人は、一人では生きていけない。
だけど、
独りで暮らすのは、
実にいいことだ。
特に年を取ればなおさらである。
(現実には、高齢者の孤独が問題になっているが)
とにかく、誰に気兼ねすることもなく、
何をするにも氣を使わなくて済む。
同居の親や子どもや配偶者から
とやかくうるさく言われることもない。
だからといって
あまりにだらしなくなるのもいけない。
最低限の
自制、自律心は必要だ。
ただ、
独り暮らしだからと言って、
誰も来ない、会わないわけではない。
ましてや
カフェやゲストハウスをやっているので
適当にお客さんは来てくれる。
それに、
ホームパーティは開くし
友や知人も訪ねてくる。
しかも、
パートナーがいて、
週に一、二度お互いの家を行き来し、
お茶したり、食事したり、お酒を楽しんだり、
大人の付き合いとして
短距離恋愛を楽しんでいる。
そんなこんなで孤独感や寂しさなどを感じることは
全くない。
むしろ、
物書きにとっては
思慮(深慮遠謀)するために、
一人時間は貴重であり、
必要不可欠でなのある。
それに、
とっくに子どもたちも巣立ち独立し、
年金や権利収入(不労所得)があるので
働かなくても経済的にも困らない。
その上、自遊な時間もたっぷりある。
あとは、健康あっての物種だ。
(今のところ問題はない)
さらに、
借金が無ければいいのかもしれないが、
一度無借金でセミリタイアした時(50歳の時)
余りの退屈さに、
このままでは早晩ボケると思った。
(今頃認知症になっているだろう)
だから、
わざわざ借金をして、
自分で設計して、
理想の家を建てた。
(それも2/3以上返済している)
借金返済は
適度なストレス(緊張感)をもたらすのでむしろ精神的に良い。
それに、なんといっても、
ネットで世界中と繋がっているので、
Zoom にLive にChatにと
時間をを持て余すことが全くない。
むしろ、昨今はあり過ぎて煩わしいくらいだ。
さらに、毎晩のように
ビールやワインを飲みながら、
好きな映画三昧(Netflix)を楽しんでいる。
好きなジャンル、
好きな音量、
好きな場所で。
誰に文句も言われない。
「体力、「氣力」、そして「意欲」があれば
いつまでも、どこまでも
生き生き伸び伸びと暮らしていける。
あとは、
たとえ100歳まで(それ以上)生きようと
死ぬまでモチベーションを切らさず、
このライフスタイルを続ければいいだけのことだ。
この年になって、
人生とは
かくも幸せでいることができることを知った。
バラ色の人生を。
常に人生右肩上がり。
死ぬ瞬間が人生のピーク、
となるような気持ちと気概で
環境に恵まれた自然の中で
独り暮らしを満喫している。
【追記】
60歳までは、
家族、子どものために
汗水たらしがむしゃらに働いてきた。
だからこそ自遊で遊我な今がある。
60歳までに
老後、人生の後半(本番)の
礎を築いておくことが肝心である。
それでこそ
「夢を60歳から現実化させる」のである。
(絶賛発売中)
忘れてならないのは、
親やご先祖様から頂いたDNAがあることだ。
財産や事業を引き継いだわけはないが、
頑健な身体、
明晰な頭脳は
先祖代々引き継がれ
脈々と身体の中に流れ、息づいている。
これこそ貴重な(無形)財産なのだ。
そのことに日々、感謝を忘れてはいけない。
そしてそれを
子孫あるいは周囲に伝えなければならない。
(だからこうして生き様を、
10年も毎日欠かさず発信し続けている)
それが
この世に生を受けたものの
義務であり責任なのだから。