世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

タンゴセラピー

2015年05月16日 | 健康
ダンスを習い始めたきっかけは2つある。

まず合気道が最初のきっかけだった。

合気道の先生が、ダンスを習っていて、

ダンスの動きと合気道の体さばきは似てるという話を聞かされた。

それが伏線となった。


そのあとで、ダンスを習っている同級生から誘いを受けてすぐ近くのスタジオを見学に行った。

そして最初に踊ったのが、タンゴだった。





”タンゴセラピー”というものあることも知った。




いわゆる音楽療法などが認知症の緩和法として用いられることは知っていた。


が、なぜアルゼンチンタンゴが(?_?)いいのか。

それは、認知症の患者にとって最も大切な

「体と脳を動かすこと」と「気分を良くすること」の両方を兼ねているからだといわれる。

また認知症の緩和だけではなく、

アンチエイジング効果も備えているとされている。



秋吉久美子主演の「わたしの人生(みち)ー 我が命のタンゴ」という映画がある。



(実は彼女のファン)

認知症の父と娘。

病気の進行への不安と介護という現実に衝突し、離ればなれになっていく家族。

同じ状況の家族が集う認知症「家族の会」で出会った個性溢れる患者たちと共に、

アルゼンチンタンゴを習い始めた父。

はじめは見様見真似で始めたタンゴだったが、

ステップを踏むうちに父の表情に変化が訪れてくる。

そんな父の姿を見て、介護によって諦めかけていた夢に再び向かい始める。

離れ行く心を再び繋いだもの、

それは“タンゴのステップ”だった-。

といった内容の映画だ。


「タンゴの利点は、患者によって踊りのスタイルを変えられること」

「夫婦のカウンセリングではコミュニケーションを重視し、

アルツハイマー型認知症の治療では基本の8つのステップに重きを置く。

パーキンソン病の患者には、

洗練されたしっかりとした動きを練習することが役に立つ」といわれる。



タンゴゼン(禅)という言葉もあるほどのその効果はどこからくるのか。

大きく分けて2つの効能があるとされる。


まずは身体的な効能から

「タンゴを踊ると後ろ姿が美しくなる」といわれる。

それは踊るときのポステュラ(姿勢)の恩恵。

タンゴでは

「おへそから頭のてっぺんまで一本の糸をイメージしその糸が天井から吊り上げられたように」

姿勢を伸ばす。

そうすることで自分のからだの中心軸をぶらさずにステップを踏むことができる。

踊る姿の美しさを保つための秘訣は「おしりの穴を閉める」こと。

おしりの穴を閉めると骨盤が締まりヒップの形がきれいになる、

そしてくびれができる。

またタンゴでの女性の動きは基本的に後ろ向き。

脚を後ろにスーっと伸ばすことで普段意識しない筋肉がしなやかに鍛えられる。

自然とかっこいいプロポーションになるのはこういった有酸素運動の賜物なのだ。



つづいて精神的な効能

タンゴを踊ると身体だけでなく心や脳が喜んでいるのがわかる。

爽快感や開放感に包まれ「自分とのつながり」がそこにある。


セラピー効果を生むのは、まずは「アブラソ(抱擁)」。

包まれる感触や体を触れ合うことで精神に及ぼす好影響がある。


このときタンゴ独特の抱擁によりオキシトシンが分泌される、

通称『ラブホルモン』である。

このオキシトシンは脳内で生成される化学物質で、

女性の出産・授乳時にも分泌されるホルモン。

親子の絆を生み出し信頼関係を築くホルモンともいわれ、

その作用によって恋愛の相思相愛状態のように『心の平静』や『安心』を得ることができるとされている。

このオキシトシンは、

ストレスを受けることで放出され多くの臓器に影響を与えるCRH(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)を抑え、

