北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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炭鉱鉄道の歴史

2018-08-05 16:42:28 | 釧路&釧根地方



阿寒湖からの帰路、途中にある道の駅に寄ってみました。
道の駅自体は初めてじゃなく、前回住んでいたときにも来たことがある(このときもここ)けれど、写真の建物は、一昨年オープンした「クレインズテラス」という、インフォメーションセンターと物産店を兼ねた施設。





ここは、近いうちにまた行ってみるとして、今回の本題は、同じ敷地内にある別な施設です。





お、何だこれは?
鉄道の駅のように見えますが・・・。





って、そのとおりっちゃそのとおりだけど・・・、





ここは、1923年(大正12年)に、旧阿寒町雄別地区にあった「雄別炭鉱」の石炭を釧路港に運ぶ目的で敷設され、旅客輸送もされていた「雄別鉄道」の歴史を実感することができる場所。
駅名表示にある「阿寒駅」は、1970年(昭和45年)の炭鉱閉山とともに廃止されましたが、1972年(同47年)3月、駅の跡地に、雄別炭鉱を記念する「阿寒町郷土資料館」が開館、1988年(同63年)6月、「炭鉱と鉄道館・雄鶴駅」として再オープンし、現在に至っています。








建物内には、鉄道ファンの血が騒ぐような物が多数保存されています。
私も、大人になってからはそうでもなくなったけど、少年時代はこういうのに夢中になっていました。








改札口。
今は、有人駅ですら自動改札機が主流になっているけれど(函館駅の隣の五稜郭駅などは未だ自動化されていませんが)、かつてはこのボックスの中に駅員さんがいて、改札も、今のようにスタンプを押すのではなく、ハサミで切り込むというものだったということを、今の若い人たち(20代以下ぐらい)は知っているのかなあ・・・。
懐かしい懐かしい。








車両もこうして保存されています。
「C1165」という型式の蒸気機関車で、1935年(昭和10年)3月に、旧国鉄川崎車輌工場で製造されたものを、1960年(同35年)に雄別鉄道が譲り受け、主力車両として活躍していたものです。

雄別鉄道の遺構や路線、駅舎の跡地については、現在も確認できる場所が沢山あるので、今後調べて回ってみようと思います。
コメント
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