幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「私の夫はマサイ戦士」永松真紀著 ”文化の違いを知る、自分たちの文化を考える”

2024-04-10 23:02:22 | 本の紹介
・この10年、実にいろんなことがありました。恋もし、結婚もし、離婚もしました。そして現在、私はケニアの中での伝統的な生活を営むマサイの戦士の第二夫人に迎えられ、首都ナイロビと、夫ジャクソンの住むケニア西部の小さな村エナイボルクルムを行き来しながら、世界中をj駆け巡る添乗員の仕事を続けています。

・それ以上に衝撃を受けたのは、またもやケニアだったのです。それは、ナイロビで暮らす、ひとりの日本人女性との出会いでした。
 彼女の名前は早川千晶、現在、彼女はフリーライターとして日本の新聞や雑誌にアフリカの文化や生活を紹介する原稿を執筆するかたわら、ナイロビ最大級のスラム、キベラでの学校建設と運営、スラム住民の生活向上プロジェクトの推進、リサイクル運動、大自然体験ツアー、マサイのコミュニティが行うエコツアーのサポート、日本での講演やイベント企画などを精力的に行っています。・・・
 驚いたのは、私とひとつしか違わない24歳ながら、既に1歳になる娘とケニア人の夫を持ち、ケニアにしっかり根を下ろしていることでした。アジア、ヨーロッパ、アフリカを三年放浪した後、ケニアのナイロビに定住していると言う彼女はまぶしいくらいたくましく生きていました。

・『アフリカ日和』早川千晶著

・『沈まぬ太陽』山崎豊子著の主人公・恩地元のモデルになった、元日本航空労働組合委員長・小倉貫太郎さんが企画・同行するツアーの添乗を引き受けたことも、ケニアでの土台を作る大きなきっかけになりました。

・小倉さんのツアーの添乗をして以来、私は千晶さんや現地旅行会社に勤める日本人スタッフの友人と一緒に、サファリだけでなく、孤児院や学校、病院を訪れるスタディツアー。ケニアの一般家庭に滞在するホームスティ、マサイ族と一緒に山羊を潰して食べる体験型のカルチャーツアーなどを組み込んだツアーの企画を旅行会社に持ち込むようになりました。・・・
 やればやるほど手応えを感じる。ケニアに住んでいるからこそアレンジできる添乗の仕事に、私はどっぷりのめり込むようになりました。

・マサイの男性には大きく分けて少年期、下級青年期、上級青年期、長老期、最長老期といった五つの世代があります。下級と上級青年期のふたつの時期は戦士時代と呼ばれます。いずれの世代もそれぞれの儀式があり、それらすべての儀式を通過してから、ようやく次の世代に移ることができるのです。
 彼らにとって、次の世代に移ることは大きな意味を持ち、どの村でも世代最後の儀式は盛大に行われるのが一般的です。

・マサイの男性にとって最初に通過する儀式は「割礼」です。ケニアでは最大民族のひとつ、ルオ族以外はほぼ割礼をする習慣がありますが、その年代はまちまちで、1~3歳といった幼児期に行う民族もあれば、14~16歳で行う民族もあります。
 マサイは割礼を大人の入り口に立つために必要なもの、痛みに耐えてこそ本当の男になれると捉えているからか、11~15歳の間に行ところが多いようです。

・マサイは女性も嫁入り前の12~14歳、初潮を迎えると割礼を行いますが、男性のように儀式を行うことはありません。あくまでも嫁入り前の身だしなみとして行われます。それだけに、ある程度の年齢に達した女性が割礼をしていないことは、恥ずかしいことだと思っているのです。エナイボルクルム村では既婚者の100%が割礼を行っていました。ただ、ナイロビや他の地方都市近郊に住むマサイは、教会や教育の影響があってか、割礼から逃げ出す少女たちもたくさんいます。

・彼らの中には親公認のガールフレンドを何人か持つ戦士もいます。・・・時には成長が早く妊娠し出産するまでする少女もいるようですが、その場合には両親の子どもとして育てられます。
 下級青年期なら、たとえ結婚していてもガールフレンドを持つことは問題ではなく、奥さんのいる家にそのガールフレンドを連れてきて、性交渉をすることもあるのだそうです。それでも妻はなんとも思わない。それが下級青年期の伝統だからだと言うのです。

・彼らにとって、「愛する」ということは、「信頼する」ということなのです。そこには西洋的なベタベタしたスキンシップは全くありません。男と女が一緒に並んで歩くことすらないのです。それは私が今まで知っていた愛の形とは全く違っていました。
 彼らはお互いを尊重し、信頼し合う、一夫多妻制の中で生きています。

