幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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杉田水脈氏「撤回と謝罪」は口先だけ いまなおヘイトまき散らし、侮辱ツイッター温存の欺瞞 ”問題の人を重用した安倍元首相の問題とそれを引き継ぐ岸田首相の問題、それを認める国民の問題”

2022-12-06 18:08:18 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/4d50d2bba4a6303116f18bcc07a5f1004e4c52ce 12/6(火) 13:30 日刊ゲンダイDIGITAL


書き込みは残されたまま(杉田水脈議員のツイッターから)

 差別発言を意気揚々と繰り返してきた自民党の杉田水脈・総務政務官がいまなお、ヘイトをまき散らしている。

【写真】仏頂面で闊歩する杉田水脈氏 右翼陣営のアイドルと言われたことも(2018年)

 松本総務相に指示され、2日の参院予算委員会で一部の侮辱発言を渋々撤回し、当事者に謝罪すると答弁したが、口先だけだ。自身のツイッターにはアイヌ民族などを揶揄した書き込みが残されたまま。確信犯だ。

 松本の指示は、北海道新聞が〈発言の撤回がなく、この考え方のままであれば、アイヌ政策を担当する総務政務官にはふさわしくない〉とする北大アイヌ・先住民研究センター長の加藤博文教授の談話を報じた直後だった。

 そして、杉田氏は過去に月刊誌やブログで、LGBTなど性的少数者は「生産性がない」「チマチョゴリやアイヌの民族衣装のコスプレおばさん」などと表現したことについて「傷つかれた方々に謝罪し、そうした表現を取り消す」と答弁したのだが──。

過去の書き込みはそのまま、ツイッター更新も通常運転
〈余りにもしつこいので、写真をもう一枚。チマチョゴリとアイヌのコスプレの方は一緒にいましたよ〉

 杉田氏のツイッターには、この2016年2月19日の書き込みと、隠し撮りした写真が依然としてアップされている。さらに次のツイートにも「いいね」を押したままだ(いずれも5日午後7時現在)。

〈福島瑞穂さんがLGBT以上に気持ち悪いです〉(22年9月4日)

 2日の参院予算委で杉田氏を厳しく追及し、更迭を求めたのは社民党の福島党首だ。杉田氏は性暴力被害を訴えたジャーナリストの伊藤詩織さんを中傷するSNS投稿に「いいね」を大量に押して東京高裁から損害賠償を命じられたが、最高裁に上告している。学習能力が欠如しているのか、“ネトウヨ”に媚を売り続けているのか。

 ちなみに、杉田氏は5日午前にツイッターを更新。〈週末は地元・山口〉などの書き込みと共に写真を複数枚アップしており、SNSを“卒業”したわけではない。

 衆院比例中国ブロック選出の当選3回。決して「杉田水脈」の名で選挙を勝ち抜き、バッジをつけ続けているのではない。安倍元首相やその岩盤支持層にすり寄り、比例上位で優遇を受けた結果だ。製造者が鬼籍に入ったいま、自民党の良識が真に問われている。

感想
杉田水脈氏は、問題発言をする自分が嫌にならないのでしょうか?
もし、嫌にならないとしたら、どんな人なのでしょう。

逆に、問題発言をしても自分が嫌にならずに、問題発言を問題にされても問題発言を続ける人だと認識するのが良いのでしょう。
そしてそんな問題のある人を重用した安倍元首相と継続して重用する岸田首相がが同じように問題あるとのことでしょう。
国民に出来ることは、自民党を支持しない、岸田首相を支持しないことぐらいしかできません。
もし支持するなら、指示する人も問題のある人になるのでしょう。

性被害から7年、書くことで生き直す力を得た 伊藤詩織さんが著書『裸で泳ぐ』で言語化した思い ”多くの女性の力に!”

