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いなり寿司「万引き」疑いで女性を誤認逮捕、3日勾留…逮捕したのは万引きGメンなのか、警察に事件の全貌を聞いた【一問一答】 ”大型スーパー名は***?”

2024-04-19 10:00:40 | 社会

 4月16日、滋賀県警近江八幡署は、市内のスーパーマーケットでいなり寿司を万引きした疑いで逮捕した女性(74)について、誤認逮捕だったと発表した。  
 女性は13日午前11時10分ごろ、署員に現行犯逮捕され、勾留された。女性が釈放されたのは16日夜のことで、拘束時間は約82時間にも及んだという。  

 朝日新聞は、以下のように報道している。 
《同店関係者が、女性が売り場でいなりずしパックをカバンに入れるのを目撃したとして署に通報した。女性は逮捕後、「知人の男性からもらったもの」として、容疑を一貫して否認していたという。  
 署が16日に女性の知人の男性に事情を聴いたところ、知人が同店で購入したいなりずしを店内の休憩スペースで女性に渡していたことが判明。当日のスーパーの在庫数と販売数の合計も一致したことから、16日午後9時25分ごろ女性を釈放した》  

 このニュースにSNS上では、 
《誤認逮捕は仕方ないとしても3日も拘留させたって長すぎない?しかもいなり寿司で…》 
《そりゃ、ひどい。万引きとか窃盗の現場を押さえて逮捕しているのかと。在庫確認にもそんなにかかるの》 《
知人に確認するだけで何で3日も拘留するんだよ!》  
など、警察批判の投稿が寄せられている。  

 確かに、知人に確認するなどの裏付け捜査に、なぜ3日もかかったのか? 
杉中高広・近江八幡署副署長に電話で話を聞いた。
 本誌:報道を見ますと、女性がスーパーマーケットで万引きしたとお店から通報があったと。女性が売り場でいなり寿司パックをカバンに入れるのを目撃したと通報があったのですが? 副署長:通報自体は「万引きした女性が店内にいます」という内容でした。 

本誌:いなり寿司パックをカバンに入れるのを目撃した、という通報ではないのですね? 副署長:そうですね。通報自体は「万引きした女性がいま店内にいます」ですね。 

本誌:それで、署員が駆けつけて、防犯カメラの映像を確認したところ、女性が食品売り場で商品を手に取ったり、何かをカバンに入れる様子が映っていたのを確認したと? 副署長:逮捕前には、そこまで確認できていないんです。 

本誌:逮捕前はどういう状況だったのですか? 副署長:逮捕前はですね、女性の動きを目撃していた店舗の関係者から事情聴取しまして。 本誌:それは万引きGメンの方? 副署長:ちょっとそれは……。店舗の関係者ということで。まぁ、一般の方ではないということです。それで、その話と、女性のカバンのなかにお店で売っている商品が入っていた状況から、万引きと疑うに足ると判断できたので。それで逮捕したということです。

 本誌:女性が、知人の男性からもらったと主張したのはいつの段階ですか? 副署長:それは逮捕した後、弁解録取(警察署へ連行後、逮捕された被疑者の弁解を聴く手続)とか取り調べに入ってからですね。 

本誌:女性は逮捕時に「これは知人からもらったものですよ。万引きしていませんよ」とは言わなかったのですか? 副署長:逮捕したときには「いや、知らん。してへん」と。そのときにはもらったものとは言わなかった。弁解録取のときですね。 

本誌:逮捕時に「もらったもんや」という言い方はしていなかったのですね? 副署長:はい。 本誌:報道では、3日後の16日に女性にいなり寿司を渡した男性に事情を聴いたとありますが、なんで時間がかかったのですか? 副署長:女性が「男性にもらった」と言ったんですけど、「加賀中央に住んでいる知らない人にもらいました」と言うとるわけなんですね。加賀中央というのはですね、ちょっとそのときは捜査員にもはっきりわからなくて。捜査していくうちに、八幡市内にある加賀中央というバス停付近に住んでいらっしゃる方のようだと。女性は当初から、男性の名前は知らず、たまに顔を合わす顔見知り程度の人やと。 

