錯覚にさえ陥る。
一方、ここ西原村、益城町、南阿蘇村のように瓦礫のまま取り残され
震災直後のままの姿を保っているところもまだまだ多い。
一時4000人ほどいたボランティアの数も、
今や1000人を切る。
こうしたところでも復興のギャップが起きている。
建設、建築業界を始め人手不足が続き、
一部復興景気に湧く。
いまだ避難所生活を余儀なくされている人がいることすら忘れ去らているようだ。
あの忌まわしい大地震から3か月が過ぎた。
たしかに、いつまでも嘆いていても仕方がない。
力を合わせてなんとか頑張ってる人も多い。
復興助成金を当てにするのもいいだろう。
とにかく、生き残った人は何としてでも生き続けなければならないのだから。
しかし、
どんなに頑張っている人も、多かれ少なかれ心の痛手は負っている。
強い人はその痛手を自分で解消できるだろう。
問題は、ウツやPTSDを患う人々だ。
夜眠れなかったり、突然不安に襲われる。
調子の良い時と、急激の落ち込んで寝込むことがある。
そうした人々の心のケアが注目され始めている。
そして、いくつかそうしたセミナーが開かれている。
ボクも微力ながらそうした方々の力になればと
ここ阿蘇・西原村で「瞑想カフェ&ゲストハウス」を開く準備をしている。
瞑想の森
パワースポットである森の中で自然のエネルギーを感じ、
湧水で入れたコーヒーやお茶を飲みながら思いを洗いざらいぶちまけてほしい。
そうして心の澱(おり)を少しでも取り除くことができればと願っている。
宿泊や、長期滞在もできる。
ここは恵まれし地、守られし地。
そして誰でもが集える地である。