2022-12-06 09:28:08 | 社会
https://news.line.me/detail/oa-aera/4628zi89gqjm?mediadetail=1&utm_source=line&utm_medium=share&utm_campaign=none 2022年12月5日 19:00AERAAERA

『裸で泳ぐ』は、伊藤詩織さんの著書。25歳のとき性被害を受けた著者が、この1年間に感じてきたことをつづったエッセイ。子どもの頃の思い出や、ペットのウーパールーパーのことも。書くことは自分に正直になっていく作業、セラピー的な面もあったと話す。伊藤さんに、同書にかける思いを聞いた。

*  *  *

エッセイを書いた理由をこう話す。

「やっと自分の中で、言葉にならなかったものが少しずつ言語化できるようになってきました」

 伊藤詩織さん(33)。7年前、25歳のとき性被害を受けた。2年後、こんな思いを次の世代に引き継いでいってほしくないという思いから実名と顔を明かし、声を上げた。しかしそれによって、「被害者」「売名」「反日」など様々なラベル付けがされた。重い鎧を着せられ、誹謗中傷を受けてきた。どういった感情で日常を過ごしていけばいいかわからず、思いを言語化できないままだった。それを、昨年から日記のような形でつづったのが本書だ。

いとう・しおり/1989年生まれ。映像ジャーナリスト。初監督をしたドキュメンタリー“Lonely Deaths”で2018年、国際的メディアコンクールNew York Festivals銀賞を受賞。性暴力被害について書いた前作『Black Box』は世界各国で翻訳出版されている(photo 写真映像部・戸嶋日菜乃)

 心の中に潜んでいたモンスター、いつもよく見る怖い夢、飛び出してきた怒りについて……。その時々の思いを「めっちゃ、ぶつけた」。

 書くことは生き直す力を得ることでもあった。ゆっくり振り返りながら日常を描いていくことで、少しずつ気持ちに変化が起きたという。

 サバイビングからリビングへ──。ある日、わかった。「生きのびる」から、ただ「生きる」に自分が置かれた環境がはっきりと変わったと。

「それまでは、どこからパンチや石が飛んでくるのかわからず常に戦闘モードでいて、生きのびることに必死でした。それまでの日常にはもう戻れないと思っていたけど、それがある瞬間、『あ、生活している』って思えたんです」

 それは決して時間が解決したのではない。一人だと食事を忘れてしまうことも多かったが、一緒にご飯を食べてくれる友人や共感してくれる人がいたから、その中でそう思えるようになっていったのだという。

 最後の日記には「ただいま」という見出しがつき、「I am home.」──「ただいま」という言葉で終わる。

 伊藤さんにとってこの7年は、自分の中のホームを見失っていた期間でもあった。それが、被害に遭ってからずっと支えてくれたロンドンの知り合いの家をコロナ禍もあり3年ぶりに訪ねた。すると、「ただいま」と大きな声で言える場所があることに気がついた。

「満たされた感じ。こういう気持ちになれたからこそ、始まることはたくさんあると思います」

 ドキッとさせられるタイトルは、昨年一番心に残る出来事から取った。

 友人の結婚式で鹿児島県の屋久島に行き、夜、裸になって海で泳いだ。星だけが輝く空と海の間に境界はなく、そこでは自分はただの生物の一つ。自分についていたあらゆるラベルが水の中に溶けてゆき、生きていると実感した。

「私の中ではこれが本当に何も隠さないままの姿。鎧を着ないで、素手で戦う。自分を偽ることなく、そのままでいられるということです」

 おかえり──。今この言葉を、彼女にかけたい。(編集部・野村昌二)
※AERA 2022年12月5日号

感想
【伊藤詩織さん事件】現場ホテルのドアマンが目撃した山口敬之の「連れ込み現場」 ”警察、検察はこの証言をどうみたのでしょうか?”

山口敬之氏が詩織さんへあまりにも卑劣な反論! 核心からは逃げ、印象操作と陰謀論で詩織さんを攻撃 "人格的にも問題ある人では?”

伊藤詩織さん「性暴力被害」勝訴判決確定 「声が届いた」7年間 ”山口敬之氏の準強姦が民事で認定、レイプドラッグは証拠不十分”

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詩織さんの勇気ある発言と行動が多くの女性の大きな力になっています。
そのためにも、詩織さんを支える発言と行動が詩織さんの力でもあるのでしょう。

杉田水脈氏のように、詩織さんの名誉棄損になるようなことを発言し続ける人がいることも、怖い世の中です。

気になったのは、杉田水脈氏の詩織さんに関する元記事が閲覧不能になっています。
圧力があったのでしょうか?
事実は事実として認識することが正しい理解の一歩なのですが。

あらゆる投薬法で「七転八倒」「遺骨は青く」 熊本・ハンセン病療養所で「虹波」人体実験 園長の目の前で…入所者が証言 菊池恵楓園 ”今からでも事実の解明と責任者を罰することが必要では?”

