「自民党支持者は劣等民族」と称し「劣等民族」発言を謝罪、撤回。当面は地上波テレビ番組の出演を見合わせると発表した青木理の発言が注目を引いた。発言を聞き、学生時代から役人人生を通じて経験した愉快でない思いが蘇ってきた。
ひとりよがりな思い込みで自らを知的高みに置き、政治的見解が異なる他者を劣等者として侮蔑、排除してきたことこそ、「戦後知識人」の悪弊だろう。
受験生が長らく読むべきとされてきた朝日新聞の天声人語や加藤周一などの「進歩的知識人」の評論が、そうした薄っぺらな独断と偏見を助長、拡大生産してきたことは否めない。
東京大学の憲法論や政治学の講義で官僚の卵が晒されてきたのも、自衛隊の合憲性にしたり顔で異議を呈するものが殆どだった。そんな「通説」を丸暗記し答案用紙に正確に再現する受験秀才連中が「全優」を勲章に霞が関入りし、現場の自衛官を軽んじてきたのが戦後パワーエリートの実態であった。
巨視的に振り返ると、現場の軍人を蔑んだ典型例は、戦前・戦中の外交官だった石射猪太郎ではないだろうか?帝国陸軍を「知能犯性を持った悪漢」とまで呼んで悪者に仕立てつつ、米英との協調について憧憬をもって語った石射。
こうした反軍姿勢は、占領期にGHQへのアピールに汲々とした連中に限られなかった。1990年の第一次湾岸戦争に際しては日本の人的貢献が強く求められていたにもかかわらず、当時の外務次官・栗山尚一は自衛隊部隊の海外派遣が戦前の海外派兵を想起させるとして、自衛官が自衛官の身分のままで海外に出ていくことに首を縦に振らず、自衛隊とは別組織を設立し、「平和協力隊員」として派遣されることに拘った。戦前・戦中期に父親が軍部に虐げられたことへの反発があったと評された。
こうした地下水脈は営々と続く。政治レベルの歓心を買うことに汲々としていたとされる森健良・前外務次官でさえ、自衛隊幹部に対してはリスペクトのかけらさえ示さなかったという吐露を自衛隊関係者から聞かされた。海上自衛隊出身の大塚海夫大使がジブチで大活躍したにもかかわらず、自衛隊出身者を引き続いて大使として任用することに消極的であったことも語り草だ。せっかく航空自衛隊から長島純大使という優秀な人材を受け入れながら、ブルキナ・ファソという空軍兵力僅か600名の西アフリカの小国に派遣されたことを疑問視する向きは強い。
ことは外務官僚にとどまらない。長らく「三流官庁」と揶揄されてきた防衛省内局の「背広組」の中には、霞が関での他省庁による扱いに昂じた劣等感のせいか、省内にあっては「制服組」を抑えるシビリアンコントロールを自らが担っているなどという尊大な勘違いがしばしば見られてきた。
憲法を改正して自衛隊をきちんと位置付け、不毛な合憲・違憲論に決着をつける必要は言を俟たない。だが、それだけでは不十分だ。左翼人士、霞が関の受験秀才官僚の間に見られてきた現場軽視、なかんずく国防を担う自衛官に対する軽侮を一掃し、健全なリスペクトを醸成しなければならない。彼らの力を必要とする台湾有事は待ったなしだからだ。
「通説」を丸暗記し答案用紙に正確に再現するだけAI以下の受験秀才幹部が無茶振りし、現場の自衛官を軽んじて、想定外の有事に被害を拡大させる姿もあり得るでしょう。
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