漢検一級 かけだしリピーターの四方山話

漢検のリピート受検はお休みしていますが、日本語を愛し、奥深い言葉の世界をさまよっています。

古今和歌集 0924

2022-05-11 04:38:07 | 古今和歌集

たがために ひきてさらせる ぬのなれや よをへてみれど とるひともなき

誰がために ひきてさらせる 布なれや 世を経て見れど とる人もなき

 

承均法師

 

 いったい誰のために張ってさらしてある布なのか。長い間見てきているのに、取る人もいない。

 詞書には「吉野の滝を見てよめる」とあります。滝のことを表す「瀑布」という言葉がありますが、この歌も滝を布に見立てていますね。長年無防備(?)に張られたままの布だが誰もそれを取っていく者もいない、という少しひねった表現で、古来変わらぬ美しさを詠んだ歌。ただ、吉野川には有名な滝が多くあり、どの滝であるかは特定できていないようです。

 


古今和歌集 0923

2022-05-10 05:23:34 | 古今和歌集

ぬきみだる ひとこそあるらし しらたまの まなくもちるか そでのせばきに

ぬき乱る 人こそあるらし 白玉の 間なくも散るか 袖のせばきに

 

在原業平

 

 緒から抜いて白玉を散らしている人がいるようだ。絶え間なく白玉が散りかかってくるよ、受け止めるための袖はこんなに狭いのに。

 詞書には「布引の滝のもとにて、人々集まりて歌よみける時によめる」とあります。0922 と同じく、布引の滝で飛び散る飛沫を白玉に見立てての詠歌ですね。


古今和歌集 0922

2022-05-09 05:07:49 | 古今和歌集

こきちらす たきのしらたま ひろひおきて よのうきときの なみだにぞかる

こき散らす 滝の白玉 拾ひおきて 世の憂き時の 涙にぞかる

 

在原行平

 

 滝が白玉のように撒き散らす水滴を拾い集めておいて、世の中が辛い時の涙として借りよう。

 詞書には「布引の滝にてよめる」とあります。「布引の滝」は現在の神戸市にある滝ですね。冒頭の「こき(『こく』の連用形)」はしごく意で、滝の飛沫の見立てである白玉が、木の枝に見立てた滝からしごき落されているということですね。


古今和歌集 0921

2022-05-08 06:13:27 | 古今和歌集

みやこまで ひびきかよへる からことは なみのをすげて かぜぞひきける

都まで ひびきかよへる からことは 波の緒すげて 風ぞひきける

 

真静法師

 

 都にまでその名が響き渡っているここ唐琴は、弦として張った波を風がはじいて弾いているのであった。

 「唐琴」は地名で、0456 の物名歌にも登場しました。第四句の「すげ」は糸や紐などを穴に差し通して付ける意の他動詞「すぐ」の連用形。「唐琴」という地名からこれを楽器の琴と見なし、そこに波が弦として張られているという見立てですね。
 真静法師(しんせいほふし)の歌が 0453 以来久々の登場。古今集への入集はこの2首です。

 


古今和歌集 0920

2022-05-07 05:07:17 | 古今和歌集

みずのうへに うかべるふねの きみならば ここぞとまりと いはましものを

水の上に 浮かべる舟の 君ならば ここぞとまりと 言はましものを

 

伊勢

 

 水の上に浮かんでいる舟があなたであったなら、ここが停泊するところですと申し上げるでしょうに。

 詞書には、敦慶親王(=宇多天皇の第四皇子で伊勢の夫)の家の池で建造した舟の進水式をした日、それを見に来た法皇が夕方お帰りになるに際して詠んで奉ったとあります。0919 と同じく、「法皇」は第59代天皇であった宇多法皇のこと。「とまり」は舟の停泊所と法皇の宿泊所の両義ですね。