先週の書き忘れ……土田御前(大谷直子)はどうなったのだろう?
織田家の家督争いには、絡まなかったのだろうか?
官兵衛と秀吉に溝が……
唐突感
村重(道糞→道薫)の予言「天下人(権力)の魔力に囚われ、変わっていく」の兆候が表れるという流れだが、秀吉が変わるのは良いとして、秀吉が官兵衛と距離を取ろうとするのが、唐突に感じた。
確かに、秀吉の心境の変化は語られていた
①「官兵衛が敷いたレールに乗って天下人になるのは面白くない」(官兵衛への対抗心)
②「本能寺の変直後には、官兵衛には天下人への道が見えていたのではないか」(官兵衛への畏れ)
しかし、秀吉がこういった官兵衛への感情を見せるシーンは今回が初めてのように思う。なので、今回の秀吉が官兵衛に距離を置くことに、唐突感を感じてしまった。
もちろん、今回、そういう感情が強くなるきっかけがあればOKなのだが、そういう事件もなかった。冒頭、小牧長久手の戦いで、秀吉は官兵衛の「家康とは戦うな」という指示に従わなかったところから始まっていた。
「御運が開けました」という言葉の秀吉の印象
秀吉は、上記の官兵衛の言葉に、官兵衛の先見の明に脅威を感じたとおねに漏らしていたが、秀吉が慕う信長の死を「幸運」と言ってしまう官兵衛の軍師としての優秀さと共に、非情さを感じるところではないのかと考えるのだが、どうなのだろう?
冴えない長政…
新領地の山崎を任された長政だが、民の反感を買ってしまう。
そこで、家臣たちは職隆を頼る。
職隆は、職隆と職隆の父(長政の曽祖父)との想い出話(訓話)を語る。
「薬草を根こそぎ摘み取ってしまっては次の年に何も生えてこない。時が来るまで育つのを待つ。摘み取る頃合いの見極めが肝心なのだ」と。
さらに、職隆は見舞いに来た官兵衛に、「領民に対して、急いではならぬ。頭ごなしではいかんが、甘すぎても駄目。そのさじ加減が肝心だ。黒田家の昔話をたまには長政に聞かせよ」と、やんわり助言。
領民に対する扱いは官兵衛は承知していると職隆は考えているようなので、長政への対応を示唆したのだろう。
今回で退場となる職隆のコクな味を感じさせるエピソードであったが、ふたりから説教されて、ようやく気付くという長政の扱いは可哀そうだ。
職隆退場ということで、職隆と官兵衛の絆を描写したかったのと、主人公・官兵衛を持ち上げたかったのだろうが、このエピソードをクドクドやるよりは、小牧長久手の戦いや四国攻めをもう少し描いてほしかった。
小牧長久手の戦いにおいて、長政は活躍した(岸和田城の戦い)が、それは語られず、四国攻めでは、官兵衛が活躍したとのこと。
そう言えば、私が好きだった『功名が辻』の山内一豊は、四国攻めでは苦労した記憶がある。この『功名が辻』では、山内一豊と秀吉の結びつきが強かったが、『軍師官兵衛』では全く登場しない。
その四国攻めは、
「戦法となった黒田軍は、破竹の勢いで進撃。四国の覇者・長宗我部元親はついに降伏。僅か二月余りで、戦いは終わった」というナレーションで終了。
ドラマ的には、わずか20秒足らずで戦いが終わった。それに、このナレーションの「ついに」の使い方、間違っていませんか?
露骨な主人公持ち上げ
四国平定後、家康陣営で官兵衛を持ち上げ、姫路城でも「播磨が静かになったのは官兵衛のおかげ」と持ち上げる。
「さすがは兼続じゃ」を連発した『天地人』を思い出してしまった。
上述の長政の件だが、どうせなら、領民をまとめられない長政を官兵衛が叱責しているところに、職隆が現れ、薬草の訓話をした方がいいように思う。
長政にとっては「薬草=領民」、官兵衛にとっては「薬草=長政」で、長政、官兵衛がともにハッと気づく。大親父の貫禄を示しても良かったのではないだろうか。
織田家の家督争いには、絡まなかったのだろうか?