本誌:それで男性を探し当てるのに時間がかかった? 副署長:そうですね。はい。 本誌:探し始めて、ようやく16日にわかったと? 副署長:16日の夕方に男性に話を聴けたという。 

本誌:どうやって割り出した? 副署長:防犯ビデオを見直しますと、犯行というか、そう思われる時間の前に、店内で男性と一緒にいる姿が映っていた。その男性を追いかけていくと、どの商品かはわからないですが、なにか商品を購入していると。そこで店の会員証を使っていることがわかりまして、店に照会してようやくわかったということです。 

本誌:男性の名前と住所がわかったのですか? 副署長:どこまでわかったのかはわかりませんが、連絡が取れる程度にはわかったと。16日にわかって、その日に電話で聴取しました。 本誌:そこで男性は、自分が渡したと証言したのですね? 副署長:そうです。男性も女性の名前は知らず、顔見知り程度。「確かにいなり寿司のパックを渡しましたよ」ということで、供述が合うなとなりまして。 

本誌:お店の在庫と販売数が一致したとありますが、その前にスーパーは、在庫と販売数の確認はしていなかったということですか? 副署長:そうですね。ちょっとそのへんもウチが遅れている部分もあったかと思うんですが、並行してスーパーにも確認して、在庫数と販売実績が矛盾のない結果になりましたので。 

本誌:スーパーのほうに、売れた数と在庫の数を数えてくれみたいなことを、13日に言わなかったのですか? 副署長:その日には、あれですね。 

本誌:在庫等の確認をしてくれと言ったのはいつなんですか? 副署長:それもですね。16日、詳しいのはちょっとわからないですが。 

本誌:男性が「渡しましたよ」と言った後に在庫を確認してもらった? 副署長:後ではないですけども。男性が供述したころに、数が合っていると判明したと。それで嫌疑なしになりました。女性の方には、経緯を説明して、謝罪したうえで釈放しました。 

本誌:親族の面会などはありましたか? 副署長:そこまではちょっと存じ上げていないのですが……。  副署長は「逮捕された方には心からお詫びを申し上げます。しかるべき調査をしたうえで、再発防止を図って参ります」とコメントしている。

感想
 あまりにもレベルの低い滋賀県警近江八幡署ですね。
こんなことがあると、一生懸命に頑張っている他の警察官が気の毒です。
「きっと滋賀県警はレベルが低いから、こういうことが起きた」
と思う人が多いと思います。

 それと大型店のスーパーとのこと。
なぜ名前をださないのでしょう?
あまりにも、お客様に対して失礼です。
「お客さまを見たら泥棒を思え!」と社員教育しているのでしょうか。
社員の問題ではなく店の責任者の問題ですね。

イオン近江八幡店が濃厚かとの記事がネットにありました。
もしこれが誤認だとすると責任はどうなるのでしょう。
単に推測だけです。
今回は逮捕してかつ80時間の拘束までしています。
謝罪したでは済まないように思います。
きちんとお店の責任者は謝罪会見し、対策をあげてやって欲しいものです。
滋賀県警もきちんと本人とその家族に謝罪した後、謝罪会見をすることがまずはやることではないでしょうか。

裁判で訴えたら、心的なショックと身体への影響をいくらで試算してくれるのでしょうか。

「暴力とアディクション」信田さよ子著 ”DVや虐待がなかなかなくならない理由が少しわかったような気がしました”

