❷ これに対して、
おおた としまさ氏は反論する。中学入試の算数が、抽象的なxやyを使った「方程式」を使わずとも「つるかめ算」で答えにたどり着けるようにしてあるのは、まだ具体的操作のほうが得意な小学生でも解けるようにという配慮にほかならない。理科の入試問題に、化学式のような抽象的なものが出てくるわけでもない。
基本的に中学入試問題は、子どもらしく試行錯誤する力を試しているのであって、形式的操作期を先取りした思考力を試しているのではない。桜木さんはその点を誤解しているのではないだろうか。
そもそもピアジェの理論は教育関係者には常識で、小学校の学習指導要領はもちろん、塾の教材もそれを意識してつくられている。一般的には、具体的操作期から形式的操作期への移行は「11歳ごろ」と解釈されており、小学校高学年で割合や確率の概念を扱うのもそれに符合する。
たしかに形式的操作期に移行している子供のほうが有利な面は多いので、ゆっくり発達する子は無理して中学受験勉強をしなくていいと私も思う。だが、11歳ですでに形式的操作期に移行している多くの子どもたちが中学受験で十分に力を発揮するのは、不自然なことではない。
桜木さんの記事の中には「受験に失敗」という表現も何気なく使われているが、何をもって「失敗」としているのだろうか。
「第一志望に合格できなければ中学受験は失敗だ」とか「偏差値60以上の学校に受からなければ中学受験をする意味がない」などと考える親はときどきいる。桜木さんもそう考えているのだとすれば、中学受験生の親には“向いていない”。
そのような親が子どもに中学受験をさせると、合格というゴールばかりに目が向いてしまい、ありのままの子どもが見えなくなる。子どもに過度な負荷を与え、子どもを潰してしまいかねない。私に言わせれば、それこそが「中学受験の失敗」であり、第一志望に不合格になることは、失敗でも何でもない。
逆に、世間体にとらわれず、わが子の頑張りを100%認めて誇らしく思える親なら、発達がゆっくりな子どもでも、中学受験をさせてもいいと私は思う。
現在、私立中学の募集定員総数は中学受験生総数とほぼイコールで、“どこかには入れる”。そこで得られる中高一貫という環境そのものに、学校の “偏差値的レベル”にかかわらず、思春期の子どもにとっての大きな意味がある。それが、中学受験をすることで得られるものであり、高校受験が子どもから奪うものである。
再びピアジェによれば、14〜15歳で「形式的操作の組織化の時期」に入り、いよいよ「哲学」ができるようになる。だからこそ反抗期も現れる。
この時期には、たくさんの冒険をして、たくさんのひとに出会い、たくさんの失敗をして、たくさんぼーっとすることが大切だ。それらの経験を通して、世の中を知り、自己洞察を深め、子どもは大人になっていく。紙と鉛筆だけで受験勉強ばかりしている場合ではない。
欧米先進国のほとんどでは高校受験がない
つまり、反抗期と高校受験の両立は難しい。多くの子どもはなんとかその状況を乗り切るが、中には両立がうまくいかない子もいる。潜在能力は高いのに反抗期ゆえに力が発揮できなかったり、逆に受験勉強に追われてこの時期に学ぶべき人生の基本をおろそかにしてしまったり。
欧米先進国のほとんどでは、高校受験がない。ハリー・ポッターは、日本でいうところの中高一貫校に相当する学校に通っている。まさに少年が大人になっていくための冒険の舞台である。その代わりイギリスのエリート層は、小学校高学年で猛勉強する。
ちなみに2017年に漫画化されベストセラーとなった『君たちはどう生きるか』の主人公で14歳のコペル君も、戦前に中学受験をして、いまでいうところの中高一貫校に相当する環境で、高校受験にわずらわされることもなく、ときには不登校になったりしながら、じっくりと「哲学」することができたのだ。
この大切な時期の大半を高校受験勉強に費やしてしまうことのリスクを、桜木さんは、中学受験のリスクと対比していない。これが「ピアジェ理論を前提に、中学受験の是非について述べよ」という小論文課題なら、大幅減点だろう。