過度のストレス状態を良好な状態に戻す役割を果たす。


このことから、タンゴ・ダンスは心臓疾患にも効果があるとされ、

心臓血管を健全な状態に導きコレステロールを減少させるとされている。


また、タンゴ・ダンスの深いアブラッソ(抱擁)は、

『守られている』という感覚と『抑制』の感覚を呼び起こし、

『自分の存在が相手に認識されている』という自覚も生み出す。

また、

うつ病に陥る重大なファクターとされる

『自尊心と社会性を喪失した状態』『無気力』からの『回復・リセット』につながるとも言われている。



このアブラソ(抱擁)を通して音楽・時間の流れ・パートナーに自分をゆだねる。

この自分をゆだねる行為は日常生活では意外と少ないものだが、

自己解放感や自分の内側とのつながりが触発される。

アブラソが作り出す限られた接点からお互いの意図を汲み取るわけだが、

この言葉を使わないコミュニケーションがいざなってくれる世界が

一種の開放感と満足感につながるのだ。


そこから家族、友達、自分自身を思いやる気持ちが芽生える。


タンゴでは決まったステップはない。

音楽に合わせて男性が即興で女性にステップをマルカ(指示)し、

女性がそのマルカに応えながら二人の世界を作りあげていく。


そして極めつけは、タンゴのリズム。

タンゴは「内に向かう音楽」と表現されるように

その拍子のために意識が「内へ」入っていきやすい。

リズムに気持ちをゆだねると心にひっかかっている懸念が一度自分の心の奥までいき、

消化され、不要物が外に放出されるような感覚がもたらされる。

タンゴ音楽の拍子は自分の内側とのつながりをもたらす環境を作りだすのだ。

ロールプレイはカウンセリングにも活用されているように共感的理解を得やすくし、

合意形成や他者受容などの能力を高めるといわれている。

タンゴを踊ることで

家族を、友達を、自分自身を思いやる大切さを思い出していく。


なんか、いいことづくめだ。



【追記】

スペインでは、特にボクがいたアンダルシアのセビリアやグラナダでは、

街のいたるところにあるバル(酒場)から、

昼夜を問わずフラメンコの手拍子や歌が聞こえていた。


        当時、フラメンコにはまっていた娘(セビリアにて)