官兵衛と秀吉に溝が……
唐突感
村重(道糞→道薫)の予言「天下人(権力)の魔力に囚われ、変わっていく」の兆候が表れるという流れだが、秀吉が変わるのは良いとして、秀吉が官兵衛と距離を取ろうとするのが、唐突に感じた。
確かに、秀吉の心境の変化は語られていた
①「官兵衛が敷いたレールに乗って天下人になるのは面白くない」(官兵衛への対抗心)
②「本能寺の変直後には、官兵衛には天下人への道が見えていたのではないか」(官兵衛への畏れ)
しかし、秀吉がこういった官兵衛への感情を見せるシーンは今回が初めてのように思う。なので、今回の秀吉が官兵衛に距離を置くことに、唐突感を感じてしまった。
もちろん、今回、そういう感情が強くなるきっかけがあればOKなのだが、そういう事件もなかった。冒頭、小牧長久手の戦いで、秀吉は官兵衛の「家康とは戦うな」という指示に従わなかったところから始まっていた。
「御運が開けました」という言葉の秀吉の印象
秀吉は、上記の官兵衛の言葉に、官兵衛の先見の明に脅威を感じたとおねに漏らしていたが、秀吉が慕う信長の死を「幸運」と言ってしまう官兵衛の軍師としての優秀さと共に、非情さを感じるところではないのかと考えるのだが、どうなのだろう?
冴えない長政…
新領地の山崎を任された長政だが、民の反感を買ってしまう。
そこで、家臣たちは職隆を頼る。
職隆は、職隆と職隆の父(長政の曽祖父)との想い出話(訓話)を語る。
「薬草を根こそぎ摘み取ってしまっては次の年に何も生えてこない。時が来るまで育つのを待つ。摘み取る頃合いの見極めが肝心なのだ」と。
さらに、職隆は見舞いに来た官兵衛に、「領民に対して、急いではならぬ。頭ごなしではいかんが、甘すぎても駄目。そのさじ加減が肝心だ。黒田家の昔話をたまには長政に聞かせよ」と、やんわり助言。
領民に対する扱いは官兵衛は承知していると職隆は考えているようなので、長政への対応を示唆したのだろう。
今回で退場となる職隆のコクな味を感じさせるエピソードであったが、ふたりから説教されて、ようやく気付くという長政の扱いは可哀そうだ。
職隆退場ということで、職隆と官兵衛の絆を描写したかったのと、主人公・官兵衛を持ち上げたかったのだろうが、このエピソードをクドクドやるよりは、小牧長久手の戦いや四国攻めをもう少し描いてほしかった。
小牧長久手の戦いにおいて、長政は活躍した(岸和田城の戦い)が、それは語られず、四国攻めでは、官兵衛が活躍したとのこと。
そう言えば、私が好きだった『功名が辻』の山内一豊は、四国攻めでは苦労した記憶がある。この『功名が辻』では、山内一豊と秀吉の結びつきが強かったが、『軍師官兵衛』では全く登場しない。
その四国攻めは、
「戦法となった黒田軍は、破竹の勢いで進撃。四国の覇者・長宗我部元親はついに降伏。僅か二月余りで、戦いは終わった」というナレーションで終了。
ドラマ的には、わずか20秒足らずで戦いが終わった。それに、このナレーションの「ついに」の使い方、間違っていませんか?
露骨な主人公持ち上げ
四国平定後、家康陣営で官兵衛を持ち上げ、姫路城でも「播磨が静かになったのは官兵衛のおかげ」と持ち上げる。
「さすがは兼続じゃ」を連発した『天地人』を思い出してしまった。
上述の長政の件だが、どうせなら、領民をまとめられない長政を官兵衛が叱責しているところに、職隆が現れ、薬草の訓話をした方がいいように思う。
長政にとっては「薬草=領民」、官兵衛にとっては「薬草=長政」で、長政、官兵衛がともにハッと気づく。大親父の貫禄を示しても良かったのではないだろうか。