・この地域では二世代前まではお客さんが訪れると、最高のもてなしとして奥さんを提供していたと言います。それゆえに、大切な花嫁を親友と共有する習慣はおどろくことでもないのでしょうが、さすがに引いてしまいました。
 結局、私は外国人だから無理しなくてもいいということになり、とりあえずは安心しました。

・「マサイにとって最も重要なことは年長者を敬うこと、モラルを持つこと、マサイの伝統文化を尊重すること、すべてのマサイの文化を実践することができなくても敬意を持つこと」

・ジャクソンはと言えば、第一夫人のアンゴイとの結婚は伝統婚だったため、当然のことながら役所には婚姻届けを提出していません。しかし、外国人である私がケニアに滞在するためには、婚姻届けを出し、結婚ビザを取得しなければならないのです。・・・
 ケニアの法律では重婚を認めていませんが、ジャクソンとアンゴイは婚姻届けを出していないので、事実上、第二夫人の私が婚姻届けを出しても問題はないはず。・・・
 そして一か月後、再び役所を訪れると今度は、いくら法律上の手続きはしていなくても、私が第二夫人であることは事実なのだから、重婚は認められないと言うのです。

・「マサイは死に目に立ち会うとか、葬式に出るってことはあまり重要じゃないんだよ。人は生きている時がすべて。死んでしまうとそれは物体でしかないんだ」

・この世の中に存在する牛はすべて神がマサイのために作ったものだと解釈しています。そのため、他民族の牛を盗むことは正当行為でり、返してもらうことだから悪くないと思っているのです。

・「戦いの前線に行っても死ぬことを考えたことはないし、死ぬことは怖くない」

・「不安は雨のことだけ。雨さえ降れば牛も元気だし、人間も病気をしない。元気でいられる」

・「人生に迷いはない。もし分からないことがあれば、長老に相談すればいい。長老は正しいことを知っている。だから何ら迷わないし、不安もない」

・ジャクソンの亡くなった兄の息子(甥)が2010年に隣国のウガンダ最大の大学、マケレレ大学を卒業しました。地域初の大卒の誕生に、村は大騒ぎ、車で凱旋帰郷した甥を迎え、最大のお祭りとなりました。地域のお母さんたちはみな誇らしげで、泣いている人もいるほど。そのお祝いの席で、長老たちが心に残るスピーチをしました。
 「高い教育を受けて、君はこれから仕事をしていくだろう。都会にしがみついて頑張るうちに、悪い人たちにそそのかされて悪いことを覚えるかもしれない。悪いことをするために、さらに悪いことを塗り重ねてしまうかもしれない。そこまでして都会にしがみつくことはない。そんなときは戻ってきなさい」
 「君のように高い教育を受けた人は今までいなかった。これから都会で暮らすうち、読み書きのできない我々長老を哀れに思うかもしれない。都会的で洗練された料理を作れない母親たちのことをみじめに思うかもしれない。でも君をそこまで育て上げたのはこの地域の人たちだということを忘れてはいけない」

・「マサイはマサイでキリスト教徒になった人のこともリスペクトします。それを妨害したりは決してしません。なのに、なぜ彼らはマサイがとっても大切にしているエウノトさえも妨害しようとするのでしょうか。今回のエウノトでも、彼らは何度も何度も神木を倒しにきました。なぜ彼らは私たちの文化をリスペクトできないのか、理解に苦しみます」

・「悪い結果は考えない。もし問題に直面したら、そのときに考えればいい。日本人は悪い結果のことしか考えないから前に進めないのでは?」

・「何か一つ、日本から持って帰れるものがあるとしたら、何を持って帰りたいですか」
 ジャクソンはその質問にじっくり考えたのち、
「いつの季節も枯れることなく流れている、日本の川を持って帰りたいです」

感想
 ケニアでもマサイ族は昔からの伝統と習慣を守り生きている人たちだそうです。

彼らにとって、「愛する」ということは、「信頼する」ということなのです。
⇒なるほどなあ。愛情の根底には信頼が必須なのでしょう。

「マサイは死に目に立ち会うとか、葬式に出るってことはあまり重要じゃないんだよ。人は生きている時がすべて。死んでしまうとそれは物体でしかないんだ」
⇒「今を大切にして生きる」を実践されている人たちだと思いました。
人はつい、過去を憂い、未来を心配し、今を大切にしていない場合があります。
さらに今を大切にすることを考えてみたいと思いました。

