北の風に吹かれて~独り漫遊記~

町歩きを中心に、日々の出来事を綴ります。 
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音階まで覚えてる

2017-04-25 21:14:05 | 懐かしの思い出
「好きな曲は?」という以前に、実は「イエスタデイ・ワンスモア」しか知らない。

小学校の時、確か3年生の時だったと思うが、音楽発表会(当時通っていた学校は「学芸会」というものはなく、「音楽発表会」だった)の課題曲(リコーダーではなくピアニカだったような気が)になっていて、音楽の授業などで一生懸命練習していた。
あれから三十五年経っているけれど、実は今でも、この曲の音階を結構覚えていて、出だしの部分とサビの部分なら、もしかすると楽譜を見なくても演奏できるかもしれない。
それくらい何度も何度も繰り返し演奏していたのだけど、さすがに小学生の時分なので、この曲が何というアーティストのいつ頃の曲なのかは知る由もなく(日本で発売されたのは、1973年7月とのこと)、恥ずかしながら、ビートルズの「イエスタデイ」と関係のある曲だと勝手に思い込んでいたりもしたのだが、大人になって、何かの時に聞いて、「これはあの時の!」と思い、そこで、「カーペンターズ」というアーティストのことも知ったように記憶している。

「音楽発表会」で演奏した曲として、他にどんなのがあったかなと思い出してみたが、2年生から4年生の時まで三年間通ったうち、2年生の時のことは思い出せないのだけど、4年生の時は、「シバの女王」と「白い恋人たち」の二曲をやったように思う。
この二曲は音階までは記憶にないけれど、どちらも、サビに当たる部分のメロディーは何となく覚えている。特に「白い恋人たち」の方は、テレビとかで流れることもたまにあるので、聞けばその頃のことを思い出したりもする。

私は父親の転勤で、小学校は三つ通っていたのだけど、一番楽しく、いい思い出がたくさんあるのは、この二つ目の学校だったので、今回また思い出す機会を与えてくれたことに感謝。
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大丈夫かな・・・

2017-04-24 21:00:29 | 女性アナウンサー・アイドル・タレント
今朝は5時30分頃目が覚めたので、テレビを点けてNHKの「おはよう日本」を入れてみると、近江友里恵アナが出ていた。
朝から見られるのは嬉しいけど、毎日ではないのかもしれないが平日早朝の番組に出て、合間に「ブラタモリ」のロケで各地へって、かなりのハードスケジュールじゃないのかなと、ちょっと心配。
「ブラタモリ」のロケがどういうスケジュールを組んでいるのかわからないけど、体調を崩さないように頑張ってほしいなと思う。

「おはよう日本」の公式サイトを観ていると、近江アナの趣味の中に「町歩き」というのがあり、「おぉ!」と思った。
これはもしかして「ブラタモリ」の影響では?とも思ったのだが、アナウンスルームでも同じように書いているので、趣味としては以前からあったけど、「ブラタモリ」によって、それを強く表に出せるまでになったということなのかな。
私も、函館の勉強を色々としている関係で、町歩きが趣味と言えるまでになっているので、(ファンとして)ちょっと嬉しくなっちゃいました。

そういや、「ブラタモリ」の本って、近江アナに替わってからの放送分はまだ出版予定が出てこないなあ・・・。
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屋号の由来

2017-04-23 18:05:46 | 函館



ご存知、「金森赤レンガ倉庫」。
これに関して、先日、今年函館に異動してきた同僚からこんな質問を受けた。


「金森倉庫は、『かなもり』と読むのか、それとも『かねもり』なのか?」


私のように、1980年代後半の西武ライオンズ黄金期にファンだった人は、迷わず「かなもり」って読んじゃいそうだし、そうじゃなくても、「かなもり」と読む人が多いと聞いたことがあるが、正解は「かねもり」なのです。


※当時の背番号26。デッドボールを受けた際のリアクションが何度も珍プレー番組で取り上げられ、大人気を博した、金森永時選手を頭に浮かべてのコメント。


上の写真で、外壁に掲げられている文字を見て下さい。森の上に、鍵カッコのような記号がついています。
これは、曲尺(かねじゃく)という記号に由来する「かね」と読む記号で、昔の屋号に用いられたものです。
創立者である「函館四天王」の一人、渡邉熊四郎は「商売に駆け引きは不要」と考えていたそうで、この曲尺には、「律義でまっすぐ」という意味があることから、そうした信条を持っていた渡邉熊四郎に相応しい屋号であると言われています。
そう、先に書いちゃいましたが、「かねもり」というのは、屋号なのです。

では、そこに触れたついでにもう一つ。
「金森」の「森」とは?

