2020年12月27日 午後 5:12
民主主義は古代ギリシア起源ではない。
とはいえ、他の諸文明のもとでより立派に体現されてきたわけでもない。それはむしろ、文明と文明、文化と文化の「あいだの空間」で、人びとが非暴力的な共存を希求する中に生まれるのだとグレーバーは説く。民主主義とは、意見を異にする人びとが粘り強い交渉を通して行う合意形成のプロセスにほかならないのだ。賛否の分断を生む古代ギリシアの多数決方式は、むしろ特殊事例にすぎない。
彼によれば、互いを理解し配慮するという人間一般の「ケア的」本性が共同体を可能にする。こうした楽観性を、彼は誠実に生きたように見える、、、
新たな代表作となるはずの遺作(共著、来年原著刊)は実に五万年の時空を探索し、『サピエンス全史』の歴史学者ハラリに典型的な、陰鬱(いんうつ)な未来像を打ち破ろうとする野心的な仕事だ。何世紀も生きられるとしても決して退屈しない、それなら新しい言語や楽器や核物理学の勉強を始めたいと語った人類学者の早すぎる死を、筆者はまだ適切に受け止められずにいる。
人類学者デヴィッド・グレーバーさんを悼む
人間の本性、対立超えると信じた
朝日新聞2020年9月16日掲載
https://bit.ly/3aJPtVy
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さいしょに物々交換があったのではない。それは経済学者たちの夢想にすぎない。歴史学や人類学がしめすところによれば、原初的な状態でみられるのは「信用」による取引である、、、
こうした「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」は、古代国家だけにみられるのではない。グレーバーが人類学者として調査したマダガスカルでも、一九世紀にフランスによって植民地化されたさいには同じことがおきている。「文明化」の名のもとで貨幣が導入され、ひとびとは重税と負債の支払いのために奴隷へと転落していった。あるいは、今日のIMF体制についても、同様の機制が反復されているといえるだろう、、、
アラブ諸国がオイルショックによってえた膨大なドル――その裏づけはアメリカの軍事力である――は、スイスの銀行を経由してアフリカ諸国に高利で融資された。取り立てにあたるのはIMFである。この金融によるコントロールこそ、第二の植民地化であり、、、
注意すべきは、まず主人と奴隷の関係があり、所有という概念はその派生物にすぎないことである。奴隷はひとをものあつかいすることではない。ものを奴隷とみなすことが所有するということである。
https://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun/3294_1.html
『負債論――貨幣と暴力の5000年』
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菅政権が医療逼迫するなか195億円かけて「病床削減」する狂気の沙汰!
コロナ治療最前線の公立病院リストラ政策も続行
しかも、先に触れたように、政府は昨年9月に「再編統合の議論が必要」だとする全国の公立・公的病院を名指ししたリストを公表し、名指しした約440の病院がある都道府県に2020年9月までに統廃合の結論を出せと要求していたが、じつは政府が統廃合を要求した約440の病院のうち、53施設(106床)は国や自治体が認定する感染症指定医療機関であり、119施設がコロナ患者を受け入れてきた。つまり、まさにコロナ患者治療の最前線となっているのである。だが、政府はこの統廃合を迫る検証期限を延期したものの、いまだに「リストの白紙撤回」をおこなっていない。実際、11月17日におこなわれた参院厚労委員会で共産党の倉林明子参院議員が「コロナを経験した今、検討のたたき台とすること自体が不適切」と追及したが、田村憲久厚労相はリストの白紙撤回を明言しなかったのだ。
https://lite-ra.com/2020/12/post-5738.html
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宣教師 いったいなにをしているのかね!
そうやってごろごろして、人生をムダにしちゃだめじゃないか。
サモア島人 どうしてだね?
じゃあいったいなにをすればいいのかい?
宣教師 そら、ここには椰子の実が山ほどある。
干して売ったらいい。
サモア島人 いったいぜんたい、なんでそんなことしなきゃいけないないんだ?...
宣教師 おかねがたくさん手に入るではないか。
そのおかねで干し機を買えば、もっと手早く干し椰子の実がつくれるし、
そうすればもっとおかねがもうかるのだ。
サモア島人 なるほど。
でも、どうしておかねをもうけなきゃいけないんだい?
宣教師 おかねもちになれるではないか。
それで土地を買って、木をたくさん植えて 事業を広げればいい。
その頃には、きみはもう働かなくてよくなっているのだ。
たくさん人を雇ってやらせればいい。
サモア島人 でも、どうしておかねもちになって、
そういうことを人にやらせなきゃいけないんだい?
