幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「スイングバイ 17年間の引きこもりを経て、社会復帰を目指し一歩ずつあゆみ続けた今、伝えられること」糸井博明著 ”自分の人生を捨てない、諦めない”

2025-02-17 03:43:43 | 本の紹介
・私はこれまでに、家庭の不和から、人間不信に陥り、成績不振から、登校拒否や引きこもり、強迫性障害で苦しむ日々を経験しました。長期の引きこもりによって身体はやせ細り、髪の毛はひざ下まで達し、歯はボロボロになったあげく、奇行を繰り返し、自分の力では、助けを求めることも、社会に出ることもできずに、死ぬ一歩手前までいきました。

・今生きているのも偶然ではありません。支えてくれた周りの人達、多くの関係者のみなさんのおかげです。感謝しても尽きることはありません。

・どうしたらしあわせになれるのか・・・。
 何を目的、目標とするしあわせを設定するかで、今を自己肯定したり、今の自分のままで十分しあわせなんだと思うことができます。
 これ以上の成長や学びは必要ないとするのか、自ら意識を変え、考え、違いを創り出す行動を積極的にするかしないかで、自分のしあわせの感じ方を変えることができます。

・私の主な特徴
 ・統合失調症の陰性症状
 ・注意欠陥多動症(ADHD)
 ・HSP
 ・自閉スペクトラム症(ASD)
 ・過剰反応
 ・口腔の心身症

・幼少期に精神障碍を発症するきっかけとなったのが、しつけに名をかりた虐待だった。当時は宗教二世という言葉はなかったが、毎月のように祖母と舞鶴市の教会に出かけて行ってお祈り、お布施、手かざしを受けると言う入信教育を施された。

・私が精神障碍者として自己啓発して社会復帰するまでには18年かかり、視線をさまよわねばならなかった。

・ある日の午前中、舞鶴医療センターの職員2人と両親と兄によって部屋からふすま扉を外され、中に入ってこられた。私は家族との信頼関係がなかったのと、最初病院関係者だとはにわかに信じられず、無理やり体を押さえつけられ、自分の同意なくテリトリーに無断で踏み込まれたので、危害を加えられる、別の民間病院に監禁されると思い、恐怖から泣きわめき、必死に抵抗した。しかし抵抗する体力も気力も残っていなかったため、部屋から引きずりさされ、柱や階段にしがみついてが、指を一本一本はがされ、抵抗の甲斐もなく、2階から1階の駐車場に連れ出された。逃げられないように両脇を押さえつけられ、ワンボックスの番で舞鶴医療センターの精神科の閉鎖病棟の裏口に連れて行かれた。・・・
 犯罪者のように取り扱われ、現実を突きつけられ、地獄に突き落とされたかのような日々の始まりだったのである。

・閉鎖病棟(3か月)と開放病棟あわせて7か月が経った頃、ようやく地元に帰る許可が出た。

・振り出しに戻り、閉鎖病棟からの再スタートとなった。

・民青は30歳で卒業することが多いそうだが、32歳から入れてもらえたことと、党員にも何度も誘われたが、党員にならずとも、疎外せずありのままの自分を肯定してくれたことが今の自分の大きな骨格になっている。

・高校進学挫折・市民活動への参加

・あの時にどうせダメだから、やっても無駄だから、出来そうもないから、落ちたら恥ずかしいからやめておこうというくせがついていたら、今の自分はないかもしれない。

・3か月後、見習い期間のまま退職することとなった。

・人のことを願ってもかなわず、また誰も私のことを考えて助けてくれないなら行動しなければダメだということを知り、絶望することになっても、何も起こらない時間があるなら、やらずに何も起こらないよりやって何も起こらないことを選択するべきだ。何もしていない無駄な時間が今だとしたら、自分の時間を捨てているのも今の自分自身で、結果も他人任せにしているのではないかと考えた。
 自ら意識し、思考し、行動することで、できたしあわせから逃げないことと、できなかった自分の結果も受け入れる覚悟と責任を持ち、今という時間を自らに取り戻すと決めた。

・私自身が学び、成長を繰り返しながら求められる人になり、私が生み出す価値を社会貢献、還元していくことを、私の中の「スイングバイ」としました。

・100回ドアをノックしてできないのは当たり前で、特に障碍者の場合、1000回ドアをノックしても誰も反応してくれないどころか、ドアはただの絵で、ドアすらないかもしれません。1000回ノックしたうえで、さらに1000回、手が血まみれになっても痛くても、全力で叩き続ける。もうその時点になったら、自分のことなんか諦めかけているかもしれません。
 そうなったら、人のために叩き続けます。
 自分のできることをすべてやれば、あとは相手が認めてくれるか、受け入れてくれるかを待つだけです。恥じることもなく、なりたい自分、最高の自分になるために、精一杯生きていますと言いたいです。

感想
 読み終えて思ったことは、自分の人生を著者は捨てていないことです。いろいろなことにチャレンジしても失敗することがほとんどでも、チャレンジし続けられています。
 過去の出来事が今に重く影響していますが、過去のせいにするよりも、今に影響している過去を持ちながら、今どうするかを考えて一生懸命前を向いて歩かれているようです。
 通信制の高校卒業、通信制大学卒業、現在は兵庫県丹波市恩鳥福祉会生活支援員をされています。

 著者のチャレンジを見ていると、自分自身まだまだ出来ることがたくさんあるなあと思いました。
イソップ寓話『酸っぱいぶどう』になっています。
さらに今何ができるか。何をしたいか。考え続けることなのでしょう。

 下記に糸井博明さんへのインタビュー記事が掲載されています。
 17年引きこもっていても社会復帰できたことは、多くの引きこもりの人の希望になるものと思いました。
ただ、そのためには周りが具体的に行動する必要があるようです。
今は強制入院以外の選択肢もあるので、そちらを選択することなのでしょう。

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