父親のレオ・シロタ氏はピアニストで上野音楽学校(東京芸大)でピアノを教えていた。
1945年12月24日、私は、連合軍総司令部GHQの民間人要員の一人として日本に赴任した。厚木基地には、今日がクリスマスイブであることを思い出させるものは何もなかった。
マッカーサー元師の日本改造計画
「日本の婦人の立場は、極めて低いことは、諸君も知っている通りだ。婦人に参政権を与えることは、日本人に民主主義とはこんなことだと示すのに最良のテーマだ。そして、速やかに行わなければいけないのは、政治犯の釈放、秘密警察の廃止、労働組合の奨励、農民の解放、教育の自由、自由かつ責任ある新聞の育成・・・だ」
日本人というのは、本質的に封建的な民族だと私は思う。権力者の命令なら、たとえ気が進まなくても実行する。戦争の末期に、特攻隊の志願者を募った時、そのほとんどの若者は死にたくなかったのが本音だったと思う。でも、一歩前に出る勇気よりも、一歩前に出ない勇気の方が日本では難しいのだ」。
8月15日には、天皇陛下の決定に背いて、皇居の周辺や私が降りた厚木飛行場で、血気に逸る若い軍人たちがクーデターを起こしたことを伝えた。失敗した人たちは、皇居前で切腹したというのだ。もっと酷い話は、8月15日の戦争が終わった日の夕方、九州の鹿屋飛行場から特攻隊の飛行機が飛び立ったという。もちろん一人も帰らなかった。その人たちにはお母さんも、奥さんや子供さんもいたかもしれないのに・・・。
日本国憲法に「男女平等」を書く。
1946年2月4日から12日までの9日間は、私の生涯で最も密度の濃い時間だったかもしれない。
私は、女性の権利を具体的に憲法に書いておけば、民法でも無視することができないはずだと考えた。官僚になるのは、大半が男性であるだろうし、その男性たちは、保守的であることがわかっていたからだ。
「次の人権に関する条項は、日本の国には向かない点が多々あります」。
日本側の発言に、私の眠気が吹っ飛んだ。
「女性の権利の問題だが、日本には、女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」。
「しかし、マッカーサー元師は、占領政策の最初に女性の婦人の選挙権の授与を進めたように、女性の解放を望んでおられる。しかsも、この条項は、この日本で育って、日本をよく知っているミス・シロタが、日本女性の立場や気持ちを考えながら、一心不乱に書いたものです。悪いことが書かれているはずはありません。これをパスさせませんか?」。
ケースディ大佐の言葉に、日本側の佐藤達夫さんや白洲さんらが一斉に私を見た。彼らは私を日本人に好意を持っている通訳として見ていたので、びっくりしたのだった。
一瞬、空白の時があった。
「このシロタさんが?それじゃあ、ケースディ大佐のおっしゃる通りにしましょう」。
日本側は、私の顔を見て承諾せざるを得なかった。ケースティ大佐の演出的な発言は、見事に的を射ていた。私の胸に熱いものが膨らんでいった。2月8日(このような女性の権利については、民法に入れるべき)と言った人物と同一人とは思えない采配だった。
日本国憲法草案は、3月6日夜、憲法改正草案要綱として日本政府から発表された。もちろん、この草案は、日本政府が作ったものとしてであった。
「私はね、日本の男性はとても保守的だから、女性の権利をちゃんと憲法に書いておかなければ、民法に書き入れられないと思ったのです。そういう仕事をするのは、男性ですからね・・・。でも運営委員会のケースディ大佐は、こういう細かい条項は民法に入れるべきもので、憲法に書くべきでないとカットしたのです。その時、私はとてもエモーショナルになっていたので、泣いてしまいました」。
1992年「日本国憲法を生んだ密室の9日間」のテレビ・ドキュメンタリー番組の中で、ベアテさんは憲法草案を手に、上記を語っていた。
憲法学者の土井たか子さん
「人権の条項が、憲法にこんなにたくさん盛り込まれて充実しているのは、創案者のベアテさんが女性で、生活者であったからだと思うのです。憲法学者でなく、素人であったことが良かったと思います。憲法の専門家なら、いろいろな規約にとらわれるけれど、ベアテさんは人が幸せになるためにには何が必要かを知っていて、その本質をズバリ書いて下さった、それが良かったと思います」。
「1945年のクリスマス」が出版されて以降、ベアテさんは一躍「日本女性の恩人」として有名になった。
感想;
男女平等の権利が憲法に入っているのは、当時はソ連の憲法だけだったそうです。
多くの国の憲法を参考にしながら作成されました。
一人の女性の考えが、日本の憲法に男女平等の権利につながりました。
日本に暮らし、日本を愛した両親に育てられたことが、日本人女性に必要と強く思われたようです。
女性が政治に参加しないと日本は良くならないとのお考えでした。
その通りだと思います。
男だけだと政治はおかしくなります。
戦争に突き進んだのもその影響があったのではないでしょうか。
こういうことを学校で教えたいものです。
