国内で約420万人の患者がいる精神疾患。患者本人の苦労も深刻だが、その子供たちも悩みを抱えている。
「誰にも相談できなかった」という関西大4年の平井登威(とおい)さん(22)も家族との関係に悩んだ当事者の一人。両親の間ではけんかが絶えず、酔った父親から繰り返し暴言を受け、やり場のない思いに打ちひしがれた。現在はNPO法人代表として当事者の居場所作りを進める平井さんが、苦悩の日々を振り返った。
■「普通じゃない」
「自分の家は普通じゃない」。そう思い始めたのは中学生のときだ。両親と11歳離れた姉、祖父母の6人家族。
平井さんが幼稚園児のころ、父親が鬱(うつ)病と診断された。 気分の変調が激しかった父親は飲酒しては暴言を吐いた。父親の怒鳴り声を聞きたくなくて、泣きながらテレビを見ることもあった。 中学生になって、同級生の口から語られる家族の話と、自分が知る家族像が大きくかけ離れていると気づいた。幸せな家族のありようを目の当たりにし「悲しくて、苦しかった」。 ただ「家族のことは知られたくない」という思いが強く、苦悩は胸の奥にしまい込んだ。自分が死ぬか、いっそ父親を殺そうか-。そんな考えが何度もよぎった。
■支えはサッカー
心の支えは、幼稚園から10年以上続けたサッカーだった。プロを目指し、高校は静岡県内の強豪校に進学した。だが、けがで調子が上がらず、結果は出ない。応援してくれていたはずの父親の機嫌が悪くなっては暴言を吐かれた。「どうしてこんな家に…」とむなしくなり、人生を恨んだ。 サッカーをやめる決断をしたのは、大学進学を控えた高校3年のとき。両親には反対されたが、家庭の事情や実力の限界を感じた。
大学入学に伴い、家族と離れて大阪で一人暮らしを始めた当初は孤独だった。新型コロナウイルス禍のため、オンライン授業で友人もできない。「家族を見捨てた」という罪悪感にもさいなまれた。
そんなとき、交流サイト(SNS)で自分と似た境遇の女性に出会ったことが転機となった。「自分以外にも悩んでいる人がいる」と知り、心が少し軽くなった。女性は精神疾患の親を持つ子供たちを支える活動を模索していた。仲間に加わり活動を始めると、自分と同様の悩みを抱える人が多いことを知った。
■支援態勢は不十分
平井さんたちは令和3年、当事者団体「CoCoTELI」(ココテリ)の活動を開始。オンラインで当事者同士が悩みを相談できる掲示板を設けたり、交流会を開いたりしている。 精神疾患の親を持つ子供は、そうでない家庭と比べて精神疾患になる確率が2・5倍高いという海外の研究結果もあるが、国内では十分な支援態勢が整っていない。 自身の経験を振り返り「親を恨んだこともあったけど、悪者にはしたくなかった」という平井さん。「自分の場合はサッカーが支えになったり、身近にサポートしてくれる親族がいたりした。そういう縁(よすが)を持たない当事者たちを支援したい」と話していた。
■否定的意見が影響
精神疾患の親を持つ子供が周囲に悩みを相談できず、孤立してしまうのはなぜか。 大阪大の蔭山正子教授(公衆衛生看護)は、まわりから精神疾患に関する否定的な意見を聞かされ、子供自身が「何が何でも知られたくない」という考えに陥ると指摘する。「差別や偏見につながる意見を耳にするうち、スティグマ(負の烙印(らくいん))を負ってしまう」 そもそも、患者本人が精神疾患だと気付かないこともあり、表面化しづらい。病院を受診していても、家族の状況にまで踏み込んで把握するのは医療関係者に知識や経験がないと難しいという。
諸外国では、精神疾患の親を持つ子供は7人に1人という研究結果もあるが、日本ではあまり実情が明らかになっていない。米国では家族全員で精神疾患患者向けの家族会に参加し、英国では学校医が家族や兄弟のケアを担う「ヤングケアラー」や、厳しい家庭環境にいる子供たちを把握するためのスクリーニング検査をしている。 蔭山氏は「当事者会など気持ちを共有できる場は有効で、親と子供、社会に同時にアプローチすることが必要だ。親が病院を受診しているなら、自宅にヘルパーが行くなど外部の目を入れることが重要になる」と話した。(小川恵理子)
感想;
「心病む母が遺してくれたもの-精神科医の回復への道のり-」夏苅郁子著 ”その環境だからこそ何かできることがある” 2017-07-16 09:00:28 | 本の紹介
「人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の人生をつないでくれた12の出会い」夏苅郁子著 ”一歩踏みだしてみる” 2018-12-11 03:21:08 | 本の紹介
やきつべの径診療所 児童精神科医 夏苅 郁子氏(埼玉いのちの電話広報誌より)
精神科医の夏苅郁子さんもそのお一人でした。
精神科医なのに、自分のうつ病を治せない。
患者さんも治せない。
苦しみ、自殺を未遂を何度かしました。
発見が遅かったら亡くなっていた可能性があるときもありました。
夏苅郁子さんが回復したのは、最後は薬でもない、医者でもない、人とのつながりでした。
2016-08-30 08:14:00 | 本の紹介
この本は私が読んだ本の中でもとても感銘を受けました。
平井登威さんは苦しんできただけに苦しんでいる人の気持ちがよく分かるのだと思います。
一人で苦しまずに、ぜひ人と繋がっていて欲しいです。
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