「世界一周人生ゲーム」アプリ作り goo.gl/YBTlVZ
— Asay Kaji (@asaykaji) 2016年7月23日 - 11:18
3年ほど前、
「世界一周人生ゲーム」のアプリづくりをしようと呼びかけたら
30人ほどの人が集まったことがあった。
その内訳は、旅好きの人とゲーム好きの人が半々だった。
また、若干男性のほうが多かった。
プログラマーの人が2人いたが、
企画はそのまま進まず立ち消えとなっていた。
だが、ポケモンGOに触発されて、
自分の中で再びこの企画を進めてみたくなった。
ポケモンGOに関しては、
危険性が指摘されたりいろんな弊害も生まれている。
人生を豊かにし、世界を良い方向に帰るという開発者の意図が本当に生かされるのか。
世界一周と人生ゲームとしてのアイデアは持ち合わせている。
それをアプリとしてどうプログラミングしていくのかが課題だ。
人生ゲームであるからして、
出会いがあり、別れがある。
恋愛、結婚、離婚、出産、成長、死亡、
その過程でのアクシデント、ハプニング、様々な出来事が織りなす。
もちろん、出資や投資、事業展開、売買などといった金銭がらみのリスキーな展開も予想される。
地球を舞台にした壮大な人生を経験できるのだから
面白くないわけがない。
さて、このアプリ開発事業の取り組みにに興味を持たれた方はご一報いただければ幸いです。
「世界一周人生ゲーム」のアプリづくりをしようと呼びかけたら
30人ほどの人が集まったことがあった。
その内訳は、旅好きの人とゲーム好きの人が半々だった。
また、若干男性のほうが多かった。
プログラマーの人が2人いたが、
企画はそのまま進まず立ち消えとなっていた。
だが、ポケモンGOに触発されて、
自分の中で再びこの企画を進めてみたくなった。
ポケモンGOに関しては、
危険性が指摘されたりいろんな弊害も生まれている。
人生を豊かにし、世界を良い方向に帰るという開発者の意図が本当に生かされるのか。
世界一周と人生ゲームとしてのアイデアは持ち合わせている。
それをアプリとしてどうプログラミングしていくのかが課題だ。
人生ゲームであるからして、
出会いがあり、別れがある。
恋愛、結婚、離婚、出産、成長、死亡、
その過程でのアクシデント、ハプニング、様々な出来事が織りなす。
もちろん、出資や投資、事業展開、売買などといった金銭がらみのリスキーな展開も予想される。
地球を舞台にした壮大な人生を経験できるのだから
面白くないわけがない。
さて、このアプリ開発事業の取り組みにに興味を持たれた方はご一報いただければ幸いです。
被災者の身の振り方は様々である。
どれが良い悪いという評価をするつもりはない。
だが、多くの人の人生が直接的にも間接的にも地震によって左右されたことは間違いない。
ボクもその一人だが、
正直に言えば、地震が起ころうが起こるまいが人生の変化は起きていたし、
地震後もその方向性は全く変わらなかった。
つまり、地震前から、あらゆる事業から撤退し、
阿蘇の西原を拠点に新たな生き方を模索しようとしていたのだ。
昨年12月、福岡のベトナムカフェが強制終了の憂き目にあい、、
自ずとベトナムとの柵(しがらみ)がなくなった。
これはボクの旅の形を大きく変え自由にしてくれた。
そして今年2月、フリートークの一階を弁当屋に明け渡すこととなった。
これも重荷に思っていただけに渡りに船だった。
さらに3月、名目上自宅だった熊本市内の持ち家を別かれた女房に無償で譲った。
そして、フリートークも地震をきっかけに営業不能となり撤退することに。
テナントだったので家賃を払わなくて済むようになった。
こうして次から次と身の回りの肩の荷が下りていった。
残されたのが現在の西原村の施設。
結局そこで何をするのか決めかねていたが、
震災における心のケアという課題が生まれたことで、
