幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「心はどこへ消えた?:東畑開人著 ”自分の心なのにコントロールが難しい”

2025-02-22 01:40:22 | 本の紹介
・かすかな空気の震えが、時間をかけて強い追い風になっていくように、小さな心の揺れが、その後の生き方を少しずつ変え、それが最も積もって人生を大きく変えていく。
 この本で僕は終始「心はどこへ消えた?」と問いかけています。それはもちろん、心を再発見するための問いです。
 その問いに対する僕の答えは「変身」であったということです。
 心を見つけるとは、変身を発見することである。
 小さな揺れにふと気づくとき、僕らは心に出会っている。
 『心はどこへ消えた?』は変身物語です。

・小さな物語こそが、心の場所になる。物事をシンプルに割り切ろうとする大きな物語を否定したところに心が現れるのだ。

・私たちは複雑な話を、複雑なままに聴き続けたときに、その人の心を感じる。あるいは複雑な事情を複雑なままに理解してもらえたときに、心を理解されたと感じる。表だけではなく、裏まで含めてわかってもらうと、心をわかってもらえたと思える。

・今、豊かなのは物でなくリスクだ。私たちはあらゆるところにリスクが潜んでいる世界で、自己責任を背負って生きていかないといけない。
「リスクは豊かになったが、心はどうか?」これこそが現代のリアルだ。

・いじめが起きていたなら、いじめられた子どもの心をどうこうする前に、まずはいじめそのものを止めないといけない。環境をそのままにしておきながら、心だけを何とかしようとすると、それはいじめに加担する新たな暴力になってしまう。
 心の個室を可能にするために、まずは外界を安全な場所にするよう整備しなくてはいけない。心の内側ではなく、外側をケアする。それがリスクに満ちた世界の最重要課題になったのだ。

・すると、彼女は爆発した。「違う!」怒鳴られた。「私が『かもしれない』って言ってるときは、『違う』って言ってるの! なんでわかってくれないの!」

・「出会い」を意味する“Encounter“という言葉の語源は「敵と出くわす」なのだそうだ。

・こういう自分で自分を責める声のことを、心理学では「超自我」と呼ぶ。超自我は誰の心にも存在していて、私たちに「こうすべき」と規範を提示するものでもあり、「よくできた」とか『全然ダメだ』と価値判断をするものでもある。いわば、心の中の上司だ。

・最後の時間に、彼女は言った。「こうやって(夫と)話し合えるなら、これからも一緒に居たいなって思えたんです」

・誰かの人格を変えたければ、優しくしてあげるほかない。「やなやつ」に優しくするのは、骨が折れる。だけど、白い目を向けることは事を難しくするだけで、温かい目でしか人は変わらない。危険にさらされて怯えているときではなく、安全だと感じられているときにしか、人は変われないのである。

・「伝達方法というのは手間のかかる手段であればあるほど言葉に質量ができると思うのです」

・『涙-人はなぜ泣くのか』フレイ博士著

・涙の3種類
①タマネギによる涙 目から異物を洗い流す。
②泣ける涙   
③個人的な涙    心の曇りを洗い流し、心の中を何よりも見えるようにする。

・未来を生きるために不可欠なのは、希望だ。


感想
 心は自分のものなのにコントロールが難しいです。
コントロールしようと思う気持ちが間違っているのかもしれませんね。
心の声を聴くことなのでしょう。
そして声を聴いて、その声の要望を適えてあげることなのかもしれません。

 超自我が自分はこうしなければいけないと自分を責める。
臨済宗の本を読んでいたら、”人惑”という言葉がありました。
小さいときから、親や先生から言われたことが、知らず知らずのうちに自分の考えになっています。この自分の考えが自分を縛り、自分を苦しめているというか惑わしていることを”人惑”と言うとありました。まずはこの自分を苦しめている考えを捨てなさいと。
 米国社会学者ワッソがこれを”社会的催眠”と呼び、催眠にかかっていると言っています。催眠から目覚めなさいと。
 宗教のマインドコントロールと似ているかもしれません。
自分と家族を幸せにする宗教が家族を不幸にしているケースが多く報道されていました。傍から見ると「バカなことをしているな」と思うのですが、”人惑”で自分を苦しめているのはバカなことかもしれません。
 幸せになりたいのに自分を不幸にしているのかもしれません。

