世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

60

2009年08月16日 | 人生
60の意味は大きい。

少なくともボクの中では。

それは、大人と認められた20(はたち)になった時より重いかもしれない。



還暦という意味をシミジミと噛みしめる今日この頃。

つまり、人生二順目に入ったわけだ。


もう一度人生が始まる。

それは終わりの始まりでなく、

一層輝く人生を送ることもできる。

ギラギラした眩しい光でなく、

燻し銀の輝きとでもいうものかもしれない。


それも自ら課した課題 (ミッション) によるだろう。




そして、同時に先も見えてくる。


不幸にして60に届かず、あるいは60を迎えてわずかで去っていく人々も多い。

それを思えば、ここまで来ただけでもありがたい。



とはいえボクも、せいぜい、あと20年くらいがいいところだろう。




そう思うと、にわかに忙しくなる。

やりたいことがありすぎて。


どうせ全部やりきれないことは分かっている。

やれるところまで、だ。


人生全うするなんて、所詮出来やしない。

「志半ば」 で本望。



焦ってはいないけど、無駄にはできない、って心境。


ボチボチ、コツコツ、チョメチョメ。(山城新伍さんの冥福を祈りつつ)

敗戦

2009年08月15日 | 人生
なぜ、

終戦記念日と言うのだろう。

なぜ、敗戦記念日と言わないのだろうか。

この日が来るたびに疑問に感じていた。




64年前、

原爆を落とされ、

日本は、負けたのだ、降伏したのだ。



その事実を素直に認めればいい。


非を認め、敗北を受け入れる。

別に自虐史観に溺れ卑屈になる必要はないが、

謙虚さは必要だ。



そして、日本は奇跡的な復活を遂げた。


それを大いに誇りに思えばいい。


そして、今…また。




人生にも、この流れは必ずある。


非道に走り、敗北感を味わう。


恥だ、悔しい、認めたくない。


往々にして自分を正当化したがる。

だから、苦しむ。




同じ過ちを犯さないよう、日本人は必死に努めている。

それを、誇りに思う。

今も世界のあちこちで殺し合いが続いている。

理由が何であれ、馬鹿げたことだ。




人も、時に過ちを犯す。

それを認め、

恥辱や悔しさをバネに再起を誓う。



悔い改め、善行に努める。

やり直すのに遅いということはない。




敗戦の日、

君は何を思う?

市長対談

2009年08月14日 | 町づくり
1週間後、熊本市長と差しで対談することになった。

二人だけでジックリ話をするのは、約2年前に次いで2回目となる。


前回は、熊本城築城400年祭の実行委員としての立場だった。

その年、沖縄の首里城を抜いて200万人という城郭では日本一の入場者数を記録した。

当時、目標を100万人とした事務方に、「200万には可能」 と言ったボクが、他のメンバー全員から失笑を買ったことは記憶に新しい。



だが、



一気にブームが去り、入城者数は減少傾向に。



2012年、念願の政令指定都市になることが事実上決まり、市長はさぞかしご機嫌だろう。

が、

その前の2011年に迫った九州新幹線全線開通を控え、危機感を募らせていることも事実だ。


よほど効果的な手を打たなければ、ストロー効果で客足は福岡と鹿児島に向かうだろう。


そうなれば、道州制をにらんだ福岡との州都候補争いにも大いに影響することは必至だ。

商業都市・福岡に対し、熊本は行政、文化、教育、観光を前面に打ち出す必要がある。

さらに、環境都市も然り。

「水と森の都」 の面目にかけても。

今や3K (観光、教育、環境) は21世紀の至上命題でもある。




そこで、自称・観光のカリスマ (だれも認めない・カリスマイ?) 、否、観光の異端児であるボクの出番が来たわけだ。


そんなわけはナイ! だろう。


マア冗談はさておき、

町づくりに関する日ごろの持論を市長にぶつけてみよう。

今回は具体的数値を引っ提げて。



同じように市の教育委員会に提言した、小学校における 「英語室設置」 活動は、事実上動き出した。


今回のボクの提言で市長がどこまで理解を示し動いてくれるか、否か。


いや、ボクが動けるように関係各省に働きかけてくれるかどうかだ。


やると言ったら、ヤル!!