従来から関心のあった瞑想というミッションが浮上した。
そして、梅雨(大雨)を避け、瞑想修行のためネパールへと赴くことができた。
残る人、去る人、
従来通り頑張る人、新しい何かを模索する人、人間模様は様々だ。
だが、これだけは言える。
復興にかけるそれぞれの形を見て、その人となりが浮かび上がってきた。
それぞれの人たちの人間性が見えてきた。
冷蔵庫の奥にあったサツマイモから芽が出てきた
震災から100日が過ぎた。
未だ復興過程にあるものの、
身の振り方一つで、
これから徐々にそれぞれの生き方が浮き彫りにされ、
それぞれの選択が良かったのか悪かったのかが明らかになる。
さて、吉と出るか、凶と出るか。
自分の身も併せてここ1~2年の動向が見ものである。
どれが良い悪いという評価をするつもりはない。
だが、多くの人の人生が直接的にも間接的にも地震によって左右されたことは間違いない。
ボクもその一人だが、
正直に言えば、地震が起ころうが起こるまいが人生の変化は起きていたし、
地震後もその方向性は全く変わらなかった。
つまり、地震前から、あらゆる事業から撤退し、
阿蘇の西原を拠点に新たな生き方を模索しようとしていたのだ。
昨年12月、福岡のベトナムカフェが強制終了の憂き目にあい、、
自ずとベトナムとの柵(しがらみ)がなくなった。
これはボクの旅の形を大きく変え自由にしてくれた。
そして今年2月、フリートークの一階を弁当屋に明け渡すこととなった。
これも重荷に思っていただけに渡りに船だった。
さらに3月、名目上自宅だった熊本市内の持ち家を別かれた女房に無償で譲った。
そして、フリートークも地震をきっかけに営業不能となり撤退することに。
テナントだったので家賃を払わなくて済むようになった。
こうして次から次と身の回りの肩の荷が下りていった。
残されたのが現在の西原村の施設。
結局そこで何をするのか決めかねていたが、
震災における心のケアという課題が生まれたことで、
従来から関心のあった瞑想というミッションが浮上した。
そして、梅雨(大雨)を避け、瞑想修行のためネパールへと赴くことができた。
残る人、去る人、
従来通り頑張る人、新しい何かを模索する人、人間模様は様々だ。
だが、これだけは言える。
復興にかけるそれぞれの形を見て、その人となりが浮かび上がってきた。
それぞれの人たちの人間性が見えてきた。
冷蔵庫の奥にあったサツマイモから芽が出てきた
震災から100日が過ぎた。
未だ復興過程にあるものの、
身の振り方一つで、
これから徐々にそれぞれの生き方が浮き彫りにされ、
それぞれの選択が良かったのか悪かったのかが明らかになる。
さて、吉と出るか、凶と出るか。
自分の身も併せてここ1~2年の動向が見ものである。
ボクがいつもハノイに長期滞在できる訳
— Asay Kaji (@asaykaji) 2016年7月21日 - 10:55
RT @VIET_JO 旅行者の財布に最も優しい都市、ハノイが3年連続世界一 viet-jo.com/news/tourism/1… @VIET_JOさんから
遊んで稼ぐ goo.gl/UUoQaX
— Asay Kaji (@asaykaji) 2016年7月21日 - 11:43
ズバリ、
自分のニーズと社会のニーズが一致したとき。
まず、先に自分のニーズありき。
自分のニーズとは、
自分がこうしたいと思うこと、好きなこと。
得意でなくてもいい。
好きこそものの上手なれWhat one likes, one will do well、だ。
川原の流木と戯れる
社会のニーズを見て、
儲かりそうだからで手を出しても長続きしない。
どうしても自分に無理をしてしまう。
そして、いつしかブームは去る。
儲けより好きを先行させる生き方が良い。
趣味と仕事を分ける人も多い。