同じく、アルゼンチンのブエノスアイレスでは

どこからともなくアルゼンチンタンゴのメロディーが聞こえてくる。


軽快なメロディーの中に男と女の哀愁が漂う。


歌と踊りと酒。

アー、やっぱりボクにはラテン気質がよく合う。

共生時代

2015年05月15日 | ライフスタイル
共存の時代だ。

そしてともに幸せを勝ち取る。

共存共栄の時代とも言える。

coexistence and co‐prosperity


人口減の日本において、

移民を受け入れることは焦眉の急(an urgent need)である。

そして、労働力不足には実習生を増やさなければなrない。


純潔を守り通してきた日本にとってはそれは乗り越えなければならない試練である。

成熟社会における大人の対応が求められる。



日本人は、

「難局に臨んでは動じず、寧ろそれを好機とし、試練に対し至純の誠を持って乗り越えること」

を矜持として抱いてきた。

日本は今、難局にある。


それを乗り越えるには、

異言語、異文化、異宗教との共存を図らなければならない。

つまり外国人との共存である。


さらにもう一つの共生が求められる。

それは、

障がい者との共存である。


精神障がい者が急増している。

もちろん、予備軍も含めてだが。

現在行われている、就労支援などという生ぬるいものではない。


一億総障がい者といえるほど、

日本人の精神は犯されている。

特に、

注意欠陥や多動性、衝動性を特徴とする発達障害、ADHD(注意欠如・多動性障害)に関しては

近年、増加傾向にある。


ボク自身も以前のブログで、

ADHDではないかとcoming outしたが、

旅好きは総じてADHD的傾向があると思う。


突飛で落ち着きがないが、瞬発的機動力で、

好奇心の赴くままに行動する「新奇探索傾向」があるADHDだが、

農耕が開始された新石器時代以前の狩猟採集社会では、

むしろ有利な特性であった可能性が指摘されている。


ある学者は、

もはや10人に1人以上がADHDと診断されている現状を指摘し、

「それほど多くの人がもつ症状なら、もはや障害や疾患とは呼べないのではないのでは?」

と疑問を呈している。


むしろ、

「退屈や決められたやり方を嫌い、

新しいことや興味を引かれる方向に向かおうとするADHDの人は、

あくまでも管理された定住型の現代社会にうまく適応できないだけで、

狩猟や遊牧を行う原始的な社会では成功者だったのでは?」という仮説まで立てている。


これは、

集中力は続かないが新しい刺激に対して行動的なADHDの人は、

狩りには向いているが、

時間をかけて作物を育てることには向いていないということであり、

現代社会に置き換えれば、

自分に適した職業や場所さえ見つけられれば、

ADHDの特性を強みに変えることも可能だということになる。


なんと素晴らしい発想ではないか。


そう考えると、

例えばデスクワークではマイナスの要素であった

短気や瞬間的な集中力、落ち着きのなさといったADHDの特性も、

出張で常に移動している状態に置けばプラスに転じることができる。


ある意味、

環境を変えることでADHDを自ら軽減し、あるいは治療することもできる。

「適材適所」こそ、ADHDの特効薬なのかもしれない。

そう考えれば正直言って、

ADHDってそれほど悪くないのではないかとも思えてしまう。



もう一つの共生は、

言うまでもなく高齢者とのそれである。

彼らが培った経験と知恵は、

衰えた体力をもってしても貴重な価値があるはずだ。



外国人、障がい者、高齢者との共生を図ることが

これからの日本にとって重要な要素となる。


特に変わった人、個性の強い人、

意見の違う人を認め合う世の中でなければならなくなるだろう。


【補足】

以前も、障がい者に対する冒涜だと言った内容のお叱りをいただいたが、

決してそのような意図はありません。

地方創生

2015年05月14日 | 町づくり
福岡の拠点づくりを進めている。

商店街のまっただ中だ。

店の形態は、カフェとインターナショナルサロン。

カフェは、ベトナムに特化したスタイル。

インターナショナルサロンは、

フリートークの活動をさらに拡張したものとする。


国際交流、文化交流、異業種交流などなど。

言語、料理などを通じて交流を図る。

それはイベント形式であったり、セミナーであったり、パーティであったりする。


小規模ながらゲストハウスも併設する。

その実績を作り、他の店舗で展開する腹積もりだ。


シャッター店舗を活用することはもちろん、商店街全体の活性化に向けても尽力する。



基本的にはインターナショナルな商店街を目指す。

これまでに無い学生や外国人を取り込む。



政府が推し進める「構造改革特区」も視野に入れている。

外国人留学生が多い地元大学の卒業生が日本で就職・起業しやすくするための在留要件の緩和、

空き家での体験宿泊や旅館、レストラン営業の促進

と言ったボクの十八番を実践していく。


ただ地方創生には落とし穴がある。

それは「関係者の合意形成」であり、

「集団的意思決定」といった村社会の悪習によるものだ。


ボクは、街の商店街で生まれ育ち、

田舎暮らしもここ30年間、3か所で実践してきた。

閉鎖的、保守的と言った点で双方は共通性がある。


だが、「何とかしたい」

東国原が宮崎県知事時代「どげんかせんといかん」に通じる危機感と意欲があるはずだ。

それに期待し、訴えていくほかはない。


そして何より、実績を作ることだ。

つまり、

やって成果がでれば、賛同者はどんどん増えていく。

合意形成は最初にするものではなく、やった結果をもってなされると考える。


いちいち合意形成などというものは気にせず、

「衰退をさせている問題の解決に必要なトライ・アンド・エラーをどんどんやってみよう」

という状況に地域をもっていくことが重要だ。


ボクの手法がどこまで通用するか。

商店街活性化のモデルケースになるよう、

これまで培った経験を余すところなくぶつける。

いよいよ面白くなってきた。


疎開先を確保せよ