「湧わく都市 熊本」
水が湧き、夢がわくがキャッチ。

ボクも、いつもワクワク。


さて、これからが見ものだ。

そして、楽しみだ。




山場

2009年08月13日 | 仕事
今週が山場だ。


だが、例年と違いイマイチ盛り上がりに欠ける。


重なる天変地異。

天候不順に幹線道路も寸断とくれば、懐の軽さに反比例しておのずと腰は重たくなるだろう。


とはいえ、

その中を遠路はるばるお越しいただくお客様には一層の感謝の気持ちが湧き上がる。

「感謝、感謝」 の雨霰(あめあられ)を降らせたい。

ホントにありがとうございます。



寛いで、癒されて、触れ合って、

「元気」 をイッパイお土産でお持ち帰りください。

合掌。

お隣さん と 枝豆

2009年08月12日 | 社会
10年以上ズット空き家だった隣の家に、引っ越してきた家族がある。


タオルを持って50代と見られるご夫婦が挨拶に来た。


おばあちゃんと、30代の娘の4人家族だという。

ご主人の仕事は、大工さん。


だが仕事が少ないらしく、ほとんど家に居ることが多い。




そのうち、広い庭の一角で家庭菜園を始めた。



そして、3カ月がたったある日、根こそぎ抜いた葉っぱを抱えてやってきた。


「ビールのおつまみに」 と、

日焼けした笑顔で差し出された。


はじめて収穫した枝豆だという。

両手で一抱えはある。

なんとも大胆だ。


ボクがいつもテラスでビールを飲んでいるのを見てのことだろう。



今度一緒に飲みましょう、ということになった。

これが田舎のいいところだ。


そのうち、本職の大工仕事も頼みたいことがイッパイある。

イイ隣人だ。

地震・雷・事故・台風

2009年08月11日 | 社会
重なるときは、重なる。


幸せは少しずつ、ゆっくりやってくる。


不幸は、いきなりいっぺんにやってくる。



明日は我が身。


何が起きても、落ち着いて対処できるよう普段からの心構えをしておかねばならない。



まずは、謙虚な気持ちで、一日一日をシッカリ生きていく必要がある。


「明・楽・丁」

今日を、明るく、楽しく、丁寧に過ごす。

明日はないのかもしれないから。

大学ノート

2009年08月10日 | 勉学
1ッヶ月から一月半ぐらいの割合で一冊を使い切る。

「ヒラメキノート」 のことだ。



何でもいいから書く。

下手な絵を描くことだってある。


覚えておくために書くのではない。

なぜなら、読み返すことはほとんどないからだ。


そのときそのとき、思いついたことを書き記すだけ。

だから、同じことを書くことも多い。


前にも書いたよなー、なんて思うが気にしない。


何度でも同じことを書いているうちに、体に刷り込まれていく。


「ノート術」 なんて本も出てるが、そんなのに縛られる必要もない。

自分のやり方で、書きたいように書けばいい。

そのうち、自分なりのスタイルが出来上がる。


ノートはともかく、 ペンはひと時も離せない。


朝トマ

2009年08月09日 | 健康
朝バナはもう古い、という。


健康やダイエットに古いも新しいもないはずなのに、おかしな民族だ。

要するに、飽きたということだろう。



ところで個人的には、最近 「朝トマ」 に凝っている。




寝苦しい夜から目覚めた後、

充分冷やしたトマトを冷蔵庫から出し、

そのままかぶりつく。


甘いジューシーさと幸せ感が口の中でパーッと広がって、瞬時に目が覚める。



もともと、トマト大好き人間だ。

国際線での朝食には必ずトマトジュースを頼む。


酔い冷ましと、時差ぼけには効き目がある。



だが、我が家では、地元で採れたての新鮮な丸ごとトマトがサイコー!