宣教師 ううむ、椰子の実と土地と機械と雇い人ともうけたおかねで、
おかねもちになったら、引退できるではないか。
そうすれば、もうなにもする必要はない。
一日中、きみは浜辺で寝ていられるのだ。
サモア島人 今だってそうしているじゃないか。
デヴィッド・グレーバー「負債論」 貨幣と暴力の5000年
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「お金がないから貧乏だなんて、いったい誰が決めたんだろうね」
自分には金が十分にないから、
思うようにお前に勉強させてやることができない。
そこで、30歳まではお前の好きなようにしなさい。
私も勘当したつもりでいる。
30になったら、親のことを思い出せ。
それでも、もし困ったときや病気のときは、
いつでも島へ帰っておいで。
いつも待っている。
酒やタバコは30までは飲むな。
30を過ぎたら好きなようにしてよい。
金を儲(もう)けるのはたやすい。
使うのが難しいのだ。
自分の身をいたわり、同時に人もいたわりなさい。
自分でよいと思うことはやってみよ。
それで失敗したからといって親は責めはしないから。
そして、人の見残したものを見るようにしなさい。
その中に、いつも大切なものがあるはずだ。
あせることはない。
自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
先は長いんだから……。
80年近く前、瀬戸内海の島に住む男性が、
大阪に息子を奉公に送りだした。
15歳の息子を送りだすにあたり、父親は息子に、
この言葉「家郷の訓(かきょうのおしえ)」を贈った。
父親は特に学校で勉強したわけではない、
半農半漁の、ありふれた島の人だった。
息子は後の民俗学者・宮本常一(つねいち)、その人である。
このような「贈る言葉」は信州の山中にも、
さまざま残っているようだ。
当時は、自分が生きていくだけでも際どかった時代だ。
「口減らし」や「身売り」という形で都会に出ていく人も多かった。
そんな状況下でこのような言葉が、
息子や娘を送り出す親たちから伝えられたものだと聞いている。
あるおばあさんは(呆けてはいるが)、
自分の祖母から伝わる大事な教えとして、いつもこう言った。
「お金がないから貧乏だなんて、いったい誰が決めたんだろうね」
確かにお金はなかった。
今もないようだ。
独りで山奥に暮らし、隣近所で、かろうじて支え合う生活ぶりだ。
肺炎になったりして、
どうしても家においておくのは無理だ、
と思って入院させると、すぐにち(漢字で)ほうが進む。
なぜか。
お互い顔を見知った中でこそ、お金を介さずに、
しっかり生活できていたのが、
他人の中では自分を見失ってしまうようだ。
「施設」や「病院」などの管理された人工的な場では、
一種の防衛反応なのか、お年寄り方は、急速に呆けていく。
家に戻せば、すぐに回復し、もとの彼女に戻る。
施設での呆けた「弱者」としてのお年寄りの姿だけを見て、
どうだろう。
私も医学生の頃(あるいは看護学生さんもそうだろうが)、
「老人は弱者である」と刷り込まれてきた。
この見方は、果たして本当なのだろうか……。
私は現在41歳。
医師として働いている。
医者というのは、実は「いまここ」、
目の前のことについてしか役に立たない。
ある意味では、目の前のことだったら少しはなんとかなる。
そういう存在だ。
「人の見残したものを見極めるようにしなさい。
その中に、いつも大切なものがあるはずだから……」
――先日、佐久地方で進学校といわれる高校で講演する機会があった。
自戒を込めて、私はこの言葉を高校生たちに贈った。
2001年3月22日 朝日新聞長野県版
「贈る言葉 子送り出す 親の知恵」 色平哲郎
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真に自由な社会を追求しまくった デヴィッド・グレーバーさん
【追悼】 David Rolfe Graeber 9月2日没
1961年生まれ。人類学者。2011年のウォール街占拠運動で指導的な役割を果たす。邦訳書に『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店)など。
よりによってデヴィッドの追悼文を書かなくてはならないなんて、今年はそれだけでも最悪の年だ。まだ59歳。冴えまくっていた時期の突然死は衝撃以外の何ものでもない。
「アナーキスト人類学」を創設し、「負債」は返さなくてもよいと実証し、「民主主義」は西洋起源ではないと喝破し、あらゆる「官僚制度」を解体し、「経済学」を脱構築し、「資本主義」のオルタナティブを構想し、海賊船に「基盤的コミュニズム」を見出し、「新自由主義」下での仕事の本質をあばいたグレーバーには、もっと対象を広げて、「オキュパイ!」「ブルシット!」と言い続けてほしかった。
彼ほど、会う人を励まし霊感を与え、旅した活動家・知識人はいなかった。本物の人類学者だったから、生きている人も死んでいる人も、人種やジェンダーや出自や文化にかかわらず愛し、愛されたのだ。彼にはどんな「壁」も無縁であり、すべての対象に開かれた身体と言葉を持っていた。たしかに彼の本は日本語でも読むことができる。しかし、もう限られた数の本でしか、その言葉を聴くことができないと思うと、本当にさびしい。せめて私たちは、デヴィッドが『負債論』(以文社)の最後に登場させるサモア島人に倣って「でも、どうしておかねをもうけなきゃいけないんだい?」と自問するところから、新しい年の歩みを始めるほかないのかもしれない。
