歌手の布施明さん、先輩に厳しい人が多くて、マイクが顔の近くだとお客さんに顔が見えないだろうと言われた。バラよりも美しい方。顔よりも声。
口下手だから。サワコさんのように次から次へと質問ができるので。初めてインタビューした時、スタッフから「布施さんが良いですよ!」と言われた。当時二人は独身だった。今は違うが。
70歳でも圧倒的な歌唱力。17歳でデビュー。5枚目の摩周湖が大ヒット。
積み木の部屋など大ヒットを次々と。最大のヒット「シクラメンのかほり」小椋佳作詞作曲。ちょっとフォークぽくて数年前の感じで、ヒットしないと思った。
1曲目「九ちゃんのズンタタッタ」 中学一年の時に父が事業に失敗して引っ越しした。その時、初めて見たプロ歌手が坂本九さん。すごい仕事だなと思った。当時、坂本九さんに仲良くしていただいた。一度だけ仕事に行けなかった。食中毒で行けなかった。その時、坂本九さんが代わりに行ってくれた。当時は新人だったので、主催者はエビで鯛を釣ったような感じだったかと。
先輩がラテンが好きでグループを作っていた。その仲間が病気になり、代役として参加した。ギターできるか? できる。持っているか? 持っている。嘘を言った。駅前の楽器店でギターが飾ってあったので、店に人に人に言ったら、くれた。しかし、ギターができなかったことがばれた。そのグループは一週間後に発表会に出る予定でコーラスをやったら、とても面白く、たった三人でこんな素晴らしいことができるのかと実感した。歌に目覚めたきっかけだった。大きな声は出ていた。
歌手生活がこんなに長くできるとは思えなかった。20代に入って思うようにヒットが出なかった。事務所やファンのおかげでそれなりには売れるけど。譜面が読めない。ミュージシャンにここどうする?と言われても、ここをがーとお願いしますとか言えなかった。ミュージシャンは分かっていないことが分かった。そこで勉強のため一年休ませてくださいと事務局に言った。休む前に出た曲が2曲もらった。最初もらった曲は「さみしいとき」ですごくよかった。もう一曲欲しいとのことで貰ったのが「シクラメンのかほり」。小椋佳さんがニューヨークに行く前だった。
27歳の時に「シクラメンのかほり」。まさかの大ヒット。今聞くとギターのチューニングが酷い。投げやり的な歌い方。それが哀愁を感じさせた(サワコ)。レコード大賞を貰って、やっと終わったと思った。その時サワコさんに逢ってなくて良かった。叩かれていた。
カネボウ化粧品のCM曲「君は薔薇より美しい」。ギターを持つことはあこがれだった。この時はエレキギター。シクラメンのかほりの時はアコーディックギター。ちゃんと勉強しないといけないと思った曲だった。
オリビアハッセーさんと結婚。結婚を機会に勉強した。発生が間違っていた。テノールじゃないと言われた。
いなくなるとまた急に復活する布施さん。極めるほど歌が難しい。悔しがり屋で勉強して取り入れた。全部中途半端。音楽は続けることは不安。悔しがって若い人が前を行くのを、「待ってくれ!」と付いていきたい。アルバム「WALK」を出した。録音した翌日に聞くと、こう歌えば良いと反省する。しかし、ある歌の2小節がとてもうまくできていた。53年やってきて、今後の道しるべになりそうに感じた。これを目指していけば良いかなと思った。
2曲目は植木等さんの「だまって俺について来い」。初めて挨拶に行った時に歌を録音されていた。こういう人になれれば良いなと思った。光っていた。
妻は森川由香里さん。皆さん歌手は歌が好きだと思っておられる。突き詰めていかないといけない。辛い。止めたら寂しくなる。
感想;
大ヒット曲をだした歌手でもいろいろと悩みがありました。
そしてやはり勉強をされ続けて来られたのでしょう。
悩みながら、辛さと対峙しながら、追究されて来られたのでしょう。
口下手だから。サワコさんのように次から次へと質問ができるので。初めてインタビューした時、スタッフから「布施さんが良いですよ!」と言われた。当時二人は独身だった。今は違うが。
70歳でも圧倒的な歌唱力。17歳でデビュー。5枚目の摩周湖が大ヒット。
積み木の部屋など大ヒットを次々と。最大のヒット「シクラメンのかほり」小椋佳作詞作曲。ちょっとフォークぽくて数年前の感じで、ヒットしないと思った。
1曲目「九ちゃんのズンタタッタ」 中学一年の時に父が事業に失敗して引っ越しした。その時、初めて見たプロ歌手が坂本九さん。すごい仕事だなと思った。当時、坂本九さんに仲良くしていただいた。一度だけ仕事に行けなかった。食中毒で行けなかった。その時、坂本九さんが代わりに行ってくれた。当時は新人だったので、主催者はエビで鯛を釣ったような感じだったかと。
先輩がラテンが好きでグループを作っていた。その仲間が病気になり、代役として参加した。ギターできるか? できる。持っているか? 持っている。嘘を言った。駅前の楽器店でギターが飾ってあったので、店に人に人に言ったら、くれた。しかし、ギターができなかったことがばれた。そのグループは一週間後に発表会に出る予定でコーラスをやったら、とても面白く、たった三人でこんな素晴らしいことができるのかと実感した。歌に目覚めたきっかけだった。大きな声は出ていた。
歌手生活がこんなに長くできるとは思えなかった。20代に入って思うようにヒットが出なかった。事務所やファンのおかげでそれなりには売れるけど。譜面が読めない。ミュージシャンにここどうする?と言われても、ここをがーとお願いしますとか言えなかった。ミュージシャンは分かっていないことが分かった。そこで勉強のため一年休ませてくださいと事務局に言った。休む前に出た曲が2曲もらった。最初もらった曲は「さみしいとき」ですごくよかった。もう一曲欲しいとのことで貰ったのが「シクラメンのかほり」。小椋佳さんがニューヨークに行く前だった。
27歳の時に「シクラメンのかほり」。まさかの大ヒット。今聞くとギターのチューニングが酷い。投げやり的な歌い方。それが哀愁を感じさせた(サワコ)。レコード大賞を貰って、やっと終わったと思った。その時サワコさんに逢ってなくて良かった。叩かれていた。
カネボウ化粧品のCM曲「君は薔薇より美しい」。ギターを持つことはあこがれだった。この時はエレキギター。シクラメンのかほりの時はアコーディックギター。ちゃんと勉強しないといけないと思った曲だった。
オリビアハッセーさんと結婚。結婚を機会に勉強した。発生が間違っていた。テノールじゃないと言われた。
いなくなるとまた急に復活する布施さん。極めるほど歌が難しい。悔しがり屋で勉強して取り入れた。全部中途半端。音楽は続けることは不安。悔しがって若い人が前を行くのを、「待ってくれ!」と付いていきたい。アルバム「WALK」を出した。録音した翌日に聞くと、こう歌えば良いと反省する。しかし、ある歌の2小節がとてもうまくできていた。53年やってきて、今後の道しるべになりそうに感じた。これを目指していけば良いかなと思った。
2曲目は植木等さんの「だまって俺について来い」。初めて挨拶に行った時に歌を録音されていた。こういう人になれれば良いなと思った。光っていた。
妻は森川由香里さん。皆さん歌手は歌が好きだと思っておられる。突き詰めていかないといけない。辛い。止めたら寂しくなる。
感想;
大ヒット曲をだした歌手でもいろいろと悩みがありました。
そしてやはり勉強をされ続けて来られたのでしょう。
悩みながら、辛さと対峙しながら、追究されて来られたのでしょう。
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