釧路の散策記は一休みして、今日は札幌の話題。
区の名前にもなっているJR「手稲」駅。
先月帰省したとき久しぶりに利用したのだけど、そういや、「手稲」ってどういう由来があるのだろうと、ふと思った。
この「手稲」という地名も、例によってアイヌ語に由来するもので、「濡れているもの」を意味する「テイネィ」という言葉が由来なのだそうで、現在は市街地となっている「手稲山」という山の山麓地帯に広がっていた低湿地を指していたとする説が有力のようです。
元々は「手稲村」→「手稲町」という独立した町で、1967年(昭和42年)3月1日に札幌市に編入され、そのときは全域が西区でしたが、1989年(平成元年)に、一部のエリアを西区に残した状態で「手稲区」に分区され、現在に至っています。
西区に残ったエリアの中に、私の自宅からも近い「西町」という町があり、ここは、私が引っ越した当時は「手稲東」という町名だったのだけど、手稲区の分区に伴い「西町」と変わりました。
四年前に撮って紹介していたバス停。
高校へ通う最寄バス停として思い出深い場所で、今は停留所のとおりの町名だけど、手稲区の分区までは「西区手稲東北7丁目」で、バス停名も「手稲東」でした。懐かしいなあ・・・。
(現在の手稲区のエリアはこちら。そして、このバス停の場所はこちら)
手稲駅に話を戻します。
こちらは、最初の写真の反対側にある「北口」。(最初の写真は「南口」)
1880年に、現在のJR南小樽駅とを結ぶ官営鉄道の駅(乗客があるときだけ、旗で合図して停車する駅)として開業しましたが、そのときは、現在も川の名前として残っている「軽川(がるがわ)」駅という名前でした。
この「軽川」という川は、この地に入植した和人達が、夏になると干上がる川の姿から「涸川(かるかわ)」と呼び、それが訛った「がるがわ」が現在の川の名前となったものですが、1942年(昭和17年)までは、手稲駅のある一帯が、川の名前を取って「軽川」という地名だったのだそうです。
因みにその「軽川」駅は、今でこそJR函館本線しか運行していませんが、1922年(大正11年)から1940年(昭和15年)までは、現在の石狩市花畔(ばんなぐろ)とを結ぶ「軽石軌道」という路線が走っていたそうです。
その痕跡も探してみると面白そうですね。
(手稲駅の場所はこちら)
最後に、手稲駅北口にあるバス乗り場。
ここは、過去に二度しか利用したことがないのだけど、私にとっては大変思い出深い場所。
その二度とは、1990年(平成2年)8月7日と、1991年(平成3年)6月30日。
この近くにある「前田森林公園」で開催された「第10回高校生クイズ(1990年)」と「第11回高校生クイズ(1991年)」北海道予選のための送迎バスが、ここから運行していたので、どちらも利用させてもらいました。
こういうことも含めて、「高校生クイズ」の思い出は尽きないのです。
区の名前にもなっているJR「手稲」駅。
先月帰省したとき久しぶりに利用したのだけど、そういや、「手稲」ってどういう由来があるのだろうと、ふと思った。
この「手稲」という地名も、例によってアイヌ語に由来するもので、「濡れているもの」を意味する「テイネィ」という言葉が由来なのだそうで、現在は市街地となっている「手稲山」という山の山麓地帯に広がっていた低湿地を指していたとする説が有力のようです。
元々は「手稲村」→「手稲町」という独立した町で、1967年(昭和42年)3月1日に札幌市に編入され、そのときは全域が西区でしたが、1989年(平成元年)に、一部のエリアを西区に残した状態で「手稲区」に分区され、現在に至っています。
西区に残ったエリアの中に、私の自宅からも近い「西町」という町があり、ここは、私が引っ越した当時は「手稲東」という町名だったのだけど、手稲区の分区に伴い「西町」と変わりました。
四年前に撮って紹介していたバス停。
高校へ通う最寄バス停として思い出深い場所で、今は停留所のとおりの町名だけど、手稲区の分区までは「西区手稲東北7丁目」で、バス停名も「手稲東」でした。懐かしいなあ・・・。
(現在の手稲区のエリアはこちら。そして、このバス停の場所はこちら)
手稲駅に話を戻します。
こちらは、最初の写真の反対側にある「北口」。(最初の写真は「南口」)
1880年に、現在のJR南小樽駅とを結ぶ官営鉄道の駅(乗客があるときだけ、旗で合図して停車する駅)として開業しましたが、そのときは、現在も川の名前として残っている「軽川(がるがわ)」駅という名前でした。
この「軽川」という川は、この地に入植した和人達が、夏になると干上がる川の姿から「涸川(かるかわ)」と呼び、それが訛った「がるがわ」が現在の川の名前となったものですが、1942年(昭和17年)までは、手稲駅のある一帯が、川の名前を取って「軽川」という地名だったのだそうです。
因みにその「軽川」駅は、今でこそJR函館本線しか運行していませんが、1922年(大正11年)から1940年(昭和15年)までは、現在の石狩市花畔(ばんなぐろ)とを結ぶ「軽石軌道」という路線が走っていたそうです。
その痕跡も探してみると面白そうですね。
(手稲駅の場所はこちら)
最後に、手稲駅北口にあるバス乗り場。
ここは、過去に二度しか利用したことがないのだけど、私にとっては大変思い出深い場所。
その二度とは、1990年(平成2年)8月7日と、1991年(平成3年)6月30日。
この近くにある「前田森林公園」で開催された「第10回高校生クイズ(1990年)」と「第11回高校生クイズ(1991年)」北海道予選のための送迎バスが、ここから運行していたので、どちらも利用させてもらいました。
こういうことも含めて、「高校生クイズ」の思い出は尽きないのです。