本橋哲也(東京経済大学教員)
週刊金曜日 2020年12月25日号
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パイサーン・ウィサーロ僧
1 略歴
パイサーン・ウィサーロ僧は、1957年バンコク生まれである。高校時代から政治問題に関心を持ち、1975年、タマサート大学に入学する。マルクス主義が学生運動の主流であったタマサート大学にあって、彼は非暴力主義のグループ に所属していた。1976年の10月、タマサート大学構内に政府による学生運動の鎮圧、大量逮捕 の時に、彼は、タノーム元首相が僧侶の格好をして亡命先から帰国したことに 抗議してハンガーストライキをしている最中だった。大学構内にいた学生はすべて攻撃の対象となり、彼も警官に殴られ、逮捕された。3日後に釈放されるが、この学生革命での体験が、彼の積極的な社会への取り組みの原点となる。1980年に大学を卒業後も、人権問題に関するNGOで働き、国内では人権侵害 の調査をし、国外とはアムネスティ・インターナショナルなどの人権団体とつ ながりをもつようになる。しかし彼は、活動の中で疲労困垣していった。しばらくの旅の後、自分の人生の中に安らぎを取り戻すことを信じて、チャイヤプー ム県のスカトー寺にて1983年、出家する。深い森の寺での修行の中で、師匠のカムキエン・スワンノー僧の影響を受け て、村人と共に森林保護活動を始めるようになる。コミュニティレペルでの森 林管理の重要性を訴え、マスコミ等でも取り上げられた。
2 日本とのかかわり
彼の日本との関わりは、出家前に活動していた人権団体を通じてすでにあったが、ここでは僧侶の立場で日本に関わったものだけを取り上げる。1994年、INEBJapan(仏教者国際連帯会議、日本支部)の招きで、当時闘う開発僧として有名だったプラチャック・クッタジット僧も一緒に森林保護運動の現状について各地で講演をした。1996年から始まった在日タイ人のための支援活動は、パイサーン僧の日本での最も特筆すべき活動である。きっかけは国際化の中での人権問題に詳しい政治学者の武者小路公秀氏ら在日外国人の人権支援グループからの要請であった。また山梨県を拠点とするオアシス(山梨外国人人権ネットワーク)や長野県のアイザック(佐久地域国際連帯市民の会)などのNGOとも連携して、バブル期に日本にタイから出稼ぎに来たものの、様々な問題を抱えているタイ人に対するケアが始まった。長野県の佐久から善光寺までの約100キロを1週間かけて頭陀修行をしながら、各地のタイ人を励ました。その様子は、新聞やテレビなどのマスコミにも取り上げられ一躍話題になった。当時の在日タイ人の様子をパイサーン僧はレポートにまとめ、過酷な日本での生活実態が明らかになる。暴力団に追われ、ビルから飛び降り脊髄を損傷したタイ人女性が、HIV感染者と判明したため手術を拒否されるケース、異国での寂しさとストレスからギャンブルや酒におぼれていくケースなど、オーバースティでアンダーグラウンドな生活を余儀なくされる彼らの様子を赤裸々に報告し、希薄であったタイ人同士コミュニティづくりと日本人との連帯の必要性を訴えている。日本の受け入れ側であるNGO関係者や医師たちは、彼らに対する精神的なサポートを僧侶に要請する一方、身体的そして制度的な側面をサポートしていった。 パイサーン僧のみならず、ナラテボー僧、そしてタイからの若い僧侶も、その後日本での支援活動を続けている。2002年現在では、1996年の時点とでは在日タイ人の取り巻く状況も変化し、結婚し定住化する家庭内の問題や子供の就学の問題などに焦点は移り、緊急援助的な支援は減少してきている。
様々なネットワークを利用して日本にやってくるタイ人僧侶もいるが、パイサーン僧のように最も困難な状況にある人々に対してアプローチする僧侶は少ない。中には布施や寄進目当てとも受けとられかねないような来日もあるという。パイサーン僧の活動が目立ったのは、社会問題に目を向ける僧侶がどれだけ少ないかを逆に示すことになっているのかもしれない。また2002年には、アジア諸国のパブリック・インテレクチュアルの新たなネットワーク構築に向けて日本財団のアジア・フェローシップ主催の研究者として選ばれ、日本、インドネシア、フィリピンをそれぞれ数ケ月程度滞在して、グローバリゼーションの中での宗教の役割について調査を行った。
宗教原理主義の強まり、新しい宗教グループの勃興、消費宗教(物質主義的 な傾向を持つ宗教)の拡大という3つの視点から東南アジアにおける宗教を分析し、その問題点を指摘している。
また、人々の消費の中に宗教的な要素を求める傾向があることも同時に論じ、グローバル時代においても究極的に人間は宗教的な生き物であると捉えている。テクノロジーの発達によるグローバル化 の流れは必ずしも宗教にとって批判すべきことばかりではなく、貪欲さを引き出す資本主義に対抗するグローバルな力ともなりうる可能性を持ち、草の根からのグローバル化を目指すべきだと締めくくっている。パイサーン僧の立場は、グローバル化の影響で新しい宗教グループの隆盛に理解を示しながらも、人々の精神的な飢えに対する既存宗教の対応の脆弱さを 指摘している点で、既存宗教の改革に主眼が置かれた主張だと思われる。これは彼の国内での発言に影響を与えるものとなっている。