2015年05月13日 | ライフスタイル
        ネパールからのヘリでの脱出


地震、火山の噴火、大型台風、洪水。

世界各地で凄まじいほどのいろんな災害が勃発している。


いつ何が起きるかわからない。

自然災害、人的災害にかかわらず。


絶対安全な場所などは存在しない。

だが、比較的大丈夫だろうという場所は選定できる。


世の中がきな臭くなってきていることは、誰しも感じていることだろう。

戦争立法と呼ばれる法案を与党が閣議決定したことで、

その危険性は一層増している、というが大方の味方だろう。

今回の安倍訪米で、日本国民は完全にアメリカに身売りされた。


政府は、平和安全法制と白々しく言ってのけ、

積極的平和主義を貫くという。

平和を連呼することこそ、

戦争への道を隠ぺいする詭弁に過ぎないことくらい

良識のある人なら誰でも分かる。


これは平和のための侵略、戦争への布石に他ならない。

ボスが正義を振りかざして戦争を繰り返している後を追う。



先日のロシアの対独戦勝70周年記念式典の軍事パレードで鮮明になった

中露・イランの3国同盟と日米欧の対立。


どっちつかずの韓国はもはやタイタニック状態だ。


AIIBを武器に、新シルクロード構想を掲げて

ASEANをはじめ中東、アフリカ、中南米へと触手を伸ばす中国。

一部のヨーロッパ諸国も米中を天秤にかける。

弱体化したといえど、恐竜の鼻息はまだあらい。



そうした世界の人的、自然情勢を見極めながら

まずは避難場所の確保。


疎開場所と水、燃料を確保する必要がある。

太陽光で災害時にも発電できるようにしている。


そして、国外にも疎開先を見つけて置くことも重要だ。

日本人が難民とならないとも限らない。


願わくは、

華僑のように和僑として世界のどこかでしぶとく生きていく術を身につけるべきだろう。

とりあえず英語、そしてIT、並びに体力。

忘れてならないのは、「愛」と「勇気」。



【追記】

昨日ネパールで二度目の大きな地震があった。

それをリアルタイムで、facebookフレンドが報告してきた。


「また地震がきたわ。

もうこの国はダメなのかしら」

彼女は絶望に打ちひしがれている。

「今病気なの」

そこで連絡は途絶えた。




神々が住むあの美しい山々と村は一体どうなっているのか。



     すっかり溶け込んでいたあの頃

一緒に瞑想をしたあの修行僧(?)はどうしているだろうか。

当時の情景が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

キューバに行かなくっちゃ

2015年05月12日 | 
今まで3度断念した。


最初はいきなり亡命だった。

二度目は、キーウエストから

三度目は、メキシコから入ろうと試みたが失敗。

四度目の正直といきたい。


アメリカとの関係改善を受けて

今、CNNでは繰り返しキューバの特集をやっている。



見るたびにボクの心を煽る。

キューバに行かなくっちゃ、と。


大学でスペイン語を専攻し、

大学闘争、反戦運動に傾倒したことがきっかけに

チェ・ゲバラに憧れた。



それから、キューバはボクの憧れの地になった。



ダンスを習いだしたのも偶然のなせる技なのか。

キューバに行くまでにはサルサマンボやキューバンルンバを習得したい。



何といっても発祥の地なのだから。


ベトナムもキューバも社会主義国だ。

一党独裁。

だがどこかの一党独裁国(日本も同質?)と違って、両国ともいたって陽気だ。

陽気なラテン気質がボクにはあっている。


歌って、踊って、飲んで暮らす。

これこそ人生の究極の姿なのではないだろうか。

世界が平和で、みんなが幸せでなければできないのだから。

ビジネスチャンス

2015年05月11日 | 仕事
これから先の変化をつかんで、その中にビジネスチャンスを見つける。

例えばこの現象をどう見るか。


「ハイパーマーケットの利用頻度、消費者の34%が前年比で増加」

ベトナムの消費者の34%が1年前と比べてハイパーマーケット(大型総合スーパー)を利用する頻度が増えたという。

1年前の消費動向と比べて「スーパーマーケットを利用する頻度が増えた」と回答したベトナム人の割合は29%だった。

「コンビニで食料品を購入する頻度が増えた」と答えたベトナム人の割合は

対象国・地域全体の14%を上回る22%で、

タイ(21%)とインドネシア(15%)をも上回り、フィリピンの27%に続いた。

また、「オンラインショッピングをしたことがある」と回答したベトナム人の割合は、

対象国・地域全体の25%を上回る28%だった。

ベトナムの消費者がオンラインショッピングでよく購入している商品は、

シャワージェルやシャンプー・リンスなどのバス用品・トイレタリー用品だという。



ベトナム人の多くはバイクでショッピングに行く。



そうすると、たくさん買った時に持って帰れない。


そこにはちゃんとデリバリーシステムがあった。

持って帰れなくても、家まで無料で届けてくれるのだ。

これなら、持ち帰りを気にせずいくらでも買うことができる。

店側としても助かるわけだ。


同じシステムがニューヨークにもあった。

こちらは、デリバリーのチップだけで済む。


日本にもピザや弁当の宅配がある。

コンビニも、少しだがデリバリー機能を備えてきた。


だが、日本のスーパーはまだそこまで機能していないように見受けられる。

お年寄りは、タクシーを使って買って帰る。

常連さんは、タクシン―の運転手さんが玄関先まで持ってきてくれたりもするが、

あくまでも個人の判断だ。

まだシステム化していない。

デイケアもショッピング機能をつければどうだろう。

昔は御用聞きなどというものがあった。

おもてなしの国にしては遅れている。



もう一つ、最近のニュースから。


「外国人投資家、ベトナムの飲食業に独資で参入可能に」


ベトナムでは1月11日より、海外直接投資(FDI)による飲食業への参入が付帯条件なしで認められた。

これにより、FDI企業は独資でレストランやカフェなどの飲食店を展開できることになった。


