世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

火のありがたさと危険性

2017年01月05日 | 100の力
サバイバル力

災害は自分のみに起きてこそはじめてその深刻さと意味するところを肌身で理解することができる。


1995年の阪神大震災、

2011年の東北大震災と大津波、放射能被害

の時は正直言って他人事だった。


そして、昨年2016年、4月

大地震が我が身に起きた。

電気、水、ガスというライフラインが途絶え、

道路や橋などのインフラが寸断される。

交通機関もストップする。

食料や物資も底を突く。


ボクは、それらの震災に先駆け、

1991年、台風19号で大きな被害を受け、

家族ともども死にかけた。

当時、大分県の久住高原に住んでいた。

人里離れ(町まで9Kある)、家族4人だけで

大草原の中でゲストランチ(観光牧場)を営み暮らしていた。


360度が見渡せる高台にあったので、普段から風当たりは強く、

その時の被害は甚大だった。

電柱がなぎ倒され、一週間電気が止まり、

ポンプでくみ上げていた水もでなくなった。

冷蔵庫内の食料も悪臭を放ち、底をついた。


いや、それ以前に、

記録的寒波に見舞われ、大雪(2Mの積雪)で一か月家に閉じ込められた時があった。

九州でもこういうことがあることが信じられなかった。

(馬で9K先の町まで食料を買いに下ったが)


暖は薪でとり、

料理も薪でせざるを得なかった。

氷ついた水もでなくなり、

雪を沸かして凌いだ。


人里から遠く離れた一軒家だから、

安否確認もなければ

救助も来ない。

もちろん、物資の配給もない。

携帯電話もネットもない時代だった。

家族で耐え忍び、生き残るしか術はなかった。


その時しみじみ分かったのが薪のありがたさだった。

火を焚けば明りだって取れる。

炎の温かさは身体だけでなく心も癒してくれる。


子供のころ、

熊本市の街の中心部で生まれ育ったが、

まだ五右衛門風呂で

学校から帰ったボクの役目は

薪で風呂を沸かすことだった。


爺ちゃっんや、親父、オジサンたちが先に入り、

その間、子供は火守りをしなければならなかった。


そのころから、

火のくべ方を教わり、

煙と炎を見て育った。


言ってみれば、

ボクの焚き火人生は生まれながらにして始まっていたのだ。

そして、その習性が幾度となくボクや家族の身を助けてくれた。


そうした経験の積み重ねから

20年ほど前に「焚火研究会」を立ち上げた。


火のありがたさ、そして危険度に関しては熟知している。


      細心の注意を払っている


翻って、現代人、特に今の子供たちはマッチの擦り方すら知らないという。

いざとなったら火がものをいう。

命を救う。


そこで子供たちにぜひ焚火を体験してもらいたい。

そして、サバイバル力を培ってもらいたい。


今や焚火のできるところはほとんどない。

キャンプ場もほとんど焚き火は禁止。

できても直火はご法度だ。


焚火の温もりを知り、

電気と違う灯りのありがたさ、

そして、調理の仕方、

燻製の作り方、

五右衛門風呂の体験などここではできる。


まずは焚き火体験から。


     現在ティピーの中の行か張りを行っている


ご家族はもちろん、

学校関係者の方もお越しあれ。

もちろん、

焚き火ガールも、焚火ボーイも。

1月4日(水)のつぶやき

2017年01月05日 | ライフスタイル