次に彼の改革派僧侶としての発言を見てみたい。
3 改革派僧侶としての発言
彼の国内活動の主な人脈は、スラク・シワラク氏、ピポップ・トンチャイ氏 などのNGO活動家、オルターナティブな開発・発展系の言論を数多く持つプラウェート・ワシー博士、プッタタート比丘の弟子たち(パヨム僧やサンティ ガロー僧など)、プラタンマピドック僧、評論家のニティ・イーオシーウォング 氏、社会学者のスリチャイ・ワングーオ氏や仏教哲学を専門とするスワンナー・サターアナン氏などである。
もちろんここで取り上げた人脈以外にも彼の活動を支え、協力する人もいる わけだが、主な人脈を見てもわかるように、タイのオルターナティブな開発・発展の言論を展開している論客たちである。 彼らとの共著も多く見られ、テーマも金銭と宗教、コンピューター時代における人間の状況と運命、消費主義について、現代社会における生と死について など、多岐にわたっており、研究者並みの言論活動を展開している。
近年では、サンガ改革の必要性も訴えている。とりわけ僧侶の教育に対して熱心に発言している。ドラッグがタイ国内の深刻な問題となっているが、それは僧侶の世界とも無縁ではない。20歳未満の若い出家僧であるネーンや出家して間もない僧侶たちの中には、出家以前からヤーバーなどの覚せい剤の常用が 止められずにいる者もいる。もちろん出家時には止めようと決意したのだが、なかなか止められず苦しんでいるというのだ。 このような問題に対して、長老の僧侶や宗教局の役人たちは触れたがらない。世間の悪評を恐れて認めようとしないのである。パイサーン僧をはじめ、北タイでHIV/エイズケアを行っている元僧侶のマウンド氏などは、問題を封印しようとする傾向に対して、彼らの問題はタイ社会全体の問題として受け止める べきだと述べている。そして寺の年長者への理解促進と、僧侶と地域コミュニティとの関係強化などを提案している。
以上のようにパイサーン僧の活動は国内外と多岐にわたっている。
2000年には、平和や民主主義に貢献した人物に贈られるプリーディー・パノムヨン賞の4人のうちの1人に選ばれた。ここ数年で、特筆すべき現象は、スカトー寺をリトリートの場として選びパイサーン僧からのレクチャーを受けるタイ国内の様々な公的機関が増えているということだろう。
学校や病院、警察といった機関がそれぞれの立場で仏教の智慧を求めて森の寺でのグループ学習を行っている。とりわけ警察のグループは、パイサーン僧の非暴力活動に関心を示し、度重なる市民との衝突の場面をいかに回避するかを模索している。パイサーン僧は、これらの現象に対し、喜ばしいことと憂慮すべきであることの両方があるという。
喜ばしいこととは、公的な機関に従事する人々が仏教に関心を持ち生活の中に生かそうとする姿勢であるといい、一方で憂慮すべきこととは、仏教を学ぶのにこうして遠くまで足を運ばないといけないこと自体、社会と真剣に関わっている寺がいかに少ないのかを示していると述べている。 パイサーン僧が批判を向ける矛先は、自身を含む僧侶全体のあり方へと変わりつつあるのである。
https://bit.ly/2KRE1wm
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学校法人 佐久学園 「人間福祉学部」新規開設について
2020年10月28日 佐久学園 理事長 盛岡正博
”ヒューマンケアの佐久大学”
少子社会で地方都市に、何故、文系の新学部を開設するのか?
(説明趣旨)・・・
・コロナ後社会を生き抜くことを思考し、行動力を持つ人財育成を図る
・ヒューマニズムなきグローバリズムは”暴力と侵略”である
・排他主義や利己主義と反智性主義の潮流に抗う共生社会を目指す
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シンポジウム 「アフターコロナを生き抜く人材育成」 2020年12月19日
コーディネーター 野口定久 人間福祉学部学部長予定者 日本福祉大学特別任用教授
”ヒューマンケア”の佐久大学人間福祉学部は、信州佐久の地に拠点を置いて、地域社会を基盤とした豊かな人間性を育み、地域社会に貢献できる、社会福祉領域を中心に看護領域および地域医療領域と連携した専門職人材を育成します。
ヒューマンケアという用語は耳慣れないと思いますが、
第1に、すべての人の命と健康をまもる保健医療の領域。(生命)
第2に、豊かな暮らしを実感する地域生活の領域。(生活)
第3に、人生100年時代を生きる健康長寿の領域(人生)
をカバーする新しい学問領域でもあります。
佐久大学人間福祉学部の学部長予定者の野口です。
(1)医療・福祉・介護現場は、いま新型コロナウイルスに直撃されています。”ヒューマンケア”の佐久大学人間福祉学部は新型コロナウイルスを克服する、新しい学問と実践の領域です。
(2)皆様方と一緒に、あたらしい学問領域を切り開き、医療・福祉・介護現場を楽しい、エッセンシャルワークの人材育成の場に変えてまいります。
