今週いっぱいで今の席を離れ、来週から新チームへ異動することから、残務整理やら不用な物の処分やらで何かと慌しく、今日も21時過ぎに帰宅。
でも、せっかくなので、先週末の秋田レポは、何回かに分けて掲載できるよう頑張っていきます。
ということで、まずは第1弾。

ハイ、秋田に到着しました。
函館~青森間の「スーパー白鳥」と、青森~秋田間の「かもしか」を乗り継ぐこと約5時間。正直、後者の方が長いというのがちょっと以外でしたけどね。
駅に降り立ち、昼食の後、まず先に向かった場所は・・・

秋田駅から徒歩10分とかからない場所にある憩いの場「千秋公園」。
秋田駅の北西約700mの場所にあり、慶長7年(1602年)、常陸から国替えとなった初代秋田藩主佐竹義宣が、翌8年(1603年)に自然の台地を利用して築城した久保田城の本丸・二の丸跡地に整備された、面積は16.29haの市民公園。
明治2年(1869年)、版籍奉還により国へ返上され、陸軍省の所管となっていたが、同23年(1890年)、佐竹氏へ払い下げとなったことにより、本丸・二の丸を秋田市が借り受けて市民に開放され、同29年(1896年)に、管理が県に移管され、造園家長岡安平の設計により、公園として整備されている。
「千秋」の由来は、秋田の「秋」に長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものとされている。

「久保田城」。
あまり耳馴染みのない名前だけど、どんなお城なんだろう・・・?

おお、これか。
残念ながら、木に隠れて全体を写真に収めることができないが、この位置からが一番良く捉えることができた気がするので、これをアップすることにしました。
「久保田城」は、慶長7年に出羽国へ国替えとなった、佐竹氏二十万五千八百石の居城にして、複数の廓を備えた平山城である。
石垣がほとんどなく、堀と土塁を巡らした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことが大きな特徴として挙げられるが、その理由としては、国替えによる財政事情や幕府への軍役奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられている。
そして現在、「久保田城」を中心とする一帯が、「千秋公園」として、市民の憩いの場となっている。

これが、第12代秋田藩主佐竹義堯の像。
秋田を築いた最後の藩主であり、戊辰戦争では新政府方に属して戦い、明治維新の激動期を生きた象徴的な人物とされている。

少し近づいて、顔のアップを1枚。
今まで聞いたことのない名前だったけど、こういう物に触れて、知られざる歴史に思いを馳せるというのも、冒険の醍醐味なのかもしれません。
ということで、今回はとりあえずこの辺で。
次は、公園内で見つけた面白い造形物(?)を紹介します。
でも、せっかくなので、先週末の秋田レポは、何回かに分けて掲載できるよう頑張っていきます。
ということで、まずは第1弾。

ハイ、秋田に到着しました。
函館~青森間の「スーパー白鳥」と、青森~秋田間の「かもしか」を乗り継ぐこと約5時間。正直、後者の方が長いというのがちょっと以外でしたけどね。
駅に降り立ち、昼食の後、まず先に向かった場所は・・・

秋田駅から徒歩10分とかからない場所にある憩いの場「千秋公園」。
秋田駅の北西約700mの場所にあり、慶長7年(1602年)、常陸から国替えとなった初代秋田藩主佐竹義宣が、翌8年(1603年)に自然の台地を利用して築城した久保田城の本丸・二の丸跡地に整備された、面積は16.29haの市民公園。
明治2年(1869年)、版籍奉還により国へ返上され、陸軍省の所管となっていたが、同23年(1890年)、佐竹氏へ払い下げとなったことにより、本丸・二の丸を秋田市が借り受けて市民に開放され、同29年(1896年)に、管理が県に移管され、造園家長岡安平の設計により、公園として整備されている。
「千秋」の由来は、秋田の「秋」に長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものとされている。

「久保田城」。
あまり耳馴染みのない名前だけど、どんなお城なんだろう・・・?

おお、これか。
残念ながら、木に隠れて全体を写真に収めることができないが、この位置からが一番良く捉えることができた気がするので、これをアップすることにしました。
「久保田城」は、慶長7年に出羽国へ国替えとなった、佐竹氏二十万五千八百石の居城にして、複数の廓を備えた平山城である。
石垣がほとんどなく、堀と土塁を巡らした城であることと、天守閣をはじめから造らなかったことが大きな特徴として挙げられるが、その理由としては、国替えによる財政事情や幕府への軍役奉仕、徳川幕府への遠慮などが原因であると考えられている。
そして現在、「久保田城」を中心とする一帯が、「千秋公園」として、市民の憩いの場となっている。

これが、第12代秋田藩主佐竹義堯の像。
秋田を築いた最後の藩主であり、戊辰戦争では新政府方に属して戦い、明治維新の激動期を生きた象徴的な人物とされている。

少し近づいて、顔のアップを1枚。
今まで聞いたことのない名前だったけど、こういう物に触れて、知られざる歴史に思いを馳せるというのも、冒険の醍醐味なのかもしれません。
ということで、今回はとりあえずこの辺で。
次は、公園内で見つけた面白い造形物(?)を紹介します。