2024-04-19 09:10:22 | 本の紹介
・妻はこの夫の言語化していない思い(=文脈)に気づいていないので、夕食後宿題をやるように子どもに説得していたところを夫から突然怒鳴られ蹴られたと思う。その際に妻は蹴られた痛みではなく、夫の言葉や行為に驚き、いっぽうで殺されるかもしれないという恐怖に圧倒される。
 このような経験を積み重ねるうちに、家族内の暴力被害者たちは、予測不能性に伴う恐怖と、夫に『お前が悪い』と言われ続け内面化された自責感、夫の怒りを誘発する地雷を二度と踏まないための緊張感で圧倒されるようになる。夫の暴力は妻の文脈性を切断するのだ。

・つまり暴力による痛みは、事後的に「痛かったのだ」と文脈化され始めて経験されることになる。言い換えれば、暴力が経ち切った文脈は、事後的に感取された痛みによって再び文脈化するのである。後述する自傷行為はある文脈性という観点から説明できるだろう。

・何より私が困っていたのがリストカットである。左手の手首から下には何本もの切り傷があり、治りかけると瘡蓋をはがしてまた切るといった行為を繰り返していた。これまでの経験から「やめましょうね」などと言ってもなんの効果もないことを知っていたので、思い余った私は「死なないように切ってね」と言った。・・・
 ピアノを学びなおすために彼女は一人暮らしを始めた。親は迷ったが「この子は死ぬかもしれないが、それでもやりたいことをやらせてみよう」と覚悟して家を出した。その後極限までやせ、栄養不良でむくんだ足のあちこちから歩くたびにピューッと水(内分泌液だろう)が飛び出るようになった。身体的に限界がきたと思った彼女は自ら救急車を呼び内科病院に入院した。病室には高齢女性が多く、その人たちは病院食を毎回両手を合わせておがんでから食べていた。そんな姿を見るうちに、彼女は少しずつ食事が摂れるようになった。こうして回復し始めたのである。
 先日四年ぶりに会う機会があった。結婚してふっくらした彼女が笑いながら言った。「ときどき夏になると腕の傷痕を見るんですよ。もう一度切ってみようかなんて思うんですけど、たぶん痛くてだめですね」。

・手頸を切ったあとは「このうえもなく安らか」になる。

・記念日反応の言葉は、援助者のあいだではよく知られており、カウンセリングでは珍しい事態ではない。大きな出来事が起きた日が近づくと、さまざまな負の反応が起きることを指す。

・こうして敗北・被害を「なかったこと」にすることは、一見前向きに見えるが、実は人間としてのもっとも大切な感覚を麻ひさせ鈍麻させることなのかもしれない。その鈍麻ゆえに周囲の人間への支配に無自覚になることは、多くの母たちの尊大さと自己懐疑のなさに表れている。

・アディクションアプローチのキーワード
 ①家族ファースト
  誰が病者かを診断し見立てるのではなく、もっとも困っている家族をファーストクライエントと位置づける。
 ②「底つき」概念
  自分の行為の結果を本人に突きつける。アディクションをやめて生きるかそれとも死かというギリギリの地点に直面することで回復に向かうことを表す。いわば援助不要論でもある。
 ③イネーブリング
  「~のために」という愛情に満ちた好意が、底つきを防げ、開腹を阻害するという、いわば援助有害論である。
 ④自助グループ
  当事者のグループとの境界設定、協働、連携なくして専門家の援助は在立しないという当事者先行を表す。
 以上の四点は、専門家の役割、家族の愛憎、治療行為のパラダイム転換を促す。このラディカルさが、多くの援助者のアディクションは難しいという先入観につながり、専門家に忌避されがちだった理由だろう。

・家族への心理教育とグループカウンセリング
 まず必要な援助は、ギャンブル依存症の全体像と対応の概略を学ぶ機会を提供することである。

・ギャンブル依存症の家族の場合、対応ポイントをいくつか挙げよう。
 ①尻ぬぐいしない(お金を出さない)
 ②即答を避ける 「少し考えさせてください」
 ③交換条件を恐れない
  「私の勧めるカウンセリングにとりあえず一回行ってください。そのことを確認してからお金を出します」