(3)具体的には3つのプログラムに重点化して教育と研究を進めてまいります。
・地域で実際に学ぶ教育プログラム
・佐久ケア・モデルの実践
・地域で活躍する福祉系専門職資格の取得
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民主主義は古代ギリシア起源ではない。
とはいえ、他の諸文明のもとでより立派に体現されてきたわけでもない。それはむしろ、文明と文明、文化と文化の「あいだの空間」で、人びとが非暴力的な共存を希求する中に生まれるのだとグレーバーは説く。民主主義とは、意見を異にする人びとが粘り強い交渉を通して行う合意形成のプロセスにほかならないのだ。賛否の分断を生む古代ギリシアの多数決方式は、むしろ特殊事例にすぎない。
彼によれば、互いを理解し配慮するという人間一般の「ケア的」本性が共同体を可能にする。こうした楽観性を、彼は誠実に生きたように見える、、、
新たな代表作となるはずの遺作(共著、来年原著刊)は実に五万年の時空を探索し、『サピエンス全史』の歴史学者ハラリに典型的な、陰鬱(いんうつ)な未来像を打ち破ろうとする野心的な仕事だ。何世紀も生きられるとしても決して退屈しない、それなら新しい言語や楽器や核物理学の勉強を始めたいと語った人類学者の早すぎる死を、筆者はまだ適切に受け止められずにいる。
人類学者デヴィッド・グレーバーさんを悼む
人間の本性、対立超えると信じた
朝日新聞2020年9月16日掲載
https://bit.ly/3aJPtVy
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さいしょに物々交換があったのではない。それは経済学者たちの夢想にすぎない。歴史学や人類学がしめすところによれば、原初的な状態でみられるのは「信用」による取引である、、、
こうした「軍事=鋳貨=奴隷制複合体」は、古代国家だけにみられるのではない。グレーバーが人類学者として調査したマダガスカルでも、一九世紀にフランスによって植民地化されたさいには同じことがおきている。「文明化」の名のもとで貨幣が導入され、ひとびとは重税と負債の支払いのために奴隷へと転落していった。あるいは、今日のIMF体制についても、同様の機制が反復されているといえるだろう、、、
アラブ諸国がオイルショックによってえた膨大なドル――その裏づけはアメリカの軍事力である――は、スイスの銀行を経由してアフリカ諸国に高利で融資された。取り立てにあたるのはIMFである。この金融によるコントロールこそ、第二の植民地化であり、、、
注意すべきは、まず主人と奴隷の関係があり、所有という概念はその派生物にすぎないことである。奴隷はひとをものあつかいすることではない。ものを奴隷とみなすことが所有するということである。
https://www1.e-hon.ne.jp/content/toshoshimbun/3294_1.html
『負債論――貨幣と暴力の5000年』
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菅政権が医療逼迫するなか195億円かけて「病床削減」する狂気の沙汰!
コロナ治療最前線の公立病院リストラ政策も続行
しかも、先に触れたように、政府は昨年9月に「再編統合の議論が必要」だとする全国の公立・公的病院を名指ししたリストを公表し、名指しした約440の病院がある都道府県に2020年9月までに統廃合の結論を出せと要求していたが、じつは政府が統廃合を要求した約440の病院のうち、53施設(106床)は国や自治体が認定する感染症指定医療機関であり、119施設がコロナ患者を受け入れてきた。つまり、まさにコロナ患者治療の最前線となっているのである。だが、政府はこの統廃合を迫る検証期限を延期したものの、いまだに「リストの白紙撤回」をおこなっていない。実際、11月17日におこなわれた参院厚労委員会で共産党の倉林明子参院議員が「コロナを経験した今、検討のたたき台とすること自体が不適切」と追及したが、田村憲久厚労相はリストの白紙撤回を明言しなかったのだ。
https://lite-ra.com/2020/12/post-5738.html
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宣教師 いったいなにをしているのかね!
そうやってごろごろして、人生をムダにしちゃだめじゃないか。
サモア島人 どうしてだね?
じゃあいったいなにをすればいいのかい?
宣教師 そら、ここには椰子の実が山ほどある。
干して売ったらいい。
サモア島人 いったいぜんたい、なんでそんなことしなきゃいけないないんだ?...
宣教師 おかねがたくさん手に入るではないか。
そのおかねで干し機を買えば、もっと手早く干し椰子の実がつくれるし、
そうすればもっとおかねがもうかるのだ。
サモア島人 なるほど。
でも、どうしておかねをもうけなきゃいけないんだい?
宣教師 おかねもちになれるではないか。
それで土地を買って、木をたくさん植えて 事業を広げればいい。
その頃には、きみはもう働かなくてよくなっているのだ。
たくさん人を雇ってやらせればいい。
サモア島人 でも、どうしておかねもちになって、
そういうことを人にやらせなきゃいけないんだい?