仕事にしたら、面白くなくなるからだろう。
そうだろうか。
遊んでお金がもらえれば一番いいのではないか。
仕事と思うから、辛くなる。
趣味や遊びだって、極めれば結構きつくて辛いものだ。
いい加減な趣味、遊びだから
そして、それをお金のために人に迎合しようとするから嫌になる。
遊んでいると、楽しそうだからと人が寄ってくる。
そんなに楽しいなら俺にもやらせてくれと。
一緒にやる、教える。
お金はいらないといっても、置いていく人が現れる。
遊んでただけなのに、お金をもらえるなんて。
ここで欲を出してはいけない。
感謝して、お裾分けをしなければならない。
そうすればよい循環が生まれる。
趣味も好きなことも時の流れや年齢を経ることで変わってくるだろう。
何かをやることで、新しい目覚めが生じることはよくあることだ。
自分の才覚に目覚めることだってある。
上手下手の問題ではない。
どれだけ心がこもっているかが最も重要なのだ。
下手でも、10年、または1万回やればその道の達人になれる。
継続力。
好きでなければ続かない。
儲けは後からついてくる。
【Asay語録】
好きは身を助け、
儲けは身を滅ぼす。
損得勘定より、尊徳感情。
自分のニーズと社会のニーズが一致したとき。
まず、先に自分のニーズありき。
自分のニーズとは、
自分がこうしたいと思うこと、好きなこと。
得意でなくてもいい。
好きこそものの上手なれWhat one likes, one will do well、だ。
川原の流木と戯れる
社会のニーズを見て、
儲かりそうだからで手を出しても長続きしない。
どうしても自分に無理をしてしまう。
そして、いつしかブームは去る。
儲けより好きを先行させる生き方が良い。
趣味と仕事を分ける人も多い。
仕事にしたら、面白くなくなるからだろう。
そうだろうか。
遊んでお金がもらえれば一番いいのではないか。
仕事と思うから、辛くなる。
趣味や遊びだって、極めれば結構きつくて辛いものだ。
いい加減な趣味、遊びだから
そして、それをお金のために人に迎合しようとするから嫌になる。
遊んでいると、楽しそうだからと人が寄ってくる。
そんなに楽しいなら俺にもやらせてくれと。
一緒にやる、教える。
お金はいらないといっても、置いていく人が現れる。
遊んでただけなのに、お金をもらえるなんて。
ここで欲を出してはいけない。
感謝して、お裾分けをしなければならない。
そうすればよい循環が生まれる。
趣味も好きなことも時の流れや年齢を経ることで変わってくるだろう。
何かをやることで、新しい目覚めが生じることはよくあることだ。
自分の才覚に目覚めることだってある。
上手下手の問題ではない。
どれだけ心がこもっているかが最も重要なのだ。
下手でも、10年、または1万回やればその道の達人になれる。
継続力。
好きでなければ続かない。
儲けは後からついてくる。
【Asay語録】
好きは身を助け、
儲けは身を滅ぼす。
損得勘定より、尊徳感情。
今日7月20日は、
オヤジの15回目の命日である。
2001年7月20日、
親父は静かに息を引き取った。
76才だった。
(その年9・11は起きた)
その前日、その年は梅雨明けした。
カンカン照りの炎天下、親父は元気に仕事で街中を歩いていた。
そして、通りで倒れた。
近くを歩いていた人が救急車を呼んでくれて、
病院へ担ぎ込まれた。
脳梗塞だった。
親父は、意識が戻らないままあくる日静かにこの世を去った。
梅雨明けと聞くと、毎年そのことを鮮明に思い出す。
そして、気を付けないとと心を引き締める。
いわゆる熱中症だ。
水分を多めに取らなければ。
親父は血圧が高かった。
高血圧の体質は遺伝性があると言われる。
ボクも高めである。
それだけにライフスタイルに気を配っている。
