あふさかの ゆふつけとりに あらばこそ きみがゆききを なくなくもみめ
逢坂の ゆふつけ鳥に あらばこそ 君が行き来を なくなくも見め
閑院
私が逢坂の関のゆふつけ鳥であったならば、あなたが都と近江を行き来するのを鳴きながら見ることができるでしょうに、実際はただ泣くばかりです。
詞書には「中納言源昇朝臣の近江介にはべりける時、よみてやれりける」とあります。源昇(みなもと の のぼる)が近江介に任ぜられたのは908年で、905年とされる古今和歌集の成立時期との関係でも注目される歌となっています。もともと成立時期自体、確定的な定説があるわけではありませんが、全体ができあがった状態で公に出版される現代とは違い、一応の成立を見た後にも、加筆等の編纂も行われていたのでしょうね。
「ゆふつけ鳥」は鶏の別名とされ、0536、0634 にも出てきました。この後、0995 にも登場します。「なく」は「鳴く」と「泣く」の掛詞ですね。近江と都を行き来しているはずなのに来訪のない源昇の姿を、ゆふつけ鳥であれば見ることができるのになぁ、という歌ですが、空を飛ぶ鳥ならともかく、ゆふつけ鳥が鶏のことだとするとちょっと意味が良くわからない気がします。
「閑院」はもともとは藤原冬嗣の邸宅の名で、作者の閑院はそこに住んでいた女性のようですが、どのような人物か、詳細はわかっていません。古今和歌集には二首、入集しています。