宣教師 ううむ、椰子の実と土地と機械と雇い人ともうけたおかねで、
おかねもちになったら、引退できるではないか。
そうすれば、もうなにもする必要はない。
一日中、きみは浜辺で寝ていられるのだ。
サモア島人 今だってそうしているじゃないか。
デヴィッド・グレーバー「負債論」 貨幣と暴力の5000年
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「お金がないから貧乏だなんて、いったい誰が決めたんだろうね」
自分には金が十分にないから、
思うようにお前に勉強させてやることができない。
そこで、30歳まではお前の好きなようにしなさい。
私も勘当したつもりでいる。
30になったら、親のことを思い出せ。
それでも、もし困ったときや病気のときは、
いつでも島へ帰っておいで。
いつも待っている。
酒やタバコは30までは飲むな。
30を過ぎたら好きなようにしてよい。
金を儲(もう)けるのはたやすい。
使うのが難しいのだ。
自分の身をいたわり、同時に人もいたわりなさい。
自分でよいと思うことはやってみよ。
それで失敗したからといって親は責めはしないから。
そして、人の見残したものを見るようにしなさい。
その中に、いつも大切なものがあるはずだ。
あせることはない。
自分の選んだ道をしっかり歩いていくことだ。
先は長いんだから……。
80年近く前、瀬戸内海の島に住む男性が、
大阪に息子を奉公に送りだした。
15歳の息子を送りだすにあたり、父親は息子に、
この言葉「家郷の訓(かきょうのおしえ)」を贈った。
父親は特に学校で勉強したわけではない、
半農半漁の、ありふれた島の人だった。
息子は後の民俗学者・宮本常一(つねいち)、その人である。
このような「贈る言葉」は信州の山中にも、
さまざま残っているようだ。
当時は、自分が生きていくだけでも際どかった時代だ。
「口減らし」や「身売り」という形で都会に出ていく人も多かった。
そんな状況下でこのような言葉が、
息子や娘を送り出す親たちから伝えられたものだと聞いている。
あるおばあさんは(呆けてはいるが)、
自分の祖母から伝わる大事な教えとして、いつもこう言った。
「お金がないから貧乏だなんて、いったい誰が決めたんだろうね」
確かにお金はなかった。
今もないようだ。
独りで山奥に暮らし、隣近所で、かろうじて支え合う生活ぶりだ。
肺炎になったりして、
どうしても家においておくのは無理だ、
と思って入院させると、すぐにち(漢字で)ほうが進む。
なぜか。
お互い顔を見知った中でこそ、お金を介さずに、
しっかり生活できていたのが、
他人の中では自分を見失ってしまうようだ。
「施設」や「病院」などの管理された人工的な場では、
一種の防衛反応なのか、お年寄り方は、急速に呆けていく。
家に戻せば、すぐに回復し、もとの彼女に戻る。
施設での呆けた「弱者」としてのお年寄りの姿だけを見て、
どうだろう。
私も医学生の頃(あるいは看護学生さんもそうだろうが)、
「老人は弱者である」と刷り込まれてきた。
この見方は、果たして本当なのだろうか……。
私は現在41歳。
医師として働いている。
医者というのは、実は「いまここ」、
目の前のことについてしか役に立たない。
ある意味では、目の前のことだったら少しはなんとかなる。
そういう存在だ。
「人の見残したものを見極めるようにしなさい。
その中に、いつも大切なものがあるはずだから……」
――先日、佐久地方で進学校といわれる高校で講演する機会があった。
自戒を込めて、私はこの言葉を高校生たちに贈った。
2001年3月22日 朝日新聞長野県版
「贈る言葉 子送り出す 親の知恵」 色平哲郎
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真に自由な社会を追求しまくった デヴィッド・グレーバーさん
【追悼】 David Rolfe Graeber 9月2日没
1961年生まれ。人類学者。2011年のウォール街占拠運動で指導的な役割を果たす。邦訳書に『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」(岩波書店)など。
よりによってデヴィッドの追悼文を書かなくてはならないなんて、今年はそれだけでも最悪の年だ。まだ59歳。冴えまくっていた時期の突然死は衝撃以外の何ものでもない。
「アナーキスト人類学」を創設し、「負債」は返さなくてもよいと実証し、「民主主義」は西洋起源ではないと喝破し、あらゆる「官僚制度」を解体し、「経済学」を脱構築し、「資本主義」のオルタナティブを構想し、海賊船に「基盤的コミュニズム」を見出し、「新自由主義」下での仕事の本質をあばいたグレーバーには、もっと対象を広げて、「オキュパイ!」「ブルシット!」と言い続けてほしかった。
彼ほど、会う人を励まし霊感を与え、旅した活動家・知識人はいなかった。本物の人類学者だったから、生きている人も死んでいる人も、人種やジェンダーや出自や文化にかかわらず愛し、愛されたのだ。彼にはどんな「壁」も無縁であり、すべての対象に開かれた身体と言葉を持っていた。たしかに彼の本は日本語でも読むことができる。しかし、もう限られた数の本でしか、その言葉を聴くことができないと思うと、本当にさびしい。せめて私たちは、デヴィッドが『負債論』(以文社)の最後に登場させるサモア島人に倣って「でも、どうしておかねをもうけなきゃいけないんだい?」と自問するところから、新しい年の歩みを始めるほかないのかもしれない。