2022-12-06 01:48:00 | 社会
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8cae294f3409d990b84c8aecc378acfe986a86e 12/5(月) 9:43 熊本日日新聞
「虹波」を手にする菊池恵楓園入所者自治会副会長の太田明さん=合志市

 戦時中、国立ハンセン病療養所・菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者に虹波[こうは]と呼ばれる薬剤が投与され、9人が死亡したことを示す文書群を同園が初めて開示した。同園で治験が始まったのは1942年末。静脈注射や筋肉注射、座薬などあらゆる投与法が試された。入所者の長州次郎さん(95)は、紫色の錠剤を一日3錠飲まされた経験を入所者自治会機関誌「菊池野」などにつづっている。

 厚生労働省の「ハンセン病問題に関する検証会議の提言に基づく再発防止検討会」の聞き取りによると、43年に入所した長州さんは終戦まで虹波を服用させられた。

 飲み始めると月に1回は胃がけいれんし、数日は食事を取れなかった。夕飯を朝に吐き出すこともあり、「虹波のせいで七転八倒した」と語っている。治験後に死亡した入所者の遺骨は青っぽく、「骨に色が付くほど強い薬だったのだろう」とも証言している。

 各療養所の園長には当時、らい予防法(旧法)に基づき指示に従わない患者に懲罰を与える「懲戒検束権」が与えられていた。長州さんが服用を指示されたのは宮崎松記園長(当時)の目の前で、辞退することはできなかった。長州さんは取材に対し、「治療のため恵楓園に来たはずなのに、正体不明の薬まで飲まされたのは一番残念なことだ」と話した。

菊池恵楓園の宮崎松記園長が陸軍嘱託として作成した「虹波ノ癩ニ対スル効果試験 報告第1報(概要)昭和18年10月10日現在」(菊池恵楓園所蔵)

 「園長の言うことは絶対で、反対すれば監禁室に送られる時代だった」と振り返るのは入所者自治会長の志村康さん(89)。入所した48年、治験は治療薬「プロミン」にとって代わっていたが、志村さんは恵楓園内で「体中の穴という穴から薬を入れていたらしい」「皮膚に塗ったから死なずに済んだ」といった虹波の話を何度も聞いた。

 2004年に恵楓園の倉庫で虹波の研究結果を記した大学ノートを見つけたのは、入所者自治会副会長の太田明さん(79)だった。厚生労働省の調査に合わせて資料を探す中、偶然に出てきた。記していたのは宮崎園長だった。

 詳しい資料がなかったため、ハンセン病を巡るこれまでの裁判で虹波の実験が裁かれたことはなかった。志村さんは「物証がないため国の責任を追及できなかった。資料が残っていて良かった」と語り、太田さんは「患者の骨格標本が勝手に作られていた問題と同じように、きちんと検証されるべきだ」と訴えた。(熊本日日新聞・深川杏樹)

 ■菊池恵楓園 全国に13カ所ある国立ハンセン病療養所の一つ。1909年、九州7県連合立九州癩[らい]療養所として、現在の熊本県合志市に開設。11年に九州療養所、41年に国立に移管し、菊池恵楓園と改称した。強制隔離を規定した「らい予防法」に基づき大規模な病床拡張が進められ、50年代後半のピーク時には入所者が1700人を超えた。9月末時点の入所者は国内最多の145人。高齢化が進み、平均年齢は86・5歳となっている。

感想
「九州大学生体解剖事件 70年の真実」熊野以素著 ”「仕方がなかったなどというてはいかん」”

なぜ九州大学医学部は裁判になったか?
それは犠牲者が米国人だったからです。

日本人が犠牲者の場合は権力者によって病に葬り去られているのです。

・「仕方がなかったなどというてはいかん」(『生体解剖-九州大学医学部事件』上坂冬子書)
「どんなことでも自分さえしっかりしとれば阻止できるのです。・・・。言い訳は許されんとです」

上司の命令でもやってはいけないことはやってはいけないのです。
そうしないと、やった人が苦しむのです。
そしてその家族も苦しむのです。
森友学園問題の赤木さんがまさにその事例になっています。

九州大学医学部は責任者は処罰されました。
同じことが起きないためにも、ぜひ明確にしていただきたいです。