ストレスの多い生活、塩分のとりすぎ、食べすぎ・飲みすぎによる肥満、運動不足が重なるなど要注意。
遺伝そのものは操作することはできないが、
適当な時期から血圧を良好にコントロールすることができれば、
高血圧による血管障害の多くは未然に防ぐことができる。
暴飲暴食をしない。
睡眠を十分にとる。
適度な運動をする。
ストレス解消をする。
この4つが基本である。
そのためには、
瞑想&ヨガを欠かさない。
阿蘇瞑想の森「瞑想カフェ&ゲストハウス」の瞑想室にて
好きなことをする。
新鮮な空気と水を摂取する。
こうしたライフスタイルの維持が若さと健康(心身とも)の秘訣であると思っている。
オヤジの15回目の命日である。
2001年7月20日、
親父は静かに息を引き取った。
76才だった。
(その年9・11は起きた)
その前日、その年は梅雨明けした。
カンカン照りの炎天下、親父は元気に仕事で街中を歩いていた。
そして、通りで倒れた。
近くを歩いていた人が救急車を呼んでくれて、
病院へ担ぎ込まれた。
脳梗塞だった。
親父は、意識が戻らないままあくる日静かにこの世を去った。
梅雨明けと聞くと、毎年そのことを鮮明に思い出す。
そして、気を付けないとと心を引き締める。
いわゆる熱中症だ。
水分を多めに取らなければ。
親父は血圧が高かった。
高血圧の体質は遺伝性があると言われる。
ボクも高めである。
それだけにライフスタイルに気を配っている。
ストレスの多い生活、塩分のとりすぎ、食べすぎ・飲みすぎによる肥満、運動不足が重なるなど要注意。
遺伝そのものは操作することはできないが、
適当な時期から血圧を良好にコントロールすることができれば、
高血圧による血管障害の多くは未然に防ぐことができる。
暴飲暴食をしない。
睡眠を十分にとる。
適度な運動をする。
ストレス解消をする。
この4つが基本である。
そのためには、
瞑想&ヨガを欠かさない。
阿蘇瞑想の森「瞑想カフェ&ゲストハウス」の瞑想室にて
好きなことをする。
新鮮な空気と水を摂取する。
こうしたライフスタイルの維持が若さと健康(心身とも)の秘訣であると思っている。
待ちに待った梅雨があけた。
これほど梅雨という重みを感じた年はなかった。
そして、梅雨明けをまだかまだかと待ち続けたことはなかった。
なぜなら、阿蘇・西原村は梅雨の大雨で土砂崩れや土石流が起きて住めないと言われていたからだ。
ドローンで上空から見た「ドゥリーミン カントリー・インAso」の全景
梅雨まで持たないとまで言われたが、良く持ちこたえた。
無事に梅雨を乗り切ったという安堵感が身体中を駆け巡った。
100%とは言わないが、最大の危機を乗り切ったという気持ちだ。
で、計画通り『阿蘇瞑想の森「瞑想カフェ&ゲストハウス」』オープンに向け邁進する。
まずはキッチン回りから。
ホームバーカウンターもでき、まずはコーヒが出せる体制に。
三々五々訪れる人も増えてきた。
最初の予定より伸びたが、8月には正式オープンにこぎつけたい。
これほど梅雨という重みを感じた年はなかった。
そして、梅雨明けをまだかまだかと待ち続けたことはなかった。
なぜなら、阿蘇・西原村は梅雨の大雨で土砂崩れや土石流が起きて住めないと言われていたからだ。
ドローンで上空から見た「ドゥリーミン カントリー・インAso」の全景
梅雨まで持たないとまで言われたが、良く持ちこたえた。
無事に梅雨を乗り切ったという安堵感が身体中を駆け巡った。
100%とは言わないが、最大の危機を乗り切ったという気持ちだ。
で、計画通り『阿蘇瞑想の森「瞑想カフェ&ゲストハウス」』オープンに向け邁進する。
まずはキッチン回りから。
ホームバーカウンターもでき、まずはコーヒが出せる体制に。
三々五々訪れる人も増えてきた。
最初の予定より伸びたが、8月には正式オープンにこぎつけたい。
梅雨が明けたの?