ベトナムはこれまで飲食業においては外資100%の法人設立は難しく、

フランチャイズ店舗または新設ホテル併設の店舗として展開せざるを得なかった。

一方で、FDI企業にとってベトナムでの飲食店展開は魅力的で、

特にハノイ市やホーチミン市では日本料理店や韓国料理店が増え続けている。


これまでの規制の中では、

ベトナム人名義または地場企業との合弁で法人を設立し、

外国人投資家が実質的なオーナーとなるケースが多かった。

しかしこういった場合、名義人や地場企業との間でトラブルが発生するなどのリスクも高かった。


今回、外資100%での飲食業参入が認められたことで、FDIの更なる誘致だけでなく、

ベトナム人が他国の食文化に触れる機会の増加にも繋がると期待されている。



それによって先月日本人独資の日本料理店オープンが初めてハノイにオープンした。


ただ、半面

これを機にカンボジアのように日本人が日本人を騙す詐欺事案が激増しそう…

ライセンスや税金、公安、消防などベトナムの制度や役人にどれくらいまでイジめられるものなのか?

といった懸念も叫ばれている。


いずれにせよ、新たなビジネスチャンスが生まれてきていることは事実だ。

いろんな問題をクリアしつつ、取り組む価値は十二分にある。

目先の利益にこだわるな

2015年05月10日 | お金
どうしてもも目の前の生活に目が向いてしまう。

当たり前のことだ。

人間、食わなきゃ死ぬ。

食うには金がいる。

それは誰しも同じである。


それなのに、何かを成し遂げる人とそうでない人がいるのはなぜだろう。

そして、圧倒的に成し遂げる人のほうが少ない。

そのほとんどが、目先の利益にこだわってる。

既に夢さえ描けない人も多い。

物は豊かになっても、心が荒んでいく。

それが今の日本なのかもしれない。


お金は必要だけど、金儲けに走る時代はとうに終わっている。

それなのに、いまだにお金を追求して止まない人が多い。


心を壊す人は、これからの時代にマッチできない人なのだ。

なぜなら、心の時代だから。

物の豊かさをいまだに追求するあまり、心がついていかない。


いくらお金を稼いでも、稼げば稼ぐほど空しさが募る。

そこにはなぜお金を稼ぐのか、

というより、なぜ働かなければならないのかという哲学が欠如している。

挙句、お金を稼ぐ(働く)ことも諦めて自滅してしまう。


森ばかりを見ていると、目の前の木にぶつかるだろう。

だが、目の前の木だけに気を取られていると、その先に沼があっても気がつかない。

鳥の目と虫の目を併せ持たなければならない。


そんな時代になったのだ。



【補足】

心の時代をどう生きるか。

答えを出すには、哲学的観点が必要となる。


哲子さん、哲男君になろう。


ネパール

2015年05月09日 | 国際
ネパールから”Help” メッセージが届いた。

それは被災者からの悲痛の声だった。

facebookで繋がっている。

彼女は壊れた自分の家の写真を送ってきた。


How can I help you?(どうやって君を助けたらいい?)

ボクは尋ねた。


フィリピンにはEMS(国際郵便)で1万円の為替を送ったことがある。

直接被災者の家に届く。


今のカトマンズに届くだろうか。


「ここに来て。ポテトをごちそうするわ」

彼女は健気につぶやいた。

「外で食べるのよ」

「寒くない?」

「寒いわ。雨が降っている」

凍えているに違いない。


それから毎日チャットしている。

「元気?ご飯食べた?」

それが今のところ彼女を勇気づける唯一の方法なのかもしれない。



ネパールに行ったときの写真を引っ張りだしてみた。


     きれいな景色が焼きついている


ボクの本に次ぎの行(くだり)があった。



小見出しにはいみじくも「カトマンズの死者」とある。



    死者を薪で火葬し、川に流すのだ



今日も彼女からのメッセージが届くのを待っている。

やるせない気持ち、いたたまれない気持ち、もどかしい気持ちを抱きながら。

Feel downhearted, irritated, ashamed, 'cuse I have nothing to do for her.





彼女の叫びがいみじくもビートルズの♪Help♪の歌詞と重なって響いてきた。


Help, I need somebody
Help, not just anybody
Help, you know I need someone, help

When I was younger (So much younger than) so much younger than today
(I never needed) I never needed anybody's help in any way
(Now) But now these days are gone (These days are gone), I'm not so self-assured
(I know I've found) Now I find I've changed my mind and opened up the doors

Help me if you can, I'm feeling down
And I do appreciate you being around
Help me get my feet back on the ground
Won't you please, please help me

(Now) And now my life has changed in oh so many ways
(My independence) My independence seems to vanish in the haze
(But) But every now (Every now and then) and then I feel so insecure
Help! 歌詞-Loveの歌詞

(I know that I) I know that I just need you like I've never done before