1945年12月24日、私は、連合軍総司令部GHQの民間人要員の一人として日本に赴任した。厚木基地には、今日がクリスマスイブであることを思い出させるものは何もなかった。
マッカーサー元師の日本改造計画
「日本の婦人の立場は、極めて低いことは、諸君も知っている通りだ。婦人に参政権を与えることは、日本人に民主主義とはこんなことだと示すのに最良のテーマだ。そして、速やかに行わなければいけないのは、政治犯の釈放、秘密警察の廃止、労働組合の奨励、農民の解放、教育の自由、自由かつ責任ある新聞の育成・・・だ」
日本人というのは、本質的に封建的な民族だと私は思う。権力者の命令なら、たとえ気が進まなくても実行する。戦争の末期に、特攻隊の志願者を募った時、そのほとんどの若者は死にたくなかったのが本音だったと思う。でも、一歩前に出る勇気よりも、一歩前に出ない勇気の方が日本では難しいのだ」。
8月15日には、天皇陛下の決定に背いて、皇居の周辺や私が降りた厚木飛行場で、血気に逸る若い軍人たちがクーデターを起こしたことを伝えた。失敗した人たちは、皇居前で切腹したというのだ。もっと酷い話は、8月15日の戦争が終わった日の夕方、九州の鹿屋飛行場から特攻隊の飛行機が飛び立ったという。もちろん一人も帰らなかった。その人たちにはお母さんも、奥さんや子供さんもいたかもしれないのに・・・。
日本国憲法に「男女平等」を書く。
1946年2月4日から12日までの9日間は、私の生涯で最も密度の濃い時間だったかもしれない。
私は、女性の権利を具体的に憲法に書いておけば、民法でも無視することができないはずだと考えた。官僚になるのは、大半が男性であるだろうし、その男性たちは、保守的であることがわかっていたからだ。
「次の人権に関する条項は、日本の国には向かない点が多々あります」。
日本側の発言に、私の眠気が吹っ飛んだ。
「女性の権利の問題だが、日本には、女性が男性と同じ権利を持つ土壌はない。日本女性には適さない条文が目立つ」。
「しかし、マッカーサー元師は、占領政策の最初に女性の婦人の選挙権の授与を進めたように、女性の解放を望んでおられる。しかsも、この条項は、この日本で育って、日本をよく知っているミス・シロタが、日本女性の立場や気持ちを考えながら、一心不乱に書いたものです。悪いことが書かれているはずはありません。これをパスさせませんか?」。
ケースディ大佐の言葉に、日本側の佐藤達夫さんや白洲さんらが一斉に私を見た。彼らは私を日本人に好意を持っている通訳として見ていたので、びっくりしたのだった。
一瞬、空白の時があった。
「このシロタさんが?それじゃあ、ケースディ大佐のおっしゃる通りにしましょう」。
日本側は、私の顔を見て承諾せざるを得なかった。ケースティ大佐の演出的な発言は、見事に的を射ていた。私の胸に熱いものが膨らんでいった。2月8日(このような女性の権利については、民法に入れるべき)と言った人物と同一人とは思えない采配だった。
日本国憲法草案は、3月6日夜、憲法改正草案要綱として日本政府から発表された。もちろん、この草案は、日本政府が作ったものとしてであった。
「私はね、日本の男性はとても保守的だから、女性の権利をちゃんと憲法に書いておかなければ、民法に書き入れられないと思ったのです。そういう仕事をするのは、男性ですからね・・・。でも運営委員会のケースディ大佐は、こういう細かい条項は民法に入れるべきもので、憲法に書くべきでないとカットしたのです。その時、私はとてもエモーショナルになっていたので、泣いてしまいました」。
1992年「日本国憲法を生んだ密室の9日間」のテレビ・ドキュメンタリー番組の中で、ベアテさんは憲法草案を手に、上記を語っていた。
憲法学者の土井たか子さん
「人権の条項が、憲法にこんなにたくさん盛り込まれて充実しているのは、創案者のベアテさんが女性で、生活者であったからだと思うのです。憲法学者でなく、素人であったことが良かったと思います。憲法の専門家なら、いろいろな規約にとらわれるけれど、ベアテさんは人が幸せになるためにには何が必要かを知っていて、その本質をズバリ書いて下さった、それが良かったと思います」。
「1945年のクリスマス」が出版されて以降、ベアテさんは一躍「日本女性の恩人」として有名になった。
感想;
男女平等の権利が憲法に入っているのは、当時はソ連の憲法だけだったそうです。
多くの国の憲法を参考にしながら作成されました。
一人の女性の考えが、日本の憲法に男女平等の権利につながりました。
日本に暮らし、日本を愛した両親に育てられたことが、日本人女性に必要と強く思われたようです。
女性が政治に参加しないと日本は良くならないとのお考えでした。
その通りだと思います。
男だけだと政治はおかしくなります。
戦争に突き進んだのもその影響があったのではないでしょうか。
こういうことを学校で教えたいものです。
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