「瞑想の森」の爽やかな晴天の朝。
熊本の大地震に限らず、
被災した人々の我慢強さと協調性が、往々にして日本人の美質として賞賛される。
その半面で生活の不自由からくるストレスが、
心身症状をもたらし、時には命に関わる事態となっている。
一見、街中の人込みの中にいると、
復興したのではないかとまで見間違うような活況を感じる。
表面上だけを見ると、震災前の日常が帰ってきたような錯覚にさえ陥る。
一方、ここ西原村、益城町、南阿蘇村のように瓦礫のまま取り残され
震災直後のままの姿を保っているところもまだまだ多い。
一時4000人ほどいたボランティアの数も、
今や1000人を切る。
こうしたところでも復興のギャップが起きている。
建設、建築業界を始め人手不足が続き、
一部復興景気に湧く。
いまだ避難所生活を余儀なくされている人がいることすら忘れ去らているようだ。
あの忌まわしい大地震から3か月が過ぎた。
たしかに、いつまでも嘆いていても仕方がない。
力を合わせてなんとか頑張ってる人も多い。
復興助成金を当てにするのもいいだろう。
とにかく、生き残った人は何としてでも生き続けなければならないのだから。
しかし、
どんなに頑張っている人も、多かれ少なかれ心の痛手は負っている。
強い人はその痛手を自分で解消できるだろう。
問題は、ウツやPTSDを患う人々だ。
夜眠れなかったり、突然不安に襲われる。
調子の良い時と、急激の落ち込んで寝込むことがある。
そうした人々の心のケアが注目され始めている。
そして、いくつかそうしたセミナーが開かれている。
ボクも微力ながらそうした方々の力になればと
ここ阿蘇・西原村で「瞑想カフェ&ゲストハウス」を開く準備をしている。
瞑想の森
パワースポットである森の中で自然のエネルギーを感じ、
湧水で入れたコーヒーやお茶を飲みながら思いを洗いざらいぶちまけてほしい。
そうして心の澱(おり)を少しでも取り除くことができればと願っている。
宿泊や、長期滞在もできる。
ここは恵まれし地、守られし地。
そして誰でもが集える地である。
「瞑想の森」の爽やかな晴天の朝。
熊本の大地震に限らず、
被災した人々の我慢強さと協調性が、往々にして日本人の美質として賞賛される。
その半面で生活の不自由からくるストレスが、
心身症状をもたらし、時には命に関わる事態となっている。
一見、街中の人込みの中にいると、
復興したのではないかとまで見間違うような活況を感じる。
表面上だけを見ると、震災前の日常が帰ってきたような錯覚にさえ陥る。
一方、ここ西原村、益城町、南阿蘇村のように瓦礫のまま取り残され
震災直後のままの姿を保っているところもまだまだ多い。
一時4000人ほどいたボランティアの数も、
今や1000人を切る。
こうしたところでも復興のギャップが起きている。
建設、建築業界を始め人手不足が続き、
一部復興景気に湧く。
いまだ避難所生活を余儀なくされている人がいることすら忘れ去らているようだ。
あの忌まわしい大地震から3か月が過ぎた。
たしかに、いつまでも嘆いていても仕方がない。
力を合わせてなんとか頑張ってる人も多い。
復興助成金を当てにするのもいいだろう。
とにかく、生き残った人は何としてでも生き続けなければならないのだから。
しかし、
どんなに頑張っている人も、多かれ少なかれ心の痛手は負っている。
強い人はその痛手を自分で解消できるだろう。
問題は、ウツやPTSDを患う人々だ。
夜眠れなかったり、突然不安に襲われる。
調子の良い時と、急激の落ち込んで寝込むことがある。
そうした人々の心のケアが注目され始めている。
そして、いくつかそうしたセミナーが開かれている。
ボクも微力ながらそうした方々の力になればと
ここ阿蘇・西原村で「瞑想カフェ&ゲストハウス」を開く準備をしている。
瞑想の森
パワースポットである森の中で自然のエネルギーを感じ、
湧水で入れたコーヒーやお茶を飲みながら思いを洗いざらいぶちまけてほしい。
そうして心の澱(おり)を少しでも取り除くことができればと願っている。
宿泊や、長期滞在もできる。
ここは恵まれし地、守られし地。
そして誰でもが集える地である。
