13年ぶりに釧路に戻ってきてから、早いもので4ヶ月半。
今は、釧路駅から徒歩で45分くらい、車で10~15分くらいの、春採湖の側に住んでいる。
今の地域での生活にもすっかり慣れたけど、前回住んでいた三年間は、釧路駅から徒歩5分くらいのところに住んでいて、今でもそっちの方はよく行くので、歩いていて、無性にその頃のことが懐かしくなることがある。
その頃住んでいたのは、当時で築五年くらいのワンルームアパート。
29歳になる年に、初めての本格的な一人暮らし(社会人になって最初に配属された滝川での二年間は寮生活だった)ということもあって、色々と大変なことや、失敗、後悔もあったけど、それも含めて今ではよい思い出。
近くまで行ってみると、私の住んでいた部屋は埋まっているが、一部屋空きがあることが確認できる。
当時は、隣にあった建物の影響で陽当たりが今一つだったのだけど、今は取り壊されて更地になっていて、少なくとも、空いている一部屋は陽当たりがバッチリになっていると思われ、何だか羨ましいと思ったりも。
当時は、アパートのすぐ側に大型の商業施設があり、仕事帰りや休みの日に通いまくっていたのだけど、こちらも今は取り壊され、跡地には大型の遊戯施設の建設が進行中。
函館を離れるとき、以前釧路でも一緒だったことがあって、その遊戯が好きな同僚に、「来年それを動機に釧路希望するんでしょ」なんて冗談を言い残してきたのだけど、果たしてどうなることやら。
それはさておき、その商業施設で印象的なこととして思い浮かぶことが三つ。
まず一つは、1階にあった食品コーナーに「キムチ納豆」といって、その名のとおり、小さな袋にキムチが入っていて、それをタレのかわりに納豆に混ぜて食べるという物が置いてあったこと。
私はキムチは大好きなので、これは本当によく買って食べたものだった。
二つ目は、2003年(平成15年)9月に、釧路が震度6強に見舞われた「十勝沖地震」のこと。
震度6強が発生した当日ではなく数日後のことなのだが、仕事帰りに買い物をしていたら、結構強い余震が襲ってきて、食品コーナーの陳列棚から、ものすごい勢いで商品が落下してくる瞬間を目にしてしまった。
幸いそれぐらいで済み、けが人も出なかったようだけど、あのときは本当に、地震の怖さというものを思い知らされた気がした。
そして三つ目は、確か2004年(同16年)の秋頃だったと思うのだけど、1階に小さなCDショップがテナントとして入り、そこで、当時放送中だった「特捜戦隊デカレンジャー」のサントラや挿入歌集のCDを何枚か買ったこと。
小さいお子さんならいざ知らず、いい大人(当時31歳)がそういうものの常連になったということで、店主のおじさんにもすっかり顔を覚えられたようで、何枚目かを買うときに「毎度どうも」的なことを言われたのをよく覚えている。
値段は一緒なんだから、休みの日に郊外にある大型CD店で買ってもよかったのだけど、せっかく近くにあるというので、そこを利用させてもらっていました。
ざざざーっと殴り書きのように書いてしまったけど、何でこんなにも印象に残ることが多いかと考えると、やっぱり、初めての本格的な一人暮らしだったからということに尽きるような気がする。
13年経ち、同じ一人暮らしでも、独身ではなく単身赴任として戻ってきたが、今は今で色々と楽しいこともあるとしても、そんな当時の思い出というのは、一生色褪せることなく残って行くものなのだろうなあということを、最近実感するようになりました。
今は、釧路駅から徒歩で45分くらい、車で10~15分くらいの、春採湖の側に住んでいる。
今の地域での生活にもすっかり慣れたけど、前回住んでいた三年間は、釧路駅から徒歩5分くらいのところに住んでいて、今でもそっちの方はよく行くので、歩いていて、無性にその頃のことが懐かしくなることがある。
その頃住んでいたのは、当時で築五年くらいのワンルームアパート。
29歳になる年に、初めての本格的な一人暮らし(社会人になって最初に配属された滝川での二年間は寮生活だった)ということもあって、色々と大変なことや、失敗、後悔もあったけど、それも含めて今ではよい思い出。
近くまで行ってみると、私の住んでいた部屋は埋まっているが、一部屋空きがあることが確認できる。
当時は、隣にあった建物の影響で陽当たりが今一つだったのだけど、今は取り壊されて更地になっていて、少なくとも、空いている一部屋は陽当たりがバッチリになっていると思われ、何だか羨ましいと思ったりも。
当時は、アパートのすぐ側に大型の商業施設があり、仕事帰りや休みの日に通いまくっていたのだけど、こちらも今は取り壊され、跡地には大型の遊戯施設の建設が進行中。
函館を離れるとき、以前釧路でも一緒だったことがあって、その遊戯が好きな同僚に、「来年それを動機に釧路希望するんでしょ」なんて冗談を言い残してきたのだけど、果たしてどうなることやら。
それはさておき、その商業施設で印象的なこととして思い浮かぶことが三つ。
まず一つは、1階にあった食品コーナーに「キムチ納豆」といって、その名のとおり、小さな袋にキムチが入っていて、それをタレのかわりに納豆に混ぜて食べるという物が置いてあったこと。
私はキムチは大好きなので、これは本当によく買って食べたものだった。
二つ目は、2003年(平成15年)9月に、釧路が震度6強に見舞われた「十勝沖地震」のこと。
震度6強が発生した当日ではなく数日後のことなのだが、仕事帰りに買い物をしていたら、結構強い余震が襲ってきて、食品コーナーの陳列棚から、ものすごい勢いで商品が落下してくる瞬間を目にしてしまった。
幸いそれぐらいで済み、けが人も出なかったようだけど、あのときは本当に、地震の怖さというものを思い知らされた気がした。
そして三つ目は、確か2004年(同16年)の秋頃だったと思うのだけど、1階に小さなCDショップがテナントとして入り、そこで、当時放送中だった「特捜戦隊デカレンジャー」のサントラや挿入歌集のCDを何枚か買ったこと。
小さいお子さんならいざ知らず、いい大人(当時31歳)がそういうものの常連になったということで、店主のおじさんにもすっかり顔を覚えられたようで、何枚目かを買うときに「毎度どうも」的なことを言われたのをよく覚えている。
値段は一緒なんだから、休みの日に郊外にある大型CD店で買ってもよかったのだけど、せっかく近くにあるというので、そこを利用させてもらっていました。
ざざざーっと殴り書きのように書いてしまったけど、何でこんなにも印象に残ることが多いかと考えると、やっぱり、初めての本格的な一人暮らしだったからということに尽きるような気がする。
13年経ち、同じ一人暮らしでも、独身ではなく単身赴任として戻ってきたが、今は今で色々と楽しいこともあるとしても、そんな当時の思い出というのは、一生色褪せることなく残って行くものなのだろうなあということを、最近実感するようになりました。