・本人が自助グループに参加するいっぽうで、家族はGAMANON(ギャマノン)に参加することを勧める。

・その場合の子どもが親を責める決め台詞は「なぜ嘘をついた」だった。

・親のことを秘密にする子どもたち(アダルト・チルドレン)

・ノルウェーの絵本『パパと怒り鬼-話してごらん、だれかに』

・そのような性被害待被害者との出会いを通して、決して嘘という判断だけはするまい、万が一騙されたのであってもそれでいい、語られることは全て信じるところから出発しようと決心したのだ。それが「嘘」という言葉に対する筆者の基本的姿勢となっている。

・増加する面前DVという心理的虐待
 このことが全国の虐待通報件数を大きく押し上げることになり、メディアも注目するようになった。2017年度上半期警察庁まとめによれば、通報された18歳未満の子どもは初めて3万人を超え、その70%が心理的虐待で、さらにその70%を面前DVが占めるという。

・DVは長く続くわけではない、30分後、もしくは翌日には何もなかったように両親が和やかに過ごす時間もあるだろう。子どもはしかし、それに心底安心できるわけではない、この世界も父の機嫌しだいで、母のひとことで、すぐにもろく壊れてしまう、とう思っている。再び到来する事態に向けていつも覚悟し準備していなければならない。夢が破れる苦悩を味わうことになるからだ。このことがトラウマ反応のひとつである過覚醒をもたらす。もっと残酷なことに、両親が一見平和なときは心から安心しているというふりをしなければならないことだ。特に母親を心配させないためには、元気で何も覚えていない天真爛漫な子どもを演じなけれがならない。そのことの負担・負荷にはほとんど親や大人は気づいていない。

・『私は親のようにならない』C・ブラック著

・なぜ親をケアし支えるのか
 ひとつの理由は世界が壊れないためにである。自分の保護者である親の生命危機は世界の崩壊を意味するため、子どもがそれを防ぐために世界を支えるのである。世界とは親のことだ。

・特に女性の場合は、ケア役割を担うのは女性であるとうジェンダー規範もそれについてまわる。

・YC(ヤングケアラー)との面談において必要なこと
 ①「よくやってきましたね」とケア行為を評価すること。
 ②「どのようなことを、どのようにしてきたのかを聞かせてくれますか」と伝える。
 ③「どんな苦労があったんでしょう」と質問をする。

・自助グループでの「言いっぱなし、聞きっぱななし」を一周目に取り入れている点が大きな特徴だ。
 後半は、ファシリテーターとしてコメントするようにしているが、筆者の役割は何よりも場の安全性の確保だと考えている。どんな発話内容でも否定されないための防御壁になること、そして参加者の一週間の行動を肯定的に評価する言葉を忘れず、とにかく、ねぎらうことが不可欠である。

・習慣的にアルコールを飲んで家族を困らせる父親、その妻である母親と子どもたち。この三者それぞれに対して、依存症、共依存、アドルと・チルドレン(AC)という別個の名前がつけられた。

・育児機能を主として担うのは母親であるという前提で述べたい。自分自身が抱える問題で母親がせいいっぱいになる場合には、次の四種類が考えられる。
 ①なんらかの心理的精神的な問題がある
 ②母親がDVを受けている
 ③貧困の影響
 ④自分と親との関係に翻弄されてしまう

・『月白の道』丸山豊著
 「私たちはおたがいに心の虫歯をもっていたほうがよい。ズキズキと虫歯がいたむたびに、心のおくの一番大切なところが目ざめてくる」

・DVと虐待は、名前こそ違っても、一つの家庭の中で起こる「家族の暴力」です。

・そもそも加害者は、配偶者を殴ってもそれがDVに当たるなどとは思わず、殴らせる相手が悪いと思っていますので、それがDVと指摘されると逆切れします。いっぽう、殴られている人は自分が悪いからだと信じているので、自らを責めるばかりでそれ以外の世界や生き方を想像することができません。

