北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
(C)ナナマガラー All Rights Reserved.

空襲の記録

2017-04-15 16:42:57 | 函館
昨日、今年函館に異動してきた同僚からこんな質問をされた。


「函館って、第二次大戦で空襲による被害はあったのか?」


いきなり凄い質問をしてくるなと思ったが、そんな質問をされてしまうくらい、「はこだて検定」の話がワーッと広まってしまっているということで、これは仕方ない、どんな質問をされても答えられるよう、更に勉強を積んでいかねばと思った次第。

で、この質問の答えだけど、そのとおり、函館も大きな被害を受けていました。

終戦の一ヶ月前である、1945年7月14日・15日、東北・北海道地方はアメリカ海軍機動部隊の艦載機の攻撃を受けたが、海上交通の要衝として、石炭や食糧の本州向け積出港であった函館では、青函連絡船が攻撃対象となり、当時運航していた全12隻が、沈没8隻、座礁炎上2隻、損傷が2隻、つまり無傷が0という正に壊滅的な打撃を受け、旅客、乗組員合わせて死者・行方不明者425名、負傷者72名という被害が出ていた。

また、陸上においても、機銃掃射や爆弾の投下によって、西部地区にある、現在の弥生町周辺では、384戸の住宅が火災で全半焼し、市内全域で少なくとも79名の死亡が確認されているという。





写真は、西部地区の、「称名寺」「実行寺」などの有名なお寺の向かいにある学校のグラウンド。
ここは、戦争当時「駒止町」という町名で、ちょうどこの辺りが、戦災地の跡であるとのこと。





そしてこれが、称名寺の敷地内にある、戦災者の慰霊碑。
2001年に建立されたものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする