驚異の陳列室をテーマに古書店・書肆ゲンシシャを運営し、古今東西の珍品・珍本を蒐集し、紹介している藤井慎二さん。さまざまな独自の視点から集められた蔵書のなかでも、特に目を見張るコレクションのうちのひとつに「自死」にまつわるものがあります。本のなかで「自死」はどのように書かれ、考えられてきたのか。蔵書の一部を紹介していただきます。 死刑に立ち会った刑務官が明かす…執行直前に死刑囚が語った最期の言葉
遺稿集や日記
清水澄子『ささやき』 江口きち『武尊の麓』 森崎湊『遺書』 原口統三『二十歳のエチュード』 中澤節子『花ちりぬ』 長澤延子『友よ私が死んだからとて』 宇留賀和子『紫煙のかなた』 蛭田昭『青春が滅びていく』 石田マツ『道なくて』 岸上大作『意志表示』 福本まり子『悲濤』 高岡和子『さようなら十七歳』 島田清子『みぞれは舞わない』 杉山章夫『十七歳の死』 小池玲子『赤い木馬』 奥浩平『青春の墓標』 中屋幸吉『名前よ立って歩け』 堀勝治『大いなる戦い』 高野悦子『二十歳の原点』 山村政明『いのち燃えつきるとも』 岡崎里美『愛なんて知らない』 神田理沙『十七歳の遺書』 山下愛子『愛子絶唱』 立中潤『叛乱する夢』 船本洲治『黙って野たれ死ぬな』 岡真史『ぼくは12歳』 渡辺かおり『花の使者』 伊賀史絵『妖精の遺書』 井亀あおい『アルゴノオト』 宮原幸子『ちいさなクルメルス』 河田宣世『あこがれはマンガ家 14歳のある少女のノートから』 尾山奈々『花を飾ってくださるのなら』 杉本治『マー先のバカ』 新井博子『グッバイティーンズ』 二階堂奥歯『八本脚の蝶』 関野昴『関野昴著作選』 しのぶ『魔法の笛と銀のすず』
ここに挙げたものは、自殺者による遺稿集や、日記を書籍化した作品です。
こうした書籍は、敗戦の翌日に割腹自殺した森崎湊、学生運動家であった奥浩平、近年ではウェブサイトを書籍化した二階堂奥歯など、その内容や様式が、それぞれの時代を反映しています。
高岡和子『さようなら十七歳』に串田孫一が寄稿した文章には、「死をたたえることは、その死がどんなに美しく冷たく透明であろうと、表向きにはゆるされないだろう」としつつ、「しかし、この、あどけなさが、海辺の波の残して行く泡のように戸惑っている一つの魂の綴った詩をよんでいると、自然と聡明な知恵との、偶然の合体が、私を誘うのを感じる。何処へ?」と書いています。
今回は、自殺者や、自殺者の周りの人々が書いた言葉を収録した本を紹介します。
本人が書いたもの
たとえば、冒頭に挙げたような、自殺者が書いた本について解説した本を紹介します。
まず、小松伸六の『美を見し人は』。「自殺作家の系譜」と副題にあるように、芥川龍之介以降の、自殺した作家18人、牧野信一、太宰治、原民喜、久坂葉子、三島由紀夫、川端康成らを取り上げています。さらに、その続編となる『愛と美の墓標』。こちらでは、藤村操や、原口統三、高野悦子にふれており、著名な作家だけではなく、学生も対象としています。
やや時代がくだり、平成元年に出版された本田和子『オフィーリアの系譜』は、『叢書・死の文化』の一冊で、少女と死を軸に、井亀あおいにふれています。 上田康夫『自殺作家文壇史』では、川端康成、三島由紀夫、芥川龍之介、太宰治らが取り上げられています。
『夭折の天才群像』は、満二十歳以前に世を去った少年少女について書かれ、清水澄子や松尾太一、福本まり子を取り上げています。冒頭、死後に肉親や友人が編んだ少部数、親族らに贈る遺稿集や追悼文集の私家本、いわゆる「饅頭本」にふれています。
朝倉喬司『自殺の思想』では、原口統三、岸上大作らに加え、死のう団事件が取り上げられています。死のう団とは、「日蓮会殉教衆青年党」のことで、「死のう!」と口々に叫びながら行進し、1937年には国会議事堂などで切腹のデモンストレーションを行った組織です。
真継伸彦『青春の遺書』は、NHKテレビの「女性手帳」が企画した同名の番組をもとに書かれたものです。同番組は毎回一本ずつ遺稿にふれることを通じて若い世代の全貌を伝えるものでした。その内容に加筆したものです。冒頭には高野悦子や福本まり子の写真を載せています。
岩田薫『若者よなぜ死にいそぐ』は、渡辺かおりらを取り上げ、東大生が胸ポケットに積分方程式を遺書にして自殺し解析を試みたところ、「生きていても仕方がない」という結論が導き出された話などが書かれています。
遺書をまとめたもの
遺書をまとめた本が存在します。
サンクチュアリ出版から出ている『遺書』や、同書を加筆修正、再構成した『遺書 5人の若者が残した最期の言葉』。いじめられた人たちの遺書をまとめた『いじめ・自殺・遺書』。歌人の辺見じゅんが編者となり、第二次世界大戦で戦死した者たちの遺書をまとめた『昭和の遺書』。小田切秀雄らが編者となった『日本戦歿学生の遺書』もあり、戦争が多くの人々の遺書を通して振り返られました。『きけ わだつみのこえ』が特に知られるところです。第二次世界大戦後に戦争犯罪人とされた人たちの遺稿集『世紀の遺書』もあります。
いじめを原因として自殺した人たちについて書かれた本として、1979年にマンションの屋上から飛び降り自殺した少年について書かれた『ぼく、もう我慢できないよ』や、1986年の中野富士見中学いじめ自殺事件の少年の作文を載せた『このままじゃ生きジゴク』があります。