これは、渡邊熊四郎が函館に渡ってくる以前、長崎で勤めていた薬屋「森屋」から名付けられたとされています。
24歳の時に長崎から函館にやってきた渡邉熊四郎は、1869年、現在の函館市大町(現在の赤レンガ倉庫の場所ではない)に「金森洋物店」を開業し、屋号を「金森森屋」としました。
この洋物店は現在の赤レンガ倉庫に繋がるものではなく、1879年の大火により建物が焼失し、翌1880年に新たな建物として開業。現在、その建物は「市立函館博物館郷土資料館」なっています。

また、同じ屋号を持つ有名な施設として、1925年に開業した「金森森屋百貨店」をルーツとする、「棒二森屋百貨店」があります。
(写真がなかったので、百貨店の公式サイトへのリンクでご勘弁を)

最後に、先程、「金森洋物店」の場所が、現在の赤レンガ倉庫の場所ではないと書きましたが、では肝心の倉庫の歴史はというと、1887年、外国人居留地や官設造船所などがあった場所を渡邉熊四郎が購入し、跡地に倉庫を建設したのが最初とされています。
1895年には、21棟1,656坪に及ぶ倉庫を所有し、断然同業他社を引き離すこととなり、日露戦争後、1907年に締結された日露漁業協約により、ロシア領での漁業が最盛期を迎えたことで、営業倉庫も拡大の一途を辿ることとなりました。
その後昭和後期になって、輸送形態が飛行機主流になったことや、北洋漁業の縮小などの影響で、倉庫業は徐々にその規模を縮小せざるを得なくなりましたが、倉庫の建物は「伝統的建造物」に指定されて、商業施設、多目的ホールなどに業種転換され、現在に至っています。
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正しい表記

2017-04-22 16:48:10 | 渡島・檜山地方
昨年の「はこだて検定」の問題を読み返していて、ふと思ったこと。

上級で、木古内町に新設された道の駅の正式名称を答えさせる問題があり、正解は「みそぎの郷 きこない」というのだが、これが、同じく昨年新設された、鹿部町の道の駅を問う問題だったら、もしかすると落としてたかもと思った。








何ゆえそんなことを思ったかと言うと、鹿部町は、間歇泉を観光のシンボルとして売り出していて、町内にはこのような名所もあることから、道の駅の名前もこのようになったのだが、問題はこの「間歇泉」の漢字表記。
「歇」の字は、覚えれば何のことないとは思うんだけど、「かんけつせん」と言うと、「間欠泉」と表記するイメージがあるから、こっちの方が問題として出されると、「間欠泉」と誤記して点を落としてしまう人が多発していたのではないかと、今となっては思う。








そう、道の駅の隣にある公園も「間歇泉公園」なんですよ。「間欠泉公園」ではないんです。
なんだけど、アメリカにある有名な国立公園の公式サイトでは「間欠泉」になっているんです。この国立公園は、「アメリカ横断ウルトラクイズ」のチェックポイントになったことがあり、その際にも「間欠泉」と表記されていたことから、私はずっと、こっちだと思ってきました。

そんなわけだけど、大事なことは、先入観や思い込みに捉われず、人名や施設の名前は正しく表記できるよう覚えておきましょうということなんだろう。
基本的なことだけど、大事にしたいものです。
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これは知らなかった

2017-04-21 19:09:33 | 日々のもろもろ



東京に遊びに行って来た友人から、こんな写真をいただいた。
こんなキャラがいるんですね。





公式サイトまである公認キャラクターだそうだけど、えっ、2012年に誕生してた?
この間も公私関係なく何度も東京に行っているのに、全く知りませんでした・・・。
そういや、最近、羽田往復も、モノレールより京急が多くなっていたな・・・。
もしかしてなんだけど、来月(GWではない)東京に行くかもしれないので、その時に探してみよう。
写真の背景から、おおよその場所は想像がつくので。
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