塩はスイカやトマトの旨みを引き立てるが、厳禁。

塩分控えめ、これ今やジョーシキ。


も一つ、

丸ごと野菜で大好きなのが、




セロリ。


だがこれは、

根っからマヨラーの血が騒ぐ。

マヨネーズをセロリの繊維に沿わせ、ガブリ。

サクッ、バリッとした音がまた、イイ。



純肉食系男子としては、

これで野菜不足も解消?

女ってヤツァ

2009年08月08日 | 社会
悲劇の妻そして同情を誘った母から、

一転、容疑者へ。


同じテレビに映る顔も、

アイドルのそれより、犯罪者のものに一瞬にして変身。



同じ人間というより、全く同じ顔でも、

どういうイメージを持ってその人を見るかでこんなに違うものかと、

自分でも愕然とした。


のりピーとは、一度ホテルで遭遇したことがあった。

打ち合わせ中と見えて、眼鏡をかけていた。


その時、ボクと交わした目配せ(目であいさつを交わしただけ)で、

その眼鏡の中の目は、優しく、涼しい目というより、

鋭く、冷たさを覚え、

憂いを含んだ表情にはどことなく違和感を感じたのを今でもはっきり覚えている。




一方、


「少~し愛して、長~く愛して」

と言いながら、

短くもイッパイ愛された大原麗子。



だが、2度の離婚。

たしかに、


「男が家に二人」 居ちゃー、やっていけない。



「主役 (主人) より目立つなヨ」

といわれても、

つい目立ってしまうお立場。




お二方のように、

イメージと現実の狭間で、

心身が壊れる痛ましさは、ご免蒙りたい。



さて、ボクのイメージと、現実のギャップは?

「エロ・ワルオヤジ」

で一致か?

ェッ、どうでもイイ?



でも、

誰かさんのように、表のイイ人と、裏のワルを使い分けるより、


ギャップの無い素直な生き方は、

ストレスの無い、健康的生き方に通じる、ものですゾ。





とかくイイ人は、疲れやすい。

イイ人がイイことをしても、当たり前。


ワルいと思われている人が、

たまにイイことをすると、

意外と快感!



「アナタも、ワルね~ェ」

と、いわれながら・・・。


女は、怖い!

と分かっていながらも、

愛すべきは、ヤハリ女なのだ。


イヤ、ホント。



男ってヤツァ・・・

2009年08月07日 | 人生
ほとんどの男が羨む美人で超魅力的女性が奥さんでも・・・、

どうして男は浮気をするのだろう。



押尾といい、陣内といい。


有名人だから周りの女が放っとかナイ、かな?

ついつい、据え膳喰わねば・・・という訳か?

ボクも、男だから気持は十二分に分かる。




なんか、デモなさそう。



ホントに魅力ある連れ合いなら、他からの誘惑は跳ね除けられる。

ボクみたいに、ネ。



良妻賢母だけでは、

男は,飽きるのだ。


 

『ラッピー』 を探せ!

2009年08月06日 | 社会
幸運犬 『ラッピー』 にそっくりな犬の写真を募集します。


出来るだけ、姿かたちを似せて撮影の上、下記までお送りください。

メールの方; dreamincountry@gmail.com

タイトルに、”Luppy" と書いてください。

郵送の方; 〒861-2405
       熊本県阿蘇郡西原村出の口1547-1
       ドゥリーミン カントリー
       「ラッピーを探せ」係り宛