著者は自分が第二夫人になる意義について考えました。
マサイ族と現代社会をつなぐ架け橋としての役割があるのだと。
マサイ族も変わって行かないと伝統と習慣を守り続けることがとても難しくなるので、新しいものを受け容れて自ら変わろうとしている考えを持っているようです。
 著者が関心を持って「逢いたい」と言ったら、相手が長老と相談して、また第一夫人とも相談して、「第二夫人として迎えたい」と言われたそうです。
 著者はいろいろな人と相談して、第二夫人として人生にチャレンジすることを決めたそうです。
 とても難しい、迷う決断だったと思います。
 人生において、このような決断はあるでしょうね。

 私は”安全な、安全な”選択肢を選んできたように思います。
それで60歳の時、定年は65歳、部長と理事の肩書継続、給与もそこそこあるのを捨てて、他の会社の人に自分が仕事で学び体験したことを伝えたいと思い、早期退職をしました。
 10年経過して思うことは、やはり持っているものを捨てないと新しいものは、それも大きいものは掴むことができないということでした。
 どうなるか”安全な”選択肢ではないのですが、リスクがあるということはリスクの大きさに比例して可能性が広がるということなのでしょう。

 マサイの文化にはいろいろ考えさせられました。
自然環境の中生きていくために生まれてきたのだと思います。
 中近東のイスラム社会では一夫多妻です。
それは厳しい砂漠のような環境では、裕福な者が生活できない女性の生活を支援するためとも言われています。

 マサイは闘いで命を落とす戦士も多かったと思います。そうすると男性が少ないので、一夫多妻にして女性を支えていたのかもしれません。
 干ばつが進み伝統的な生活が脅かされているそうです。

 平家の落人が山奥に逃げて生活をしている所では、近親婚が多く、そのためたまに来る旅人に女性がその旅人の遺伝子をもらい近親で濃くなった遺伝子を多様化するためだったようです。
 その厳しい環境で生き残るために生まれた習慣、文化なのかもしれません。
なので、違う環境で生まれた文化で以って他を良い悪いとは言えるものではないのでしょう。
ただ、他の文化を知り、良くないところを変えていく、さらに良くして行くチャレンジは必要なのでしょう。そのチャレンジが無ければ滅んでいくのかもしれません。

 マサイの考え方は、人生の生きる上でとても新鮮で参考になるように思いました。

 川が流れている。雨が降る。当たり前の日本。
でもそれは干ばつの地域にとってはとてもありがたいことなのでしょう。
干ばつ地方では「良い天気ですね」は「雨の日」のことだそうです。
いくらでも水がある日本では、「雨の日は嫌だな」とつい思ってしまいますが、有難いことなのでしょうね。

 マサイの社会は”男社会”というか男の都合で女性を従わせているようにも感じました。
 女性がそれで納得しているというよりも、そういうものだと思いこまされているのかもしれないと思いました。
 男性の割礼は衛生面でメリットあると言われていますが、女性の割礼は虐待のように思いました。

 自分の人生、人と比較することではなく、自分がどう生きるか、どう生きたいか。それを今も含め、考えて踏み出すことなのでしょう。
何が良いかはわかりません。とりあえず、今できること、今やりたいことを一つひとつすることだと思っています。
 このように書いているのは、実は自分を説得するために書いているように思います。自分の考え方をどう生き易い考え方にしていくか。
 好きな言葉の一つに”人惑”があります。
自分の考えは実は親や先生から刷り込まれたもので、その考えが自分を苦しめている場合があるので、その考えから離れて考えてみなさいと教えています。
 苦しいのは、考え方が間違えている可能性があるのです。
 もう一つ好きな言葉に”唯識”があります。
これは物ごとは自分を通して見ている(解釈している)ということです。
苦しいのは苦しいと思う自分がいるから苦しいのだと。
心理学の有名な例え、「ワイングラスにワインが半分入っている」。
もう半分しかないので悲しい。まだ半分も残っているので嬉しい。
今の状況をどうみるかなのでしょう。
つい人は出来ないことを数え、人と比較して劣っていることを嘆きます。
あるものを見ていないのです。人と比較して勝っているのを喜ぶのも違います。
与えられているもの、できるものを感謝できるかどうか。
感謝しなければいけないと思うのは自分を苦しめます。
そうでなく、仏の恵み、神様からのプレゼントと素直に思えるかどうか。
きっとその恵みとプレゼントは何かをするために与えてくださっていると思えるかどうか。なかなか思えないです。でもそう思うことを近づけるようにも思います。

 著者はマサイ戦士の第二夫人として、マサイの文化を多くの人に知ってもらうということに大きな意味を見つけられたように思いました。