世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

日本人病

2017年01月13日 | 100の力
昨今、すべてに落ち目の日本(人)。

日の丸も Rising sun から Setting sunに見えてくる。

インターネットが普及しグローバル時代に移行しだしてから、

どうも日本(人)はいろんな面で下火になってきているように感じてならない。


それには、

経済の不調、政治の質の低下、国際社会での相対的地位の低下、可処分所得など家計の悪化、公的債務の増大、社会の少子高齢化等と構造的諸問題に加え、

ますます不穏感を増す世界情勢や、

度重なる災害などによる国民の不安・危機感・焦燥感・失望感の高まりが背景にあることは理解できる。


さらに、

勤勉、正確、清潔、安心・安全の日本人としての良さ、美徳といわれることが

裏目に出ているのではないだろうか。


確かに今でも日本には世界が羨む美徳がある。

「街中・トイレ・駅等の公共スペースが綺麗」

「きちんと列を作る」

 「日本人は入浴回数も多く、服装も小奇麗で清潔感がある」

 「夜中の外出でも安全」

 「紛失した物を届ける親切」

 「人も車も多い割には静かで整然としている」

 「ゴミはゴミ箱に捨てる、赤信号は渡らない、歩きながら食わず・飲まず・吸わずなど公共ルールを守る」

 「風邪ひいたらマスク、電車内ではマナーモードなど周りの人たちを気遣う」

 「料理・庭園・生花・商品パッケージ等が繊細で美的センスが高い」

 「人との約束でも交通機関でも時間を守る」

 「サービスが行き届き正確」

 「工業製品や芸術品の品質と精度が高い」

 「食事バランスがよく健康・長寿」

などなど、枚挙に暇がない。



一方で

国民が感じる幸せ度が低いことも

自虐的ともいえる、自国に対するネガティブな発言があまりにも多いことからきている。

特にマスコミ。

ワイドショーなどのコメンテーターの「変なネガティブ発言」。

「縮小、崩壊、斜陽、後退、衰退、低下、老化、不信、内向き、閉塞、孤立、ガラパゴス化、草食化…」云々。

連日のように飛び交う。

しかも、そのほとんどが批判の域にも達しない、陰湿かつ幼稚な誹謗中傷、言葉狩り、愚痴、感情論だ。


その割に、きちんとした“批判”が少ない。

時代錯誤の権力構造、組織体制、規制規範がいつまでたっても崩れず、

社会に大胆なイノベーションとダイナミズムがもたらされない最大の理由は、

この国民(有権者)の(真っ当な)批判精神の欠如にある。


日本人の勤勉さ、完璧主義、完全主義が優れた技術を生んできたことは否定しない。

だが、世界を見渡せば、

サービスにせよ便利さにせよ、そこまでのものは要求していない。


リモコンにあれだけのボタンが必要なのか。

電車やバスでの騒音ににも似たアナウンスはいるのか。

過剰包装。

コンビニの24時間営業。


日本人は便利さを追及するあまり、

便利病に憑りつかれ、動かなくなってしまった。

挙句、体の不調、心の不安定さという生活習慣病が蔓延しているのだ。


海外から見ると、尊敬、羨望を通り越し、

むしろ滑稽でさえある。


行き過ぎた技術はむしろ弊害となることに気づかなければならない。

間違った医療の発達は、薬漬けにしていたずらに病人を増産させる。


早いことはいいことなのか、

効率的なことはいいことなのか、

機械的、人工的なことはいいことなのか、

もう一度原点に立ち返って考えてみる必要があるのではないか。


この弊害が、日本の過酷な労働事情にも暗い影を落としていることは否めない。

(佐川急便に象徴される)


古くから伝わる日本の美徳。

和を以て貴しとなす(聖徳太子)や、

学校に昔は必ず像があった二宮尊徳、

そして今も恥の文化としてもてはやされる武士道、

人に迷惑をかけてはいけないという言い伝え、

出る杭は打たれるという教訓、

見ざる聞かざる言わざるに象徴される事なかれ主義、

自分がリスクを負って先頭に立つことを極力避ける傾向がある冒険精神の欠如、などなど、

解釈も曲解されていることもあり、

今一度、世界に通用するものかどうか再考する必要がある。


幸福感が薄い日本人、

自信を無くす日本人、

夢のない日本人、

「自分たちは悪くなる一方だ」という暗示にかかり、

“何をやっても駄目シンドローム”に取りつかれる日本人。


また、こうした大人の自信のなさを見せつけられながら育つ子どもたち。

果たして日本に明るい未来はあるのか。


どうすれば、明るい日本の未来が見れるのか。



【編集後記】


かつて「イギリス病」と言われるものがあった。

イギリス病とは、

産業革命をいち早く起こしたイギリスという国家が、

市民階級が次第に自分たちの権利意識に目覚め、

やがては世界第一位の債権国となり、

「ゆりかごから墓場まで」と言われるような世界に並ぶ者のないような福祉大国を建設するに至ったのであったが、

ある時から、それが足かせとなり、いつしか国民がその権利にあぐらをかくようにようになり、

汗を出して働かなくなって、

イギリスという国家そのものが国際競争力を失って、

信用を失墜してしまった状態を指す言葉である。


そのイギリス病を克服したのがサッチャーである。

ビッグバン改革と言われるような徹底した自由化の経済政策を通して、

外資の導入と福祉政策の見直しを計り、

一方では低所得者層にも家を持たせるような夢と希望を与えるような税制度を導入した。

こうして不治の病とも言われたイギリス人の心の病を克服したのである。

 
もちろんサッチャー改革によって、イギリスは多くのものを失ったことも事実だ。

要するに病を克服するためには多くの痛みが伴ったのである。 

ただ、所詮イギリス病、あるいは日本病と言っても、

人間の心が作り出している幻影の経済的な反映に過ぎない。


だから日本病克服の処方箋は、

日本人の古い(悪い)考え方を捨て、

世界に通用する意識を持ち、

しかもそれが夢を生むような現実的で柔軟なものであれば日本は必ず良くなる。

(一部コラム抜粋意)


沈んだ太陽は、あくる日必ず昇ってくる。



ただし、同じところからは昇らない。

決まって逆方向からだ。


つまり、逆(転)の発想が必要となる。

沈んだところばかりを眺めていても、

二度と上がってこない。