『小さなテツガクシャたち』は、教師から叱責を受けていたのを機に飛び降り自殺した杉本治と、学校生活に耐えられないと首吊り自殺をした尾山奈々について書いており、彼らの遺稿を収録しています。
周りの人々の言葉
自殺者の周りの人々の言葉を収録した本を紹介します。
『自殺って言えなかった。』では、自死遺児の言葉が収録されています。『会いたい 自死で逝った愛しいあなたへ』は、息子を亡くした母親など愛する人を自殺で失った遺族が書いた文章を載せています。
若林一美『自殺した子どもの親たち』は、子どもを亡くした親の会である「ちいさな風の会」が発行している文集から、自死した子の親たちの言葉を引用しています。若林は、デス・スタディに早くから取り組み、遺族についての本を著しています。
吉永嘉明『自殺されちゃった僕』は、妻、仕事仲間の編集者・青山正明、やはり仕事仲間の漫画家・ねこぢるを自殺で亡くした著者が「死にたい」と思っている人が「やっぱり生きよう」と思い直すことを望み、書いた本です。
いのちの電話について書かれた本もあります。
『いのちの電話 絶望の淵で見た希望の光』は、アメリカの自殺予防センターで5年間緊急電話の相談員を務めた著者が体験を記したものです。相談者や相談の内容について、彼らの言葉を交えながら、プライバシーに配慮しながら書いています。
自殺未遂者に取材した本もあります。
矢貫隆『自殺―生き残りの証言』は、ノンフィクション作家である著者が、救命救急センターに搬送された自殺未遂者たちに取材を行い、自殺に至る状況や、なぜ自殺しようと思ったのかを尋ねています。
自殺未遂者の取材を重ね、1999年に27歳でバスルームにて遺体で発見されたライター・井島ちづるについて書かれた『井島ちづるはなぜ死んだか』。同書には、雨宮処凛ら自殺未遂者へのインタビューも収録されています。
雨宮処凛は、2002年に『自殺のコスト』を書き、「『完全自殺マニュアル』が書かなかった自殺の損得勘定」と帯にあるように、ややデータは古いものの、自殺にまつわるコストを「基本経費」から首吊り、飛び降りなど手段別に算出しました。
1986年に飛び降り自殺したアイドル歌手、岡田有希子。文藝春秋が発行していた雑誌『Emma』1986年5月10日号には、自殺現場の写真とともに、泣き続けるファンの写真を掲載し、幼少期の写真や卒業アルバムを載せています。死後に出版された『愛をください』には、彼女が描いた絵や、詩、日記が収録されています。
漫画
漫画家で自殺した者には、『自殺直前日記』がある山田花子や、ねこぢるがいます。 冒頭に挙げた新井博子『グッバイティーンズ』は、1986年に十三歳の妹と都営住宅の十一階から飛び降り自殺した十八歳の女性による漫画です。
また、1966年に自殺した谷口ひとみが書いた『エリノア』は、不美人の少女を主人公に描き、さわらび本工房から2008年に復刊され、死後50年が経った2016年には増補版『定本エリノア』が刊行されています。
羽鳥ヨシュアは、29歳で投身自殺し、雑誌『夜行 No.13』に遺作「すきま風」が掲載されています。 歴史、研究などの観点から「自死」を取り扱った本を紹介する後編は「自死は本のなかでどのように考えられてきたのか 」からお読みいただけます。
藤井 慎二(書肆ゲンシシャ店主)
感想;
自殺して良いか?
自殺は良くないと簡単に片づけられる問題ではないです。
苦しくて、辛くて、この辛さから逃れたい。
苦しくて遺された人のことを考える余裕などない、自分のことで精一杯な状況なのだと思います。
ただ、”希望”を抱くことができると自殺を踏み止まることもできます。
あるいは誰かのために生きていないといけないと思うと、これも自殺を踏み止まることが出来るかもしれません。
自殺は否定しませんが、それは一番最後の選択肢で、まだまだできることがあると思います。
追い詰められた人はどうしても視野狭窄に陥っています。
ぜひ、誰かに話をする、あるいはここにある本を読む、あるいは自分の辛さをブログにする。
自殺に追い込められる社会にも問題があるのです。それを批判してからでも遅くないです。
困窮して何も食べていないなら、厚労省のロビーで倒れても良いのです。
できれば新聞記者のいる時に倒れる。
生活が苦しくて、社会が助けてくれなくて、どう生きたらいいのかわかりません。
とのメッセージも発してからでも遅くはないのです。
虐めている人の名前を公表してもよいのです。
虐めれたことをことを詳細にノートにブログに書いて良いのです。
自殺する前にまだまだやることがあると思います。
借金しまくって、そして最後の贅沢してそれからでも遅くはないです。
政治家は5億円の裏金を作っても生き生きと元気に活動しています。
そんな政治家の爪の垢を煎じて飲むくらい図太く、図々しく、税金をかすめ取ることを当たり前と思うくらい開き直って生きたいものです。
真面目な人が自殺して、悪い人がのさばる社会ではなく、真面目な人が真面目に生きられる社会にしたいです。
せめて気持ちだけでも図太くしたいです。
電車に飛び込む勇気を、厚労省のロビーで倒れる勇気に変えて欲しいです。
「生活保護断れました。生きる方法がありません」
とのメッセージを持って倒れる。
それは他の苦しんでいる方の助けになるかもしれません。
電車に飛び込む迷惑よりの、せめて何か役立つことがいくらでもできるように思います。
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