本橋哲也(東京経済大学教員)
週刊金曜日 2020年12月25日号
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パイサーン・ウィサーロ僧
1 略歴
パイサーン・ウィサーロ僧は、1957年バンコク生まれである。高校時代から政治問題に関心を持ち、1975年、タマサート大学に入学する。マルクス主義が学生運動の主流であったタマサート大学にあって、彼は非暴力主義のグループ に所属していた。1976年の10月、タマサート大学構内に政府による学生運動の鎮圧、大量逮捕 の時に、彼は、タノーム元首相が僧侶の格好をして亡命先から帰国したことに 抗議してハンガーストライキをしている最中だった。大学構内にいた学生はすべて攻撃の対象となり、彼も警官に殴られ、逮捕された。3日後に釈放されるが、この学生革命での体験が、彼の積極的な社会への取り組みの原点となる。1980年に大学を卒業後も、人権問題に関するNGOで働き、国内では人権侵害 の調査をし、国外とはアムネスティ・インターナショナルなどの人権団体とつ ながりをもつようになる。しかし彼は、活動の中で疲労困垣していった。しばらくの旅の後、自分の人生の中に安らぎを取り戻すことを信じて、チャイヤプー ム県のスカトー寺にて1983年、出家する。深い森の寺での修行の中で、師匠のカムキエン・スワンノー僧の影響を受け て、村人と共に森林保護活動を始めるようになる。コミュニティレペルでの森 林管理の重要性を訴え、マスコミ等でも取り上げられた。
2 日本とのかかわり
彼の日本との関わりは、出家前に活動していた人権団体を通じてすでにあったが、ここでは僧侶の立場で日本に関わったものだけを取り上げる。1994年、INEBJapan(仏教者国際連帯会議、日本支部)の招きで、当時闘う開発僧として有名だったプラチャック・クッタジット僧も一緒に森林保護運動の現状について各地で講演をした。1996年から始まった在日タイ人のための支援活動は、パイサーン僧の日本での最も特筆すべき活動である。きっかけは国際化の中での人権問題に詳しい政治学者の武者小路公秀氏ら在日外国人の人権支援グループからの要請であった。また山梨県を拠点とするオアシス(山梨外国人人権ネットワーク)や長野県のアイザック(佐久地域国際連帯市民の会)などのNGOとも連携して、バブル期に日本にタイから出稼ぎに来たものの、様々な問題を抱えているタイ人に対するケアが始まった。長野県の佐久から善光寺までの約100キロを1週間かけて頭陀修行をしながら、各地のタイ人を励ました。その様子は、新聞やテレビなどのマスコミにも取り上げられ一躍話題になった。当時の在日タイ人の様子をパイサーン僧はレポートにまとめ、過酷な日本での生活実態が明らかになる。暴力団に追われ、ビルから飛び降り脊髄を損傷したタイ人女性が、HIV感染者と判明したため手術を拒否されるケース、異国での寂しさとストレスからギャンブルや酒におぼれていくケースなど、オーバースティでアンダーグラウンドな生活を余儀なくされる彼らの様子を赤裸々に報告し、希薄であったタイ人同士コミュニティづくりと日本人との連帯の必要性を訴えている。日本の受け入れ側であるNGO関係者や医師たちは、彼らに対する精神的なサポートを僧侶に要請する一方、身体的そして制度的な側面をサポートしていった。 パイサーン僧のみならず、ナラテボー僧、そしてタイからの若い僧侶も、その後日本での支援活動を続けている。2002年現在では、1996年の時点とでは在日タイ人の取り巻く状況も変化し、結婚し定住化する家庭内の問題や子供の就学の問題などに焦点は移り、緊急援助的な支援は減少してきている。
様々なネットワークを利用して日本にやってくるタイ人僧侶もいるが、パイサーン僧のように最も困難な状況にある人々に対してアプローチする僧侶は少ない。中には布施や寄進目当てとも受けとられかねないような来日もあるという。パイサーン僧の活動が目立ったのは、社会問題に目を向ける僧侶がどれだけ少ないかを逆に示すことになっているのかもしれない。また2002年には、アジア諸国のパブリック・インテレクチュアルの新たなネットワーク構築に向けて日本財団のアジア・フェローシップ主催の研究者として選ばれ、日本、インドネシア、フィリピンをそれぞれ数ケ月程度滞在して、グローバリゼーションの中での宗教の役割について調査を行った。
宗教原理主義の強まり、新しい宗教グループの勃興、消費宗教(物質主義的 な傾向を持つ宗教)の拡大という3つの視点から東南アジアにおける宗教を分析し、その問題点を指摘している。
また、人々の消費の中に宗教的な要素を求める傾向があることも同時に論じ、グローバル時代においても究極的に人間は宗教的な生き物であると捉えている。テクノロジーの発達によるグローバル化 の流れは必ずしも宗教にとって批判すべきことばかりではなく、貪欲さを引き出す資本主義に対抗するグローバルな力ともなりうる可能性を持ち、草の根からのグローバル化を目指すべきだと締めくくっている。パイサーン僧の立場は、グローバル化の影響で新しい宗教グループの隆盛に理解を示しながらも、人々の精神的な飢えに対する既存宗教の対応の脆弱さを 指摘している点で、既存宗教の改革に主眼が置かれた主張だと思われる。これは彼の国内での発言に影響を与えるものとなっている。