・ではなぜ、加害者は家族に対して暴力を振るうのでしょうか。心理学では、幼いころに親との関係で安定感や安心感を獲得できなかったことを「アタッチメント形成不全」と呼びます。これはいわゆる愛情不足ではなく、あくまで子どもにとっての安心感が欠如していることを指しています。この人たちが成長し、親になった時、自分の子が泣き止まなかったり、言うことを聞かないといった不快な反応を示すと、ケアや優しさではんく、「自分の存在を否定された」「敵意を向けられた」と感じて、子どもに対して怒りや不快感を示してしまう場合があります。配偶者に対しても同様の反応を示せば、これが虐待やDVになる危険性は高いでしょう。全ての加害者に当てはまるわけではありませんが、幼少時のアタッチメントの欠如はその後の家庭生活に深刻な影響を及ぼすのです。

・参加者の多くは「怒りを我慢する方法を勉強しにきました」と語りますが、大切なのは、怒りの感情を抑えたり、封じ込めたりすることではありません。怒るのはどんな認知によるのかを知り、それを変えることです。
 もう一つは、怒りを感じた時、その表現を変えることです。怒りを暴力・怒鳴る・無視といった行為でしか伝えられない選択肢の貧弱さが、DVとなります。そもそも怒りを完全になくすことは不可能ですし、感情に善悪はありません。相手を傷つけない、怯えさせない表現方法こそ、人間であることの証明でしょう。

・私たちのような開業心理相談機関として経済的自立を果たしている存在が稀であることもあまり知られていない。

・DV加害者プログラムの参加男性たちの言葉を借りればこのようになる。
「妻は自分のことをDV加害者だというが、むしろ自分のほうが被害者だ」
「これだけ普段我慢しているのに、それを理解しようとせずにあんな口調で言われたら誰でもキレますよ」

・加害者は加害記憶を喪失する。しかし被害者は死ぬまでそれを抱える。これは筆者の正直な実感である。

・表紙を飾った三枚の絵(筆者の本)
わたしはエゴン・シーレの絵が好きだ。多くの彼の絵には、まるで摂食障害者のような体躯の人物ばかりが描かれている。挑むような視線、形骸だけの肉体、そして装飾を削ぎ落したかのような表情の人物像は、まるで彼が21世紀の未来をすでに予見していたかのような錯覚におちるらせる。 


感想
 本を読むということは知らないことを知ることなのでしょう。
そして自分の意識できる想像の世界が広がるように感じました。

 信田さよ子さんを知りませんでしたが、虐待に取り組んでいる人々の間では有名な方だったようです。
 これまでいろいろ本を読んできましたが、その本からはつながりませんでした。最近読んだ本に紹介されていて読みました。

 対面DVのこと。加害者は暴力振るわせたお前が悪いと思っていること、などなど知らないことが多くありました。

 エゴン・シーレの作品も知りませんでした。信田さよ子さんが言われるように、心に重い何かを抱えている印象を受けました。

 自分が知らないことがあることを知ることが大切なのでしょう。
そして自分の考えだけが考えではない。もっと違った考えもある。
自分はそれが一番良いと思っていても、実はそうでない見方や考え方がある。
そのためには本を読む、他の人のアドバイスを求める。
また自分で自分の気持ちを書いたり、話したりすることで自分を客観的に知ることもできるのでしょう。
 易占(『易経』)は筮竹で占ったのを四書五経の一つ『易経』に書いてあることを当てはめて、自分のこれからの行動に色々な視点を与えてくれて、自分の選択をより良いものにしていくものだと知りました。
 占い、カウンセリングなどもそれを信じることよりも、自分の視点を広げることに活用できるとよいなあと思いました。

 貧困、虐待、DVなどの連鎖(親から子へ)が続いているように思います。
経ち切るには、政治と教育を今一度見直す必要があるように思います。
 それと自ら学び続けることが自分の、自分の周りの人を幸せにするためには必須のように思いました。