そっくり賞には、ドゥリーミン カントリーへの無料宿泊券を差し上げます。



なお、写真をお送りいただいた方全員、ご購入の方には20%offにて販売いたします。


また、お送りいただいた写真はブログ等、ウェブサイトなどで使用させていただくことがございますのでご了承ください。


では、奮ってご応募ください。

お待ちしてマ~ス。

幸せの賞味期限

2009年08月05日 | 人生
幸せには、賞味期限がある。


幸せの形は様々だけれど、どれもいつまでも続くものではない。


いつまでも使わずに自分一人握りしめていると、

やがて消えてなくなるか、腐敗してしまう。

そして、不幸に変異して、苦しむことになる。




だけど、ずっと幸せで居続ける方法が一つだけある。

幸せのお裾分け。

っていうか、


人の幸せを願い、喜ぶこと。

それも、心底から。


誰かを幸せにすると、自然とおこぼれが舞い込んでくる。

それでまた、誰かに喜んでもらえれば、自分もにこやかになる。


この行為を続けられるものだけが、真に幸せになれる、と思う。


その誰かがいるだけでも、幸せなのかもしれない。

巣篭もり

2009年08月04日 | 社会
巣篭もり族が増殖中だ。



不況の影響は否めないが、

なにより 「楽」 に流れる、慣れることからきている。


家の中で、ほとんどの生活が完結してしまう。

買い物もレジャーも。


食べることと遊ぶことの二代欲求が動かずに満たされる。


副作用の肥満を解消するであろう、

サプリメントや健康器具も動かずにすます。


宅配ピザに、ゲーム、レンタルDVDが大流行だ。



夏だというのに・・・。


日焼けもダメ、クーラー漬けで汗もかかない。


寿命ばかりが延び続け、

思考力と行動力は低下し続ける。

生き永らえることは、もはや 「呪命」 と言わざるを得ない感がある。



晴耕雨読は今や死語になった。

成功有独ならまだしも、

性行有毒になりかねない。




「行動にはリスクとコストが伴う。

しかし、それらは不活動に伴うリスクやコストに比べれば、

はるかに少ない」

かつて、そう言ったのは、JFケネディだ。

何者?

2009年08月03日 | 人生
東京国立美術館でゴーギャン展が開催中だ。


東京に行くまでもなく、

ボクは彼の絵を世界のいくつかの美術館で見ている。



「タヒチの女たち」 は、

パリのオルセー美術館で、


「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」 は、

ボストンで、

そして、ニューヨークのメトロポリタンや MOMA(近代美術館)、

さらに、シカゴにも何点かあったように記憶する。




だが、ボクは、彼の絵そのものより、

ゴーギャンの生き方に非常に興味を持った。



文明を捨て、野性を求めて南の島に渡った。

そして、そこに自分の居場所を見つけたのだろうか。



だが彼は、そこでも問いかけ続ける。



自分は何者なのか?

自分は、これからどこへ向かおうとしているのか?



深く、永遠のテーマである。



特に今、日本人のほとんどが、そう問われているのではないだろうか。

聴く力

2009年08月02日 | 人生
聴力というと、機能的な意味だが、

聴く力といえば、人間的意味合いが増す。



とかく人は自分のことをしゃべりたがる。

ボクも、例に漏れない。




カウンセリングやコーチングの基本は、

まず、聴くこと、だ。




だが、これがまた難しい。

何も言わず黙って聞いてればいいかというと、そうでもない。


コツがある、という。



1. 肯定的に受け入れる。

   「そうだったんだね」


2. 相手の言葉を反復する。

   「・・・したんだ」


3. 言い換える。

   「それって・・・っていうこと?」


4. 疑問を投げかける。

   「どうしてそうなったのかナ~?」


5. 褒める。

   「よかったねー、すごいジャン」



基本的手順だ。




ただ、相手から出来るだけ本音を引き出さなければならない。

そのためには、心から相手を理解しようという気持ちを伝える必要がある。


真剣に、だが優しい表情で相手の目を、または口元を見る。

相槌と合の手をタイミング良く入れる。

「愛槌」、「愛の手」 だと意識しながら。


「それで?」

「ソーなんだ」

「ヘー」


促し言葉も。


デモ、相手の言葉を遮って、

すぐ自分のことをしゃべりたくなる気持ちをグット抑えることって、

結構キツイ。


上から目線や、

説教オヤジキャラは返上して、


修行、修行。