延喜十六年、斎院御屏風の料の歌、内裏より仰せうけたまはりて、六首
人の家に女どもの庭に出でて梅の花を見、また山に残れる雪を見たる
うめのはな さくともしらず みよしのの やまにともまつ ゆきのみゆらむ
梅の花 咲くとも知らず み吉野の 山に友待つ 雪の見ゆらむ
延喜十六年(916年)、宣子内親王のために、天皇の仰せで詠んだ歌六首
人の家で女たちが庭に出て梅の花を見、また吉野山に残っている雪を見ている
梅の花が咲いているとも知らず、どうして吉野の山の雪は、これからまた降って来る新しい雪を待っているかのようにいまだに残っているのだろうか。
「斎院」はここでは第60代醍醐天皇の第二皇女宣子内親王のこと。「友待つ雪」は、あとからまた降って来る雪を待って消えずに残っている雪を指す歌語で、ご紹介するのはかなり先になりますが 817 にも登場します。