 著者が大学で女子学生のカウンセリングを指導していた時、彼女のクライエント(男性)がカウンセラーのその女子学生に恋をしたそうです。これは逆も含めてよくあるそうです。
 そしていろいろプレゼントしたりしましたが、彼女はカウンセラーとして説明して断っていましたが、それが積もり積もって、クライエントは手を挙げ、彼女は殴られると覚悟したが、クライエントはその手を彼女ではなく、壁を殴りました。
 著者は「もうカウンセリングは難しいから中断した方が良い」と指導したそうです。
 彼女(カウンセラー)はしばらく考え、
「彼はまだ理性があり、私とのカウンセリングを続けたいために、自分の心を抑えるために、壁を殴ったのだと思います。もう少し続けたいと思います。」
と答えたそうです。
 その後いろいろあったそうですが、カウンセリングは続いたそうです。

 こんなエピソードもありました。
不登校でスクールカウンセラーの部屋に登校していました。
いつもは何人かいるので、仲間でしゃべっているのですが、その日はA少年だけでした。あまり1:1で話したことがなく、困ったが話をしたそうです。
 つい著者は眠くなり一瞬寝てしまったそうです。
A少年は「先生寝ていたでしょう!」と。
著者は「目をつむっていただけ」とつい嘘を言ってしまいました。
A少年は「先生が嘘を言った」と。
A少年はクラスの仲間や皆にスクールカウンセラーが寝たこと、嘘をついたことを触れ回りました。
 校長先生は寛大な人で笑って許してくれたそうです。
 A少年は面白おかしく、このことを話したそうです。そして皆も笑ったそうです。
ふしぎなことに、これがきっかけでA少年はクラス仲間と仲良くなり、不登校が解消したそうです。

 涙の成分は涙を流す理由で異なっていると初めて知りました。
下記の記事に涙の成分について説明がありました。

戦略家のための知的羅針盤[エム・ネクスト]by 松田久一  より引用
 泣くことによって流れる涙には、その成分の違いから三つの種類があることが知られている。眼を乾燥から防ぎ、生理的な保護機能を果たす7マイクロリットルの基礎分泌の涙、ゴミなどが入った際の反射性の涙、そして、感情の涙(エモーショナル・ティア)である。

涙の生化学的な成分の分析からも新しい知見がもたらされている。
 ひとつ目は、涙の先駆的研究者であるW.フレイの1980年代の研究結果である。フレイは、タマネギの刺激によって分泌された反射性の涙と、映画を見ている時に採取した感情の涙の成分を比較した。その結果、感情の涙の方が反射性の涙よりもタンパク質の濃度が高いことを発見した。さらに、感情の涙には副腎脂質刺激ホルモンも見いだされた。これらの成分は、ストレスによって産生されたものと推定され、感情の涙はストレスによって崩れた体内バランスを元に戻す排出作用の役割を果たしていることが確認された。泣いた後に気分がすっきりするのは、このホルモンバランスの回復にあるとも指摘されている。
 ふたつ目は、2011年のイスラエル・ワイズマン科学研究所での研究結果である。それは、女性の悲しみの涙には、男性の興奮をおさえる成分が含まれることが確認された、ということである。この研究では、女性の感情の涙を男性に嗅がせ、心拍数、呼吸、唾液中の「テストステロン」(男性ホルモン)の濃度を測る実験を行った。すると、男性の性的興奮が低下したことが確かめられ、脳の活動にも鎮静効果が認められた。したがって、女性の感情の涙に含まれる「フェロモン」が、男性の興奮を抑えることが確認できたとしている。この結果は、物質の特定や統計的な精度という点で幾つかの課題も残しているが、女性の涙は、「フェロモン」によって男性に影響を与えることを示唆しており、「涙は女の武器」説を裏付けるものである。

 ここで改めて、泣くということを、現代の進化論的及び神経生理学的成果からみると、それは、ダーウィンの指摘のとおり、第1に、何らかの自分の欲求や欲望の非言語的な自己表現である。第2に、泣くことで、物質的な「フェロモン」、「共感」、「同情心」を通じて、他者に影響を与えようとする社会的コミュニケーション手段である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