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日本一の直後に懲戒免職…長崎県立小浜高校ボクシング部元顧問、最高裁で勝訴 許せない“日本一の栄光に祝福なし” "ひどい高校&酷い教育委員会”

2024-12-28 09:15:15 | 社会

長崎県のボクシング競技を日本一に導きながら、教師の夢を奪われた男性がいました。9年間の闘いの末、12月20日、最高裁が懲戒免職処分の撤回を決定しました。なぜ彼は職を追われたのか?今も許せない「ある出来事」とは? 

 ■9年前の懲戒免職 
 懲戒免職の処分が取消となったのは、長崎県立小浜高校に勤めていた林田耕二元教諭(63)です。12月26日に開かれた説明会で、元教諭は懲戒免職処分となった日のことを「どん底に落とされた」と振り返りました。 林田耕二元教諭(63): 「嘘だろう、嘘だろうとずっと思いながら夢を見てるような感じでした。段々、段々現実味が湧いてきて…。これからどうしたらいいのか本当にどん底に落とされていた」

 ■発端は「生徒のパンチ」 
 代理人弁護士によりますと、林田さんは2013年7月、顧問をしていた長崎県立小浜高校ボクシング部の指導中、リング上で生徒から誤って右眼にパンチを受けてけがをしました。(右眼内レンズ脱臼、続発性高眼圧症) 学校と県教委を通して「地方公務員災害補償基金長崎県支部」に公務災害を申請、認められ療養費として約123万円の支払いを受けました。 

■「申請はウソだ」 
 しかし2年後の2015年、学校と県教委は林田さんの公務災害申請が「虚偽だった」と判断。さらに虚偽申請を理由に林田さんを懲戒免職処分とし、詐欺の疑いで警察に告発しました。 取り消された公務災害の認定。国体のボクシング競技で長崎県を全国制覇に導いた翌年のことでした。林田さんはこれを不服とし、基金審査会に対し処分の取り消しを求める審査請求を行い、県人事委員会に対しても懲戒免職処分の取り消しを求める審査請求を行いました。しかし、いずれも棄却されました。 

■最高裁判決まで9年の闘い 
 林田さんは2019年1月、長崎地方裁判所に懲戒免職処分の取消し等を求めて提訴。2022年に一審の判決で勝訴しました。 県教委は控訴しましたが、2024年2月に福岡高裁は控訴を棄却しました。福岡高裁判決は生徒の証言について「変遷があり信憑性に乏しい」などとして県教委の処分理由を‟事実誤認”と判断していました。
県教委はさらに最高裁に上告しましたが、最高裁は2024年12月20日付けで上告不受理を決定しました。これにより林田さんの懲戒免職処分の取り消しが確定しました。 ■先生の悪口を言いながら… 不当な免職処分がなぜ言い渡されたのか?代理人の弁護士は、生徒たちは県側に「言いくるめられた」と主張し、取り調べに問題があったと指摘しました。 林田さんの代理人・塩飽志郎弁護士: 「教頭、県の教育委員会、課長、課長補佐、目撃していた生徒の保護者も学校側にべったりなっていた。この5人が16歳の少年に対して、『どんなことをするかわからんよ』『火をつけて回るかもわからんよ』『電話番号とか住所とか教えるな』など林田先生の悪口を言いながら追及している」 「『かなり問題のある追及の仕方だった』という趣旨のことを裁判官も言っている。録音もあります」 代理人弁護士は、林田さんが当時ボクシング連盟の不正な金の流れを追及していたことも、突然の「虚偽申請」指摘に関係しているのではないかとしています。 

■県教委「ほかの職務違反も」 
 9年前の懲戒免職処分の取り消し決定に対し、県教委は「厳粛に受け止め、林田氏に真摯に対応していきたい。懲戒処分の再検討を進めたい」とコメントしています。 一方で県教委は林田さんの懲戒免職処分は、4つの違反に対するものだったとしています。 

【県教委が主張した職務命令違反】 
・公務災害虚偽申請→事実誤認 
・部活動指導手当の不正受給 ・上司の許可なく公文書を配布(公文書流出) 
・顛末書の作成拒否(職務命令違反) 今回最高裁が認定したのは、「公務災害虚偽申請」の事実誤認のみ。他の3つの違反については、逆に県教委の認定が一部、または全面的に認められているとして、「残り3つも鑑みて、林田さんの免職処分を取り消すか検討する」としています。 「休日に4時間以上直接指導した場合」支払われる部活動指導手当の不正受給について、林田さんは「校長から手当のルールについて説明を受けたことはなかった」と主張しています。 

■寿司屋ではなく教師の夢へ 
 最高裁の決定を受けた説明会では、林田さんの教職への思いも語られました。 実家がすし屋だった林田さんは中学校を卒業したら「板前の修業に行くもんだ」と思っていたと言います。しかし母の希望もあって高校に進学、勉強の面白さに気づき一浪で立教大学経営学部に合格しました。 勉強するきっかけをくれた高校の恩師が英語の先生だったことから教師をこころざし青山学院大学に編入、25歳で念願だった高校教師になりました。 

■祝福なき日本一の栄光 
 林田さんは1991年、小浜高校で当時長崎の県立高校では初となるボクシング部を創設。2010年再び小浜高校に赴任し、2014年に行われた長崎国体では林田さんの教え子を中心とした長崎県チームをボクシング競技総合優勝へと導きました。 しかし、日本一の栄光に輝いたのは林田さんが「公務災害の虚偽申請」を疑われ、県教委から追及を受けていた頃でした。 血のにじむような努力の日々を積み重ねつかみ取った日本一の栄光。でも応援や祝福に来た長崎県関係者は誰もいなかった―林田さんは唇をかみしめます。 林田耕二元教諭(63): 「選手も監督もボクシング連盟も一丸となって奇跡を起こした。でも『お疲れさん』も『よかったね』もない。長崎のために戦った彼らに、今でも遅くないから一言でも『あの時は本当にありがとう、頑張ったね』と言ってもらいたい気持ちが今もあります」 

■夢を取り戻したい 
 国体優勝の翌年に言い渡された懲戒免職処分。当時高校生の娘2人をもつ父だった林田さん。娘から「お父さんはもう教員になれないのか、戻れないのか」と泣かれたといいます。 ボクシング連盟からも除名されました。汚名を返上するために駆け込んだ弁護士事務所。「費用は考えなくて良いから」と生活面でも精神面でも支えてくれた弁護士。手を差し伸べてくれた設備会社で働き、2人の子どもを何とか大学に行かせることができたと語りました。 林田耕二元教諭(63): 「私の主張が正義であった。事実であると認めていただいて、とても嬉しく思います。ぜひ再任用で教師に戻りたい」
「教師は今も夢の仕事」と語る林田さん。損なわれた名誉と戻らない9年間。県教委が懲戒免職処分が取り消した場合、林田さんは再任用の選考を受けることができるということです。

感想
 長崎県立小浜高校は酷い高校ですね。そしてそれを支えた長崎県教育委員会も酷いですね。県民に怒って欲しいです。そしてその時の責任者を処罰していただきたいです。
 そうしないと袴田事件の当時の掲載、検察、裁判官も責任を負わないのでまた同じことがくり返します。
 大川原化工機では、でっちあげた警察、検察は出世と表彰されていますから、酷いです。
 今回最高裁が冷静に判断して最後の砦は守ったようです。

 それにしても、先生、教育者の前に人として正しいことをしていただきたいです。
子どもたちの説明できないようなことはしないでいただきたいです。




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