地震で被害を蒙ったが、
思いがけなく恩恵をも被った。
またこういうことを書くと、
お叱りや妬みを生むだろうが敢えて正直に書こう。
昨年暮れから約半年の間に
ボクの目の前のあらゆる事象が消滅していった。
同時に、仕事もなくなり収入も途絶えた。
一時は、所持金240円になった。
それに地震が拍車をかけた、かのように思えた。
一時は絶望のどん底に叩きのめされた。
そして、必死でそれに耐えた。
一部の心ない人の批判やあからさまな嫌がらせもあったが、耐え抜いた。
おかげで重荷だったものをすべて清算することができた。
そして、それ以上の恩恵にまで預かることができるとは、
誰が想像しえたであろうか。
感謝あるのみ。
支えてくれた愛する人に感謝、
友人に感謝、子供たちに感謝。
そして、結果、今、こうして再起を誓った。
今思えば、これまでのできごとは、すべてこの恩恵に預かるための前触れであったように思える。
ただし、これらの被災者特権はあくまでも一時的なものである。
これらの措置に甘えることなく、猶予期間に生活基盤を再建しなければならないことは言うまでもない。
月並みだけど、人生は山あり谷ありの連続である。
地震までが谷であったなら、
今は山の中腹にあるようだ。
だが、峠超えれば再び谷が口を開けて待ってる。
今度はどんな谷かは分からないが、
どんな渓谷にも耐えてみせる。
越えてみせる覚悟だけはできている。
平坦な道はつまらない。
山があり谷があってこそ人生は面白いのだ。
山高ければなお良し、谷深ければなお面白い。
いずれにせよ、人生を謳歌するに憚らない。
もちろん、恩恵返しは忘れない。
「諦めなければ、人生は必ず好転する。
それを肝に銘じて、信じて疑うな」 By Asay
ドローンデビュー
友人がドローンを持ってきてくれた。
屋根の状況や、周囲の山の状況などをチェック。
お陰で、今まで見えなかったところを把握できた。
感謝!
【追記】
ただし、被災者対象の補助金には頼らないことにしている。
熟慮の結果、あくまでも自力更生を目指す。
自助努力を貫く覚悟である。
思いがけなく恩恵をも被った。
またこういうことを書くと、
お叱りや妬みを生むだろうが敢えて正直に書こう。
昨年暮れから約半年の間に
ボクの目の前のあらゆる事象が消滅していった。
同時に、仕事もなくなり収入も途絶えた。
一時は、所持金240円になった。
それに地震が拍車をかけた、かのように思えた。
一時は絶望のどん底に叩きのめされた。
そして、必死でそれに耐えた。
一部の心ない人の批判やあからさまな嫌がらせもあったが、耐え抜いた。
おかげで重荷だったものをすべて清算することができた。
そして、それ以上の恩恵にまで預かることができるとは、
誰が想像しえたであろうか。
感謝あるのみ。
支えてくれた愛する人に感謝、
友人に感謝、子供たちに感謝。
そして、結果、今、こうして再起を誓った。
今思えば、これまでのできごとは、すべてこの恩恵に預かるための前触れであったように思える。
ただし、これらの被災者特権はあくまでも一時的なものである。
これらの措置に甘えることなく、猶予期間に生活基盤を再建しなければならないことは言うまでもない。
月並みだけど、人生は山あり谷ありの連続である。
地震までが谷であったなら、
今は山の中腹にあるようだ。
だが、峠超えれば再び谷が口を開けて待ってる。
今度はどんな谷かは分からないが、
どんな渓谷にも耐えてみせる。
越えてみせる覚悟だけはできている。
平坦な道はつまらない。
山があり谷があってこそ人生は面白いのだ。
山高ければなお良し、谷深ければなお面白い。
いずれにせよ、人生を謳歌するに憚らない。
もちろん、恩恵返しは忘れない。
「諦めなければ、人生は必ず好転する。
それを肝に銘じて、信じて疑うな」 By Asay
ドローンデビュー
友人がドローンを持ってきてくれた。
屋根の状況や、周囲の山の状況などをチェック。
お陰で、今まで見えなかったところを把握できた。
感謝!
【追記】
ただし、被災者対象の補助金には頼らないことにしている。
熟慮の結果、あくまでも自力更生を目指す。
自助努力を貫く覚悟である。