次に彼の改革派僧侶としての発言を見てみたい。
3 改革派僧侶としての発言
彼の国内活動の主な人脈は、スラク・シワラク氏、ピポップ・トンチャイ氏 などのNGO活動家、オルターナティブな開発・発展系の言論を数多く持つプラウェート・ワシー博士、プッタタート比丘の弟子たち(パヨム僧やサンティ ガロー僧など)、プラタンマピドック僧、評論家のニティ・イーオシーウォング 氏、社会学者のスリチャイ・ワングーオ氏や仏教哲学を専門とするスワンナー・サターアナン氏などである。
もちろんここで取り上げた人脈以外にも彼の活動を支え、協力する人もいる わけだが、主な人脈を見てもわかるように、タイのオルターナティブな開発・発展の言論を展開している論客たちである。 彼らとの共著も多く見られ、テーマも金銭と宗教、コンピューター時代における人間の状況と運命、消費主義について、現代社会における生と死について など、多岐にわたっており、研究者並みの言論活動を展開している。
近年では、サンガ改革の必要性も訴えている。とりわけ僧侶の教育に対して熱心に発言している。ドラッグがタイ国内の深刻な問題となっているが、それは僧侶の世界とも無縁ではない。20歳未満の若い出家僧であるネーンや出家して間もない僧侶たちの中には、出家以前からヤーバーなどの覚せい剤の常用が 止められずにいる者もいる。もちろん出家時には止めようと決意したのだが、なかなか止められず苦しんでいるというのだ。 このような問題に対して、長老の僧侶や宗教局の役人たちは触れたがらない。世間の悪評を恐れて認めようとしないのである。パイサーン僧をはじめ、北タイでHIV/エイズケアを行っている元僧侶のマウンド氏などは、問題を封印しようとする傾向に対して、彼らの問題はタイ社会全体の問題として受け止める べきだと述べている。そして寺の年長者への理解促進と、僧侶と地域コミュニティとの関係強化などを提案している。
以上のようにパイサーン僧の活動は国内外と多岐にわたっている。
2000年には、平和や民主主義に貢献した人物に贈られるプリーディー・パノムヨン賞の4人のうちの1人に選ばれた。ここ数年で、特筆すべき現象は、スカトー寺をリトリートの場として選びパイサーン僧からのレクチャーを受けるタイ国内の様々な公的機関が増えているということだろう。
学校や病院、警察といった機関がそれぞれの立場で仏教の智慧を求めて森の寺でのグループ学習を行っている。とりわけ警察のグループは、パイサーン僧の非暴力活動に関心を示し、度重なる市民との衝突の場面をいかに回避するかを模索している。パイサーン僧は、これらの現象に対し、喜ばしいことと憂慮すべきであることの両方があるという。
喜ばしいこととは、公的な機関に従事する人々が仏教に関心を持ち生活の中に生かそうとする姿勢であるといい、一方で憂慮すべきこととは、仏教を学ぶのにこうして遠くまで足を運ばないといけないこと自体、社会と真剣に関わっている寺がいかに少ないのかを示していると述べている。 パイサーン僧が批判を向ける矛先は、自身を含む僧侶全体のあり方へと変わりつつあるのである。
https://bit.ly/2KRE1wm
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学校法人 佐久学園 「人間福祉学部」新規開設について
2020年10月28日 佐久学園 理事長 盛岡正博
”ヒューマンケアの佐久大学”
少子社会で地方都市に、何故、文系の新学部を開設するのか?
(説明趣旨)・・・
・コロナ後社会を生き抜くことを思考し、行動力を持つ人財育成を図る
・ヒューマニズムなきグローバリズムは”暴力と侵略”である
・排他主義や利己主義と反智性主義の潮流に抗う共生社会を目指す
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シンポジウム 「アフターコロナを生き抜く人材育成」 2020年12月19日
コーディネーター 野口定久 人間福祉学部学部長予定者 日本福祉大学特別任用教授
”ヒューマンケア”の佐久大学人間福祉学部は、信州佐久の地に拠点を置いて、地域社会を基盤とした豊かな人間性を育み、地域社会に貢献できる、社会福祉領域を中心に看護領域および地域医療領域と連携した専門職人材を育成します。
ヒューマンケアという用語は耳慣れないと思いますが、
第1に、すべての人の命と健康をまもる保健医療の領域。(生命)
第2に、豊かな暮らしを実感する地域生活の領域。(生活)
第3に、人生100年時代を生きる健康長寿の領域(人生)
をカバーする新しい学問領域でもあります。
佐久大学人間福祉学部の学部長予定者の野口です。
(1)医療・福祉・介護現場は、いま新型コロナウイルスに直撃されています。”ヒューマンケア”の佐久大学人間福祉学部は新型コロナウイルスを克服する、新しい学問と実践の領域です。
(2)皆様方と一緒に、あたらしい学問領域を切り開き、医療・福祉・介護現場を楽しい、エッセンシャルワークの人材育成の場に変えてまいります。
(3)具体的には3つのプログラムに重点化して教育と研究を進めてまいります。
・地域で実際に学ぶ教育プログラム
・佐久ケア・モデルの実践
・地域で活躍する福祉系専門職資格の取得
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